カミュ(1913年~1960年)というフランス人の作家がいます。
1957年に、ノーベル文学賞を受賞しました。
代表作のひとつに、「シーシュポスの神話」があります。
ギリシャ神話を題材にしています。
(※黄色が、ギリシャ)
ギリシャに、テッサリアという地域があります。
●参考。テッサリア地方(赤色)
(※以下の画像は、Wikipediaより、引用。)
ギリシャ神話によりますと、テッサリアはかつて、アイオロスという人物によっておさめられていたそうです。
カミュの「シーシュポスの神話」に登場するシーシュポスは、アイオロス王の息子です。
のちに、コリントスの地に、都市国家(小国)をたてました。
コリントスは、コリントとも呼ばれています。
ギリシア本土と、ペロポネソス半島とを結ぶ、コリント地峡の西端にある都市です。
(※以下の画像は、Wikipediaより、引用。)
あるとき、シーシュポスは、神の怒りにふれます。
理由は諸説あります。
(アルベルト・カミュ著 清水徹訳「シーシュポスの神話」新潮文庫刊より、引用。改行を施しています。)
まず第一に、彼は神々に対して軽率な振る舞いをしたという非難がある。
神々の秘密を漏らしたというのだ。
ある時、川の神アソポースの娘アイギナがユピテル(ゼウス神。主神)に誘拐された。
父親は娘がいなくなったのに驚いて、このことをシーシュポスに陳情した。
この誘拐の事情を知っていた彼は、コリントスの城塞に水をくれるならば、事情をアソポース(川の神)に教えようといった。
天の怒りの雷電よりも、かれは水の恵みのほうを選んだのである。
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別の謂(いわ)れもつたえられています。
(アルベルト・カミュ著 清水徹訳「シーシュポスの神話」新潮文庫刊より、引用。改行を施しています。)
またある説によれば、シーシュポスは瀕死の床で、不謹慎にも妻の愛情を試そうと思った。
かれは、自分の亡骸は埋葬せず、広場の真ん中に捨てておくようにと妻に命じた。
死後、シーシュポスは地獄に落ちた。
そこでかれは、人間的な愛情をひとかけらも見せず、ただ言いつけにしたがうだけであった妻の振る舞いに腹を立てて、妻をこらしめるために地上に戻る許可をプルートン(地獄の神)から得た。
しかし、この世の姿を再び眺め、水と太陽、焼けた石と海とを味わうや、かれはもはや地獄の闇の中に戻りたくなくなった。
召還命令や神々の怒りや警告が相次いでも、少しも効果がなかった。
それ以後何年ものあいだ、かれは、入り江の曲線、輝く海、大地の微笑を前にして生きつづけた。
神々は評定を開いて判決を下さなければならなかった。
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いずれにしても、シーシュポスは、地獄へ送致されます。
神々は、過酷な試練をあたえました。
(アルベルト・カミュ著 清水徹訳「シーシュポスの神話」新潮文庫刊より、引用。改行を施しています。)
神々がシシューポスに課した刑罰は、休みなく岩をころがして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂まで達すると、岩はそれ自体の重さでいつも転がり落ちてしまうのであった。
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何度くりかえしても、岩をつみあげることはできません。
無常にも、もとの場所へもどってしまいます。
シーシュポスは、意味のない行為を永遠にくりかえさなければなりません。
カミュは、このことを「不条理」とよびました。
不条理とは、人生に意義を見出す望みがないことをいいます。
絶望的な状況や、限界状況のことです。
ドストエフスキーの「死の家の記録」のなかにも、似たような記述があります。
(ドストエフスキー著 工藤精一郎訳「死の家の記録」新潮文庫刊より、引用。)
<34ページ>
(略)、たとえば、水を一つの桶(おけ)から他の桶へ移し、またそれをもとの桶に戻すとか、砂をつくとか、土の山を一つの場所から他の場所へ移し、またそれをもとへ戻すとかいう作業をさせたら、囚人はおそらく、四、五日もしたら首をくくってしまうとか、あるいはたとい死んでも、こんな屈辱と苦しみから逃れた方がましだなどと考えて、やけになって悪事の限りを尽くすかもしれない。
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(再掲。ドストエフスキー)
「囚人はおそらく、四、五日もしたら首をくくってしまう」
カミュも同じ認識です。
(アルベルト・カミュ著 清水徹訳「シーシュポスの神話」新潮文庫刊より、引用。改行を施しています。)
無益で希望のない労働ほど恐ろしい懲罰はないと神々が考えたのは、たしかにいくらかはもっともなことであった。
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(再掲。カミュ)
「神々がシシューポスに課した刑罰は、休みなく岩をころがして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂まで達すると、岩はそれ自体の重さでいつも転がり落ちてしまうのであった」
常人ならば、自死する前に、気が触れてしまうかもしれません。
シーシュポスはちがいます。
(アルベルト・カミュ著 清水徹訳「シーシュポスの神話」新潮文庫刊より、引用。改行を施しています。)
このシーシュポスを主人公とする神話についていえば、緊張した身体があらんかぎりの努力を傾けて、巨大な岩を持ち上げ、ころがし、何百回目もの同じ斜面にそれを押し上げようとしている姿が描かれているだけだ。
引きつったその顔、頬を岩におしあて、粘土に覆われた巨塊を片方の肩でがっしりと受けとめ、片足を楔のように送ってその巨塊をささえ、 両の腕を伸ばして再び押しはじめる、泥まみれになった両の手のまったく人間的な確実さ、そういう姿が描かれている。
天のない空間と深さのない時間とによって測られるこの長い努力の果てに、ついに目的は達せられる。
するとシーシュポスは、岩がたちまちのうちに、はるか下のほうの世界へところがり落ちてゆくのをじっと見つめる。
その下の方の世界から、再び岩を頂上まで押し上げてこなければならぬのだ。
かれは再び平原へと降りていく。
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たじろぎもせず、弱音もはかず、希望に満ちた顔で、ふたたび岩を手にします。
カミュは、シーシュポスをつぎのように評しています。
(アルベルト・カミュ著 清水徹訳「シーシュポスの神話」新潮文庫刊より、引用。改行を施しています。)
シーシュポスが不条理な英雄であることが、すでにおわかりいただけたであろう。
その情熱によって、また同じくその苦しみによって、かれは不条理な英雄なのである。
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シーシュポスは英雄である。
これが、カミュによる所見です。
なぜ、シーシュポスは、毎日、果てることのない所為を反復するのでしょうか。
(アルベルト・カミュ著 清水徹訳「シーシュポスの神話」新潮文庫刊より、引用。改行を施しています。)
この神話が悲劇的であるのは、主人公が意識に目覚めているからだ。
きっとやり遂げられるという希望が岩を押し上げるその一歩ごとにかれを支えているとすれば、かれの苦痛などどこにもないということになるだろう。
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シーシュポスには、希望があるのです。
いつかこの現状から抜け出ることができるとの思いが。
(アルベルト・カミュ著 清水徹訳「シーシュポスの神話」新潮文庫刊より、引用。改行を施しています。)
今日の労働者は、生活の毎日毎日を、同じ仕事に従事している。
その運命はシーシュポスに劣らず無意味だ。
しかし、かれが悲劇的であるのは、かれが意識的になる稀な瞬間だけだ。
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労働者が自分の境遇を疑うのは、ほんの一瞬のことのようです。
シーシュポスはどうなのでしょうか。
(アルベルト・カミュ著 清水徹訳「シーシュポスの神話」新潮文庫刊より、引用。改行を施しています。)
ところが、神々のプロレタリアート(労働者)であるシーシュポスは、無力でしかも反抗するシーシュポスは、自分の悲惨なあり方を隅々まで知っている。
まさにこの無残なあり方を、かれは下山の間中考えているのだ。
かれを苦しめたに違いない明徹な視力が、同時に、かれの勝利を完璧なものたらしめる。
侮蔑によって乗り越えられぬ運命はないのである。
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(再掲)
「自分の悲惨なあり方を隅々まで知っている」
香西咲さんもそうでした。
(2016年6月23日 香西咲さんのツイートより、引用。)
●香西咲さん
数年前は監視が酷かったから。
少しネガティヴ吐いただけで相手方弁護士から電話かかってきたり。
監視は今も無くはないけど。
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(2016年7月7日 「週刊文春」2016年7月14日号より、引用。)
●香西咲さん
青木の支配下に置かれていた頃、私にとってAV撮影は自傷行為そのものでした。
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(2016年7月14日 「週刊文春」2016年7月21日号より、引用。)
●香西咲さん
ストレスから円形脱毛症になり全身がけだるく、胃腸は毎日、抉られるように痛みました。
自分で救急車を呼んだこともあった。
屈辱がフラッシュバックし、絶望的に命を絶ちたくなるときも・・・・・・
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カミュが語る労働者のように、「稀な瞬間だけ」我が身をふりかえるのではありませんでした。
(再掲。カミュ)
「かれを苦しめたに違いない明徹な視力が、同時に、かれの勝利を完璧なものたらしめる」
香西咲さんは、こいつらに侮蔑(見くだしさげすむこと)されました。
□青木亮
□大西敬
□高畠典子
□坂田恵理子
□坂上孝志
□A-TEAM 飯田正和
□T総研のY
□メーカー関係者
(2016年7月14日 香西咲さんのツイートより、引用。)
●香西咲さん
今まで人間とは思えない仕打ちを受け続けてきた事、 やっと吐き出す事ができました。
こんな私ですが今も変わらず好きでいてくださる方、本当にありがとうございます。
何度も言うけれど今後私はその人たちを大切に生きていくのみです。
「おまえ明日死ぬかもしれないんだから(←青木亮の口癖)」
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(再掲。カミュ)
「侮蔑によって乗り越えられぬ運命はないのである。」
香西咲さんは、犯罪者たちからの侮蔑をうけいれることができませんでした。
香西咲さんの卓抜している(他よりすぐれてぬきん出ている)ところはここです。
カミュがのべているように、「勝利を完璧なものたらしめる」でしょう。
(再掲。カミュ)
「この無残なあり方を、かれは下山の間中考えているのだ」
シーシュポスは、徒労感に打ち拉(ひし)がれて、絶望の淵(ふち)へもどっていくのではありません。
(アルベルト・カミュ著 清水徹訳「シーシュポスの神話」新潮文庫刊より、引用。改行を施しています。)
いわばちょっと息をついているこの時間、彼の不幸と同じく、確実に繰返し舞い戻ってくるこの時間、これは意識の張りつめた時間だ。
かれが山頂を離れ、神々の洞穴の方へと少しずつ降ってゆくこの時の、どの瞬間においても、かれは自分の運命よりたち勝って(いっそうまさって)いる。
かれは、かれを苦しめるあの岩よりも強いのだ。
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普通のひとならば弛緩しているであろうときに、シーシュポスの気概はみなぎっているのです。
(再掲。カミュ)
「自分の悲惨なあり方を隅々まで知っている」
「侮蔑によって乗り越えられぬ運命はないのである」
香西咲さんはいま、自分の力で運命をのりこえようとしています。
(再掲。カミュ)
「かれの勝利を完璧なものたらしめる」
香西咲さんの勝利は間近です。
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■2016年07月07日 香西咲さんの特集記事(1)が週刊文春に掲載されました。
■2016年07月14日 香西咲さんの特集記事(2)が週刊文春に掲載されました。
■2016年07月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました。
■2016年07月20日 香西咲さんのインタビュー記事が、しらべぇに掲載されました。
■2016年07月27日 香西咲さんのインタビュー動画が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
■2016年07月29日 香西咲さんのインタビュー記事と動画が、毎日新聞のWebサイトに掲載されました。
(引用。A氏による衝撃の回答)
問「出演強要が社会問題化している。事務所の運営や女優との契約について見直しは?」
A氏「当然やっていく。今、弁護士と話して、きちんとしていこうとしている。」
(※A氏は、これまできちんとしていなかったことを認めました。)
■2016年08月27日 香西咲さんのインタビュー記事が、弁護士ドットコム(前編)・(後編)に掲載されました。
■2016年09月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」【1】【2】【3】)に出演されました。
■2016年09月24日 香西咲さんのインタビュー記事(1)が、withnewsに掲載されました。
■2016年10月01日 香西咲さんのインタビュー記事(2)が、withnewsに掲載されました。
■2016年10月17日 香西咲さんのインタビュー記事(日本語訳)が、AFP通信のサイトに掲載されました。
■2016年12月28日 香西咲さんのインタビュー記事が、週刊文春に掲載されました。
■香西咲さんのツイッター
(香西咲さんの重要ツイート ~2016年7月18日)
私だって綺麗にリセット出来るならAVデビュー前の私に戻りたい。
だけど変えられない現状踏まえて立て直したのが今の形。(後略。)
(明日のブログへつづく)
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