十五年戦争(満州事変から太平洋戦争)の実行者によって多くのひとが人生を破壊されました。香西咲さんも同様です。犯罪者をゆるしてはなりません

3日前のブログで、原爆で亡くなったかたの人数をつぎのように記しました。

(当ブログ。2017年8月13日
原爆の炸裂後、1年以内に亡くなったかたは、広島で11万8,661人、長崎で7万3,884人です

<1年以内の落命者>
広島 11万8,661人
長崎 7万3,884人

数字は、現代史の本を参考にしました。
本日、安易に引用してしまったような気がして、調べ直しました。

長崎

長崎原爆資料館が、被害者の数を公表しています。

(長崎原爆資料館「長崎―1945年8月9日11時2分」より、引用。改行を施しています。)

<一部分を引用>
長崎原爆資料館
1945年8月9日11時2分、長崎市に原子爆弾が投下され多くの命が失われました。
1950年に長崎市原爆資料保存委員会が発表した、1945年末での推計によれば、死者73,884人、重軽傷者74,909人におよび、家屋の全焼11,574戸、全壊1,326戸と言われています。

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(再掲)
1945年末での推計によれば、死者73,884人

3日前に参照した数字はただしかったようです。
残念ながら、期間についてはまちがっていました。
7万3,884人は、8月9日から12月末までの間に死亡した数、です。
1年間の死者数ではありません。
この点は、誤っていました。
つぎは、広島をみてみます。

広島

ぼくがみた本には、11万8,661人、と記されていました。
著者は、1946年8月10日に広島市が発表した調査結果をそのまま写したようです。
現在も数字に変動がないのでしょうか。
広島市のホームページを確認します。

(広島市「原爆によって何人の人が亡くなったのですか」より、引用。)

<一部分を引用>
広島市
原爆投下後に様々な機関が調査を行っていますが、原爆によって死亡した人の数については、現在でも、正確には分かっていません。
(中略。)
なお、死没者数について、本市では、放射線による急性障害が一応おさまった昭和20年(1945年)12月末までに、約14万人が亡くなられたと推計しています。

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(広島市「死者数について」より、引用。改行を施しています。)

<一部分を引用>
広島市
原爆によって死亡した人の数については、現在も正確にはつかめていません。
しかし、放射線による急性障害が一応おさまった、昭和20年(1945年)12月末までに、約14万人が死亡したと推計されています。

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現時点では、原爆が投下された年に14万人が亡くなった、というのがただしいようです。
3日前のブログに記した文言を以下のように訂正させていただきます。

 (旧)
原爆の炸裂後、1年以内に亡くなったかたは、広島で11万8,661人、長崎で7万3,884人です。
  
 (新)
原爆の炸裂後、その年に亡くなられたかたは、広島で約14万人、長崎で7万3,884人です。
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広島の戦死者に関しては、神戸新聞の記述がより詳細です。

(2017年8月5日 神戸新聞NEXT「戦後72年 広島原爆死、今なお5万人が名前不明」より、引用。改行を施しています。)

<一部分を引用>
神戸新聞
広島原爆の死者数「14万人(誤差プラスマイナス1万人)」は76年、広島市と長崎市が国連に提出した要請書「核兵器の廃絶と全面軍縮のために」で、地元学者の調査データなどを基に「大体において正しいと思われる」数字として示された。
広島市も公式の推計値としている。

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神戸新聞
広島市が現在も続ける「原爆被爆者動態調査事業」で、名前を確認できた同時期の死者数(直接被爆者)は約8万8千人にとどまり、戦後72年がたった今も約5万人名前も分かっていない
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神戸新聞
同市では、原爆被害の実態解明を目的に、被爆者に関するさまざまな調査や書類を整理・統合する事業を69年度から実施。
原爆死没者の名前を1人ずつ積み上げている。

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14万人の死者のうち、名前が判明しているのは、約8万8千人、とのことです。
残りの5万人は身元がわかっていません。
当該記事が報じられた翌日、NHKが、広島の原爆投下に関する特集を放映しました。
こちらも興味深いです。

(2017年8月6日 NHK「原爆死~ヒロシマ 72年目の真実~」より、引用。改行を施しています。)

NHK
世界にも類をみない“戦災ビッグデータ”がある。
1945年8月6日から今に至るまで、広島市が蓄積してきた約56万人に及ぶ被爆者たちの記録『原爆被爆者動態調査』。
(略。)
NHKは今回、この元データを初めて市から入手、最新のビッグデータ解析技術を駆使し、時系列に並べて地図に落とし込んだところ、特定の被爆地や、死没日、死因に極端な死者数の偏りがある“原爆死ホットスポット”が存在していたことがわかった。
(後略。)

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毎日新聞と日刊ゲンダイが、当該番組をとりあげています。

(2017年8月6日 毎日新聞「視聴室 NHKスペシャル」より、引用。改行を施しています。)

毎日新聞
(前略。)
死者の被爆場所などを市内の地図上にマークしたところ、国が放射線による直接の健康被害はほとんどないとする爆心地から2・5キロ圏外で、死者が偏在した地区があると判明。
(後略。)

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(2017年8月16日 日刊ゲンダイ「地元広島放送局が取り上げた『被爆死』『圧焼死』の実態」より、引用。改行を施しています。)

<一部分を引用>
日刊ゲンダイ
番組では、被災者ひとりひとりの死亡日、場所、死因、火災の状況、気象、原爆の絵、そして取材情報などを航空写真と重ねていく。
すると、被災者がどのように命を奪われていったのかが浮かび上がってきた。
「原爆による死」の可視化だ。

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(再掲。NHK)
“原爆死ホットスポット”

不粋な表現です。
番組自体は、よくできていると感じました。
ちなみに、YouTubeを確認しましたところ、動画がアップされていました。
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広島の原爆に関する話題をつづけます。
NHKの特集が放送された日、京都新聞が、日記にまつわる逸話を紹介しました。

(2017年8月6日 京都新聞「むっちゃん最後の笑顔、胸に刻む 広島原爆の日」より、引用。改行を施しています。)

京都新聞
今年4月から、リニューアルされた広島平和記念資料館(広島市)で展示されている「むっちゃん」と呼ばれた当時12歳の石崎睦子さんの日記だ。
1945年8月5日の出来事が記されている。
その隣には被爆地で見つかった上着。
原爆が投下された瞬間まで、少女の日常があったことを無言のまま物語る。

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むっちゃんこと、石崎睦子さん(当時12歳)の日記は、現在、広島平和記念資料館に展示されています。

(広島平和記念資料館「8月5日、最後の日記」より、引用。改行を施しています。)

広島平和記念資料館が公開している石崎睦子さん(12歳)の日記

8月5日 日曜日 晴

起床 午前五時〇〇分 就床 午後九時〇〇分

学習時間 二時三十分 手伝 ふき上げ

朝八時頃山本さんが迎へに来て下さったので小西さんをさそって山本さんの家に行った。何もかもやけたので何もないらしく家の中はほんとにさっぷーけいでした。しかしこの戦時下にこんなほうがよいと思ふ。山本さんにつまらないけどどうにかこうにかおしへて上げた。
午後小西さんと泳ぎに行った。私はちっともよう泳がないのに皆んなよく浮くなと思ふとなさけなかった。
今日は大へんよい日でした。
これからも一日一善と言ふことをまもらうと思う。

(2017年8月6日 京都新聞「むっちゃん最後の笑顔、胸に刻む 広島原爆の日」より、引用。改行を施しています。)

京都新聞
8月6日の朝。
麦わら帽子を買うための代金を母親にもらって、うれしそうにしていたむっちゃん。
「行って帰ります」
玄関から、ちょこんと横顔を出して家族に笑顔を見せた。

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京都新聞
むっちゃんは帰ってこなかった。
京都府城陽市の榎郷子さん(83)は姉のむっちゃんが、家族に向けた最後の笑顔を胸に刻む。
なぜミカンを食べさせてあげられなかったのかと、戦後ずっと悔いたまま亡くなった母の姿も。

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京都新聞
72年前の8月5日に何気ないこんな家族の会話があった。
珍しくミカンの瓶詰が手に入った。
むっちゃんが
「これ食べたいね」
と言うと、母は
「こういう日持ちのするものは、いざという時のためだから」
と諭した。
「ほうじゃね」
と、むっちゃんはうなずいた。

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京都新聞
10日ほど経っただろうか、郷子さんが父に連れられて探した日があった。
むっちゃんらが作業していた周辺で、地面にあった瓦の間に布きれが見えた。
引っ張ると、上着だった。
胸に縫い付けていた名札には「廣島第一縣女 石﨑睦子 血液型エ型」の文字。

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京都新聞
遺体は見つからなかった。
形見は、父が1994年に上着を、長姉が2004年に日記をそれぞれ広島平和記念資料館に寄贈した。
平和を実現する一助になることを願って。

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 広島平和記念資料館

(2017年6月3日 毎日新聞「原爆資料館寄贈資料から 制服きれいなまま 10日後父発見 作業中の妹、今も不明 姉「思い出話したい」より、引用。改行を施しています。)

<一部分を引用>
毎日新聞
作業前に畳んで物陰に置いていたために焼けるのを逃れたとみられ、胸のポケットには、国語の試験の答案用紙が入っていた。
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(2014年4月7日 中国新聞「伝えるヒロシマ ③ 12歳の『戦死』 妹の制服と日記」より、引用。改行を施しています。)

<一部分を引用>
中国新聞
学校名・名前・血液型を書いて胸元に縫い付けた名札と、「広島学徒隊 第一県女」の袖の記章も焼失を免れていた。
同じ作業現場に出た1年223人が死去した。

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石﨑睦子さんは、女学校に入学した日、日記に、意気込みをしたためました。

(2017年8月5日 産経新聞「被爆女学生の生きた証し 日常伝える『最後の日記』、広島の原爆資料館で公開」より、引用。)

この感激で一生懸命勉強しやうと思つた。

 2017年8月11日 NHK 動画 睦ちゃん アニメーションで伝える原爆の記憶(2)『アニメーションで伝える“ヒバクシャからの手紙”』

無念でなりません。
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香西咲さんもこいつらによって人生を破壊されました。

青木亮
大西敬
高畠典子
坂田恵理子
坂上孝志
A-TEAM 飯田正和
メーカー関係者
T総研のY

DMM
悪徳弁護士
AVライター
AVマニア
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こいつらだけは絶対にゆるしません。
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2016年07月07日 香西咲さんの特集記事(1)が週刊文春に掲載されました。
2016年07月14日 香西咲さんの特集記事(2)が週刊文春に掲載されました。
2016年07月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました。
2016年07月20日 香西咲さんのインタビュー記事が、しらべぇに掲載されました。
2016年07月27日 香西咲さんのインタビュー動画が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
2016年07月29日 香西咲さんのインタビュー記事と動画が、毎日新聞のWebサイトに掲載されました。
(引用。A氏による衝撃の回答)
問「出演強要が社会問題化している。事務所の運営や女優との契約について見直しは?」
A氏「当然やっていく。今、弁護士と話して、きちんとしていこうとしている

 (A氏は、これまできちんとしていなかったことを認めました。)
2016年08月27日 香西咲さんのインタビュー記事が、弁護士ドットコム(前編)(後編)に掲載されました。
2016年09月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」【1】【2】【3】)に出演されました。
2016年09月24日 香西咲さんのインタビュー記事(1)が、withnewsに掲載されました。
2016年10月01日 香西咲さんのインタビュー記事(2)が、withnewsに掲載されました。
2016年10月17日 香西咲さんのインタビュー記事(日本語訳)が、AFP通信のサイトに掲載されました。
2016年12月28日 香西咲さんのインタビュー記事が、週刊文春に掲載されました。
香西咲さんのツイッター
(香西咲さんの重要ツイート ~2016年7月18日)
 私だって綺麗にリセット出来るならAVデビュー前の私に戻りたい。
 だけど変えられない現状踏まえて立て直したのが今の形。(後略。)

(明日のブログへつづく)



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