香西咲さんを陥れたやつらには、良心の呵責や戸惑いなど、微塵もありません。警察はいつまでこいつらを野放しにしておくのでしょうか。早期の逮捕が待たれます

明日は、日本がポツダム宣言を受諾した日です。
1945年8月14日、政府は、同宣言をうけいれました。
これよりも19日前のことです。
7月26日に、アメリカ、イギリス、中国の連合国が、日本に対して無条件降伏を勧告する宣言を発しました。
これがポツダム宣言です。
日本は黙殺します。
連合国側は、受諾拒否、とうけとりました。

(参考。当ブログ)
2017年2月19日
2017年2月22日

アメリカが実力行使にでます。
8月6日、広島へ原爆を投下します。
ついで、3日後の8月9日、長崎に原爆を落としました。
日本政府は、日がかわった10日の深夜に、御前会議を開催しました。
御前会議とは、天皇が出席する会議のことです。
席上、はげしい論議がかわされました。
午前2時半、政府は、天皇制を維持すること(国体護持)を条件に、ポツダム宣言の受諾をきめます。
イギリスのチャーチル首相は、回顧録のなかで、つぎのようにのべています。

(チャーチル著 佐藤亮一訳「第二次世界大戦」4 河出書房刊より、引用。改行を施しています。)

<一部分を引用>
チャーチル イギリス首相
8月9日、広島の原爆につづいて第二の原爆が、こんどは長崎に投下された。
翌日、一部の軍部過激派の反抗にもかかわらず、日本政府は、この最後通牒が最高支配者としての天皇の大権を損うものでないという条件のもとに、これを受諾することに同意した。

——————————————————–

(再掲)
一部の軍部過激派の反抗

会議後、陸軍の一部は、戦争の継続を主張して、クーデタ(武力で政権を倒すこと)の準備を進めます。
危機感をおぼえた政府は、8月14日に、ふたたび、御前会議をひらきました。
再度、ポツダム宣言の受諾を決定します。
この間の流れを簡単にしめします。

1945年07月26日 アメリカ、イギリス、中国が共同で、ポツダム宣言を出す。
  
1945年08月06日 アメリカが広島に原爆を投下する。
  
1945年08月09日 アメリカが長崎に原爆を投下する。
  
1945年08月10日 日本政府がポツダム宣言受諾を決定する。
  
1945年08月14日 日本政府は、再度、ポツダム宣言の受諾を決定する。
  
1945年08月15日 天皇がラジオで、戦争の終結を発表する。
  
1945年09月02日 降伏文書に署名する。(※終戦

原爆投下については、イギリスも中国も同意しています。
既出のチャーチル首相の追懐(追想)をみてみます。

(チャーチル著 佐藤亮一訳「第二次世界大戦」4 河出書房刊より、引用。改行を施しています。)

<一部分を引用>
チャーチル イギリス首相
このときまで、われわれは激烈な空襲と大部隊の進攻とによって日本本土を攻撃するという考えを固めていた。
まっとうな戦闘においてのみならず、あらゆる穴や防空宴においても、サムライの捨て身精神で死ぬまで戦う日本軍の無謀な抵抗のことを、われわれは考えていた。
私の心には沖縄の情景が浮かんでいた。
そこでは数千名の日本人が、指揮官たちがハラキリの儀式を荘重に行なった後、降伏を選ばずに一列になって手榴弾で自爆する光景であった。
日本軍の抵抗を一人ずつ押え、その国土を一歩ずつ征服するにほ、百万のアメリカ兵の命とその半数のイギリス兵の生命を犠牲にする必要があるかもしれなかった。
もしイギリス兵を日本に上陸させることができても、イギリスの犠牲はもっと多くなるかもしれなかった。
なぜなら、われわれは苦悩をともにする覚悟でいたのである。
いまやこの悪鹿のような情景はすっかり消えてしまった。
それに代って、一、二回の激烈な衝撃のうちに全戦争が終結する光景が浮かんだ。
それほ実際、快く輝かしいものに思われた。
私が瞬間に思い浮かべたのは、私が常にその勇気に感嘆してきた日本人が、このほとんど超自然的な兵器の出現のなかに彼らの名誉を救う口実を見出し、最後の一人まで戦って戦死するという義務から免れるだろうということだった。

——————————————————–

チャーチルは、原爆を投下することに対して、
「快(こころよ)く輝かしいもの」
「(日本人が)最後の一人まで戦って戦死するという義務から免れるだろう」
と絶賛しています。

原爆の炸裂後、その年に亡くなられたかたは、広島で約14万人、長崎で7万3,884人です。
もちろん、これで終息したのではありません。
年末をすぎてから、死者が急増しました。
被爆後、5年間で、34万人のかたが落命しました。
広島で20万人、長崎で14万人です。
なぜこのようなことになったのでしょうか。
西日本新聞の記事を参照します。

(2015年08月10日 西日本新聞「恋した少女に命救われ」より、引用。改行を施しています。)

<一部分を引用>
浜田満男さん(89歳)
1945年8月9日。
空襲警報が解除され仕事が再開された直後、上空で原爆がさく裂。
爆風に吹き飛ばされて失神した。

——————————————————–
浜田さんは長崎県のかたです。
軍需工場ではたらいていました。

(2015年8月10日 西日本新聞「恋した少女に命救われ」より、引用。改行を施しています。)

<一部分を引用>
浜田満男さん(89歳)
気づいたのは諫早(長崎県)の女学校の講堂。
負傷者が大勢寝かされていましたが、どうやって運ばれたのか、頭がぼうっとしていました。

——————————————————–

浜田さんは意識をうしなっていました。
だれが避難所へはこんでくれたのかはわかりませんでした。
3年後のことです。
浜田さんは、体調を崩しました。
診療所で診てもらうことにしました。
訪ねたところ、偶然、かつての同僚が入院していることを知ります。
浜田さんと、そのひとは、三菱兵器製作所大橋工場ではたらいていました。

(2015年08月10日 西日本新聞「恋した少女に命救われ」より、引用。改行を施しています。)

<一部分を引用>
浜田満男さん(89歳)
そのころ、言葉を交わしていた、当時の長崎高女生がいた。
学徒動員で働きに来ていた。
彼女は二つ下で、「道子」といいました。
(中略。)
周りに気づかれないように文通し、彼女が通りそうな時間、場所で待って一言、二言話すのが楽しみでした。

——————————————————–

道子さんは、原爆が爆裂したあと、行方がわからなくなりました。

(2015年08月10日 西日本新聞「恋した少女に命救われ」より、引用。改行を施しています。)

<一部分を引用>
浜田満男さん(89歳)
見舞って初めて、彼女が命の恩人と知らされた。
道子さんは壕に落ちてうめいていた私を見つけ、炎が迫る中を連れ出してくれていたのです。

——————————————————–

3年前、原爆が落ちたとき、道子さんは、幸運にも地下室にいました。
被害をこうむることはありませんでした。
無傷でした。
そのあと、倒れている浜田さんをたすけたのです。

(2015年08月10日 西日本新聞「恋した少女に命救われ」より、引用。改行を施しています。)

<一部分を引用>
浜田満男さん(89歳)
9月中旬、病室に行くと、ひどく衰弱していました。
「もう駄目みたい。いろいろ世話になったわねえ」
と告げられ、何も言えず、ただ首を左右に振り続けました。
差し伸べられた手を両手で包むと、初めて握る手は冷たかった。
彼女は言いました。
「生きていたい。死にたくない」

——————————————————–

2日後、道子さんは、息をひきとります。

(2015年08月10日 西日本新聞「恋した少女に命救われ」より、引用。改行を施しています。)

<一部分を引用>
浜田満男さん(89歳)
放射能にむしばまれてかわいそうでした。
花も実もある子だったのに。

——————————————————–

浜田満男さん(89歳)
悲しくて、忘れようとしました。
(略。)
でも忘れられるわけなんてありませんでした。

——————————————————–

ここで、もう一度、原爆で命を落としたかたの人数を確認します。

(原爆の犠牲者)
広島 20万人
長崎 14万人

34万人のかたが非業(ひごう)の最期を遂げました。
あまりにも夥(おびただ)しい数です。
残念ながら、数字から浮かびあがってくるのは、死者の数が厖大(ぼうだい)である、ということだけです。
ほかにはありません。
34万人の方々には、皆、それぞれの人生がありました。
あたりまえのことです。
34万人という数字だけをみて、人々の実相をうかがい知ることはできません。
原爆投下の命令をくだしたのは、アメリカのトルーマン大統領です。
後年、大統領の孫が、祖父の所懐(所感)をつたえています。

(2016年8月6日 ニューズウイーク「【原爆投下】トルーマンの孫が語る謝罪と責任の意味(後編)」より、引用。改行を施しています。)

<一部分を引用>
トルーマン大統領の孫
確か1958年のテレビインタビューで、彼(トルーマン)は原爆を使ったことに良心の呵責や戸惑いは一切ない、もしまた同じ状況に直面したら再び投下を決断するだろうと語った。
——————————————————–

先ほどもふれましたように、イギリスのチャーチル首相は、トルーマン大統領の意向に賛成しています。

(チャーチル著 佐藤亮一訳「第二次世界大戦」4 河出書房刊より、引用。改行を施しています。)

<一部分を引用>
チャーチル イギリス首相
それに代って、一、二回の激烈な衝撃のうちに全戦争が終結する光景が浮かんだ。
それほ実際、快く輝かしいものに思われた。
私が瞬間に思い浮かべたのは、私が常にその勇気に感嘆してきた日本人が、このほとんど超自然的な兵器の出現のなかに彼らの名誉を救う口実を見出し、最後の一人まで戦って戦死するという義務から免れるだろうということだった。

——————————————————–

賛意をしめすどころか、原爆の効用に酔いしれています。
業界人のふるまいが頭にうかびました。
ごく普通のプロダクションから、2,460万円の違約金を請求された女性は、つぎのように語っています。

(ログミーに掲載されたKさんの手記より、引用。改行を施しています。)

<2,460万円の違約金を請求された女性。一部分を引用>
また、日ごろから、プロダクションやメーカーの方から、そういうこと(AVに出演すること)は「立派なこと」だ、とか、「誇らしいこと」だとか繰り返し言われていました。
業界の人は信じられないくらいに口が上手で、脅したり、AVに出るのはよいことだと洗脳に近いことを言い続けたりしました。

——————————————————–

原爆投下にかかわった連合国の所行(しょぎょう)と重なります。

(2016年9月18日 AbemaTIMES「【AV出演強要問題】元カリスマ女優・川奈まり子氏が業界健全化のために奮闘」より、引用。改行を施しています。)

香西咲さん

香西は、当初はモデルとしてスカウトされたはずだったのに蓋を開けたらAV出演ということになっていた。
「みんなしてグルで騙していたのか。性接待を要求された時、トラックが突っ込んできてくれたら死ねると思った」
と語り、AV撮影のために富士山の麓に連れていかれて、3時間泣いたこともあるという。
その時、自分をスタッフ全員が待っている状況にあった。
これには
「遠いところですから……。よっぽど強い子でないと(撮影を中止させるのは)無理だと思いますし。私さえ泣いておけば丸く収まると思った。結局AV撮影に応じることになりました。あとは、違約金などを理由に辞められないです。結局、弁護士を雇って辞められましたが、人生の大事な時期5年間を失敗したなと思う」
と語った。

香西咲さんをはじめ、出演強要の被害者のかたがたには、それぞれ、人生があります。
しあわせに生きる権利があります。
クズ、ゴミたちは、一顧だにしません。
自分たちさえよければよい。
ただ、それだけです。
やつらは、ほくそ笑みながら、女性の人生を破壊してきました。

(再掲)
浜田満男さん(89歳)
彼女は言いました。『生きていたい。死にたくない』

(再掲)
トルーマン大統領の孫
確か1958年のテレビインタビューで、彼(トルーマン)は原爆を使ったことに良心の呵責や戸惑いは一切ない、もしまた同じ状況に直面したら再び投下を決断するだろうと語った

こいつらは、ほとぼりが冷めれば、またやります。
悪行をくりかえします。

青木亮
大西敬
高畠典子
坂田恵理子
坂上孝志
A-TEAM 飯田正和
メーカー関係者
T総研のY
——————————————————–

早期の逮捕と、政府による法規制がまたれます。
——————————————————–
2016年07月07日 香西咲さんの特集記事(1)が週刊文春に掲載されました。
2016年07月14日 香西咲さんの特集記事(2)が週刊文春に掲載されました。
2016年07月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました。
2016年07月20日 香西咲さんのインタビュー記事が、しらべぇに掲載されました。
2016年07月27日 香西咲さんのインタビュー動画が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
2016年07月29日 香西咲さんのインタビュー記事と動画が、毎日新聞のWebサイトに掲載されました。
(引用。A氏による衝撃の回答)
問「出演強要が社会問題化している。事務所の運営や女優との契約について見直しは?」
A氏「当然やっていく。今、弁護士と話して、きちんとしていこうとしている

 (A氏は、これまできちんとしていなかったことを認めました。)
2016年08月27日 香西咲さんのインタビュー記事が、弁護士ドットコム(前編)(後編)に掲載されました。
2016年09月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」【1】【2】【3】)に出演されました。
2016年09月24日 香西咲さんのインタビュー記事(1)が、withnewsに掲載されました。
2016年10月01日 香西咲さんのインタビュー記事(2)が、withnewsに掲載されました。
2016年10月17日 香西咲さんのインタビュー記事(日本語訳)が、AFP通信のサイトに掲載されました。
2016年12月28日 香西咲さんのインタビュー記事が、週刊文春に掲載されました。
香西咲さんのツイッター
(香西咲さんの重要ツイート ~2016年7月18日)
 私だって綺麗にリセット出来るならAVデビュー前の私に戻りたい。
 だけど変えられない現状踏まえて立て直したのが今の形。(後略。)

(明日のブログへつづく)



香西咲さんを勝手に応援するサイトへ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。