「前向きに人生を考え直そうという気持ちになって参りました」。香西咲さんの人生に幸多からん事をねがっております

昨日のつづきです。
アキコさんには、夢がありました。
一人暮らしをすることです。
中学校1年のときから、母親のかわりを務めてきました。
自分を殺して生きてきました。
これまで何一つ良いことがありませんでした。
21歳のときに、太ももと、肺に、腫瘍がみつかりました。
2年後、それが脳へ転移します。
末期がんでした。
手術をおえて、家にもどった直後、兄が殺人事件で逮捕されます。

(北海道新聞より、引用。)
兄が高等養護学校の卒業生だったことで、自宅には知的障害者の支援活動を行っている福祉関係者らが、出入りするようになった。
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家を出て、一人暮らしがしたい
アキコさんの願いを約20人のボランティアがかなえてくれました。
2001年の12月から、あたらしい生活がはじまりました。
傍らにはつねに、ボランティアのひとたちがいます。
真夜中であろうとも、容態が悪くなればすぐに対応してくれます。
アキコさんは毎日、部屋のなかですごしていたわけではありません。
ボランティアが積極的に外へ連れ出してくれます。
アキコさんは、困惑しながらも、うれしそうに顔をほころばせました。
こんなにいろんな所に外出したことなんてないよぉ
木造のアパートからマンションに越して、5か月がすぎました。
兄による殺人事件から、ここまでを簡単に顧(かえり)みてみます。

(アキコさんの場合)
2001年
<4月>
(30日。兄が、東京で、女子短大生を刺殺する。)

<5月>
脳に転移した腫瘍を摘出する。
自宅のアパートにもどる。
警察が、兄の件で、事情を聞きにくる。
(10日。兄が、逮捕される。)
報道陣が殺到する。

<8月末>
(北海道新聞より、引用。)
兄が高等養護学校の卒業生だったことで、自宅には知的障害者の支援活動を行っている福祉関係者らが、出入りするようになった。
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<12月>
札幌市内にマンションを借りて、一人暮らしをはじめる。
 (ボランティアが24時間体制で、アキコさんの日常生活を見守る。)
2002年

<5月>
北海道新聞から、取材をうける。

<記者>
すでに肺などをがんに侵され、酸素濃縮器が手放さず、細い両腕に携帯用の酸素ボンベを抱え、鼻には管を当てていた。
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ボランティアのひとりは、記者に対して、疑問をぶつけました。
殺人者の妹であることを世間に公表して死なせることが、彼女のためになるのか?

<7月>
激しい痛みがつづく。
(17日。担当医が、入院をすすめる。)
 アキコさんは、「このままでいたい。みんなと会えなくなるのはいや」と拒否する。 
(21日~23日。北海道新聞が、アキコさんに関する特集記事を掲載する。)

・7月21日 「命みつめて 末期がん25歳<上>」 
・7月22日 「命みつめて 末期がん25歳<中>」 
・7月23日 「命みつめて 末期がん25歳<下>」 
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(7月21日 北海道新聞「命みつめて 末期がん25歳<上>」より、引用。改行を施しています。)

台風6号が接近し、蒸し暑さと雨に見舞われた7月10日。
東京地方裁判所で、ある殺人事件の公判が開かれた。
(中略。)
同じ日、札幌市北区のマンションの一室。アキコさん(25)=仮名=は自宅のベッドで、こんこんと眠り続けていた。
末期がん。
肺や頭部で腫瘍(しゅよう)が肥大し、全身に激痛が走る。
体も思うように動かない、そんな一人暮らしをボランティアが支える。
彼女は、公判が開かれたことは知らない。
また、その内容を自ら知ろうともしない。

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23日 明け方に、トイレで意識を失う。

アキコさんは、緊急入院します。
熱がさがらず、声をだせない状態となりました。
消灯時間になったので、ボランティアが帰ろうとしました。
アキコさんが、ベッドから起きあがろうとします。
必死になって、何かをうったえかけます。
ことばにはなりません。
ボランティアが訊(き)きました。
「帰りたいの?」
アキコさんは涙を流しながら、肯(うなず)きました。
ボランティアが医師にかけ合いました。
自宅につれて帰りたい、と。
医師は首を縦にふりませんでした。
ボランティアはあきらめずに、拘泥しました。
話し合いは長時間におよびました。
翌朝、医師が、ボランティアに言いました。
責任は家族がもつ、との念書に、父親がサインをすれば、退院をみとめると。
アキコさんはマンションにもどることができました。
以降、劇的に、容態が回復します。
熱が平温にもどりました。
2日目には、一人でトイレに行けるようになりました。
アキコさんは、車いすで、花火をみに行きました。
静かな海岸にも立ち寄りました。
退院してから3日後のことです。
アキコさんは、「終末期宣言書」へサインをしました。
書面には、病院でなく自宅のマンションで最期をむかえる、と記されています。
アキコさんは、
これで入院しなくても済むね
と、柔和な表情をみせませた。

アキコさんに関する報道は、大きな反響をよびました。
新聞社には、たくさんの手紙がとどけられました。
批判的な内容のものは少数です。
ほとんどがアキコさんを激励するものでした。
手紙を受けとったアキコさんは、
うれしいです
と、ほほえみました。

体調のほうは芳しくありません。
激しい痛みや、ちいさなけいれんが、間断なくやってくるようになりました。

<8月>

5日 
アキコさんは、ちいさな紙にメッセージを記しました。
お手紙 ありがとうございました アキコ
と。

12日 
夕食時、アキコさんは、好物のイモの天ぷらをすこしだけ口にしました。
満足そうに笑いました。
痛み止めの薬で眠りにつきました。
その後、目をさますことはありませんでした。
希望どおり、自宅で、家族や多くのボランティアに見送られて亡くなりました。
享年25歳でした。

アキコさんが逝去した夜、通夜がおこなわれました。

(北海道新聞より、引用。)
ボランティアの一人、札幌市東区の主婦(50歳)は通夜の席を立ち、ロビーで泣き崩れた。
精いっぱい生きようとしているアキコさんの前では、涙をみせないと決めていた。
「でも、今だけは許してくれるよね」
時間を拘束されるボランティア。
仕事との両立に悩んだこともある。
でもアキコさんの生い立ちを知った職場の上司の一言に助けられた。
「疲れたら休んでいい。彼女を支えてあげて」
主婦は振り返る。
「人はどこかで支え合っている。アキコさんは、そのことを気づかせてくれたんです」

通夜の後。
会場の片隅で、一人の男性ボランティア(58歳)が、遺影にしんみりと語りかけていた。
「仕事を持った人や、自分のことも満足にできない学生たちが、他人のためにこんなに一生懸命になれたってすごいよな。アキコ、おれたち良くやったよな」

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5か月後、学生ボランティアが、当時をふりかえりました。

(北海道新聞より、引用。)
札幌市内の女子大生は、激しい発作にたえるアキコさんが忘れられない。
体を震わせながら目を見開き、必死で息を吸い込もうとする姿。
「この人はすごい人だと何度も感じさせられた」

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アキコさんの在宅医療を担当した医師は、こうはなします。

(北海道新聞より、引用。)
今年の春に亡くなっていても不思議じゃなかった
がんの末期を、あれほど安らかに過ごせた例は見たことがない。あの部屋での暮らしは、設備が整った病院でできないことをやってのけたのではないでしょうか
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アキコさんの兄は、女子短大生を殺害しました。
どうしようもないことをした
亡くなった人や、遺族のひとに申し訳ない
記者の取材に対して、こう憤慨しました。
アキコさんは兄をゆるすことができませんでした。

(北海道新聞より、引用。)
同市内の主婦は、公判で兄が「殺すつもりはなかった」と答えたことをアキコさんに伝えた場面を述懐する。
「『自分で言えたんだ』と、つぶやくアキコさんの表情に安堵の色を見ました。兄を恨み、決して許せないと言い切りながら、案じる気持ちをかいま見ました」

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多くのひとたちに思いを残して、アキコさんは25年間の短い生涯を閉じました。

(参考資料。北海道新聞の記事)
・2002年07月21日 「命みつめて 末期がん25歳<上>」 
・2002年07月22日 「命みつめて 末期がん25歳<中>」 
・2002年07月23日 「命みつめて 末期がん25歳<下>」 
・2002年08月30日 「命みつめて 25歳が残したもの 1」
・2002年08月31日 「命みつめて 25歳が残したもの 2」
・2002年09月01日 「命みつめて 25歳が残したもの 3」
・2002年09月02日 「命みつめて 25歳が残したもの 4」
・2002年12月30日 「命みつめて アキコさんと生きた軌跡」

香西咲さんのツイッター(2016年12月19日)より、引用。

年明けのPTSDやフラッシュバックの治療が楽しみです。
投げやりだった人生でしたが、業界内外の方々やファンの方々の愛情を感じる事ができ今やっと前向きに人生を考え直そうという気持ちになって参りました。
少しづつですが。
どうかこれからも温かく見守って頂けたら幸いです。
ありがとうございます

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香西咲さんの人生に幸多からん事をねがっております。
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2016年07月07日 香西咲さんの特集記事(1)が週刊文春に掲載されました。
2016年07月14日 香西咲さんの特集記事(2)が週刊文春に掲載されました。
2016年07月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました。
2016年07月20日 香西咲さんのインタビュー記事が、しらべぇに掲載されました。
2016年07月27日 香西咲さんのインタビュー動画が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
2016年07月29日 香西咲さんのインタビュー記事と動画が、毎日新聞のWebサイトに掲載されました。
(引用。A氏による衝撃の回答)
問「出演強要が社会問題化している。事務所の運営や女優との契約について見直しは?」
A氏「当然やっていく。今、弁護士と話して、きちんとしていこうとしている

 (A氏は、これまできちんとしていなかったことを認めました。)
2016年08月27日 香西咲さんのインタビュー記事が、弁護士ドットコム(前編)(後編)に掲載されました。
2016年09月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」【1】【2】【3】)に出演されました。
2016年09月24日 香西咲さんのインタビュー記事(1)が、withnewsに掲載されました。
2016年10月01日 香西咲さんのインタビュー記事(2)が、withnewsに掲載されました。
2016年10月17日 香西咲さんのインタビュー記事(日本語訳)が、AFP通信のサイトに掲載されました。
2016年12月28日 香西咲さんのインタビュー記事が、週刊文春に掲載されました。
香西咲さんのツイッター
(香西咲さんの重要ツイート ~2016年7月18日)
 私だって綺麗にリセット出来るならAVデビュー前の私に戻りたい。
 だけど変えられない現状踏まえて立て直したのが今の形。(後略。)

(明日のブログへつづく)



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