伊藤和子HRN事務局長が、ブログを更新されていました。
気づきませんでした。
・2017年3月22日「AV出演強要問題 感慨無量。政府が局長級会合」
ご自身のツイッターで、記事の告知をされなかったような気もします。
ぼくはネット上で、検索したり情報を収集する能力がありません。
当然、みのがした可能性もあります。
それはさておき、拝読しました。
(2017年3月22日「AV出演強要問題 感慨無量。政府が局長級会合」より、引用。改行を施しています。)
<一部分を引用>
●伊藤和子 HRN事務局長
私は被害者の方々の涙を誰よりも見てきたから、負けられなかった。
こんなにもひどい人権侵害、どうしても解決しなくてはと思ってきました。
昨年は被害者の方々とともに、悲しい思いや怒りを感じることも多かったです。
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そして、今年1月からは連日、短期決戦だと思い、いろんなところにロビーに行き、涙が出るほど悔しい日もありました。
(略。)
何がよかったのかはわからないし、不十分だったと思うけれど、こんなにはやい展開で政府が動きました。
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権力者でない場所に身を置くと、いつもいろんなことで、負けること、抵抗しても押し切られてしまうことも多いですよね。
だけれども、抽象的、理念的に戦うのでなく、現実に社会を一歩でも二歩でも変えたい、具体的に人々が本当に困っていることを解決したいと思い、自らアジェンダを設定して課題を訴え、解決しなくてはと思ってきました。
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私はずっと、光のあてられない人権侵害に光をあてて、何も言えない被害者に代わって声を上げる活動をしてきたいと思ってきました。
そして、一度生を受けた以上、世界、そして日本で最も苦しんでいる女性たちのために貢献できる弁護士でありたいと思い続けてきました。
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(再掲)
「涙が出るほど悔しい日もありました」
「不十分だったと思う」
「社会を一歩でも二歩でも変えたい」
マザー=テレサのことばを想起しました。
(マザー・テレサ著「生命あるすべてのものに」講談社現代新書刊より、引用。改行を施しています。)
●マザー=テレサ
あるヒンズー教徒の4歳の子どもが、マザー・テレサは自分の子どもたちに与える砂糖を切らしていることを聞きました。
カルカッタで一時砂糖がなくて困ったことがあったのです。
その子どもは、これを聞くと両親に話しました。
「三日間、お砂糖を食べないよ。ぼくのお砂糖をマザー・テレサにあげるの」
この幼い子どもは大きな愛で愛したのです。
なぜなら傷つくまで愛したからです。
そして、この子は私にどのように愛するかも教えてくれました。
いくら与えたかではなく、与えることにどれだけの愛を注いだか、であると。
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(再掲)
「いくら与えたかではなく、与えることにどれだけの愛を注いだか」
マザー=テレサの愛は、無償の愛です。
みかえりをもとめない愛です。
4歳の子どもから、愛する方法を学んだようです。
伊藤和子HRN事務局長、PAPS、ライトハウスなどの支援団体はこれまで、被害者のために活動をおこなってきました。
これも無償の愛です。
私利私欲でうごいてきたわけではありません。
(2017年3月22日「AV出演強要問題 感慨無量。政府が局長級会合」より、引用。改行を施しています。)
<一部分を引用>
●伊藤和子 HRN事務局長
最初、猛烈なバックラッシュがありました。
身の危険を感じるほど。。
世論が変わったのは、勇気ある被害にあった女性たちが声をあげたからです。
彼女たちの訴え、思い、尊厳、プライド。。。
その素晴らしさに感動してきました。
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最初に、出演強要の実態をあきらかにしたのは、香西咲さんです。
そのあと、くるみんアロマさん、星野明日香さんがつづきました。
(再掲。マザー=テレサ)
「いくら与えたかではなく、与えることにどれだけの愛を注いだか」
お三人の行動によって、その後、どれだけ多くの女性がすくわれたことか。
(再掲。伊藤和子HRN事務局長)
「彼女たちの訴え、思い、尊厳、プライド。。。その素晴らしさに感動してきました」
1939年のことです。
ヒトラーが率いるドイツは、8月23日、ソ連と、独ソ不可侵条約を締結しました。
おたがいに戦わない、という約束です。
世界が驚愕しました。
ヒトラーの最終的な目的は、ソ連の共産主義を倒すことです。
それを反故(ほご)にしたのです。
両者の合意は、「悪魔の結婚」と言われました。
9日後の9月1日、ドイツは、ポーランドへ侵攻します。
第2次世界大戦のはじまりです。
ソ連も、9月17日に、ポーランドへ攻め入りました。
ドイツとソ連は、ポーランドを分割して統治します。
ヒトラーは、征服地で、ユダヤ人の殲滅(せんめつ)を敢行しました。
翌年の1940年、ポーランドに住んでいたユダヤ人は、大挙して、リトアニアの首都をめざしました。
(※左から、ドイツ、ポーランド、リトアニア)
(※青色がドイツ、黄色がポーランド、赤色がリトアニア。)
ユダヤ人の目的は、リトアニアの首都にある日本領事館です。
そこへ行って、日本通過ビザを発給してもらおうとしたのです。
給付されれば、ソ連、日本を経由して、第三国へ移住することができます。
申し出をうけたのが、領事代理の杉原千畝(すぎはらちうね)さんです。
事情を聞いた杉原さんは、日本の外務省へ要望しました。
発給をみとめてほしい、と。
外務省はこれを拒否しました。
案じた杉原さんは、独断で、発給をはじめます。
領事館は20日後に閉鎖されることになっていました。
杉原さんは、その間、発給をつづけました。
この行為によって、6千人以上のユダヤ人の命がすくわれました。
戦後、杉原さんは、責任をとって外務省を退職します。
自身がおこなったことについては、固く口を閉ざしました。
長きにわたり、杉原さんの行動が世に知られることはありませんでした。
日本人が、所為を知ったのは、1969年です。
イスラエル政府が、無名の人物に、勲章を授けたのです。
ユダヤ人は命の恩人のことをわすれていませんでした。
1985年には、「諸国民の中の正義の人」として表彰します。
杉原さんの生誕地は、岐阜県の八百津町です。
町は、偉業をたたえて、1992年に、人道の丘公園を開園しました。
同園をおとずれたユダヤ人が、つぎのように語っています。
(杉原幸子著「六千人の命のビザ」大正出版刊より、引用。改行を施しています。)
●あるユダヤ人
だれも私たちを助けようとはしなかった。
ソビエト(ソ連)はすべての領事に引き払うように命じたが、スギハラは20日延長して滞在し、彼の邸宅の外に並ぶすべての人々のために、昼夜これらのビザを書き続けた。
スギハラは彼のペンの一(ひと)動きが(ユダヤ人の)命を救っていることを知っていた。
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杉原幸子さんは、千畝(ちうね)さんの妻です。
著書のなかで、夫のことばを紹介しています。
(杉原幸子著「六千人の命のビザ」大正出版刊より、引用。改行を施しています。)
●杉原千畝(すぎはらちうね)さん
私のしたことは外交官としては間違ったことだったかもしれない。
しかし、私には頼ってきた何千人もの人を見殺しにすることはできなかった。
そして、それは正しい行動だった。
(略)私の行為は歴史が審判してくれるだろう。
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香西咲さんも、杉原千畝さんと似たような気持ちであったのかしれません。
勝手に推測します。
「私には被害にあっている何千人もの人を見殺しにすることはできなかった」
ロマン=ロラン(1866年~1944年)という著名な作家がいます。
代表作は、
「ジャン・クリストフ」
と、
「ベートーヴェンの生涯」
です。
ロマン=ロランは、現代ヒューマニズムを代表する人物です。
人類愛を主張して、2つの世界大戦に反対しました。
「人間性に忠実であるためには社会悪と戦わなければならない」
とうったえました。
このようなヒューマニズム(人間性)を「戦闘的ヒューマニズム」といいます。
ロマン=ロランの論説をみてみます。
英雄の定義です。
(ロマン=ロラン著 高田博厚訳「筑摩世界文学大系 54」筑摩書房刊より、引用。改行を施しています。)
(※若干、リライトしています。)
「ジャン・クリストフ」の中で私が負った義務は、フランスにおける精神的、社会的崩壊の時代に、灰の中に眠っている魂の火をかき起こすことであった。
空気と日光を独占している「広場の市」に、あらゆる犠牲を覚悟し、あらゆる妥協をしりぞける、敢然とした魂の小集団を対抗させなければならない。
その長となるべき一人の英雄の呼び声に応じて、彼の周囲に、それらの魂を私は集めたかった。
私はこの長に、2つの主要条件を要求した。
1.自由で、明晰で、誠実な目。
今日のヨーロッパを見て判断するために、私はこの率直な両目を必要とした。
2.次に行動である。
何を考えようと、自分がなんであろうと、敢行しなければならぬ。
敢然と言う。
敢然と行動する!
この英雄の定義を、私は「ジャン・クリストフ」のはじめの部分と同時期に出た、「ベートーヴェンの生涯」の序の中で与えた。
「思想や力によって勝った人々」に私はこの肩書きを拒絶し、「心によって偉大であった人々のみを、英雄と呼ぶ」
この言葉の意味を拡げよう。
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香西咲さんは、人間性に忠実であるために、社会悪と戦っています。
香西咲さんのツイッター(2016年7月7日)より、引用。
●所属時代は何の情報も与えられず、相談出来る相手は事務所内の人間だけでした。
私が事務所を止めた時に佐藤さんと初めて会って、同じスカウト経由でほぼ同一の手口で引きずり込まれた事を知りました。
社会悪。
佐藤さんには本当に感謝です。
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(再掲。ロマン=ロラン)
「あらゆる犠牲を覚悟し、あらゆる妥協をしりぞける、敢然とした魂」
香西咲さんのツイッター(2016年7月18日)より、引用。
●私が今後どうすべきか等、正確な情報もアドバイスも一切与えてくれず、
ただただ脅迫されてます。
余計な事は言うなと。
(後略。)
●脅迫、業界一部からの嫌われ、全て覚悟のうえです。
●私だって普通の女性に戻りたい気持ちもあります。
でも今誰も顔を出せない、名前を上げて意見を言えない。
私は微力ながらこの問題に尽力し、
それから女性の性環境を整えてこの業界を去ります。
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香西咲さんによって、数多くの女性が理不尽な被害からすくわれました。
(再掲。ロマン=ロラン)
「心によって偉大であった人々のみを、英雄と呼ぶ」
香西咲さんの魂は至高です。
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■2016年07月07日 香西咲さんの特集記事(1)が週刊文春に掲載されました。
■2016年07月14日 香西咲さんの特集記事(2)が週刊文春に掲載されました。
■2016年07月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました。
■2016年07月20日 香西咲さんのインタビュー記事が、しらべぇに掲載されました。
■2016年07月27日 香西咲さんのインタビュー動画が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
■2016年07月29日 香西咲さんのインタビュー記事と動画が、毎日新聞のWebサイトに掲載されました。
(引用。A氏による衝撃の回答)
問「出演強要が社会問題化している。事務所の運営や女優との契約について見直しは?」
A氏「当然やっていく。今、弁護士と話して、きちんとしていこうとしている。」
(※A氏は、これまできちんとしていなかったことを認めました。)
■2016年08月27日 香西咲さんのインタビュー記事が、弁護士ドットコム(前編)・(後編)に掲載されました。
■2016年09月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」【1】【2】【3】)に出演されました。
■2016年09月24日 香西咲さんのインタビュー記事(1)が、withnewsに掲載されました。
■2016年10月01日 香西咲さんのインタビュー記事(2)が、withnewsに掲載されました。
■2016年10月17日 香西咲さんのインタビュー記事(日本語訳)が、AFP通信のサイトに掲載されました。
■2016年12月28日 香西咲さんのインタビュー記事が、週刊文春に掲載されました。
■香西咲さんのツイッター
(香西咲さんの重要ツイート ~2016年7月18日)
私だって綺麗にリセット出来るならAVデビュー前の私に戻りたい。
だけど変えられない現状踏まえて立て直したのが今の形。(後略。)
(明日のブログへつづく)
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