人権は勝ち取るものです。香西咲さんの清廉な行動によって、日本はいま、かわろうとしています。安倍総理大臣が言うように、出演強要は重大な人権侵害です。

5月1日の当ブログで、先月の5日に開催された第87回女性に対する暴力に関する専門調査会についてふれました。
この席で、会長の辻村みよ子さんが、人権に関して、肝要な発言をされています。

(4月5日 議事録より、引用。)

辻村みよ子会長(明治大学法科大学院教授)
(略)私から少しつけ加えさせて頂くと、例えば憲法学的に言うと、これまで男女共同参画というのは平等の話で、憲法14条の話だと考えられがちだったのですね。

(参考。日本国憲法)
第14条
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
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辻村みよ子会長(明治大学法科大学院教授)
ところが、暴力の問題などは本当に人権の基礎の問題で、憲法で言えば13条という、個人の尊重、人間の尊厳とか、そういう問題だということの認識がまだ日本社会全体にないと思います。

(参考。日本国憲法)
第13条
すべて国民は、個人として尊重される。
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
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辻村みよ子会長(明治大学法科大学院教授)
(略)、男女共同参画問題を検討していると、不平等なところを平等にしましょうという議論になりますし、女性に対する暴力というと、一部のかわいそうな人がいるとか、一部の困難な人を助けるためだという意識があるのですけれども、トータルにみればこれは人権の問題です。
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辻村会長はこうおっしゃいます。
女性に対する暴力は人権問題である、と。
ぼくもまったく同じ考えです。

辻村みよ子会長(明治大学法科大学院教授)
(略)、非常に簡単に言ってしまうと人権のレベルというのでしょうか。
あるいはそのための人権教育のようなものを大学に入ってジェンダー法学とかジェンダー学を聞いて、やっと勉強しましたというのではとても遅いと思っています。
幼稚園、小学校のころからそういう人権教育、これは平等だけではなくて、人間の尊厳を大事にする教育をする必要があります。

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ヨーロッパでは、人権(基本的人権)のことを「自然権」とよびます。
読んで字のごとく、自然にそなわる権利、です。
ひとはだれでも、うまれた瞬間にさずかるものがあります。
自由や平等などの権利です。
それが、「自然権」です。

(再掲。辻村みよ子会長)
人権教育のようなものを大学に入って(略)、やっと勉強しましたというのではとても遅い
幼稚園、小学校のころからそういう人権教育、(略)、人間の尊厳を大事にする教育をする必要があります

日本人は、学校で、人権とは何か、について学ばなければならないようです。
ヨーロッパひとたちとは異なります。
人権とは、出生した時点でひとしくそなわるものです。
日本にはこうした思想がありません。
ほかにも相違する点があります。
ヨーロッパのひとたちは、日本人とちがい、圧制者と対峙してきました。
人権は、突然、上からあたえられたのではありません。
人々は、「自然権」思想をかかげて、人権を希求しました。
革命をおこしました。
たたかいの結果、獲得したのが、人権なのです。
革命といいますと、1789年7月14日からはじまるフランス革命が世にしられています。
同年の8月26日に、議会は、フランス人権宣言を制定しました。
宣言文に書かれている文言が有名です。
一部を抜粋します。

(フランス人権宣言より、引用。)

第1条
人は、自由かつ権利において平等なものとして出生し、かつ生存する。(後略。)

第3条
あらゆる主権の原理は、本質的に国民に存する。(後略。)

第4条
自由は、他人を害しないすべてをなし得ることに存する。(後略。)

第16条
権利の保障が確保されず、権力の分立が規定されないすべての社会は、憲法をもつものでない。

赫奕(かくやく)たる(光りかがやく)内容です。
一般的に、フランスの場合は当該革命をもって人権が確立した、と考えられています。
これは早計(早まった考え)です。
浅学の謗(そし)りをうけるかもしれません。
革命後のフランスの歴史をみてみます。

1793年に、ブルボン家のルイ16世が処刑されます。
このあと、主に2人の人物が政権を担当しました。
ジャコバン派のロベスピエールと、ナポレオンです。
いずれの場合も、各国は、フランスの革命をつぶそうと、躍起になります。
ナポレオンは圧倒的な軍事力でこれを退けます。
周辺国は、フランスと同盟をむすび、共存の道を選びました。
従属した国もあります。
フランス人権宣言の精神が、各国へひろがります。
最後、ナポレオンは、反革命諸国にやぶれ、太平洋の孤島のセントヘレナへ流されます。
1815年のことでした。

ナポレオンの退位後、ブルボン家のルイ18世が、王位につきます。
この人物は、処刑されたルイ16世の弟でした。
王政の復活です。
ルイ18世は、革命の成果を完全に否定しませんでした。
議会の存在をみとめます。
10年後、ルイ18世がなくなります。

あとをついだのが、弟のシャルル10世です。
この王は、反動的な思想の持ち主でした。
フランス革命の誘因ともなった身分制度(アンシャン=レジーム)の復活をもくろみました。
民衆の暴動が頻発します。
緊張が高まります。
シャルル10世はさらに、言論の統制と、選挙権の制限をおこなおうとしました。
1830年の7月のことです。
パリの民衆が、武装蜂起しました。
軍隊の一部も、民衆の側につきました。
王に対する反感は、各所におよんでいたのです。
騒擾のなか、シャルル10世は、退位に追いこまれます。
この革命を七月革命といいます。
下図は、ドラクロワの代表作である「民衆をみちびく自由の女神」です。
七月革命をえがいています。

(Wikipediaより、引用。)

(井上幸治著「世界の歴史12 ~ブルジョワの世紀」中央公論社刊より、引用。)

「栄光の三日間」、画家はパリ市民とともにあった。
ドラクロワが民衆のなかに見たものは、「民衆をみちびく自由の女神」のすがたであった。
女神は厚い胸もあらわに、右手に三色旗をふりかざし、左手に銃剣をひっさげ、バリケードの上に歩をはこぶ。
この女神はなよやかな深窓の女ではなく、勤労にきたえられた、たくましい女性の肉体をもっている。
「ノートル・ダムの塔上に燃える黄と青の空のもとに」
政府軍のしかばねこえて、女神と市民は前進する。
女神の左側に青いシャツを着た傷ついた労働者が、女神を見上げている。
そのかたわらに、シルクハットを耳までずらせ、ラッパ銃を手にした市民がいる。
これがドラクロワの自画像だといわれている。

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暴君は去りました。
今度はだれに政治をまかせたらよいのだろうか。
人々は思案しました。
銀行家などの大資産家は、フランス革命時の再来を厭(いと)いました。
あのときは、労働者や商人が権勢をふるっていました。
やがて、自分たちにとってうってつけの人物がいる、と気づきました。
オルレアン家のルイ=フィリップです。
当家は、ルイ14世(処刑されたルイ16世の祖父)の弟の家系です。
オルレアン家は代々、王族らしから考え方をもっていました。
自由主義に理解があるのです。
大資産家は、ルイ=フィリップをあたらしい為政者にえらびました。
せっかくの革命も、色あせたものとなってしまいました。
依然として王による政治がつづくのですから。
18年後のことです。
人々の鬱積感が高まっていました。
実際に政治をうごかしているのは、大資本家です。
中小の資本家や労働者は、政治に参加することができません。
憤懣をあらわにしている民衆に対して、首相のギゾーがこう言いました。
「働け、そして金持ちになれ。そうすれば有権者になれるだろう」
と。
1848年の2月のことでした。
パリの市民が武器をもってたちあがりました。
ルイ=フィリップは、イギリスへ亡命します。
これが二月革命です。

ルイ=フィリップが去ったあと、臨時政府が組織されます。
主たる構成員は、中小の資本家です。
労働者側にも配慮して、社会主義者のルイ=ブランを政府にまねきいれました。
臨時政府は、自由主義的政策をおしすすめます。
財産の有無に関係なく、成人の男性に選挙権をあたえました。
出版と、言論の自由も認めました。
労働時間の短縮もおこない、10時間労働制が実現しました。
画期的なのが、国立作業所の設立です。
政府はここで、職業の斡旋をおこないました。
人々は登録すると、仕事を世話してもらえます。
登録者の数が増加していきます。
当然のことながら、仕事の数はかぎられています。
職にあぶれるものが出現します。
政府は、登録をしたものには皆、賃金を支払いました。
このことが政府の財政を圧迫していきます。
4か月後の6月のことでした。
政府は、国立作業所の閉鎖を決定しました。
労働者が怒ります。
武器を手にして、実力行使の挙にでました。
これを6月蜂起といいます。
臨時政府は、軍隊を出動して、鎮圧しました。
結果、1万人以上の人々が命をおとしました。
政府は、10時間労働制も廃止します。
このことをもって革命が終結したわけではありません。
のちに、民衆は、ふたたび行動をおこします。
こちらにつきましては、明日のブログでふれさせていただきます。

本日は、フランスの革命に焦点をあてました。
他のヨーロッパの国々についても同様です。
いずれの場合も、「自然権」の具現化にむけて行動をおこしています。
残念ながら、日本には、ヨーロッパのような人権獲得の歴史がありません。

(再掲。辻村みよ子会長)
ところが、暴力の問題などは本当に人権の基礎の問題で、憲法で言えば13条という、個人の尊重、人間の尊厳とか、そういう問題だということの認識がまだ日本社会全体にないと思います。
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ヨーロッパとくらべて、日本人の人権意識は希薄です。
人権を勝ち取ろうとする気概もありません。

(香西咲さんのツイートより、引用。)

<2016年7月19日>
香西咲さん
私だって普通の女性に戻りたい気持ちもあります。
でも今誰も顔を出せない、名前を上げて意見を言えない。
私は微力ながらこの問題に尽力し、それから女性の性環境を整えてこの業界を去ります。

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香西咲さんは業界の外からものを言ったのではありません。
業界のなかから声をあげたのです。
2017年7月7日のことでした。
ぼくはこれほどまでに気高く崇高なかたを寡聞にして存じあげません。

2017年3月27日 参議院予算委員会

(参考。2017年4月8日の当ブログ。)

安倍晋三 内閣総理大臣
若年層のですね、性的搾取や、女性に対する性暴力は、重大な人権侵害であり、国としてはその根絶をはかっていきます。
このため、配偶者等からの暴力、性犯罪、ストーカー行為など、それぞれの実態に応じたとりくみを進めています。
特に、アダルトビデオ出演強要問題については、佐々木議員が中心となってとりまとめられた御党の提案もうけまして、さっそく加藤大臣を中心に政府一体となってとりくむ体制を立ちあげたところであります。
そのもとで、実態の解明、とりしまりの強化、予防のための教育、啓発の強化、そして被害者が相談できる体制の充実などのとりくみを加速していきます。
女性が安心して暮らせる環境を整備することは、女性活躍を推進するうえの大前提であり、政府としてしっかりと対応してまいります。
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香西咲さんの清廉(せいれん)な行動によって、日本はいま、かわろうとしています。
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2016年07月07日 香西咲さんの特集記事(1)が週刊文春に掲載されました。
2016年07月14日 香西咲さんの特集記事(2)が週刊文春に掲載されました。
2016年07月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました。
2016年07月20日 香西咲さんのインタビュー記事が、しらべぇに掲載されました。
2016年07月27日 香西咲さんのインタビュー動画が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
2016年07月29日 香西咲さんのインタビュー記事と動画が、毎日新聞のWebサイトに掲載されました。
(引用。A氏による衝撃の回答)
問「出演強要が社会問題化している。事務所の運営や女優との契約について見直しは?」
A氏「当然やっていく。今、弁護士と話して、きちんとしていこうとしている

 (A氏は、これまできちんとしていなかったことを認めました。)
2016年08月27日 香西咲さんのインタビュー記事が、弁護士ドットコム(前編)(後編)に掲載されました。
2016年09月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」【1】【2】【3】)に出演されました。
2016年09月24日 香西咲さんのインタビュー記事(1)が、withnewsに掲載されました。
2016年10月01日 香西咲さんのインタビュー記事(2)が、withnewsに掲載されました。
2016年10月17日 香西咲さんのインタビュー記事(日本語訳)が、AFP通信のサイトに掲載されました。
2016年12月28日 香西咲さんのインタビュー記事が、週刊文春に掲載されました。
香西咲さんのツイッター
(香西咲さんの重要ツイート ~2016年7月18日)
 私だって綺麗にリセット出来るならAVデビュー前の私に戻りたい。
 だけど変えられない現状踏まえて立て直したのが今の形。(後略。)

(明日のブログへつづく)



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