昨日、太平洋戦争についてふれました。
本日は、日本がポツダム宣言を受諾した日です。
戦争といいますと、Yahoo!は、2年前より、「戦争の記憶と記録を伝える100年間のプロジェクト」というものをはじめました。
同プロジェクトは、今後100年間、つづけられるそうです。
(2017年8月2日 日刊スポーツ「ヤフー「未来に残す 戦争の記憶」プロジェクト開始」より、引用。改行を施しています。)
<一部分を引用>
●日刊スポーツ
同プロジェクトは、戦後70年にあたる2015年からインターネット上の同社サイトで始まった。
インターネットの「残し続けることができる」という特性を生かし、戦争当時の記録や体験者の証言などを、未来に受け継いでいくことを目的としている。
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伊藤和子HRN事務局長は2年前、ご自身のブログのなかで、つぎのようにのべています。
(2015年8月29日 Yahoo!ニュース「安倍談話に誤魔化されない。ひとりひとりみんなの戦後70年メッセージと思い」より、引用。改行を施しています。)
<一部分を引用>
●伊藤和子 HRN事務局長
ヤフーでも、未来に残す戦争の記憶~ 100年後に伝える、あなたの想い~というコーナーがある。
私も少し読んだけれど、素晴らしいアーカイブだ。
こういうことが出来るようになったのは、やっぱりネットの普及によるものだ。
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昨年は、さらに、内容が充実しました。
(2016年8月4日 Yahoo!「Yahoo! JAPANの『未来に残す 戦争の記憶』プロジェクト、戦後71年目の企画として『空襲の証言映像』『日本各地の空襲のデータ』『戦地からの手紙』『戦地の風景などが描かれた絵葉書』を新たに公開」より、引用。改行を施しています。)
<一部分を引用>
●Yahoo!
戦後71年であり、プロジェクト開始から2年目にあたる2016年は、
「空襲の記憶と記録」
と
「軍事郵便で見る、戦争の記憶」
の2つの新企画を公開しました。
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今年は、これとは別に、ネットの外で、あたらしい催しがおこなわれています。
(2017年8月2日 日刊スポーツ「ヤフー「未来に残す 戦争の記憶」プロジェクト開始」より、引用。改行を施しています。)
<一部分を引用>
●日刊スポーツ
さらに3年目の今年からは、インターネット上だけでなく「軍事郵便と空襲証言・記録」の展示イベントや、トークイベントを実施。
軍事郵便の展示は、パネルだけでなく実際の手紙を置くことによって、当時の様子や思いをより身近に感じられる工夫が施されている。
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(2017年8月10日 南海日日新聞「戦時中の意思伝達を考察 『海辺の生と死』の越川監督出演 ヤフー『未来に残す戦争の記憶』トークイベント」より、引用。改行を施しています。)
<一部分を引用>
トークイベントは2部構成。
越川監督は映画のロケ地となった加計呂麻島と奄美大島のこと、ロケ地で暮らす人々とのコミュニケーションについて報告。
(略。)
2部は専修大学(東京)の新井勝紘元教授が戦地と本土をつなぐ「軍事郵便」について報告した。
(略。)
ヤフー本社イベントスペースでは15日まで軍事郵便を展示している。
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(2017年8月2日 日刊スポーツ「ヤフー「未来に残す 戦争の記憶」プロジェクト開始」より、引用。改行を施しています。)
<一部分を引用>
●日刊スポーツ
「これまでネット上のみでやってきましたが、今年は外の世界に出すチャレンジをしました。これがどのような反応を持ってもらえるか。いろんな声を聞いて、今後もより良いものを残していきたいです」
と広報担当者。
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ネットでは、昨年からはじまった「空襲の記録」が秀逸です。
空襲の被害に遭ったひとたちの証言を映像と文章でつたえています。
Yahoo!によりますと、
「空襲に関する番組は、多くの地域の出来事を伝えるために各地のケーブルテレビ局から提供を受けて掲載しています」
とのことです。
長崎の原爆投下に関する番組は、労作です。
(引用)
佐賀県伊万里市の「伊万里ケーブルテレビジョン」が、長崎の工場に勤労動員された当時の伊万里商業学校の生徒たちがどのような苦難を体験したのかを描いた番組です。
特に、原爆の犠牲になった蒲池和之さんがふるさととやりとりした手紙に焦点をあてて、戦争に家族を奪われた人々の悲しみを伝えています。
2015年「日本ケーブルテレビアワード」グランプリ受賞。
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新聞社も、動画の制作に協力しています。
今月の10日から、奄美群島の空襲が、「空襲の記録」のなかに加わりました。
(2017年8月14日 南海日日新聞「奄美の戦争、6人が証言 ヤフーが『本土防衛、最前線の島』配信 地元南海日日協力」より、引用。改行を施しています。)
<一部分も引用>
●南海日日新聞
戦争の記憶と記録をインターネット上のコンテンツで残す取り組みを進めているIT大手のヤフー(本社・東京)は終戦の日(15日)を前に10日、「本土防衛の最前線になった島々~奄美群島空襲」(動画)の配信を始めた。
戦時中から戦後の間、奄美が置かれた厳しい状況を6人の証言を基に浮き彫りにした。
取材、撮影は南海日日新聞社が協力した。
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鹿児島空襲に関しては、「特攻」の件もとりあげられています。
こちらは、Yahoo!のオリジナルです。
空襲につきましてはこれまで、当ブログでもふれています。
日本が最初に襲われたのは、1942年4月18日です。
(参考。当ブログ)
・2014年10月30日
・2016年8月15日
Yahoo!動画は、嚆矢(こうし。「はじまり」)となった出来事についても、紹介しています。
(引用)
太平洋戦争開戦から4ヶ月あまり、連戦連勝の日本に冷水を浴びせたのが「ドゥーリトル空襲」と呼ばれるアメリカ軍の攻撃です。
真珠湾攻撃を受け、フィリピンで敗退しつつあったアメリカは、空母に陸軍の爆撃機を乗せてひそかに日本本土に近づき、東京や川崎、名古屋など大都市を爆撃しました。
日本本土が襲われた初めての空襲です。
(略。)
東京の各地域でこの空襲を受けた人々の証言で綴る番組です。
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予期せぬ来襲で50人のかたが亡くなりました。
米軍機がふたたびやってきたのは、約2年半後の1944年11月24日です。
以降、日本の各地を飛来します。
もっとも被害のおおきかったのが、1945年3月10日の東京大空襲です。
10万人のかたが命を落としました。
(参考。当ブログ)
・2016年8月16日
・2016年8月18日
(「空襲の記憶と記録」より)
●動画 東京・下町が一晩で全滅~東京大空襲~
(引用)
防空壕や人々が避難した公園や隅田川にかかる橋なども炎が飲み込み、わずか一晩で10万人もの犠牲者が出たのです。
この空襲から、米軍は軍事施設を標的にした攻撃から住宅街を無差別に空襲する作戦に変えたのでした。
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約3か月後の6月23日、沖縄が陥落します。
軍人と民間人をあわせて、20万人のかたが亡くなりました。
約1か月後、連合国が、ポツダム宣言を出します。
ここから終戦までの流れを簡単に確認します。
<ポツダム宣言から終戦までの流れ>
●1945年07月26日 アメリカ、イギリス、中国が共同で、ポツダム宣言を出す。
↓
●1945年08月06日 アメリカが広島に原爆を投下する。
↓
●1945年08月09日 アメリカが長崎に原爆を投下する。
↓
●1945年08月10日 日本政府がポツダム宣言受諾を決定する。
↓
●1945年08月14日 日本政府は、再度、ポツダム宣言の受諾を決定する。
↓
●1945年08月15日 天皇がラジオで、戦争の終結を発表する。
↓
●1945年09月02日 降伏文書に署名する。(※終戦)
日本は、1945年8月10日に、ポツダム宣言の受諾を決定します。
軍部の一部は、容認することができず、クーデタの準備をすすめます。
このうごきを察知した連合国は、憂心します。
日本は本当に降伏する気があるのだろうか、と。
(2017年8月13日 毎日新聞「終戦直前10カ所超 2300人以上犠牲 大阪、山口など」より、引用。改行を施しています。)
●毎日新聞
終戦前日の1945年8月14日から翌日にかけ、全国10カ所以上で空襲があった。
米軍の空襲は執拗(しつよう)で、2300人以上が犠牲になったとみられる。
(中略)
日本は45年8月10日、降伏を求めるポツダム宣言を条件付きで受諾する方針を連合国側に伝え、米軍は空襲を一部停止した。
しかし、受諾条件を巡って日本政府が揺れていると判断した米軍は14日の空襲を実行した。
(後略。)
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(再掲)
「日本は45年8月10日、降伏を求めるポツダム宣言を条件付きで受諾する方針を連合国側に伝え、米軍は空襲を一部停止した」
「条件」とは、国体護持(天皇制の維持)のことです。
(再掲)
「受諾条件を巡って日本政府が揺れていると判断した米軍は14日の空襲を実行した」
政府や軍部の一部は、国体護持のほかに、さらなる譲歩をもとめていました。
Yahoo!は、岩国市(山口県)と秋田市の実例をつたえています。
●動画 終戦前日の無差別空襲~岩国空襲~
(引用)
山口県岩国市のケーブルテレビ局「アイ・キャン」が、終戦の前日に起きた「岩国空襲」を体験した人々の証言を丹念に集めた番組です。
(略。)
間もなく終戦という時に起きた悲劇を描いた作品です。
(引用)
太平洋戦争終結の8月15日前夜からまさにその当日にかけて行われた秋田市の「土崎空襲」を8人の体験者の証言で描いています。
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(再掲。毎日新聞)
「受諾条件を巡って日本政府が揺れていると判断した米軍は14日の空襲を実行した」
現在の業界と政府の関係に似ています。
(2017年5月19日 第3回関係府省対策会議「今後の対策」より、引用。)
(1) 被害の防止及び救済等のための新たな対応策の検討
アダルトビデオ出演強要問題や「JKビジネス」問題等が深刻な性的な暴力で、重大な人権侵害であるとの考え方に立ち、関係者による自主的な取組の進捗状況や実態把握の状況も踏まえ、性的な暴力の被害につながる行為の規制、被害の回復、被害者の保護及び支援等について、有識者等の意見も参考に、法的対応を含め、必要な対応策を検討する。 |
政府はいつ、業界に対して空襲をおこなうのでしょか。
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太平洋戦争(第二次世界大戦のうち、主として東南アジア、太平洋方面における戦い)は、日本(枢軸国)と、連合国の戦いです。
枢軸国とは、ファシズム国家のことです。
ファシズムの代表者は、ヒトラーです。
ヒトラーは人権を蹂躙しました。
以下のやつらと同じです。
□青木亮
□大西敬
□高畠典子
□坂田恵理子
□坂上孝志
□A-TEAM 飯田正和
□メーカー関係者
□T総研のY
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太平洋戦争で勝利したのは、反ファシズムで連帯した連合国です。
ファシズムの権化である枢軸国は敗れました。
ヨーロッパでも同様です。
ヒトラーと同根の青木たちが滅亡するのは時間の問題です。
最後に勝利するのは、香西咲さんです。
この世で悪が栄えることはありません。
これまでの歴史が物語っています。
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■2016年07月07日 香西咲さんの特集記事(1)が週刊文春に掲載されました。
■2016年07月14日 香西咲さんの特集記事(2)が週刊文春に掲載されました。
■2016年07月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました。
■2016年07月20日 香西咲さんのインタビュー記事が、しらべぇに掲載されました。
■2016年07月27日 香西咲さんのインタビュー動画が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
■2016年07月29日 香西咲さんのインタビュー記事と動画が、毎日新聞のWebサイトに掲載されました。
(引用。A氏による衝撃の回答)
問「出演強要が社会問題化している。事務所の運営や女優との契約について見直しは?」
A氏「当然やっていく。今、弁護士と話して、きちんとしていこうとしている。」
(※A氏は、これまできちんとしていなかったことを認めました。)
■2016年08月27日 香西咲さんのインタビュー記事が、弁護士ドットコム(前編)・(後編)に掲載されました。
■2016年09月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」【1】【2】【3】)に出演されました。
■2016年09月24日 香西咲さんのインタビュー記事(1)が、withnewsに掲載されました。
■2016年10月01日 香西咲さんのインタビュー記事(2)が、withnewsに掲載されました。
■2016年10月17日 香西咲さんのインタビュー記事(日本語訳)が、AFP通信のサイトに掲載されました。
■2016年12月28日 香西咲さんのインタビュー記事が、週刊文春に掲載されました。
■香西咲さんのツイッター
(香西咲さんの重要ツイート ~2016年7月18日)
私だって綺麗にリセット出来るならAVデビュー前の私に戻りたい。
だけど変えられない現状踏まえて立て直したのが今の形。(後略。)
(明日のブログへつづく)
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