香西咲さんには微塵の非もない。香西咲さんは犯罪の被害者である。悪いのはすべて悪徳プロダクション(カルト集団)である

イソップ物語のなかに、「アリとキリギリス」という掌編(きわめて短い作品)があります。
つぎのような内容です。
秋がおわり、冬がきました。
アリは、寸暇を惜しんで、エサを干す作業をおこなっています。
そこへキリギリスがやってきました。
夏の間、歌ってばかりいたので、食糧を確保していなかったのです。
キリギリスがいいました。
「何か食べ物をわけてくれませんか」
夏の暑い日に、アリたちは、冬に備えてパンのかけらを運んでいました。
そのときに、キリギリスから、
「こんな暑い日に働くなんてバカなやつらだ」
と嘲笑されました。
このことが頭にあるアリは、キリギリスの頼みを断りました。
相手が落胆します。
憐憫なものを感じたアリは、パンのかけらを差し出します。
「これをあげるよ」
受け取ったキリギリスは、何度もお礼をいいました。
こころのなかで、これからはアリのようにまじめに働こうと決意しました。

箴言的(教訓的)な譚(はなし)です。
地道にはたらくことの大切さを示唆する佳作といえます。
岩波文庫の「イソップ寓話集」を読んだかたなら、おわかりのことでしょう。
いまご紹介したものは、結末の部分が、オリジナルと異なります。
「アリとキリギリス」はイソップの著作を改変したものです。
原作をみてみます。

(山本光雄訳「イソップ寓話集」岩波文庫刊より、引用。改行を施しています。)

<336話 「蝉(セミ)と蟻(アリ)たち」>

冬の季節に蟻(アリ)たちが濡れた食糧を乾かしていました。
蝉(セミ)が飢えて彼らに食物を求めました。
蟻(アリ)たちは彼に
「なぜ夏にあなたも食糧を集めなかったのですか」
と言いました。
と、彼は
「暇が無かったんだよ。調子よく歌っていたんだよ」
と言いました。
すると彼らはあざ笑って
「いや、夏の季節に笛を吹いていたのなら、冬には踊りなさい」
と言いました。
この物語は、苦痛や危険に遭わぬためには、人はあらゆることにおいて不用心であってはならない、ということを明らかにしています。

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セミが食べ物の提供を乞いました。
アリたちは一蹴します。
「夏の季節に笛を吹いていたのなら、冬には踊りなさい」
と。
「今度は踊ったらいかが」
辛辣な返答です。
寛容なものはありません
これが原作です。
キリギリスの部分は、セミになっています。
一般に膾炙(かいしゃ)されている(広く知られている)ものは、
「アリとキリギリス」
かもしれません。
岩波文庫の「イソップ寓話集」では、
「蝉(セミ)と蟻(アリ)たち」
となっています。
いつから、「セミ」が「キリギリス」へとかわってしまったのでしょうか。
「ファーブル昆虫記」(平岡昇訳。白水社刊)を読みますと、そのあたりの事情がわかります。

「蝉(セミ)と蟻(アリ)たち」は、イソップ(B.C.619年~B.C.564年ごろ)の創作ではありません。
もともとはインドで語られていた寓話です。
登場者が若干異なります。
アリのもとへエサの無心にやってきたのは、セミでも、キリギリスでも、ありません。
黄金虫(コガネムシ)です。
あるときイソップは、この譚(はなし)を知ります。
イソップは当時、ギリシャで創作活動をおこなっていました。
ギリシャには黄金虫(コガネムシ)がいません。
そこで、黄金虫(コガネムシ)をセミにかえたのです。
それが、
「蝉(セミ)と蟻(アリ)たち」
です。
やがてこれが北欧に広まります。
北欧でも、同様のことが起こりました。
当地は寒冷な地域です。
セミはいません。
そこで、セミがキリギリスへとかわったのです。
日本にもこの物語がやってきます。
豊臣秀吉の時代(1600年前後)でした。
当初、愚者の役回りは、セミでした。
日本には、セミもキリギリスも存在します。
このため、両者が混同して用いられるようになります。
読者によっては、セミであったり、キリギリスであったりしました。
重要なのは、中身です。
「夏の季節に笛を吹いていたのなら、冬には踊りなさい」
寓話を翻訳したひとは、この箇所をつぎのように改めました。
アリは、
「怠けていたのではいけない」
と諫(いさ)めたうえで、キリギリスに少しの食べ物を与えてやった、と、
欧米人は、この日本独自の結末を知ると、冷ややかな感想をもらすそうです。
「ばかばかしい」
と。
「いったいなんのためにこのような寓話をつくる必要があるのだ」
と。
自己の責任に拘泥する欧米人にとっては、受け入れることができない内容のようです。
なぜ日本の翻訳者は、追い返すのやめて、恵む、というふうになおしたしたのでしょうか。
理由は簡単です。
日本では、このような自己責任の論理が許容されない、と判断したからです。
昨今、自己責任論を声高に叫ぶひとたちがいます。
愚かしいかぎりです。
このひとたちは、欧米人の考え方を盲信しているにすぎません。
論理的なものはありません。
欧米でおこなわれていることだから正しい。
ただそれだけです。
「アリとキリギリス」を否定するひとたちには、つぎのようなことは思い浮かばないでしょうか。

ある男に魚を与えれば、その男は1 回だけ食うことができる。
その男に魚の取り方を教えれば、残りの一生の間、魚を食うことができる。

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これは、「管子」という中国の思想書のなかにある一節です。
「管子」は、周の末期(戦国時代)から漢の時代にかけて書かれたといわれています。

キリギリスに食糧をあたえても、また来年、同じあやまちを繰り返すかもしれません。
「その男に魚の取り方を教えれば、残りの一生の間、魚を食うことができる」
自己責任を肯定するひとたちにいいたいです。
ただ突き放すのではなく、こういった建設的な提案をすべきです。
もっとも、考える能力があれば、のはなしですが。

出演強要に関しても、ごく一部ですが、自己責任を口にしているものがいます。
おそらくは底辺の人間たちなのでしょう。
おれたちは最低の生活をしているのにだれも助けてくれない。
ほかのやつらもおれたちと同じつらさを味わえ。
こうした屈折した心情が自己責任論として発露されるのでしょう。

以前にも引用をさせていただいたことがあります。
小川たまかさんというライターがつぎのようなことをおっしゃっています。

「AV出演強要、IPPAは『AV業界は重く受け止めるべき』とコメント シンポジウムに松本アナも出席」より、引用。改行を施しています。)

(AV出演強要の)被害に遭ったことがない人は、実際の現場で何が行われているのかを知らないままに、
だまされるほうも悪いのでは?
と推測してしまう。

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AV出演強要に限らず、性犯罪被害者は強い自責感に襲われることが多い。
「自分にも落ち度があった」と思うから警察に通報できず、誰にも相談できない人がいる。
そして結果的に、犯罪者を野放しにしてしまうことにつながる。
「被害者にも落ち度があったのでは」という風潮は、加害者の利にやすやすとつながってしまうのだ。
性犯罪についての報道があるたびにネット上では被害者の落ち度を問うコメントが書き込まれるが、
被害者の落ち度を問うことは、加害者の利につながる
という構造を、私たちはまず知っておくべきだろう。

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出演強要に関して、自己責任を口にするひとたちは、その時点で犯罪者と同根です。
支援者です。
あいつらもおれたちと同じように苦しい思いをしろ。
底辺のひとたちは、そのような観点から自己責任論を叫んでいるのでしょう。
御里が知れます(素姓や育ちがわかります)。
皆から卑下される(見下される)ことはやめにしたほうがよろしいのでは。

AVAN代表の川奈まり子様もこうおっしゃっています。

川奈まり子様のツイートより、引用。改行を施しています。)
<2016年5月8日>
どうしてそのような誤解をされるのでしょう。
慰安婦については強制はありましたし、実際に被害を訴えている方を自己責任だと突き放すのは冷酷にすぎます。
AV女優の出演強要被害にしても同様です。
被害者は存在しますし、救済が必要です。

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ほかの方々のご意見もいくつかご紹介します。

タカムラ@Σ(-᷅_-᷄๑)さんのツイートより、引用。改行を施しています。)
<2016年6月13日>
AV会社を訴えた女優が300本以上出たからこいつは普通にやりたいからやっただけとか言う人多いけど
3年間売春を強要されてこれくらいの数こなしている人間はやりたくてやっている仕事なのだろうか
半ば諦めて行っていたらそれは自己の意思なのだろうか
あまりにも自己責任だろての多い

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上記は、悪徳プロダクションの社長が逮捕された件に関してのご発言のようです。

カイダオさんのツイートより、引用。改行を施しています。)
<2016年6月14日>
自分が貧乏に追い込まれていった経緯やメカニズムをよく知っている貧乏人が、なぜかAV出演は自己責任と言ってしまう。
資本家になったつもりの貧乏人が日本には多すぎる。

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Nob@V7Racerさんのツイートより、引用。改行を施しています。)
<2016年6月24日>
AV出演強要の話、契約書確認しないで云々言って自己責任!で終わる人ほど騙されやすいんだろうな。
想像力が乏しいから、全力で騙しにきてる手口も当然想像できないもんね。

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YKKリベラルさんのツイートより、引用。改行を施しています。)
<2016年6月21日>
AV業界が典型だが、
例え「自己決定権」を行使して「契約」を結んだとしても、
ブラックな働き方(奴隷的扱い、拷問などの苦役等)は基本的人権の侵害であり、
被雇用者の「自己責任」に転嫁せず、
ブラックな雇用者を法的に規制する必要がありますね。

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ほんの一例です。
このあとも、自己責任論を否定するツイートが続出します。
日本もまだ捨てたものではありません。
ネットの世界でもこのような状況です。
一般の社会では、ほとんどのひとが、自己責任など認めないでしょう。
当然のことです。
これが日本の伝統です。

一昨日あたりから、香西咲さんに関する特集記事を読み直しています。
気がついたことがあります。
香西咲さんや佐藤さん(仮名)と、ほかの被害者のかたたちは同列に論じられないと。
ほかのかたたちは、契約の時点で巧妙にだまされています。
「成人向けのDVDに出演する」といった文言に気づかなかったりなど。
もちろん、被害者のかたたちには責任がありません。
だましたやつらが悪いのです。
香西咲さんと佐藤さん(仮名)の場合は違います。
お二人とも、イメージDVDに出演する契約をかわしています。
AVとは無縁の内容です。
それなのに青木亨たちは、その契約書を唾棄して、出演を強制したのです。
このとき、犯罪が起きたのです。
香西咲さんや佐藤さん(仮名)に落ち度はまったくありません。
微塵も責任がありません。
お二人は完全に、犯罪の被害者です。
香西咲さんはインタビューのなかで、自分も無知であったというようなことをのべられています。
これはちがいます。
香西咲さんにはいっさいの瑕疵(かし)がありません。
反省する必要などありません。
自分にも非がある、と思われているのでしたら、この考えは一掃していただきたいです。
香西咲さんや佐藤さん(仮名)は、犯罪の被害者です。
悪いのはすべて、青木たちのカルト集団です。
香西咲さんが下を向く必要はありません。
堂々と前を向いて歩んでいただきたいです。
香西咲さんに非はありません。
香西咲さんは、レースクイーンをされておられたころの香西咲さんです。
いまもそれは変わりません。
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2016年07月07日 香西咲さんの特集記事(1)が週刊文春に掲載されました。
2016年07月14日 香西咲さんの特集記事(2)が週刊文春に掲載されました。
2016年07月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました。
2016年07月20日 香西咲さんのインタビュー記事が、しらべぇに掲載されました。
2016年07月27日 香西咲さんのインタビュー動画が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
2016年07月29日 香西咲さんのインタビュー記事と動画が、毎日新聞のWebサイトに掲載されました。
(引用。A氏による衝撃の回答)
問「出演強要が社会問題化している。事務所の運営や女優との契約について見直しは?」
A氏「当然やっていく。今、弁護士と話して、きちんとしていこうとしている

 (A氏は、これまできちんとしていなかったことを認めました。)
2016年08月27日 香西咲さんのインタビュー記事が、弁護士ドットコム(前編)(後編)に掲載されました。
2016年09月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」【1】【2】【3】)に出演されました。
2016年09月24日 香西咲さんのインタビュー記事(1)が、withnewsに掲載されました。
2016年10月01日 香西咲さんのインタビュー記事(2)が、withnewsに掲載されました。
2016年10月17日 香西咲さんのインタビュー記事(日本語訳)が、AFP通信のサイトに掲載されました。
香西咲さんのツイッター
(香西咲さんの重要ツイート ~2016年7月18日)
 私だって綺麗にリセット出来るならAVデビュー前の私に戻りたい。
 だけど変えられない現状踏まえて立て直したのが今の形。(後略。)

(明日のブログへつづく)



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