昨日は、神谷美恵子さんの「生きがいについて」をご紹介しました。
神谷さんは亡くなるまで、ハンセン病(らい病)患者と向き合いました。
昨日、ブログを書いていて、ふと、ある小説を思い出しました。
遠藤周作さんが著された「わたしが・棄てた・女」です。
物語のおわりのほうで、ハンセン病の施設が登場します。
(遠藤周作著「わたしが・棄てた・女」講談社文庫刊より、引用。改行を施しています。)
たしか、昨年の12月のはじめだったと思います。
病院には、4人ほどの小児患者がおりましたが、(子供でもハンセン氏病にかかるのか、とお思いでしょうが、実は、抵抗力の乏しい子供ほど、この病気の進行が早いのでございます。)その小児患者のなかで、壮ちゃんという6つになる子供が、肺炎になった時、ミッちゃんはつききりで、看病しておりました。
ミッちゃんの子供好きというのは、病院でも有名で、この子供たちに、自分がもらう僅かな手当から、何かを、いつも買ってやるのでした。
壮ちゃんは、特に、彼女になついていたようでございます。
(略。)
3日間、ほとんど寝ないで、ミッちゃんはこの子に、付き添っておりました。
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ミッちゃんの本名は、森田ミツです。
思いを寄せていた男性に騙されて、棄てられます。
絶望していたとき、ハンセン病に罹患しているとの診断を受けます。
入院しました。
すぐに誤診であることがわかります。
この経験のなかでミッちゃんは、ハンセン病患者の実態を知りました。
退院後も、病院に残り、患者のために尽力します。
(引用)
(中略。)
「あたしね、昨晩、壮ちゃんを助けてくれるなら、そのかわり、あたしが癩病(らい病。ハンセン病)になってもいいと祈ったわ。本当よ。」
ミッちゃんは、真剣な顔をして、そう言うのでした。
「もし神さまってあるなら・・・・・・本当にこの願いをきいてくれないかなあ。」
(中略。)
悲しいことに、子供はそれから5日間して、息を引きとりました。
(略。)ただ彼女は怒ったようにはっきり、こう申しました。
「あたし、神さまなど、あると、思わない。そんなもん、あるもんですか。」
(略。)
「(略。)ただ、あたしさ、神さまがなぜ壮ちゃんみたいな小さな子供まで苦しませるのか。わかんないもん。子供たちをいじめるのは、いけないことだもん。子供たちをいじめるものを、信じたくないよ。」
(略。)
「なぜ、悪いこともしない人に、こんな苦しみがあるの。病院の患者さんたち、みんないい人なのに。」
ミッちゃんが、神を否定するのは、この苦悩の意味という点にかかっていました。
ミッちゃんには、苦しんでいる者たちを見るのが、何時にも耐えられなかったのです。
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ミッちゃんは、まもなくして、突然の事故により短い生涯を閉じます。
ぼくは本日、「わたしが・棄てた・女」を久方ぶりに開きました。
これまでに、一度しか通読していません。
本棚の奥にいれたままでした。
読み返す気にはなりませんでした。
森田ミツさんの生涯があまりにも無情だからです。
このひとにとって、人生とはいったい何だったのだろう。
生きがいがあったのだろうか。
ふと脳裏を過(よ)ぎることがあります。
ぼくにとっては衝撃的な小説でした。
香西咲さんについても同様です。
あのときの香西咲さんに、生きるよろこびはあったのでしょうか。
香西咲さんのツイッター(2016年7月15日)より、引用。
アットハニーズ青木亮に飼い殺しにされてた頃に出逢った本。
#夜と霧
自分と重なる部分が多い
あの時の日々はまさにアウシュビッツ強制収容所。
『歴史は繰り返される』
巷でも耳にするフレーズと地獄の日々により歴史を再び学び始めました
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「夜と霧」につきましては、以前にもとりあげたことがあります。
(参考;2014年12月12日)
作者のフランクル(1905年~1997年)はオーストリアのウイーンで生まれました。
ユダヤ人です。
1924年、ウイーン大学の医学部に入学します。
大学では、フロイトやアドラーから学びます。
卒業後は、精神科医となりました。
「生きる意味を見失ったとき、ひとは、こころを病んでしまう」
どうすれば治癒させることができるのだろうか。
フランクルは呻吟(しんぎん)します。
やがて、患者自身に生きる意味を発見させる心理療法を確立します。
現在、「ロゴセラピー」と呼ばれているものです。
1939年9月、ドイツがポーランドに侵攻します。
これを知ったイギリスとフランスは、ドイツに対して宣戦します。
第二次世界大戦のはじまりです。
ドイツ軍は一時、ヨーロッパ諸国を席捲します。
この状況下でフランクルは、ユダヤ人であるとの理由で捕らえられます。
以降、2年半もの間、ナチスの強制収容所で、強制労働を強いられます。
両親と妻と子どもは、この施設内で亡くなります。
解放されたのち、収容所内における人々の姿を記録した本を出版します。
「夜と霧」です。
著書のなかで、フランクルは、生きる意味について考察しました。
(フランクル著 霜山徳爾訳「夜と霧」みすず書房刊より、引用。改行を施しています。)
(※「夜と霧」は新版と旧版で訳者がことなります。今回、旧版の霜山徳爾さんの訳を引用させていただきました。)
「私はもはや人生から期待すべき何ものも持っていないのだ」
これに対して人は如何に答えるべきであろうか。
ここで必要なのは、生命の意味についての問いの観点変更なのである。
すなわち、人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなく、むしろ、人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。
そのことをわれわれは学ばねばならず、また絶望している人間に教えなければならないのである。
哲学的に誇張して言えば、ここではコペルニクス的展開が問題なのであると云えよう。
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生きる意味の追求(「意味への意志」)が人間の本来的な意志である、とフランクルはいいます。
それをみたすためには、世界に答えを求めるのではなく、自己を世界からみることが求められる、と主張します。
これが、コペルニクス的展開、です。
コペルニクス的展開とは、もののみかたを180度かえることです。
(引用。「夜と霧」)
すなわちわれわれが人生の意味を問うのではなくて、われわれ自身が問われたものとして体験されるのである。
人生はわれわれに毎日、毎時間、問いを提出し、われわれはその問いに、詮議や口先ではなくて、正しい行為によって応答しなければならないのである。
人生というのは結局、人生の意味の問題に正しく答えること、人生が各人に課する使命を果たすこと、日々の務めを行うことにほかならないのである。
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生き方を転換することによって、以下の事柄が実現されるといいます。
列記します。
■自分の仕事、活動をとおして実現される創造価値
■ひとを愛すること、自然や芸術とふれあうことによって実現される体験価値
■あたえられた状況に対してどのような態度をとるかによって実現される態度価値
フランクルはいいます。
「ひとには、果たさなければならないことがある」
「だれかがあなたのことを待っている」
それゆえ、
「どのようなときでも、ひとには、生きる意味がある」
と。
同感です。
わたしたちは毎日の生活のなかに、何らかの意義をみいだすことが必要であると考えます。
自分がこの瞬間に生きている意味です。
些細なことでもよいのではないでしょうか。
たとえば、自分がもしも姿を消したのなら、悲しむひとがいます。
こまるひとがいます。
これだけでも、生きている意味があります。
フランクルが終生、口にしていたことばがあります。
「人生のなかで、いかなる苦しみと出会っても、それでも人生にイエスと言う」
と。
(フランクル著 山田邦男・松田美佳訳「それでも人生にイエスと言う」春秋社刊より、引用。改行を施しています。)
私の子供は、胎内で頭蓋骨が早期に癒着したために不治の病にかかったまま、1929年6月6日に生まれました。
私は当時18歳でした。私は子供を神さまのように崇め、かぎりなく愛しました。
母と私は、このかわいそうなおちびちゃんを助けるために、あらゆることをしました。
が、むだでした。
子供は歩くことも話すこともできませんでした。
でも私は若かったし、希望を捨てませんでした。
私は昼も夜も働きました。
ひたすら、かわいい娘に栄養食品や薬を買ってやるためでした。
そして、娘の小さなやせた手を私の首に回してやって、
「お母さんのこと好き? ちびちゃん」
ときくと、娘は私にしっかり抱きついてほほえみ、小さな手で不器用に私の顔をなでるのでした。
そんなとき私はしあわせでした。どんなにつらいことがあっても、かぎりなくしあわせだったのです。
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これはフランクルが講演で語ったある母親の逸話です。
つぎのことばに救われました。
「どんなにつらいことがあっても、かぎりなくしあわせだったのです」
神谷美恵子さんも、生きがいとは自分で発見するもの、とおっしゃっています。
そのとおりなのかもしれません。
ちなみにぼくは、フランクルのこのことばが好きです。
「それでも人生にイエスと言う」
(2016年8月27日 弁護士ドットコム「<AV出演強要>香西咲さん『今でもフラッシュバックに悩まされる』洗脳の過去を語る」より、引用。改行を施しています。)
<香西咲さん>
「自分はバカだったな」
「もっと勉強しておけばよかったな」
と思うことはたくさんあります(後略。)
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香西咲さんは犯罪の被害者です。
反省は不要です。
いっさい。
「自分はバカだったな。もっと勉強しておけばよかったな」
この部分は別のことばにいいかえてほしいです。
「それでも人生にイエスと言う」
と。
香西咲さんは清らかなかたです。
それは昔から、かわりません。
いまも香西咲さんほど清らかなかたはいません。
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■2016年07月07日 香西咲さんの特集記事(1)が週刊文春に掲載されました。
■2016年07月14日 香西咲さんの特集記事(2)が週刊文春に掲載されました。
■2016年07月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました。
■2016年07月20日 香西咲さんのインタビュー記事が、しらべぇに掲載されました。
■2016年07月27日 香西咲さんのインタビュー動画が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
■2016年07月29日 香西咲さんのインタビュー記事と動画が、毎日新聞のWebサイトに掲載されました。
(引用。A氏による衝撃の回答)
問「出演強要が社会問題化している。事務所の運営や女優との契約について見直しは?」
A氏「当然やっていく。今、弁護士と話して、きちんとしていこうとしている。」
(※A氏は、これまできちんとしていなかったことを認めました。)
■2016年08月27日 香西咲さんのインタビュー記事が、弁護士ドットコム(前編)・(後編)に掲載されました。
■2016年09月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」【1】【2】【3】)に出演されました。
■2016年09月24日 香西咲さんのインタビュー記事(1)が、withnewsに掲載されました。
■2016年10月01日 香西咲さんのインタビュー記事(2)が、withnewsに掲載されました。
■2016年10月17日 香西咲さんのインタビュー記事(日本語訳)が、AFP通信のサイトに掲載されました。
■香西咲さんのツイッター
(香西咲さんの重要ツイート ~2016年7月18日)
私だって綺麗にリセット出来るならAVデビュー前の私に戻りたい。
だけど変えられない現状踏まえて立て直したのが今の形。(後略。)
(明日のブログへつづく)
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