香西咲さんによって、いま、日本人の人権意識はかわろうとしています。出演強要は重大な人権侵害です。ぼくたちは香西咲さんの正義と不正をゆるさない意思によって、このことを知りました

以前に雑誌のインタビューで、PAPSの宮本節子さんが、感に入る発言をされていました。
いまでも、ときおり去来することがあります。
くだりをご紹介させていただきます。

(2017年1月22日 週刊実話「話題の1冊 著者インタビュー 宮本節子 『AV出演を強要された彼女たち』 ちくま新書 800円」より、引用。改行を施しています。)

<一部分を引用>
PAPS 世話人 宮本節子さん
相談内容は、第一に、激しい怒りの気持ち(自分自身やこのような状況に追い込んだ関係者に対する)を吐露したいということがあり、これは真摯に耳を傾けるしかありません。
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(再掲)
激しい怒りの気持ち(自分自身やこのような状況に追い込んだ関係者に対する)

もどかしさと、悲憤が、交錯します。
からだの奥底から澎湃(ほうはい)と(激しく)わきあがるものをおぼえます。
怒らせた責任はすべて、以下のものたちにあります。

DMM
メーカー
プロダクション
スカウト
悪徳弁護士
AVライター
AV愛好家

ヨーロッパの歴史を顧(かえり)みますと、この種の輩(やから)は、人権をもとめるひとたちによってなぎ倒されています。
現在、出演強要は、重大な人権侵害、であるとされます。
菅内閣官房長官は、3月16日の記者会見で、声を荒げました。

菅内閣官房長官
まずこの問題についてはですね、女性に対する暴力にあたる重大な人権侵害である、という認識をしております。
(略。)
女性に対する暴力は、安倍内閣がすすめる、女性活躍の前提となる、安全で安心な暮らしの基盤をゆるがす、きわめて大事な問題である、と受けとめています。
政府をあげてとりくみの強化、そして、相談体制の充実、教育、啓発のとりくみの強化等にとりくんでいく必要がある、というふうに思っています。

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出演強要問題は、人権問題、です。

(2017年4月5日 第87回女性に対する暴力に関する専門調査会議事録より、引用。)

辻村みよ子会長(明治大学法科大学院教授)
(略)、暴力の問題などは本当に人権の基礎の問題で、憲法で言えば13条という、個人の尊重、人間の尊厳とか、そういう問題だということの認識がまだ日本社会全体にないと思います。
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辻村みよ子会長(明治大学法科大学院教授)
幼稚園、小学校のころからそういう人権教育、これは平等だけではなくて、人間の尊厳を大事にする教育をする必要があります。
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ヨーロッパとくらべると、日本は、人権に関する意識がおとっているようです。

(再掲。菅内閣官房長官)
まずこの問題についてはですね、女性に対する暴力にあたる重大な人権侵害である、という認識をしております

日本においても、出演強要は人権問題である、との考えかたが醸成されてきました。
ヨーロッパの人々は、これまで、人権をないがしろにする圧制者を粉砕してきました。
原動力となったのは、怒りです。

(再掲。宮本節子さん)
激しい怒りの気持ち(自分自身やこのような状況に追い込んだ関係者に対する)

かつてのヨーロッパと同様に、この「激しい怒り」が、人類の敵を殲滅(せんめつ)することにつながる、と考えます。

<人類の敵>
DMM
メーカー
プロダクション
スカウト
悪徳弁護士
AVライター
AV愛好家

本日も、ヨーロッパの人権の歴史についてふれます。
昨日は、フランスに焦点をあてました。
取りあげたのは、フランス革命から二月革命までです。
以降のことを書く前に、昨日の記述を整理します。

フランス革命から二月革命まで

1789年~1799年(フランス革命
政権は、主に、以下の2人が担当しました。

・ジャコバン派のロベスピエール
・ナポレオン
  
1815年
この年、ナポレオンは、反革命諸国にやぶれ、太平洋の孤島のセントヘレナへ流されます。
王政が復活して、ルイ18世(ルイ16世の弟)による政治がはじまります。
  10年後
1825年
ルイ18世の死後、弟のシャルル10世があとをつづきました。
王は、反動的な政治をはじめます。
  5年後
1830年(七月革命
民衆の怒りが頂点に達します。
7月、民衆が、武装蜂起しました。(七月革命
シャルル10世は、イギリスへ亡命します。
大資産家は、オルレアン家のルイ=フィリップを王としてむかえました。
  18年後
1848年(二月革命
政治に参加することができるのは、大資産家だけです。
それ以外のひとたちはかないません。
参政権がありません。
労働者や商人の憤懣が限界をこえました。
2月、人々は、武装蜂起します。(二月革命
ルイ=フィリップは、イギリスへ亡命しました。
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パリ=コミューン

二月革命がおきたとき、著名な人物が、亡命先のイギリスからもどってきました。

(下図はWikipediaより引用。)

ルイ=ナポレオン(1808年~1873年)です。
ナポレオン(1769年~1821年)の弟の子ども(三男)です。
この人物は、ルイ=フィリップ王のときに、2度ほど、陰謀事件をくわだてました。
いずれも失敗におわり、終身犯としてパリの要塞に監禁されました。

(ティエリー・ランツ著 幸田礼雅訳「ナポレオン3世」白水社刊より、引用。改行を施しています。)

<一部分を引用>
1846年5月25日、ルイ=ナポレオンはみずから注文した部屋の改造工事を利用して、脱出しようとした。
要塞内で働く労働者の姿に身をやつし、髭を剃り、足に木靴、頭にハンチング帽、肩に顔を隠すための板を担いだ格好で、看守の注意をひくこともなく中庭を横切る。
外に出ると仲間が彼を待ちかまえていた。
作戦は周到に準備されていたので、予想通り展開した。
日が落ちる頃、皇子はベルギーに逃れ、そこからロンドンにたどり着いた。

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二月革命のあと、12月に、大統領選挙がおこなわれるはこびとなりました。
帰国したルイ=ナポレオンは、立候補します。
国民は「ナポレオン」という名前を聞いて、かつての栄光を夢想しました。
圧倒的な票を得て、ルイ=ナポレオンは当選します。
40歳のときでした。
以降、治世は、22年間におよびました。
区分を記します。

・1848年~1852年( 4年間) 大統領
1852年~1870年(18年間) 皇帝 

1852年に、国民投票がおこなわれました。

(ティエリー・ランツ著 幸田礼雅訳「ナポレオン3世」白水社刊より、引用。改行を施しています。)

<一部分を引用>
同年(1852年)11月上院は86対1で帝政復活を決議。さらに12月に、1月に制定された憲法に基づいて国民投票が実施され、参政782万4千、反対25万3千(投票率75%)の圧倒的な差で確定された。
こうして彼は皇帝位につきてナポレオン3世となり、第二帝政が開始された。

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皇帝になってからは、ナポレオン3世、とよばれます。
ナポレオン3世が依存したのは、国民の支持です。
これだけが頼りです。
人々に飽きられたら、帝位をうしなってしまいます。
人気をたもちつづけるためには、かつてのナポレオンがおこなったように、強いフランスを印象づける必要があります。
残念ながらナポレオン3世には、軍隊を指揮する能力がありません。
窮余の策として考えたのが、自国よりも弱い国とたたかうことです。
ナポレオン3世は、確実に勝てる戦争に兵をおくりました。
具体的にはつぎのとおりです。

・クリミア戦争(対ロシア)
・アロー戦争(対中国)
・インドシナ出兵(対ベトナム)
・イタリア統一戦争(サルデーニャ王国を支援)

すべてにおいて、勝利をおさめます。
ついで、メキシコの内政に干渉します。
フランスの意のままになる政権を樹立しようとしたのです。
もくろみに反して、失敗します。
ナポレオン3世の威信が低下しました。
3年後のことです。
フランスは、プロイセン(ドイツの一部)から、過度の挑発をうけます。
さそわれるようにして、戦争を開始します。
かなう相手ではありませんでした。
圧倒的な勢いで攻め込まれます。
焦燥感にかられたナポレオン3世は、叔父のナポレオンのまねをします。
みずからが軍隊の先頭にたったのです。
あまりにも無謀な行為でした。
ナポレオン3世には、軍をうごかした経験がありません。
すぐに捕らえられます。
フランス軍は投降せざるをえませんでした。
皇帝が捕虜になったので、フランスは、臨時政府を組織します。
政府がだした結論は、降伏です。
プロイセンから要求された以下の事柄にも合意(講和)しました。

・多額の賠償金をしはらう。
・アルザス地方、ロレーヌ地方を譲り渡す

この屈辱的な決定に対して、パリの市民が激怒しました。
1871年3月のことです。
人々は反乱をおこして、パリにあたらしい政府をつくりました。
当時のパリの人口は160万人です。
パリ限定の政権が誕生しました。
これがパリ=コミューンです。
コミューンとは、自治的な共同社会、という意味です。
臨時政府は、ヴェルサイユへ逃れました。
パリ=コミューンを組織したのは、労働者です。
歴史的には、史上初の社会主義政権と言われています。
臨時政府はパリ=コミューンをつぶそうとしました。
こぶしをふりあげてみたものの、軍隊がいません。
プロイセンにとらわれています。
窮した臨時政府は、プロイセンにお願いして、捕虜をかえしてもらいます。
5月、軍は、パリへ突入します。
市街戦となりました。
最後は、臨時政府側が勝利します。
パリ=コミューンは、72日間でついえました。
短命におわったとはいえ、資本論の著者のマルクスは、パリ=コミューンを高く評価しています。
ちなみに、ナポレオン3世はどうなったのでしょうか。
付記します。

(鹿島茂著「怪帝ナポレオン3世」講談社学術文庫刊より、引用。改行を施しています。).

<一部分を引用>
1870年9月3日、スダン(セダン)のナポレオン3世からパリのチュイルリ宮殿のウージェニー皇后(ナポレオン3世の妻)のもとに電報が届いた。
「軍は敗れた。我が兵士たちの間で戦死することあたわず、軍を救わんがため、捕囚となる道を選んだ」
ウージェニー皇后(ナポレオン3世の妻)は一読するや顔面蒼白になり、わめき散らした。
「なんで、自殺しなかったのよ、あの人は! 自分の名誉を汚すことになるのに気がつかなかったの? 息子に、いったい、どんな名前を残すつもりなの?」
4日の朝、パリの民衆は「共和国万歳!」と叫んで立法議会になだれ込み、ガンベッタを議長席にあげ、帝政の廃止を宣言させ、パリ軍管区司令官ロンシュ将軍を首班とする臨時政府を成立させた。
ウージェニー(ナポレオン3世の妻)は宮殿から脱出しイギリスに亡命、その地から皇帝復位を画策したがいずれも失敗した。
捕虜となったナポレオン3世はカッセルの近郊で優雅な捕囚生活を送っていたが、その間、1871年1月にドイツ皇帝ヴィルヘルム1世が即位、3月に正式に講和が成立した時点で解放され、イギリスに渡った。

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1789年から1871年の間に、フランスの民衆は、4回、武装蜂起しました。
端緒となったのは、いずれも、怒りです。
日本人は概して、怒りをあらわにしません。
出演強要に関しては、泣き寝入りをするかたもいらっしゃったのではないでしょうか。

(2016年6月16日 リテラ「AV業界に強要はあるのか」(2ページ目)より、引用。改行を施しています。)

<一部分を引用>
AV業界に詳しいライター
確かに、契約書はみんな交わしているけど、AVに出る女性の中には受動的で、押しに弱く、ほとんど契約書を読まないような娘も多い。
口で説明を受けたことと違うことが書いてあっても気がつかない。
約束と違う内容の撮影をされても、後で「サインしたでしょ」と言われると、押しきられてしまう。
ほとんど泣き寝入りしてしまうから、表面に出ないだけでしょう。

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香西咲さんはちがいました。
泣き寝入りをせずに、真実を口にしました。

・2016年7月7日発売 「週刊文春」7月14日号
・2016年7月14日発売 「週刊文春」7月21日号

ぼくはこのとき、自分の未熟さを痛感しました。
香西咲さんは冷静に、事実を語っておられます。
激したり、感情的になったりはしていません。
淡々とのべられています。
ぼくはさとらされました。
大声をだしたり、相手を罵倒することだけが、怒りではないのです。
香西咲さんのような怒りかたもあるのです。
国民は、香西咲さんのうったえによって、出演強要は重大な人権侵害である、と気づきました。

(再掲。辻村みよ子会長
暴力の問題などは本当に人権の基礎の問題で、憲法で言えば13条という、個人の尊重、人間の尊厳とか、そういう問題だということの認識がまだ日本社会全体にないと思います

香西咲さんによって、いま、日本人の人権意識はかわろうとしています。
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2016年07月07日 香西咲さんの特集記事(1)が週刊文春に掲載されました。
2016年07月14日 香西咲さんの特集記事(2)が週刊文春に掲載されました。
2016年07月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました。
2016年07月20日 香西咲さんのインタビュー記事が、しらべぇに掲載されました。
2016年07月27日 香西咲さんのインタビュー動画が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
2016年07月29日 香西咲さんのインタビュー記事と動画が、毎日新聞のWebサイトに掲載されました。
(引用。A氏による衝撃の回答)
問「出演強要が社会問題化している。事務所の運営や女優との契約について見直しは?」
A氏「当然やっていく。今、弁護士と話して、きちんとしていこうとしている

 (A氏は、これまできちんとしていなかったことを認めました。)
2016年08月27日 香西咲さんのインタビュー記事が、弁護士ドットコム(前編)(後編)に掲載されました。
2016年09月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」【1】【2】【3】)に出演されました。
2016年09月24日 香西咲さんのインタビュー記事(1)が、withnewsに掲載されました。
2016年10月01日 香西咲さんのインタビュー記事(2)が、withnewsに掲載されました。
2016年10月17日 香西咲さんのインタビュー記事(日本語訳)が、AFP通信のサイトに掲載されました。
2016年12月28日 香西咲さんのインタビュー記事が、週刊文春に掲載されました。
香西咲さんのツイッター
(香西咲さんの重要ツイート ~2016年7月18日)
 私だって綺麗にリセット出来るならAVデビュー前の私に戻りたい。
 だけど変えられない現状踏まえて立て直したのが今の形。(後略。)

(明日のブログへつづく)



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