香西咲さんもときには、ご自身の思いの丈を吐露してください。横浜米軍機墜落事故(その4)

これまで、横浜米軍機墜落事件(1977年)に関する出来事をみてきました。
本日が4回目です。
執筆にさいして、以下の文献を参考にさせていただきました。

・早乙女勝元著「パパママバイバイ」(日本図書センター刊)
・平和の母子像実行委員会著「鳩よよみがえれ」(水曜社刊)
・土志田勇著「米軍ジェット機事故で失った娘と孫よ」(七つ森書館刊)
・土志田和枝著「あふれる愛に」(新声社刊)

和枝さんは、米軍機の墜落によって、多くのものを失いました。
簡単にふりかえってみます。

<1977年>(和枝さん26歳)
9月27日
・13時20分ころ 米軍機が、林さん宅のそばに墜落する。
9月28日
・0時50分 長男の裕一郎くん(3歳)が病院で死去する。
・4時30分 次男の康弘くん(1歳)が病院で死去する。
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<1978年>(和枝さん27歳)
3月29日
・新聞の夕刊で、和枝さんが、「皮膚をわけてください」と訴える。
 1500人のかたが提供を願い出る。
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<1979年>(和枝さん28歳)
1月29日
・夫からはじめて、裕一郎くんと康弘くんが亡くなっていることを聞かされる。
6月19日
・退院する。(1年9か月間の入院生活がおわる。)
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<1980年>(和枝さん29歳)
4月
・アキレス腱の手術で、一時入院する。
11月26日
・横浜地検が、米兵の不起訴処分を発表する。
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<1981年>(和枝さん30歳)
9月9日
・カニューレを抜くため、入院する。
11月9日
・退院する。
11月20日
夫と離婚する。(林から、土志田の姓にもどる。)
11月28日
・肺炎を起こして、入院する。
12月9日
・呼吸困難におちいったので、カニューレをいれる。
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<1981年>(和枝さん31歳)
1月22日
・カニューレを抜く。
1月24日
・呼吸困難におちいり、夜に、自発呼吸を停止する。
1月25日
・15時に、医師から、「もはや回復の見込みはありません」とつげられる。

1981年1月26日1時45分、土志田和枝さんは、心因性の呼吸困難で死去します。

(土志田勇著「米軍ジェット機事故で失った娘と孫よ」七つ森書館刊より、引用。改行を施しています。)

1982年1月26日4時すぎ。
吐く息がまっ白になる寒い日でした。
暗い闇のなか、私は、遺体運搬車の助手席に乗り込みました。
自宅に向かいます。
後部座席には物言わぬ娘和枝が横たわっています。
和枝の顔は白い布でおおわれています。
なぜ、和枝は死ななければならなかったのだろう。
(中略。)
なぜ、どうして、このことばを何千回、いや、何万回、発しても、私には自分自身を納得させる答えをみつけることはできません。
(後略。)

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葬儀の日です。
和枝さんの父の勇さんは、参列した政府の関係者にこういいました。

(平和の母子像実行委員会著「鳩よよみがえれ」水曜社刊より、引用。改行を施しています。)

いまだから言わせてもらう。
あなたがたが誠意をつくさなかったから和枝は毎日苦しみつづけて死んだ。
また同じ事故が起こるかもしれない。
誠意をつくして欲しい・・・・・

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政府の代表としてやってきた吉野実防衛施設庁長官は、形式的に頭をさげるだけでした。
防衛施設庁は、防衛省の下部組織です。
墜落事故をおこしたアメリカ軍の厚木基地は、横浜防衛施設庁の管轄下にあります。
日本政府はこれまで、米軍と同様に、自分たちの責任をあいまいにしてきました。
防衛施設庁の上部機関が、防衛庁です。
入院中、和枝さんは、防衛庁の長官に手紙を書きました。
病室に来てほしいと。
長官が見舞いに訪れることはありませんでした。

(再掲)
あなたがたが誠意をつくさなかったから和枝は毎日苦しみつづけて死んだ

父親の勇さんは、防衛施設庁に対して、電話で、つぎのようなお願いをしたことがあります。
自衛隊病院に転院させてくれませんか、と。
返答は、こうでした。
「こちらには、こちらの仕事があります。そちらのことばかりやっているわけにはいきませんよ」
和枝さんは、精神的に追いつめられていきます。
当時の日記に、自身の心境を綴っています。

(土志田和枝著「あふれる愛に」新声社刊より、引用。)

本もないから熱中することもできない。
明日にでもいい。
本をよみたい。
自分で自分を苦しめてしまうのもこわいことだね。
今私はそんな状態にあるのでこわい。
お父さんそばでいろいろ話していてくれると安心する。
私の気持ちを全部理解してくれるので。
いなくなると不安になってしまう。
もっと強くならなくてはと思ってもすごく不安が強くなってしまってこわい。
少しノイローゼ気味みたいな感じでこわい。

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和枝さんの葬儀に参列したかたが、告別式の様子を詩であらわしました。
ご紹介させていただきます。

(平和の母子像実行委員会著「鳩よよみがえれ」水曜社刊より、引用。改行を施しています。)

広い庭をとおり和枝さんの棺(ひつぎ)が
車の方へ運ばれてくる
和枝さんのほほえむ写真も一緒に
その笑顔はみんなの胸を余計しめつける
和枝さんは実に美しかった
突如、式場から十数羽の鳩が舞い上がる
和枝さんの願いが鳩に託されていた
こんなこたぁ二度とあっちゃならん
鳩がとびさった方向に和枝さんも去ってゆく
黙礼するひとたちの間からむせび泣きが聞こえる
ファントム墜落から四年以上もたつのに
事故の原因、責任について、米軍は知らんぷり
これじゃ和枝さんもうかばれない・・・・・・

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父親の勇さんは、和枝さんに、もう一度子どもをだかせてやりたい、と考えました。
和枝さんは生前、日記にこう記していました。

(土志田和枝著「あふれる愛に」新声社刊より、引用。)

<1979年1月30日>
でも、もうどんなに叫んでも子どもたちは私のところへは戻ってこない。
いつか私の胸の中へ抱いてやりたいと思っていたのに、その夢も破られてしまった。
裕ちゃんと康ちゃん、もう二人とも手の届かない所へ行ってしまった。

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勇さんのだした答がこれです。

(※以下の写真は、フォートラベルのサイトより、引用。)

和枝さんは海が好きでした。
1985年、勇さんは、海が見晴らせるところにこの母子像を建てます。
場所は、横浜市の「港の見える丘公園」です。
土地は市が提供しました。
勇さんは当初、像に碑文をかかげようとしました。
米軍機墜落事故にまるわる像である、ということを明示したかったのです。
市はかたくなに拒否しました。
認めませんでした。
以降、一般のひとたちにとっては、これがなんのために置かれているのかがわからないという状況がつづきます。
なぜ市は、碑文の掲示を拒んだのでしょうか。
理由は、明日のブログでご説明します。

本日、土志田勇著「米軍ジェット機事故で失った娘と孫よ」(七つ森書館刊)を繰っていて、印象に残った箇所があります。
和枝さんの死後しばらくして、新声社の高橋さんという編集者が、勇さんをたずねてきました。
和枝さんの日記を出版したいというのです。
勇さんは承諾しました、
以降、毎日、高橋さんがやってきて、勇さんからはなしをうかがいます。

(土志田勇著「米軍ジェット機事故で失った娘と孫よ」七つ森書館刊より、引用。改行を施しています。)
心のなかの怒りを吐き出すように話したのかもしれません。
そして話すことで、自分の気持ちを少しずつ整理することができたのです。
高橋さんの存在は、私にとってカウンセラー的な役割だったといえます。

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香西咲さんを応援しているのでしたら、カウンセラー的な役割をすることも必要ではないでしょうか。
ときには、ツイッターで、自身の思いの丈(たけ)を打ち明けてもらう。
それをやさしくみまもる。
少なくても、発言を控えろ、ということにはならないと考えます。
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2016年7月07日 香西咲さんの特集記事(1)が週刊文春に掲載されました。
2016年7月14日 香西咲さんの特集記事(2)が週刊文春に掲載されました。
2016年7月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました。
2016年7月20日 香西咲さんのインタビュー記事が、しらべぇに掲載されました。
2016年7月27日 香西咲さんのインタビュー動画が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
2016年7月29日 香西咲さんのインタビュー記事と動画が、毎日新聞のWebサイトに掲載されました。
(引用。A氏による衝撃の回答)
 --出演強要が社会問題化している。事務所の運営や女優との契約について見直しは
 A氏 当然やっていく。今、弁護士と話して、きちんとしていこうとしている

 (A氏は、これまできちんとしていなかったことを認めました。)
2016年8月27日 香西咲さんのインタビュー記事が、弁護士ドットコム(前編)(後編)に掲載されました。
2016年9月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました
2016年9月24日 香西咲さんのインタビュー記事が、withnewsに掲載されました。
香西咲さんのツイッター
(香西咲さんの重要ツイート ~2016年7月18日)
 私だって綺麗にリセット出来るならAVデビュー前の私に戻りたい。
 だけど変えられない現状踏まえて立て直したのが今の形。(後略。)

(明日のブログへつづく)



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