香西咲さん「あの時の日々はまさにアウシュビッツ強制収容所」。ゼルマ「最も重いことは、人が煙のように無に帰してしまうと考えること」

10月11日のブログで、ナチスがおこなったユダヤ人の迫害についてふれました。
書いている途中で、ゼルマ・メーアバウム=アイジンガーのことを思い出しました。
ユダヤ人の少女です。
詩を書くことが好きでした。
作品はどれもリリカル(抒情的)です。
本日は、ゼルマについてご紹介をします。
参考文献は、ゼルマ・メーアバウム=アイジンガー著 秋山宏訳「ゼルマの詩集」岩波書店刊です。

ゼルマは1924年8月15日に、ルーマニアのチェルノビッツで生まれました。
家は困窮をきわめていました。
アメリカに住んでいる親戚の援助によって、何とかしのいでいました。
赤貧洗うが如くの生活です。
こうした境遇にもかかわらず、ゼルマは毎日を陽気にすごしました。
活発な性格で、ダンスを好みました。
15歳になる直前です。
ゼルマは、詩作をはじめます。
1939年9月1日、第2次世界大戦が勃発しました。
ゼルマは15歳になっていました。
ルーマニアの領土は、ヒトラーのドイツと、ソ連の両方から狙われました。
1940年6月20日、チェルノビッツに、ソ連軍が侵攻してきます。
6日後のことでした。
ルーマニア国王のカロル2世は、チェルノビッツをソ連に譲り渡します。
ゼルマは憂いました。

(1941年6月30日。16歳10か月)
<一部を引用>
(前略。)
明るい時は戻ってくるかしら
わたしにはわからない
おそらく風は知っているでしょう
風は幸せを知っている
幸せがこわれていなければ
風はすぐにわたしたちにそれを伝えてくれる
(後略。)

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領土の割譲から11日が経ちました。
今度は、ドイツ軍が攻め入ってきます。
駐留しているソ連軍との戦闘がはじまります。
この日、ゼルマは、つぎの詩を書きました。

ポエム(1941年7月7日。16歳10か月)
<一部を引用>
(前略。)
わたしは生きたい。
ごらん。生はこんなに鮮やかに輝いている。
生には美しい舞踏会がたくさん、たくさんある。
(略。)
あの道をごらん。あの、のぼっていく勾配を。
とても広く、明るく、まるでわたしを待ちうけているよう。
(略。)
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わたしは生きたい。
私は笑い、重荷をふりはらいたい、
そして闘い、愛し、憎みたい、
そして両手で空をつかみたい、
そして自由になって、呼吸し、叫びたい。
わたしは死にたくない。いや!
いやだ。
(後略。)

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ドイツ軍は、ロシア軍を放逐(ほうちく)しました。
チェルノビッツは、ドイツに占領されます。
ユダヤ人に対する迫害がはじまりました。
町の一画に、ユダヤ人を隔離して居住させるための区域が設けられます。
「ゲットー」といいます。
数千人が生活できる広さでした。
そこに、10倍の4万5千人が押しこめられます。
境界は大人の背丈ほどの高さがある板と鉄条網でおおわれました。
ゼルマは、ゲットーのなかでも詩を書きつづけました。

赤いカーネーション(創作年月日は不明)
<一部を引用>
わたしは自分の幸せを弄(もてあそ)んでしまった。
幸せはこなごなにくだけてしまった。
許して。

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しあわせ(1941年8月18日。17歳)

(前略。)
木の葉たちをごらん
風にきらめき
私を夢のなかに誘おうとしている
これからどうなるのかしら
どこかで子どもが笑い
どこかで愚か者が待ちうけている
わたしはあこがれている
おそらく しあわせに
しあわせに
(後略。)

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12月、ユダヤ人に対するふるまいが緩和されます。
自宅へもどることがゆるされます。
ゼルマ一家も、5か月ぶりに家路につきました。

歌は疲れて(1941年12月23日。17歳4か月)

眠りたい、とても疲れた。
わたしの幸せもくたくたに疲れ、傷つき。
わたしはまったく一人ぼっち。いちばん好きな歌すら
去ってしまい、もう戻ってこようとしない。
いったん眠れば、いつも夢。
夢はほんとうに美しい。
夢はどんなつらい出来事にも
微笑みの息吹きを投げてくれる。
(後略。)

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悲劇(1941年12月23日。17歳4か月)

最も重いことは、自分を投げあたえること、
そして人間とは余計な存在であると知ること、
自分をすっかりあたえること、そして人が煙のように
無に帰してしまうと考えることである。

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半年後の1942年6月のことです。
突如、ユダヤ人に対する強制連行がはじまります。
就寝しているときに役人がやってきて、荷物をまとめるよう指示されます。
急襲はなぜか、土曜日の夜から日曜日にかけておこなわれました。
これを知ったゼルマ一家は、2回、夜討ちから逃れることに成功します。
3度目はだめでした。
捕まってしまいます。
一家は、南ブーク川のほとりに連行されました。
ここで他のユダヤ人たちと一緒に、約3か月間をすごします。
食事としてあたえられたのは、薄いスープだけでした。
他は何もありません。
死人がでるとドイツ軍は、川の近くの沼や池に死体を投げこみました。
その後、ゼルマたちは、ミハイロウスカ強制収容所へ遷(うつ)されます。
3か月後の12月、ゼルマは、別の棟に収容されている友人へ手紙をわたしました。

ここは暑くて、目を閉じるのも億劫だ。鉛筆をしっかりとささえることもできない

季節は冬です。
収容所には暖房がありません。
ゼルマはこのとき、発疹チフスに罹っていました。
高熱のためにからだが火照って、熱を帯びていたのです。
たよりには詩が添えられていました。

郷愁(1942年12月。18歳4か月)

今夜
眠らなかった
そして泣いた

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わずか3行です。
このあとに、ふたたび文面がつづきます。

あなたがわたしの最愛のひとに会っても、私がどんなにつらい思いをしているのか、彼にいわないで。
どういうことか知っている。
郷愁、って。
郷愁、郷愁、郷愁のあまり、心は消え入りそう。
私は発狂してしまいそうだ。
私の将来の日々はすべて、固い塊のように永遠に私の胸の上に重くのしかかろうとしているようだ。
みんなはもう耐えられないとくりかえし言いながらも耐えている。
私はもうだめ、もうくずれ落ちてしまう。
口づけを。ハザーク(強かれかし)  ゼルマ

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アニソアラという婦人は、ゼルマの最期をみとどけました。
のちにこうかたっています。
声域はしだいに狭く、声はかぼそくなっていった。それから静かになった
と。
1942年12月16日、ゼルマは亡くなります。
18歳4か月の人生でした。
両親もやがて、収容所で落命します。

あなたがわたしの最愛のひとに会っても、私がどんなにつらい思いをしているのか、彼にいわないで

ゼルマが思慕の念をいだいていた男性は、別の収容所に留め置かれていました。
名前をレイセル=フィヒマンといいます。
フィヒマンは、1944年の3月に、収容所を脱走します。
その後、ゼルマの友人から、ゼルマの詩が収められたアルバムを受けとります。
ゼルマは収容所にはいる前に、この友人に詩集をあずけていました。
フィヒマンは、ユダヤ人の祖国であるイスラエルへわたることを決意します。
ゼルマのアルバムはふたたび、その女性にゆだねました。
自分が捕まればゼルマの詩集は消滅してしまう。
私はそれをおそれている、といって。
1944年8月、フィヒマンは、船でイスラエルをめざしました。
途中、ソ連軍の襲撃にあい、船は沈没します。
フィヒマンは帰らぬ人となりました。
21歳でした。

香西咲さんのツイッター(2016年7月15日)より、引用。

アットハニーズ青木亮に飼い殺しにされてた頃に出逢った本。
#夜と霧
自分と重なる部分が多い
あの時の日々はまさにアウシュビッツ強制収容所。
『歴史は繰り返される』
巷でも耳にするフレーズと地獄の日々により歴史を再び学び始めました

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(週刊文春より、引用。)
<2016年7月14日>
ストレスから円形脱毛症になり全身がけだるく、胃腸は毎日、抉られるように痛みました。自分で救急車を呼んだこともあった。屈辱がフラッシュバックし、絶望的に命を絶ちたくなるときも・・・・・・
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絶望的に命を絶ちたくなるときも
このとき、香西咲さんのなかには、これに抗(あらが)うものがあったと思惟(しい)します。

(再掲。「悲劇」)

最も重いことは、自分を投げあたえること、
そして人間とは余計な存在であると知ること、
自分をすっかりあたえること、そして人が煙のように
無に帰してしまうと考えることである。

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ゼルマ・メーアバウム=アイジンガーのように、生命への畏敬があったとぼくは考えます。
香西咲さんは強いかたです。
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2016年07月07日 香西咲さんの特集記事(1)が週刊文春に掲載されました。
2016年07月14日 香西咲さんの特集記事(2)が週刊文春に掲載されました。
2016年07月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました。
2016年07月20日 香西咲さんのインタビュー記事が、しらべぇに掲載されました。
2016年07月27日 香西咲さんのインタビュー動画が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
2016年07月29日 香西咲さんのインタビュー記事と動画が、毎日新聞のWebサイトに掲載されました。
(引用。A氏による衝撃の回答)
 --出演強要が社会問題化している。事務所の運営や女優との契約について見直しは
 A氏 当然やっていく。今、弁護士と話して、きちんとしていこうとしている

 (A氏は、これまできちんとしていなかったことを認めました。)
2016年08月27日 香西咲さんのインタビュー記事が、弁護士ドットコム(前編)(後編)に掲載されました。
2016年09月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました
2016年09月24日 香西咲さんのインタビュー記事(1)が、withnewsに掲載されました。
2016年10月01日 香西咲さんのインタビュー記事(2)が、withnewsに掲載されました。
2016年10月17日 香西咲さんのインタビュー記事(日本語訳)が、AFP通信のサイトに掲載されました。
香西咲さんのツイッター
(香西咲さんの重要ツイート ~2016年7月18日)
 私だって綺麗にリセット出来るならAVデビュー前の私に戻りたい。
 だけど変えられない現状踏まえて立て直したのが今の形。(後略。)

(明日のブログへつづく)



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