ヴォルテール「スパルタクスと奴隷の戦争は歴史において最も正しい戦争であった」。香西咲さんがおこなったことも同様です。歴史においてもっともただしい振舞といえるでしょう

昨日、「シュヴァイツァー著作集」のなかから、倫理に関する部分をみてみました。
当該箇所をもう一度、引用します。

(シュヴァイツァー著 氷上英廣訳「シュヴァイツァー著作集第6巻」 白水社刊行より、引用。

注 リライトしています。)
<171ページ>
われわれが生物を殺す世界は、人間の意志をして、順調に楽しませてくれるもの、ではない。
世界は、自己矛盾している生活意志の演ずるわけのわからぬ見世物の感を呈している。
そこでは、他のものの生存を犠牲にして、自己の生存を保存している。
世界は壮麗(壮大でうるわしいもの)であり、もっぱら恐怖すべきものであり、無慈悲なものである。
筋が通っていながらも、不条理であり、喜びであり、もっぱら苦しみである。

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(シュヴァイツァー著 氷上英廣訳「シュヴァイツァー著作集第7巻」 白水社刊行より、引用。)

注 リライトしています。)
<313ページ>
人間は、苦しみと同時に、よろこびを感じることがある。
自己矛盾である。

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(再掲)
自己矛盾
わけのわからぬ見世物

このくだりを読むたびに、ローマの歴史が頭にうかびます。
かつてローマでは、「わけのわからぬ見世物」が、人々に受け入れられていました。
時代を確認します。
下図のポエニ戦争のところをご覧ください。

(※自作の図表です。)
ローマの歴史

かつてローマは、カルタゴと戦いました。

(参考。当ブログ。ポエニ戦争について。)
2017年4月13日

戦争は3回おこなわれました。

・第1回 B.C.264年~B.C.241年
・第2回 B.C.218年~B.C.201年
・第3回 B.C.149年~B.C.146年

最後、ローマは、カルタゴを滅ぼします。
ローマは、ポエニ戦争と平行して、ギリシア方面でも軍事行動を展開していました。
いずれも、兵士として戦争に参加しているのは、農民です。
戦いは長期にわたっています。
家にもどることはかないません。
実家では、家族が農作業をおこなっています。
女性や老人が主体ですから、やがて、継続することが困難になります。
農地を手放す農家が続出しました。
買い取ったのは貴族です。
土地を集約して、大農場(ラティフンディア)を経営します。
農民は没落して、都市へ流れました。
仕事はみつからず、浮浪者となりました。
こうした惨状に義憤の念をおぼえたのが、貴族のグラックス兄弟です。
零落(れいらく)した(落ちぶれた)農民に対して、土地を再分配したいと考えました。
B.C.133年のことです。
兄のティベリウス=グラックスが、護民官に選出されました。
護民官とは、ローマの実質的な統治者です。
兄は、かねてよりいだいていた土地制度の改革案を提示しました。
貴族が激しく反発します。
混乱のなか、兄は、撲殺されます。
10年後のB.C.123年、弟のガイウス=グラックスが、護民官に就任します。
兄の遺志を引き継いで改革を進めます。
兄のときと同様に、反対派から妨害をうけます。
賛成派と反対派の対立がつづくなか、弟は、護民官の選挙にやぶれて、引退します。
その後、両派の争いは、武装闘争へと発展します。
弟は、間にはいって、調停をおこないました。
かなわず、最後は自殺においこまれます。
B.C.121年のことでした。

ローマの歴史

グラックス兄弟による改革が失敗したあとも、ローマでは、内乱があいつぎました。
街では、かわらずに、失業者があふれています。
ローマはこうした人々に対して、パンをあたえました。
見せ物をみせました。
この2つによって、不満をそらそうとしました。
「パンと見世物」(パヌム=エト=キルケンセス)ということばは有名です。

(再掲。シュヴァイツァー)
われわれが生物を殺す世界は、人間の意志をして、順調に楽しませてくれるもの、ではない。世界は、自己矛盾している生活意志の演ずるわけのわからぬ見世物の感を呈している
人間は、苦しみと同時に、よろこびを感じることがある。自己矛盾である。

ローマの見世物について、記します。

剣奴スパルタクスの反乱

見世物のなかで、もっとも人気の高かったのが、剣をもった奴隷どおしの戦いです。
土井正興さんの「スパルタクスの蜂起」がくわしいので、こちらを参照します。

(土井正興著「スパルタクスの蜂起」』青木書店刊より、引用。改行を施しています。)

<一部分を引用>
古代ローマで、市民への見世物として互いに戦闘することを強制された奴隷を剣奴、あるいは剣闘士奴隷という。
いわゆるグラディエイターである。

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当時のローマは、領土の拡大をつづけていました。
戦争で征服した地の人民については、皆、奴隷にしました。

(土井正興著「スパルタクスの蜂起」』青木書店刊より、引用。改行を施しています。)

<一部分を引用>
多くは戦争捕虜の中から選抜されて養成所で育成され、各地の闘技場で互いに戦わされたり、猛獣と戦わされるなどした。
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いずれかが死ぬまで戦うわけではありません。
試合に敗れても、助かる場合があります。
生殺予奪権をもっているのは、主催者です。
いっぽうの剣奴が崩れ落ちると、主催者は、観客のほうをみます。
群衆が、親指を立てて突きだすと、試合はおわります。
親指を下に向ける場合もあります。
「殺せ」
という合図です。
主催者の指示にしたがって、勝者は、とどめをさします。
後年、思想家のアウグスティヌス(354年~430年)が嘆じています。

(アウグスティヌス著 山田晶訳「告白Ⅰ」 ちくま学芸文庫刊より、引用。)

<一部分を引用>
(友人のアリピウス)らがそこに来て、ようやく座席に腰を下ろすと、満場は残酷きわまる快楽でわきたっていました。
彼は眼の扉を閉じ、こういうひどい悪におもむくことがないようにと魂に命じました。
ついでに耳も閉じれば良かった。
というのは、闘争のあいだにだれかたおれて、全観衆の巨大なさけび声がはげしく耳をうつと、好奇心にまけて、どんなことが目に映じようとも、軽くうちかつ心がまえができているかのように目を開いたのです。
すると彼は、見ようと思った剣士がからだにうけた傷よりもっと重い傷を心にうけ、たおれてさけび声がおこった剣士よりもっと悲惨なすがたでたおれました。
彼は、血を見るやいなや、同時に残忍を飲みほした。
目をそむけるどころかかえって凝視し、狂暴を飲みほしながらそれに気づかず、醜悪な闘技に歓喜し、血なまぐさい快楽に酔い痴れた。

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この文章を読むと、シュヴァイツァーの言っている意味がわかります。

(再掲。シュヴァイツァー)


「われわれが生物を殺す世界は、人間の意志をして、順調に楽しませてくれるもの、ではない。世界は、自己矛盾している生活意志の演ずるわけのわからぬ見世物の感を呈している」

「人間は、苦しみと同時に、よろこびを感じることがある。自己矛盾である」

ちなみに、シュヴァイツァーが言いたいのは、つぎのことばです。

このとき、無情(人生のはかなさ)を感じる。無の立場に立つ自己は、天地万物と一体となり、生命そのものの神聖をあえて肯定する

土井正興さんの著書にもどります。

(土井正興著「スパルタクスの蜂起」』青木書店刊より、引用。改行を施しています。)

<一部分を引用>
そのような剣奴の境遇の中から起ち上がったのが、前73年のスパルタクスの反乱であった。
彼は前73年に剣奴養成所を脱走して反乱を組織し、ローマを大いに脅かした。

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ローマの南方に、カプアという町があります。
ここに剣奴の訓練所がありました。
B.C.73年のことです。
78人の剣奴が脱走しました。
リーダーは、スパルタクスです。
使用した武器は、台所にあった包丁です。

(モンタネッリ著 藤沢道郎訳「ローマの歴史」中公文庫刊より、引用。改行を施しています。)

<一部分を引用>
カプアの剣闘士学校では、剣闘士奴隷(剣奴)が、観衆の娯楽のために死ぬ訓練を受けていた。
ある日二百人が脱走を企て、七十八人が成功、付近を掠奪し、スパルタカスというトラキア出身の仲間を首領に選ぶ。
雄弁で才能豊かなスパルタクスは、イタリア全土の奴隷階級にアッピールを発し、七万を組織、自由と報復に餓える反乱軍団を作り上げ、武器の製造と用法を教え、元老院派遣の鎮圧軍を再三にわたって敗走させる。

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スパルタクスの目的は、故郷へもどることです。
出身地は、現在のブルガリアです。
ほかの剣奴も、多数が、北方からつれてこられていました。
スパルタクスたちは、アルプス山脈をめざします。
ここを越えると、国境の外にでられます。
不思議なことに、一行は、麓(ふもと)に着いたところで、引き返します。
なぜなのでしょう。
これについては諸説あります。
奴隷たちのなかには、途中で仲間に加わった女性や老人もいます。
こうしたひとたちにとって、アルプス越えは、酷です。
スパルタクスは、そう考えたのかもしれません。
一同は、南下します。
途中、海賊と交渉して、シチリア島まで運んでもらう手筈(てはず)をととのえました。
港に到着しました。
船はやってきません。
かわりに姿をあらわしたのが、ローマの大軍でした。

(土井正興著「スパルタクスの蜂起」』青木書店刊より、引用。改行を施しています。)

<一部分を引用>
その反乱が鎮圧され、共和政時代から帝政に移行してからも剣闘士奴隷は続き、紀元80年、ティトウス帝の時にローマの円形競技場(コロッセウム)が完成すると、そこでは大々的な剣闘士同士の殺し合いや猛獣との戦いが、皇帝がローマ市民に与える娯楽として興行された。
5世紀の初め、キリスト教信仰が広がり、404年に剣闘士試合は中止されることとなった。

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スパルタクスの反乱は、2年間におよびました。
最後はやぶれたものの、剣奴たちの行動によって、奴隷たちの待遇は大幅に改善されます。
結婚をゆるされ、財産権もみとめられました。
やがて奴隷たちは、農地ではたらく小作人(コロヌス)となっていきます。
スパルタクスたちが戦いのなかでもとめたものは、人間性の回復です。
抑圧からの解放です。
フランスの思想家のヴォルテールは、
「スパルタクスと奴隷の戦争は歴史において最も正しい戦争であった」
とのべています。
マルクスやレーニンも同様の評価です。
ドイツの文学者のレッシングは、スパルタクスのことを「私の英雄」とよんでいます。

(2016年7月29日 毎日新聞「AV出演強要 香西咲さん『私はこうして洗脳された』」より、引用。改行を施しています。)

毎日新聞記者
なぜそこまで覚悟を決められた?

香西咲さん
(前略。)
この(被害の)連鎖はもう止まらない。
(A氏が)どんどん新しい子を入れているのも分かっていたので、世の中のためにもなると思いました。

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香西咲さんは、
「私の英雄」
です。
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2016年07月07日 香西咲さんの特集記事(1)が週刊文春に掲載されました。
2016年07月14日 香西咲さんの特集記事(2)が週刊文春に掲載されました。
2016年07月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました。
2016年07月20日 香西咲さんのインタビュー記事が、しらべぇに掲載されました。
2016年07月27日 香西咲さんのインタビュー動画が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
2016年07月29日 香西咲さんのインタビュー記事と動画が、毎日新聞のWebサイトに掲載されました。
(引用。A氏による衝撃の回答)
問「出演強要が社会問題化している。事務所の運営や女優との契約について見直しは?」
A氏「当然やっていく。今、弁護士と話して、きちんとしていこうとしている

 (A氏は、これまできちんとしていなかったことを認めました。)
2016年08月27日 香西咲さんのインタビュー記事が、弁護士ドットコム(前編)(後編)に掲載されました。
2016年09月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」【1】【2】【3】)に出演されました。
2016年09月24日 香西咲さんのインタビュー記事(1)が、withnewsに掲載されました。
2016年10月01日 香西咲さんのインタビュー記事(2)が、withnewsに掲載されました。
2016年10月17日 香西咲さんのインタビュー記事(日本語訳)が、AFP通信のサイトに掲載されました。
2016年12月28日 香西咲さんのインタビュー記事が、週刊文春に掲載されました。
香西咲さんのツイッター
(香西咲さんの重要ツイート ~2016年7月18日)
 私だって綺麗にリセット出来るならAVデビュー前の私に戻りたい。
 だけど変えられない現状踏まえて立て直したのが今の形。(後略。)

(明日のブログへつづく)



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