「悩んだら、まず『生きる』モードに切り換えてからスタートだ!」(こち亀)。香西咲さんにはあたらしい人生がまっています。みなさん、香西咲さんを応援しています

昨年の7月のことでした。
NHKが、出演強要被害の実態をとりあげました。
番組のなかで、ある女性が、嘆じました。

(2016年7月25日 クローズアップ現代+「私はAV出演を強要された~“普通の子”が狙われる~」より、引用。)

<一部分を引用>
もう、私は周りの人たちみたいに、普通の人生を歩んでいくことはできない、悔しい思い。
絶望です。

——————————————————–

絶望-
この響きを耳にしたとき、キルケゴールのことばが脳裏を過(よ)ぎりました。
嘆息しました。
本日、思い出しましたので、「絶望」について書いてみます。
キルケゴールにつきましては、以前に、当ブログでふれたことがあります。

(参考)
・2016年9月17日「香西咲さんと、キルケゴールの実存への三段階」

キルケゴールの著作のなかから、絶望に関する記述をみてみます。

(キェルケゴール著 斉藤信治訳「死に至る病」(岩波文庫)より、引用。改行を施しています。)

(※若干、リライトしています。)
<20ページ>
キルケゴール
絶望は精神におけるすなわち自己における病であり、そこでそこに三様の場合が考えられうる。
——————————————————–

キルケゴールは、「絶望」は病(やまい)である、とします。

(再掲)
そこに三様の場合が考えられうる

具体的にみてみます。

<20ページ>
キルケゴール
絶望して、自己を持っていることを意識しない場合(非本来的な絶望)。
絶望して、自己自身であろうと欲しない場合。
絶望して、自己自身であろうと欲する場合。

——————————————————–

絶望して、自己自身であろうと欲しない場合
この類型は、自死へとつながります。
キルケゴールは、これを否定します。
75ページにつぎの記述があります。

<75ページ>
キルケゴール
自殺によって現存在から脱出しようとすることは実は精神にとっては罪の絶頂である。
——————————————————–

自殺は、逃避、最大の罪、と指弾(非難)します。

<27~28ページ>
キルケゴール
「死に至る病」というこの概念は特別の意義のものと考えられなければならない。
普通にはそれはその終局と結末とが死であるような病の意味である。
そこでひとは致命的な病のことを死に至る病と呼んでいる。
こういう意味では絶望は決して死に至る病とは呼ばれえない

——————————————————–

「こちら葛飾区亀有公園前派出所(こち亀)」というマンガがあります。
昨年の9月に連載が終了しました。
ぼくはマンガやアニメに興味がありません。
まったく。
みている暇もありません。
テニスで手一杯です。
以前、例外的に読んでいたのが、「こち亀」と、その他、哲学的なマンガです。

(再掲。キルケゴール)
絶望は決して死に至る病とは呼ばれえない

「こち亀」のなかに、以下の場面があります。

(秋本治著「こちら葛飾区亀有公園前派出所」より、引用)
<98巻。109ページ>

何か悩むとすぐ生きるべきか死ぬべきかだからな!
目の前がすぐ真っ暗になり二者択一だ!
悩んだら、まず『生きる』モードに切り換えてからスタートだ!
それからどう生きるかを探せばいい!
——————————————————–

(再掲。キルケゴール)
絶望は決して死に至る病とは呼ばれえない

「こち亀」の主人公(両津勘吉)の言うとおりです。
絶望して死を考えるのではなく、あらたにどう生きるのかを模索するべきです。

(再掲)
悩んだら、まず『生きる』モードに切り替えてからスタートだ!

もちろん、選択するのは、別の道です。
アドラーが説くように、我慢して現況を生きろ、ということにはなりません。

<28ページ>
キルケゴール
死に至る病ということが最も厳密な意味で語られるべきであるとすれば、それは、そこにおいては終局が死であり死が終局であるような病でなければならない。
そしてまさにこのものが絶望にほかならない。

——————————————————–

もう助からない。
これが本当の絶望です。
それ以外は、絶望といえません。

<28ページ>
キルケゴール
この病では人は断じて死ぬことはない(人が普通に死ぬと呼んでいる意味では)。
換言すればこの病は肉体的な死をもっては終らないのである。
反対に、絶望の苦悩は死ぬことができないというまさにその点に存するのである。

——————————————————–

絶望して死ぬ。
これがいちばん楽な方法なのかもしれません。

(再掲)
絶望の苦悩は死ぬことができないというまさにその点に存する

絶望という病は、死に直結する病ではありません。

<28ページ>
キルケゴール
絶望は死病にとりつかれている者に似ている。
この者はそこに横たわりつつ死に瀕しているのではあるが、死ぬことができないのである。

——————————————————–

キルケゴールは、くりかえします。
絶望という病で死ぬことはできない、と。
と。

<28ページ>
キルケゴール
かくて「死ぬばかりに病んでいる」というのは死ぬことができないという意味であるが、といっても生きられる希望がなおそこにあるという意味ではない。
いな(いや)、死という最後の希望さえも遂げられないほど希望がすべて失われているのである。
死が最大の危険であるとき、人は生を希(こいねが)う。
彼が更に怖るべき危険を学び知るに至るとき、彼は死を希(こいねが)う。
死が希望の対象となる程に危険が増大した場合、絶望とは死にうるという希望さえも失われているそのことである。

——————————————————–

(再掲)
絶望とは死にうるという希望さえも失われている

ぼくは、このくだりがすきです。
ニーチェの能動的ニヒリズムを想起します。
ニヒリズムとは、生きることは無意味、という態度のことです。
2つの種類があります。
ひとつは、受動的ニヒリズムです。
人生の目的や意義をみうしなって、刹那的に生きる態度、です。
もうひとつは、ニーチェの能動的ニヒリズムです。
無意味な人生を直視して、あたらしい価値や目的をつくっていく態度です。
ニーチェも、キルケゴールと同様に、実存主義者です。

<33~34ページ>
キルケゴール
かくて絶望、自己におけるこの病、は死に至る病である。
絶望者は死病に罹(かか)っている。
人が普通に病についていうのとはまるで違った意味で、この病は人間の一番尊い部分を侵蝕した。
しかも彼は死ぬことができないのである。
そこでは死は病の終局ではなしに、むしろ終ることのない終局である。
死によってこの病から救われることは不可能事である。
病とその苦悩、そして死。
ああ死とはここでは死ぬことができないというそのことにほかならないのである。

——————————————————–

(再掲)
この病(絶望)は人間の一番尊い部分を侵蝕した。しかも彼は死ぬことができないのである

(秋本治著「こちら葛飾区亀有公園前派出所」より、引用)
<98巻。109ページ>

人間は、絶望程度のことでは死なない、ということです。

<83ページ>
キルケゴール
かくて彼は絶望する、というのは、奇妙な顛倒(てんとう。「さかさまにする」という意味)と完全な自己欺瞞(自分に対するあざむき)によって、彼はそれを絶望と名づけるのである。
——————————————————–

絶望という病で死にたい。
実際にそれは無理です。
人々は、この叶わぬ現実を「絶望」と名づけたのです。

<83ページ>
キルケゴール
地上的なるものを失うことは絶望ではない。
ところが彼の語るのはそのことについてであり、そして彼はそれを絶望と名づけるのである。

——————————————————–

本当の絶望は、重篤な病によって、命が助からないことです。

<83~84ページ>
キルケゴール
彼の語ることは或(あ)る意味では真である。
ただし彼がそれを理解しているような仕方で真なのではない。
彼の立場は顛倒(てんとう)している。
そこで彼の語ることもまた顛倒(てんとう)さして理解されなければならない。
彼はそこにおり、何等(なんら)の絶望でもないようなものを指さして、自分は絶望していると語っている。
ところが実は全くその通りなので絶望が彼の知らぬまに彼の背後で起っているのである。

——————————————————–

(再掲)
何等(なんら)の絶望でもないようなものを指さして、自分は絶望していると語っている

辛辣な言辞です。

(再掲)
絶望が彼の知らぬまに彼の背後で起っているのである

ひとは、自分で、絶望というものを創出しているのかもしれません。

(2016年9月24日 withnews「AV強要 現役女優・香西咲が語る『洗脳』から出演までの8カ月」より、引用。改行を施しています。)

<一部分を引用>
独立前の一時期、毎日のように思っていた「事故で命が尽きてしまっていい」「自ら命を絶ちたい」という願望は、今でも時に襲ってくる。
ファンに囲まれている時、多くの人と一緒の撮影中にはないが、自宅に帰り、ふと我に返った瞬間にくる。
毎朝、起床してから活動的になるまでに栄養ドリンクや海外サプリメントの力を借りている。

——————————————————–

(秋本治著「こちら葛飾区亀有公園前派出所」より、引用)
<98巻。109ページ>

ただひとつ言えることがあります。
香西咲さんはまったく悪くありません。
微塵も責任がありません。
卑下する必要はありません。
悪いのはすべて、加害者です。
青木とメーカーです。
業界(組織的犯罪集団)です。
国民は皆、香西咲さんの生き方に対して喝采をおくっています。
ぼくは、香西咲さんを人間として尊敬しています。

(再掲)
悩んだら、まず『生きる』モードに切り換えてからスタートだ!

香西咲さんにはあたらしい人生がまっています。
みなさん、香西咲さんを応援しています。
——————————————————–
2016年07月07日 香西咲さんの特集記事(1)が週刊文春に掲載されました。
2016年07月14日 香西咲さんの特集記事(2)が週刊文春に掲載されました。
2016年07月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました。
2016年07月20日 香西咲さんのインタビュー記事が、しらべぇに掲載されました。
2016年07月27日 香西咲さんのインタビュー動画が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
2016年07月29日 香西咲さんのインタビュー記事と動画が、毎日新聞のWebサイトに掲載されました。
(引用。A氏による衝撃の回答)
問「出演強要が社会問題化している。事務所の運営や女優との契約について見直しは?」
A氏「当然やっていく。今、弁護士と話して、きちんとしていこうとしている

 (A氏は、これまできちんとしていなかったことを認めました。)
2016年08月27日 香西咲さんのインタビュー記事が、弁護士ドットコム(前編)(後編)に掲載されました。
2016年09月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」【1】【2】【3】)に出演されました。
2016年09月24日 香西咲さんのインタビュー記事(1)が、withnewsに掲載されました。
2016年10月01日 香西咲さんのインタビュー記事(2)が、withnewsに掲載されました。
2016年10月17日 香西咲さんのインタビュー記事(日本語訳)が、AFP通信のサイトに掲載されました。
2016年12月28日 香西咲さんのインタビュー記事が、週刊文春に掲載されました。
香西咲さんのツイッター
(香西咲さんの重要ツイート ~2016年7月18日)
 私だって綺麗にリセット出来るならAVデビュー前の私に戻りたい。
 だけど変えられない現状踏まえて立て直したのが今の形。(後略。)

(明日のブログへつづく)



香西咲さんを勝手に応援するサイトへ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。