香西咲さんの告発以降、多くの女性が出演強要の被害から救われたと考えます。横浜米軍機墜落事故(その5)

母子像

昨日のつづきです。
土志田勇さんの願いがかない、公園に、娘の和枝さんと、孫の裕一郎くん、康弘ちゃんの像を建てることができました。
制作費は、賠償金と、多くのかたからの寄付によってまかなわれました。
昨日も記しました。
横浜市は、像の由来を明示する碑文をかかげることを認めませんでした。
根拠となったのが、「都市公園法」です。
市の担当者は何度もくりかえしました。
法律上、公園内に個人を特定する彫像は置けない。
碑文にいわれを記すと、個人名が判明してしまう、と。
和枝さん、裕一郎くん、康弘ちゃんは、国の事故で死んだのです。
納得がいかない勇さんは、何度も、市側と交渉します。
そのたびに返ってくるのは、
「『和枝』、『米軍機墜落』の文字をいれることはできない」
でした。
勇さんは砂をかむ思いで、このせりふと対峙しました。
粘り強い折衝の結果、市が折衷案を提示してきます。
台座に、
「愛の母子像 あふれる愛を子らに」
という文字を刻んではどうかと。
勇さんは肯(うなず)きました。
母子像は1985年に、「海の見える丘公園」に設置されました。
墜落事故のことをいつまでも忘れないでほしい。
この願いは届きませんでした。
公園にやってきたひとたちは皆、漠然とした思いでこの像をながめました。
なぜこのようなものがここに置かれているのだろうかと。
21年後の、2006年のことでした。
横浜市は、碑文の掲示を認めます。

(碑文より、引用。)
愛の母子像

 昭和52(1977)年9月27日、横浜市緑区
荏田町(現青葉区荏田北)に米軍機が
墜落し、市民3人(母と幼い子二人)が
亡くなりました。
 生前に海が見たいと願っていたこと
から、この公園に愛の母子像の寄付を
受け設置したものです。

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わずか7行の説明文です。
像の横に配されました。

(※以下の写真は、明明堂の寄り道より、引用。)

残念ながら、「和枝」の文字はありません。
2年後の2008年、勇さんは亡くなります。

バラ「カズエ」

<1978年>(和枝さん27歳)
3月29日
・新聞の夕刊で、和枝さんが、「皮膚をわけてください」と訴える。
 1500人のかたが提供を申し出る。
4月25日
・25名の皮膚を移植する。
5月9日
・42名の皮膚を移植する。
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皮膚を提供してくれたかたたちにお礼をしたい。
こう考えた勇さんは、専門家に依頼して新種のバラをつくってもらいました。

(※以下の写真は、のむぎ地域教育文化センターのサイトより、引用。)

完成したバラは、うすいピンク色をしています。
勇さんは、「カズエ」と名づけました。
このバラは皮膚を提供してくれたかたがたにわたされました。
和枝さんも生前、バラを愛していました。
「のむぎ地域教育文化センター」というNPO法人があります。
理事長の樋口優子さんは現在、この苗木を仕入れて全国に普及させる活動をおこなっています。
「『カズエ』が平和の使者になってほしい」
「枯らすわけにはいかない」
こう語っています。

裁判

<1980年>(和枝さん29歳)
4月
・アキレス腱の手術で、一時入院する。
7月14日
・神奈川県警が米軍パイロットと整備士を横浜地検に書類送検する。
11月26日
・横浜地検が、米兵の不起訴処分を発表する。
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米軍機の墜落によって被害を受けたひとりに、椎葉寅生さんがいます。
事故によって、妻の悦子さんがやけどを負いました。
家も全焼しました。
その日のうちに防衛施設局の職員がやってきました。
終始、ほくそ笑んでいる(ニヤニヤしている)その男は早速に、補償のはなしをもちだしてきます。
すべてをカネで解決をしようという魂胆です。
憤った寅生さんは、米軍のパイロットと整備士を横浜地検に刑事告訴しました。
1980年11月26日、横浜地検は、起訴を断念します。
過日のブログでも書きました。
不起訴となることは当初から予想されていました。
「日米地位協定」が存在しているからです。
規程の17条3項には、こう書かれています。
(※リライトしています。)

「米軍の構成員が公務執行中に犯したについては、米軍当局が第一次の裁判権を有する」

つまり、日本には、裁判権がありません。
横浜地検が日米地位協定について論及することはありませんでした。
不起訴の理由を
「起訴できるだけの証拠がない」
と、発表しました。
証拠となるジェット機のエンジンは、事故後、米軍によってすみやかに回収されました。
そのあと、アメリカ本土に送られています。
「証拠がない」
のではなく、
「集めることができなかった」
というのが事実です。
周囲が落胆するなか、椎葉寅生さんは、今度は民事訴訟で争うと宣言しました。
賠償金が目的ではありません。
法廷で、事故の原因と責任を明らかにするのが狙いです。
裁判がはじまりました。
最大の争点は、公務中に事故を起こした米兵を被告とすることができるかどうかです。

(再掲。日米地位協定 17条3項)
米軍の構成員が公務執行中に犯したについては、米軍当局が第一次の裁判権を有する

7年後の1987年、横浜地裁が判決をくだしました。
裁判長はまず、
「原告らから、損害賠償義務者、として主張されているかぎり、被告適格を有するというべき」
とのべ、
「日米地位協定は本件事故のような場合、加害者である米軍人の民事司法権からの完全免除までは規定していない」
としました。
画期的な判決でした。
民事裁判では、公務中に事故を起こした米兵を被告とすることができる、とはじめて判断したのです。
判決はさらに、国の賠償責任も認めました。
事故後の国の対応について
「事務的で、後手に回ることが多いという印象を受ける」
と指弾しました。
国に支払いを命じた賠償金の額は、約4,580万円です
これは椎葉さんに提示していた補償金の約4倍にあたります。
不満も残りました。
事故の原因については、
「エンジン部品の装着不良」
とするだけで、具体的な言及はありませんでした。
椎葉寅生さんが主張した「パイロットの不注意」といった指摘も、原因のなかには盛り込まれませんでした。

米軍によるその後の安全対策

墜落事故の翌年(1978年)、米軍は、離陸後の飛行高度をみなおします。
これまでは約600メートルであったものを約1800メートルから2400メートルに引き上げます。
あわせて、住宅密集地の通過を最小限に抑えるためのルートも新設しました。
現在でも時折、米軍機の墜落事故が発生します。
和枝さん、裕一郎くん、康弘ちゃんが犠牲となって以来、住民が死傷する事故はこれまで一度も起きていません。

話題はかわります。
本日ふたたび、withnewsに、香西咲さんの特集記事が掲載されました。

 2016年09月30日 withnews「AV強要 現役女優・香西咲『文春砲』で脅迫も 『海に沈められる…』」

香西咲さんによる週刊文春での証言によって、それ以降、多くの女性が出演強要の被害から救われたと考えます。
おそらく、それほど遠くないうちに、悪徳プロダクションがおこなっている出演強要という犯罪はなくなるのではないでしょうか。
香西咲さんが現在おこなっていることは、高邁(けだかくすぐれている)で、崇高(普通の程度をはるかに超えて偉大)です。
香西咲さんをこころから尊敬しています。
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2016年7月07日 香西咲さんの特集記事(1)が週刊文春に掲載されました。
2016年7月14日 香西咲さんの特集記事(2)が週刊文春に掲載されました。
2016年7月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました。
2016年7月20日 香西咲さんのインタビュー記事が、しらべぇに掲載されました。
2016年7月27日 香西咲さんのインタビュー動画が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
2016年7月29日 香西咲さんのインタビュー記事と動画が、毎日新聞のWebサイトに掲載されました。
(引用。A氏による衝撃の回答)
 --出演強要が社会問題化している。事務所の運営や女優との契約について見直しは
 A氏 当然やっていく。今、弁護士と話して、きちんとしていこうとしている

 (A氏は、これまできちんとしていなかったことを認めました。)
2016年8月27日 香西咲さんのインタビュー記事が、弁護士ドットコム(前編)(後編)に掲載されました。
2016年9月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました
2016年9月24日 香西咲さんのインタビュー記事が、withnewsに掲載されました。
香西咲さんのツイッター
(香西咲さんの重要ツイート ~2016年7月18日)
 私だって綺麗にリセット出来るならAVデビュー前の私に戻りたい。
 だけど変えられない現状踏まえて立て直したのが今の形。(後略。)

(明日のブログへつづく)



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