南アジアの歴史を簡単にふりかえってみます。
かつてイギリスは、現在のインドを中心とした地域を統治していました。
(※イギリス領インド)
支配した期間は、200年間にもおよびます。
インドの主たる宗教は、ヒンドゥー教です。
もちろんこれ以外の宗教も存在します。
以下のパキスタン地区につきましては、イスラム教の信者が多数存在していました。
(※イスラム教の信者が多かったパキスタン地区)
インドは1947年に、イギリスから独立します。
独立運動の中心となったのはガンディー(1869年~1948年)です。
ガンディーは、パキスタン地区もふくめて、ひとつの国として独立することを望みました。
叶いませんでした。
宗教的な対立が収まらずに、最後は分離独立することとなります。
(森本達雄著「インド独立史」中公新書より、引用。改行を施しています。)
分離独立はますます民衆を宗教的熱狂へとかりたてた。
復讐は復讐を呼び、ついに住民は死か逃亡かの二者択一にせまられた。
こうして世界史上まれにみる宗教による住民の大移動が始まったのである。
東パンジャーブ(インド領)からはムスリム(イスラム教徒)の難民の群れが西パンジャーブ(パキスタン領)に向かい、西からはヒンドゥー教徒・シク教徒の難民が東に流れていった。
この大移動で国境を越えた者の総数は、1200万とも1500万とも言われている。
汽車やバス、トラックから馬車・牛車に至るまで、ありとあらゆる交通機関が動員されたが、大多数は数百マイルの道程を、恐怖におののき飢餓にあえぎながらとぼとぼと歩いていった。
難民の列はえんえん80キロも切れることがなかったと言う。
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1947年、イスラム教を信仰するパキスタンが誕生します。
(※パキスタン)
ご覧のとおり当時のパキスタンは、インドを挟んで飛び地になっていました。
それぞれ、西パキスタン、東パキスタンと称しました。
両地域は民族や産業が異なります。
政治や経済の面で優位に立っていたのは、西パキスタンでした。
不満を募らせた東パキスタンは、1971年に独立を宣言します。
(※黄色の地域が東パキスタン。)
東パキスタンは、バングラデシュとなりました。
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パキスタンについてみてみます。
就学状況に関してです。
(2014年1月8日 NHK クローズアップ現代+「16歳 不屈の少女 ~マララ・ユスフザイさん~」より、引用。)
●クローズアップ現代+
(パキスタン北西部のスワート地区は)男性優位の部族の慣習が根強い保守的な地域です。
女性は年頃になると、人前で肌を出したり、1人で外出したりすることも許されません。
多くの女性は学校に通えず、読み書きができません。
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教育をうけている女子は少数です。
いまから10年前(2008年)のことでした。
●クローズアップ現代+
イスラム過激派のパキスタン・タリバン運動が町を占拠。
イスラムの教えに反しているとして、女性が教育を受ける権利を否定します。
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暴挙に異を唱えたのが、マララ・ユスフザイさんでした。
●クローズアップ現代+
なんとかして学校に戻りたい。
当時11歳だったマララさんは、ブログで厳しい現状を訴えることにしました。
“タリバンのせいで27人いた同級生は11人になってしまった”
ブログは国内外のメディアで取り上げられ、大きな反響を呼んだのです。
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「パキスタン・タリバン運動」はマララさんを襲いました。
(ハフポストより、引用。)
●2013年7月12日 国連演説 マララさん(16歳)
親愛なるみなさん、2012年10月9日、タリバンは私の額の左側を銃で撃ちました。 私の友人も撃たれました。 彼らは銃弾で私たちを黙らせようと考えたのです。 でも失敗しました。 私たちが沈黙したそのとき、数えきれないほどの声が上がったのです。 次のものを除いて、です。 私の中で弱さ、恐怖、絶望が死にました。 |
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●2013年7月12日 国連演説 マララさん(16歳)
親愛なる少年少女のみなさん、私たちは暗闇のなかにいると、光の大切さに気づきます。 私たちは沈黙させられると、声を上げることの大切さに気づきます。 同じように、私たちがパキスタン北部のスワートにいて、銃を目にしたとき、ペンと本の大切さに気づきました。 「ペンは剣よりも強し」ということわざがあります。 これは真実です。 過激派は本とペンを恐れます。 教育の力が彼らを恐れさせます。 彼らは女性を恐れています。 女性の声の力が彼らを恐れさせるのです。 |
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国連演説の翌年(2014年)、マララさんは17歳の若さでノーベル平和賞を受賞しました。
(2017年8月17日 産経新聞「ノーベル平和賞のマララさん、オックスフォード大進学へ」より、引用。改行を施しています。)
●産経新聞
パキスタン出身のノーベル平和賞受賞者、マララ・ユスフザイさん(20)が、英国のオックスフォード大学に進学することになった。
(中略。)
マララさんは2014年、女子教育の権利を訴える活動を評価され、17歳の史上最年少でノーベル平和賞を受賞。
英バーミンガムの女子校に通っていた。
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今年の3月にマララさんは、約5年半ぶりに一時帰国しました。
(2018年3月29日 時事通信「パキスタンは女性教育拡充を=マララさん、念願の帰国」より、引用。)
●時事通信
ノーベル平和賞受賞者で、29日にパキスタンへ約5年半ぶりに一時帰国した女性教育活動家マララ・ユスフザイさん(20)は、イスラマバードでアバシ首相と会談した。
(中略。)
TTP(パキスタン・タリバン運動)の再度の襲撃を恐れ、母国への帰還を控えてきた。
マララさんは「帰国できる日を心待ちにしていた」と涙ぐみながら喜びを語り、父親と共に創設した「マララ基金」を通じ、子供の教育に投資したいと表明した。
(後略。)
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マララさんは先日、誕生日をむかえました。
21歳になりました。
(マララさんのツイッターより、引用。)
●マララさん
<2018年7月13日>
I turned 21 today in #Brazil. So happy to spend my birthday in this beautiful country with amazing girls. Want to meet some of my new friends? pic.twitter.com/OFRRyQ9kCR
— Malala (@Malala) 2018年7月12日
「I turned 21 today」(私は今日、21歳になった)
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(再掲)
●2013年7月12日 国連演説 マララさん(16歳)
彼らは銃弾で私たちを黙らせようと考えたのです。 |
テロリストたちは私たちの目的を変更させ、志を阻止しようと考えたのでしょう。 しかし、私の人生で変わったものは何一つありません。 次のものを除いて、です。 私の中で弱さ、恐怖、絶望が死にました。 |
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(香西咲さんのツイートより、引用。)
●香西咲さん
<2016年6月23日>
皆に、今の私の立ち位置は危ないと言われました。 チンピラは何を仕出かすか分からないと。 東京湾に沈められるかも知れないし行方不明になるかも知れない。 色んな人から言われる。 そんなに脅されたらぶっちゃけ、 本当に不安で不安で眠るのも恐ろしい。 |
●香西咲さん
<2016年7月4日>
同業内部の方々から探りを入れられてたり、 わたしが殺されかねないと言う言葉を使って脅迫されたり、 あの手この手をつかって圧力・脅迫をかけてくる。 本当に人間不信。 でもそんなのに動じないけど。 仮に私に何かがあった場合、結局そういう事なんだと察してください。 |
●香西咲さん
<2016年7月18日>
私が今後どうすべきか等、正確な情報もアドバイスも一切与えてくれず、 ただただ脅迫されてます。 余計な事は言うなと。 情報開示して頂けないのに納得して言いなりになれる訳がないですね。 これ以上言うとバレるので慎みます。 |
●香西咲さん
<2016年7月18日>
私が声を上げることで 脅迫めいた事、『これ以上余計な事を喋るな』と言う様な事も多々寄せられます。 業界が荒れているのでの私の行動は、危険に思う方も多いのでしょう。 事を荒立てたくないと。 そのお気持ちは勿論理解しています。 |
●香西咲さん
<2016年7月18日>
知人から脅迫きてびっくりしたけど、 超えられない壁はない! 皆様支えて下さり本当にありがとうございます(〃>ω<〃) |
●香西咲さん
<2016年7月18日>
脅迫、業界一部からの嫌われ、全て覚悟のうえです。 |
●香西咲さん
<2016年7月20日>
洗脳って一気に解けるわけではないんだ。 信じてたものに少しずつ疑問を抱き…その積み重ねが不信感に変わる。 『私の為』『心配』と言いつつやけに最近近寄って来る人も多い。 そしてここ連日の脅迫紛いの一連で洗脳がまた解けてきた。 私はまだまだ洗脳が残っているのかもしれない。 |
●香西咲さん
<2016年7月22日>
色んな所でから『情報操作して下さい』『こう発言して下さい』と言われるけど、思ってもいない事は書きません。 今後は特に。 |
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(再掲)
●2013年7月12日 国連演説 マララさん(16歳)
テロリストたちは私たちの目的を変更させ、志を阻止しようと考えたのでしょう。 しかし、私の人生で変わったものは何一つありません。 次のものを除いて、です。 私の中で弱さ、恐怖、絶望が死にました。 |
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(香西咲さんのツイートより、引用。)
●香西咲さん
<2016年8月30日>
多少は現役女優の人達も声を上げるかな?と思いましたが、結局私でさえ、声を挙げれるようになったのは3年以上経った独立後ですからね。現実的に今すぐに職を失うリスクと天秤にかけたら何も言えないでしょう。あと、訴えにくい様に餌を蒔いてたり… |
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(再掲。マララさん)
「私たちは暗闇のなかにいると、光の大切さに気づきます」
「私たちは沈黙させられると、声を上げることの大切さに気づきます」
現役の女優で、声をあげることの大切さに気づいたのは香西咲さんだけでした。
ほかの方々を非難することはできません。
だれしも自分の身がかわいいですから。
不義に対して見て見ぬふりをするのは処世術のうちのひとつです。
香西咲さんはちがいました。
「全て覚悟のうえです」
ぼくのからだのなかを清冽(せいれつ)なものが流れました。
なぜ世論がうごいたのかがわかりました。
香西咲さんは純白です。
白鳥です。
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■2016年07月07日 香西咲さんの特集記事(1)が週刊文春に掲載されました。
■2016年07月14日 香西咲さんの特集記事(2)が週刊文春に掲載されました。
■2016年07月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました。
■2016年07月20日 香西咲さんのインタビュー記事が、しらべぇに掲載されました。
■2016年07月27日 香西咲さんのインタビュー動画が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
■2016年07月29日 香西咲さんのインタビュー記事と動画が、毎日新聞のWebサイトに掲載されました。
(引用。A氏による衝撃の回答)
問「出演強要が社会問題化している。事務所の運営や女優との契約について見直しは?」
A氏「当然やっていく。今、弁護士と話して、きちんとしていこうとしている。」
(※A氏は、これまできちんとしていなかったことを認めました。)
■2016年08月27日 香西咲さんのインタビュー記事が、弁護士ドットコム(前編)・(後編)に掲載されました。
■2016年09月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」【1】【2】【3】)に出演されました。
■2016年09月24日 香西咲さんのインタビュー記事(1)が、withnewsに掲載されました。
■2016年10月01日 香西咲さんのインタビュー記事(2)が、withnewsに掲載されました。
■2016年10月17日 香西咲さんのインタビュー記事(日本語訳)が、AFP通信のサイトに掲載されました。
■2016年12月28日 香西咲さんのインタビュー記事が、週刊文春に掲載されました。
(香西咲さんのツイートより、引用。)
<2017年12月1日>
引退して改めて気付きました。
私はAV業界に固執していたのでではなく、#AV強要 を解決するだけの為に続けてきました。
引退した今何の未練もありませんし、もう削除の約束、裁判、後処理だけですね。
(明日のブログへつづく)
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