月別アーカイブ: 2016年9月

香西咲さんの告発以降、多くの女性が出演強要の被害から救われたと考えます。横浜米軍機墜落事故(その5)

母子像

昨日のつづきです。
土志田勇さんの願いがかない、公園に、娘の和枝さんと、孫の裕一郎くん、康弘ちゃんの像を建てることができました。
制作費は、賠償金と、多くのかたからの寄付によってまかなわれました。
昨日も記しました。
横浜市は、像の由来を明示する碑文をかかげることを認めませんでした。
根拠となったのが、「都市公園法」です。
市の担当者は何度もくりかえしました。
法律上、公園内に個人を特定する彫像は置けない。
碑文にいわれを記すと、個人名が判明してしまう、と。
和枝さん、裕一郎くん、康弘ちゃんは、国の事故で死んだのです。
納得がいかない勇さんは、何度も、市側と交渉します。
そのたびに返ってくるのは、
「『和枝』、『米軍機墜落』の文字をいれることはできない」
でした。
勇さんは砂をかむ思いで、このせりふと対峙しました。
粘り強い折衝の結果、市が折衷案を提示してきます。
台座に、
「愛の母子像 あふれる愛を子らに」
という文字を刻んではどうかと。
勇さんは肯(うなず)きました。
母子像は1985年に、「海の見える丘公園」に設置されました。
墜落事故のことをいつまでも忘れないでほしい。
この願いは届きませんでした。
公園にやってきたひとたちは皆、漠然とした思いでこの像をながめました。
なぜこのようなものがここに置かれているのだろうかと。
21年後の、2006年のことでした。
横浜市は、碑文の掲示を認めます。

(碑文より、引用。)
愛の母子像

 昭和52(1977)年9月27日、横浜市緑区
荏田町(現青葉区荏田北)に米軍機が
墜落し、市民3人(母と幼い子二人)が
亡くなりました。
 生前に海が見たいと願っていたこと
から、この公園に愛の母子像の寄付を
受け設置したものです。

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わずか7行の説明文です。
像の横に配されました。

(※以下の写真は、明明堂の寄り道より、引用。)

残念ながら、「和枝」の文字はありません。
2年後の2008年、勇さんは亡くなります。

バラ「カズエ」

<1978年>(和枝さん27歳)
3月29日
・新聞の夕刊で、和枝さんが、「皮膚をわけてください」と訴える。
 1500人のかたが提供を申し出る。
4月25日
・25名の皮膚を移植する。
5月9日
・42名の皮膚を移植する。
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皮膚を提供してくれたかたたちにお礼をしたい。
こう考えた勇さんは、専門家に依頼して新種のバラをつくってもらいました。

(※以下の写真は、のむぎ地域教育文化センターのサイトより、引用。)

完成したバラは、うすいピンク色をしています。
勇さんは、「カズエ」と名づけました。
このバラは皮膚を提供してくれたかたがたにわたされました。
和枝さんも生前、バラを愛していました。
「のむぎ地域教育文化センター」というNPO法人があります。
理事長の樋口優子さんは現在、この苗木を仕入れて全国に普及させる活動をおこなっています。
「『カズエ』が平和の使者になってほしい」
「枯らすわけにはいかない」
こう語っています。

裁判

<1980年>(和枝さん29歳)
4月
・アキレス腱の手術で、一時入院する。
7月14日
・神奈川県警が米軍パイロットと整備士を横浜地検に書類送検する。
11月26日
・横浜地検が、米兵の不起訴処分を発表する。
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米軍機の墜落によって被害を受けたひとりに、椎葉寅生さんがいます。
事故によって、妻の悦子さんがやけどを負いました。
家も全焼しました。
その日のうちに防衛施設局の職員がやってきました。
終始、ほくそ笑んでいる(ニヤニヤしている)その男は早速に、補償のはなしをもちだしてきます。
すべてをカネで解決をしようという魂胆です。
憤った寅生さんは、米軍のパイロットと整備士を横浜地検に刑事告訴しました。
1980年11月26日、横浜地検は、起訴を断念します。
過日のブログでも書きました。
不起訴となることは当初から予想されていました。
「日米地位協定」が存在しているからです。
規程の17条3項には、こう書かれています。
(※リライトしています。)

「米軍の構成員が公務執行中に犯したについては、米軍当局が第一次の裁判権を有する」

つまり、日本には、裁判権がありません。
横浜地検が日米地位協定について論及することはありませんでした。
不起訴の理由を
「起訴できるだけの証拠がない」
と、発表しました。
証拠となるジェット機のエンジンは、事故後、米軍によってすみやかに回収されました。
そのあと、アメリカ本土に送られています。
「証拠がない」
のではなく、
「集めることができなかった」
というのが事実です。
周囲が落胆するなか、椎葉寅生さんは、今度は民事訴訟で争うと宣言しました。
賠償金が目的ではありません。
法廷で、事故の原因と責任を明らかにするのが狙いです。
裁判がはじまりました。
最大の争点は、公務中に事故を起こした米兵を被告とすることができるかどうかです。

(再掲。日米地位協定 17条3項)
米軍の構成員が公務執行中に犯したについては、米軍当局が第一次の裁判権を有する

7年後の1987年、横浜地裁が判決をくだしました。
裁判長はまず、
「原告らから、損害賠償義務者、として主張されているかぎり、被告適格を有するというべき」
とのべ、
「日米地位協定は本件事故のような場合、加害者である米軍人の民事司法権からの完全免除までは規定していない」
としました。
画期的な判決でした。
民事裁判では、公務中に事故を起こした米兵を被告とすることができる、とはじめて判断したのです。
判決はさらに、国の賠償責任も認めました。
事故後の国の対応について
「事務的で、後手に回ることが多いという印象を受ける」
と指弾しました。
国に支払いを命じた賠償金の額は、約4,580万円です
これは椎葉さんに提示していた補償金の約4倍にあたります。
不満も残りました。
事故の原因については、
「エンジン部品の装着不良」
とするだけで、具体的な言及はありませんでした。
椎葉寅生さんが主張した「パイロットの不注意」といった指摘も、原因のなかには盛り込まれませんでした。

米軍によるその後の安全対策

墜落事故の翌年(1978年)、米軍は、離陸後の飛行高度をみなおします。
これまでは約600メートルであったものを約1800メートルから2400メートルに引き上げます。
あわせて、住宅密集地の通過を最小限に抑えるためのルートも新設しました。
現在でも時折、米軍機の墜落事故が発生します。
和枝さん、裕一郎くん、康弘ちゃんが犠牲となって以来、住民が死傷する事故はこれまで一度も起きていません。

話題はかわります。
本日ふたたび、withnewsに、香西咲さんの特集記事が掲載されました。

 2016年09月30日 withnews「AV強要 現役女優・香西咲『文春砲』で脅迫も 『海に沈められる…』」

香西咲さんによる週刊文春での証言によって、それ以降、多くの女性が出演強要の被害から救われたと考えます。
おそらく、それほど遠くないうちに、悪徳プロダクションがおこなっている出演強要という犯罪はなくなるのではないでしょうか。
香西咲さんが現在おこなっていることは、高邁(けだかくすぐれている)で、崇高(普通の程度をはるかに超えて偉大)です。
香西咲さんをこころから尊敬しています。
——————————————————–
2016年7月07日 香西咲さんの特集記事(1)が週刊文春に掲載されました。
2016年7月14日 香西咲さんの特集記事(2)が週刊文春に掲載されました。
2016年7月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました。
2016年7月20日 香西咲さんのインタビュー記事が、しらべぇに掲載されました。
2016年7月27日 香西咲さんのインタビュー動画が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
2016年7月29日 香西咲さんのインタビュー記事と動画が、毎日新聞のWebサイトに掲載されました。
(引用。A氏による衝撃の回答)
 --出演強要が社会問題化している。事務所の運営や女優との契約について見直しは
 A氏 当然やっていく。今、弁護士と話して、きちんとしていこうとしている

 (A氏は、これまできちんとしていなかったことを認めました。)
2016年8月27日 香西咲さんのインタビュー記事が、弁護士ドットコム(前編)(後編)に掲載されました。
2016年9月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました
2016年9月24日 香西咲さんのインタビュー記事が、withnewsに掲載されました。
香西咲さんのツイッター
(香西咲さんの重要ツイート ~2016年7月18日)
 私だって綺麗にリセット出来るならAVデビュー前の私に戻りたい。
 だけど変えられない現状踏まえて立て直したのが今の形。(後略。)

(明日のブログへつづく)



香西咲さんを勝手に応援するサイトへ

香西咲さんもときには、ご自身の思いの丈を吐露してください。横浜米軍機墜落事故(その4)

これまで、横浜米軍機墜落事件(1977年)に関する出来事をみてきました。
本日が4回目です。
執筆にさいして、以下の文献を参考にさせていただきました。

・早乙女勝元著「パパママバイバイ」(日本図書センター刊)
・平和の母子像実行委員会著「鳩よよみがえれ」(水曜社刊)
・土志田勇著「米軍ジェット機事故で失った娘と孫よ」(七つ森書館刊)
・土志田和枝著「あふれる愛に」(新声社刊)

和枝さんは、米軍機の墜落によって、多くのものを失いました。
簡単にふりかえってみます。

<1977年>(和枝さん26歳)
9月27日
・13時20分ころ 米軍機が、林さん宅のそばに墜落する。
9月28日
・0時50分 長男の裕一郎くん(3歳)が病院で死去する。
・4時30分 次男の康弘くん(1歳)が病院で死去する。
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<1978年>(和枝さん27歳)
3月29日
・新聞の夕刊で、和枝さんが、「皮膚をわけてください」と訴える。
 1500人のかたが提供を願い出る。
——————————————————–
<1979年>(和枝さん28歳)
1月29日
・夫からはじめて、裕一郎くんと康弘くんが亡くなっていることを聞かされる。
6月19日
・退院する。(1年9か月間の入院生活がおわる。)
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<1980年>(和枝さん29歳)
4月
・アキレス腱の手術で、一時入院する。
11月26日
・横浜地検が、米兵の不起訴処分を発表する。
——————————————————–
<1981年>(和枝さん30歳)
9月9日
・カニューレを抜くため、入院する。
11月9日
・退院する。
11月20日
夫と離婚する。(林から、土志田の姓にもどる。)
11月28日
・肺炎を起こして、入院する。
12月9日
・呼吸困難におちいったので、カニューレをいれる。
——————————————————–
<1981年>(和枝さん31歳)
1月22日
・カニューレを抜く。
1月24日
・呼吸困難におちいり、夜に、自発呼吸を停止する。
1月25日
・15時に、医師から、「もはや回復の見込みはありません」とつげられる。

1981年1月26日1時45分、土志田和枝さんは、心因性の呼吸困難で死去します。

(土志田勇著「米軍ジェット機事故で失った娘と孫よ」七つ森書館刊より、引用。改行を施しています。)

1982年1月26日4時すぎ。
吐く息がまっ白になる寒い日でした。
暗い闇のなか、私は、遺体運搬車の助手席に乗り込みました。
自宅に向かいます。
後部座席には物言わぬ娘和枝が横たわっています。
和枝の顔は白い布でおおわれています。
なぜ、和枝は死ななければならなかったのだろう。
(中略。)
なぜ、どうして、このことばを何千回、いや、何万回、発しても、私には自分自身を納得させる答えをみつけることはできません。
(後略。)

——————————————————–

葬儀の日です。
和枝さんの父の勇さんは、参列した政府の関係者にこういいました。

(平和の母子像実行委員会著「鳩よよみがえれ」水曜社刊より、引用。改行を施しています。)

いまだから言わせてもらう。
あなたがたが誠意をつくさなかったから和枝は毎日苦しみつづけて死んだ。
また同じ事故が起こるかもしれない。
誠意をつくして欲しい・・・・・

——————————————————–

政府の代表としてやってきた吉野実防衛施設庁長官は、形式的に頭をさげるだけでした。
防衛施設庁は、防衛省の下部組織です。
墜落事故をおこしたアメリカ軍の厚木基地は、横浜防衛施設庁の管轄下にあります。
日本政府はこれまで、米軍と同様に、自分たちの責任をあいまいにしてきました。
防衛施設庁の上部機関が、防衛庁です。
入院中、和枝さんは、防衛庁の長官に手紙を書きました。
病室に来てほしいと。
長官が見舞いに訪れることはありませんでした。

(再掲)
あなたがたが誠意をつくさなかったから和枝は毎日苦しみつづけて死んだ

父親の勇さんは、防衛施設庁に対して、電話で、つぎのようなお願いをしたことがあります。
自衛隊病院に転院させてくれませんか、と。
返答は、こうでした。
「こちらには、こちらの仕事があります。そちらのことばかりやっているわけにはいきませんよ」
和枝さんは、精神的に追いつめられていきます。
当時の日記に、自身の心境を綴っています。

(土志田和枝著「あふれる愛に」新声社刊より、引用。)

本もないから熱中することもできない。
明日にでもいい。
本をよみたい。
自分で自分を苦しめてしまうのもこわいことだね。
今私はそんな状態にあるのでこわい。
お父さんそばでいろいろ話していてくれると安心する。
私の気持ちを全部理解してくれるので。
いなくなると不安になってしまう。
もっと強くならなくてはと思ってもすごく不安が強くなってしまってこわい。
少しノイローゼ気味みたいな感じでこわい。

——————————————————–

和枝さんの葬儀に参列したかたが、告別式の様子を詩であらわしました。
ご紹介させていただきます。

(平和の母子像実行委員会著「鳩よよみがえれ」水曜社刊より、引用。改行を施しています。)

広い庭をとおり和枝さんの棺(ひつぎ)が
車の方へ運ばれてくる
和枝さんのほほえむ写真も一緒に
その笑顔はみんなの胸を余計しめつける
和枝さんは実に美しかった
突如、式場から十数羽の鳩が舞い上がる
和枝さんの願いが鳩に託されていた
こんなこたぁ二度とあっちゃならん
鳩がとびさった方向に和枝さんも去ってゆく
黙礼するひとたちの間からむせび泣きが聞こえる
ファントム墜落から四年以上もたつのに
事故の原因、責任について、米軍は知らんぷり
これじゃ和枝さんもうかばれない・・・・・・

——————————————————–

父親の勇さんは、和枝さんに、もう一度子どもをだかせてやりたい、と考えました。
和枝さんは生前、日記にこう記していました。

(土志田和枝著「あふれる愛に」新声社刊より、引用。)

<1979年1月30日>
でも、もうどんなに叫んでも子どもたちは私のところへは戻ってこない。
いつか私の胸の中へ抱いてやりたいと思っていたのに、その夢も破られてしまった。
裕ちゃんと康ちゃん、もう二人とも手の届かない所へ行ってしまった。

——————————————————–

勇さんのだした答がこれです。

(※以下の写真は、フォートラベルのサイトより、引用。)

和枝さんは海が好きでした。
1985年、勇さんは、海が見晴らせるところにこの母子像を建てます。
場所は、横浜市の「港の見える丘公園」です。
土地は市が提供しました。
勇さんは当初、像に碑文をかかげようとしました。
米軍機墜落事故にまるわる像である、ということを明示したかったのです。
市はかたくなに拒否しました。
認めませんでした。
以降、一般のひとたちにとっては、これがなんのために置かれているのかがわからないという状況がつづきます。
なぜ市は、碑文の掲示を拒んだのでしょうか。
理由は、明日のブログでご説明します。

本日、土志田勇著「米軍ジェット機事故で失った娘と孫よ」(七つ森書館刊)を繰っていて、印象に残った箇所があります。
和枝さんの死後しばらくして、新声社の高橋さんという編集者が、勇さんをたずねてきました。
和枝さんの日記を出版したいというのです。
勇さんは承諾しました、
以降、毎日、高橋さんがやってきて、勇さんからはなしをうかがいます。

(土志田勇著「米軍ジェット機事故で失った娘と孫よ」七つ森書館刊より、引用。改行を施しています。)
心のなかの怒りを吐き出すように話したのかもしれません。
そして話すことで、自分の気持ちを少しずつ整理することができたのです。
高橋さんの存在は、私にとってカウンセラー的な役割だったといえます。

——————————————————–

香西咲さんを応援しているのでしたら、カウンセラー的な役割をすることも必要ではないでしょうか。
ときには、ツイッターで、自身の思いの丈(たけ)を打ち明けてもらう。
それをやさしくみまもる。
少なくても、発言を控えろ、ということにはならないと考えます。
——————————————————–
2016年7月07日 香西咲さんの特集記事(1)が週刊文春に掲載されました。
2016年7月14日 香西咲さんの特集記事(2)が週刊文春に掲載されました。
2016年7月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました。
2016年7月20日 香西咲さんのインタビュー記事が、しらべぇに掲載されました。
2016年7月27日 香西咲さんのインタビュー動画が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
2016年7月29日 香西咲さんのインタビュー記事と動画が、毎日新聞のWebサイトに掲載されました。
(引用。A氏による衝撃の回答)
 --出演強要が社会問題化している。事務所の運営や女優との契約について見直しは
 A氏 当然やっていく。今、弁護士と話して、きちんとしていこうとしている

 (A氏は、これまできちんとしていなかったことを認めました。)
2016年8月27日 香西咲さんのインタビュー記事が、弁護士ドットコム(前編)(後編)に掲載されました。
2016年9月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました
2016年9月24日 香西咲さんのインタビュー記事が、withnewsに掲載されました。
香西咲さんのツイッター
(香西咲さんの重要ツイート ~2016年7月18日)
 私だって綺麗にリセット出来るならAVデビュー前の私に戻りたい。
 だけど変えられない現状踏まえて立て直したのが今の形。(後略。)

(明日のブログへつづく)



香西咲さんを勝手に応援するサイトへ

香西咲さんはいま出演強要問題を風化させないために各種メディアで自身の体験を語っています

昨日のつづきです。
冒頭に、訂正をさせていただきます。
一昨日のブログで、ぼくは、つぎのように書きました。

<2016年9月26日のブログ>
アメリカ軍のヘリコプターがやってきました。
住宅と樹木が激しく燃えています。
地面に、くずおれている(くずれるように倒れている)ひともいます。
アメリカ兵は何事もなかったようにしてすすみます。
目をくれようともしません。
パラシュートを解いた二人と会話をかわします。
全員でヘリコプターに乗りこむと、すぐに飛びたっていきました。
——————————————————–

このなかに、誤りが2つありました。
最初に事故現場にやってきたのは、アメリカ軍でなく、自衛隊です。
先ほど再読したさいに、気がつきました。
慎んでおわびをもうしあげます。
以下のとおり、訂正させていただきます。

 ×アメリカ軍 → 自衛隊 
 ×アメリカ兵 → 自衛隊員
——————————————————–

9月26日の当該箇所は、すでに直してあります。
それにしても、なぜ、自衛隊はこのとき、裕一郎くん(3歳)と康弘くん(1歳)を救助しなかったのでしょうか。
和枝さん(27歳)も大やけどを負っています。
ヘリコプターですぐに病院へ運んでいれば、子どもたちは助かったかもしれません。
悲憤を感じます。
ここで横浜米軍機墜落事故をふりかえってみます。

<1977年>
9月27日
・13時20分ころ 米軍機が、林さん宅のそばに墜落する。
9月28日
・0時50分 長男の裕一郎くん(3歳)が病院で死去する。
・4時30分 次男の康弘くん(1歳)が病院で死去する。

<1978年>
3月29日
・新聞の夕刊で、和枝さんが、「皮膚をわけてください」と訴える。
4月25日
・応募者25名の皮膚を移植する。
5月9日
・応募者42名の皮膚を移植する。

<1979年>
1月1日~1月2日
・1年3か月ぶりに、病院の外へ出る。2日間、生家で過ごす。
1月3日
・病院にもどる。
1月29日
・夫からはじめて、裕一郎くんと康弘くんが亡くなっていることを聞かされる。

それから約半年後のことです。
6月19日、和枝さんは退院します。
完治したわけではありません。
以降は、通院して、リハビリをすることになります。
和枝さんは歩行が困難な状況となっていました。
他にも、事故の後遺症がありました。
もう一度、1978年の出来事をみてみます。

(再掲)
<1978年>
3月29日
・新聞の夕刊で、和枝さんが、「皮膚をわけてください」と訴える。
4月25日
・応募者25名の皮膚を移植する。
5月9日
・応募者42名の皮膚を移植する。
——————————————————–

1978年5月9日のことでした。
植皮手術のあと、和枝さんは、呼吸困難となります。
麻酔の管が、のどを痛めたのです。
17日後、和枝さんののどに、小指大の穴があけられました。
カニューレ(空気を送りこむための管)をさすためです。
この措置によって、以後は、呼吸が楽になります。
よいことばかりではありません。
和枝さんは会話が困難な状況となってしまいます。

1979年6月19日に、和枝さんは退院しました。
その後は、父の土志田(としだ)勇さんの家ですごすことが多くなります。
林宅には、裕一郎くんと康弘くんの遺影が置かれています。
和枝さんは、二人の写真をみるのがつらかったのです。

1980年の4月のことです。
アキレス腱の手術のために和枝さんは、入院をします。
退院後も、通院生活がつづきます。

1981年9月9日、和枝さんは、カニューレを抜くために入院します。
病院には2か月ほど滞在しました。
手術はうまくいき、以降は、自由にはなしをすることができるようになります。
退院してまもなく、和枝さんと一久さんは、離婚します。
原因はすれちがいの生活が長くつづいたことにあるようです。
個人的な思いはありますが、ここではのべません。

それから8日後(11月28日)、和枝さんは肺炎を起こします。
ふたたび入院となりました。
11日後(12月9日)のことです。
のどに痰(たん)がつまり、呼吸困難となります。
そこで3か月ぶりに、カニューレをいれます。

正月は、病院で新年をむかえました。
入院中、父の勇さんは、和枝さんと、将来について語りあいました。
実家は生花店です。
勇さんは、JT(日本たばこ産業株式会社)からもらってきた権利の申込書をみせて、
「うちの花屋の店先でたばこ屋をしたらどうだ?」
といいました。
ほほえむ和枝さんをみながら、
「それとも和枝の好きなアクセサリーの店を開こうか?」
と、ことばをかさねます。
和枝さんが歓喜しました。
「本当なの? おとうさん」

1月21日のことです。
勇さんは、仕立ててきた着物を和枝さんにわたしました。
鮮やかな色と柄です。
受け取った和枝さんは、子どものようにはしゃぎました。
袖に腕をとおして、
「おとうさん、わたし、もうすぐ退院できるそうだから、着始めは家に帰ってからにするわ」
そういって、着物をたたみました。
翌日の22日、和枝さんののどから、カニューレが抜かれました。

2日後の24日のことです。
夕方、和枝さんは、のどが苦しいとうったえました。
父にきてもらうことにしました。
連絡を受けた勇さんは、午後6時に、病院へやってきました。
特に心配はしていませんでした。
脳裏には、着物を抱きしめて喜んでいる娘の姿がうかんでいます。

土志田勇著「米軍ジェット機事故で失った娘と孫よ」七つ森書館刊より、引用。改行を施しています。)

ところが、病室に入ったとたん、驚きました。
和枝は肩を大きくゆすって、あえいでいるではありませんか。
好物の寿司を持って行きましたが、手をつけることもできません。
ただ苦しいといいます。
前々日、カニューレを抜いたのがいけなかったのではないだろうか。
和枝もおなじ考えでした。
「お昼ごろ、看護師さんに、もう一度カニューレを入れてくれるよう、主治医の先生に頼んでもらったけど、だめなんだって」

——————————————————–

和枝さんの主治医は、この日、休みでした。
勇さんはその医師の家に電話をします。
医師は、病院で対応してもらってくださいといいました。
勇さんはそのことばをつたえます。
当直の医師も看護士も、とりあってくれません。
病院側は勇さんに対して、本日はもうお帰りくださいとつげます。

土志田勇著「米軍ジェット機事故で失った娘と孫よ」七つ森書館刊より、引用。改行を施しています。)

しかし、和枝の容態は悪くなるいっぽうです。
うなされるように言います。
「子どもたちのところへ行きたい。(死んだ)お母さんに会いたい」

——————————————————–

医師がこういいました。

土志田勇著「米軍ジェット機事故で失った娘と孫よ」七つ森書館刊より、引用。改行を施しています。)

呼吸困難には絶対にならないからだいじょうぶです。
いったん取ったカニューレをまた入れると、なかなか治りません。
カニューレをはずしたときは、どの患者さんでも苦しいような気分がするものです。
気分的なものですから、がまんしなさい。

——————————————————–

勇さんは割り切れない思いを残して、病室を辞しました。
午後10時すぎに帰宅しました。

土志田勇著「米軍ジェット機事故で失った娘と孫よ」七つ森書館刊より、引用。改行を施しています。)

玄関のドアを開けると、長男の妻、ツヤ子が血相を変えて、待ちかまえていました。
「和枝さんが危篤だと病院から連絡です。お母さん(和枝さんにとっては義理の母)たちは15分ほど前に出ていきました」
えっ、そんなばかな。あれからまだ1時間しかたっていないではないか。

——————————————————–

病院に到着しました。
先に家をでた勇さんの妻と長男もちょうど着いたところでした。
3人で病室へ入りました。
医者は、
「呼吸はとまっていますが心臓は動いています」
と説明しました。
深夜の2時30分、和枝さんは集中管理室に移されます。
同日の15時すぎに、医者がこういいました。
もう回復のみこみはない、と。
翌日の1時45分、和枝さんは帰らぬひととなりました。
死因は、心因性の呼吸困難です。
31年と1か月の生涯でした。

土志田勇著「米軍ジェット機事故で失った娘と孫よ」七つ森書館刊より、引用。改行を施しています。)

「お父さん、呼吸が苦しい、助けて」
和枝がそう言って、わたしの手をぎゅっと握りしめたのは、わずか30時間ほど前のことでした。
「なんとかしてよ、お父さん」
すがるような目でわたしを見つめていました。
それなのに、私は和枝を助けてやることはできなかった。

——————————————————–

「横浜米軍機墜落事故平和資料センター」という市民団体があります。
齋藤眞弘さん(74歳)が代表をされています。
今回のブログを書くにあたりまして、ぼくは、齋藤さんにお電話でいろいろとおはなしをうかがいました。
そのなかで感じたのは、事件を風化させてはいけないということです。

現在、出演強要問題が世間の関心事となっています。
人々はうつろいやすいです。
すぐに忘れてしまいます。
これを風化させないために、いま、がんばっているかたがいます。
各種メディアに登場されて、自身の経験を語っています。
いうまでもありません。
香西咲さんです。
国民は皆、香西咲さんを支持しています。

香西咲さんと同じように、理不尽な仕打ちを受けた女性がいます。横浜米軍機墜落事件について

昨日のつづきです。
林和枝さんは東京新聞に広告をだします。
「皮膚をわけてください」
と。
ここまでのながれを簡単に顧みてみます。

<1977年>
9月27日
・13時20分ころ 米軍機が、林さん宅のそばに墜落する。
9月28日
・0時50分 長男の裕一郎くん(3歳)が死去する。
・4時30分 次男の康弘くん(1歳)が死去する。

<1978年>
3月29日
・新聞の夕刊で、「皮膚をわけてください」とうったえる。
——————————————————–

掲載後すぐに、電話がかかってきました。
「わたしのをつかってください」
と。
このかただけではありません。
午後4時から夜半までの間に、187人のかたが、提供を申し出ました。
以降も、連絡が途切れることはありませんでした。

後日、東京新聞に、つぎのような見出しの記事が掲載されました。

 米軍機墜落から半年余
 悪夢の主婦に人の情

  大やけどを治す皮膚移植
  申し出千人にも
   きょう手術、二児の死も知らず

——————————————————–

最終的に、1500人のかたが、自分の皮膚をつかってください、と願い出ました。
多くの方々の善意によって、和枝さんは、一時的に恢復(かいふく)します。

(平和の母子像実行委員会著「鳩よよみがえれ」水曜社刊より、引用。改行を施しています。)

体液の流出を一時くい止めた「善意の皮膚」は、やがて日がたつにつれて少しずつはげ落ちていきました。
今度は和枝さん自身の植皮手術が必要になりました。
とはいっても、採皮するところがありません。
わずかに残る胸の白い肌から、今日は切手大、次は名刺大と採っていきました。
採皮した部分の皮膚が再生されるのをまって、また採りました。
きれいだった肌も無惨に引きつれていきます。

——————————————————–

夫の一久さんは、こう語っています。

(平和の母子像実行委員会著「鳩よよみがえれ」水曜社刊より、引用。改行を施しています。)

どんなに小さな皮膚のかけらでも、ピンセットでつまんで、大切に、大切に張りつけた。
まるで、ダイヤモンドのような皮膚だよ。

——————————————————–

和枝さんは徐々に、治癒の方向へむかいます。
正月には、2日間という約束で、生家へ帰ることができました。
病院の外へでたのは、1年3か月ぶりのことです。
実父の土志田勇さんは、生花店をいとなんでいました。
短い正月がおわり、和枝さんはふたたび、病室へもどります。
子どもについては、まだ別の病院に入院していると信じていました。
このころから、夫の一久さんと、父親の勇さんが、頻繁に顔をあわせます。
二人がはなすことはいつも同じです。
もうこれ以上、子どもの死を隠すのは無理だ。
真相をはなそう、と。
1月29日のことでした。
一久さんが真実をつたえる決心をしました。
勇さんも同行します。
不測の事態に備えて、医師と看護士が、病室の外で待機していました。
二人は和枝さんと向かいあいました。
一久さんは黙って座っているだけです。
一向に口を開こうとしません。
30分が経過しました。
しびれをきらした勇さんが、目でうながします。
一久さんが観念しました。
きりだします。
「子どものことなんだけど」
和枝さんは普段と変わらぬ表情をみせます。
「なあに、子どもがどうしたの?」
「実は」
と、一久さんがことばをつなぎます。
「事故の翌日に亡くなったんだ」

この日、和枝さんは日記を書いています。
全文を引用をさせていただきます。
(※改行を施しています。)

<1979年1月29日>
1月29日 月 曇
私にとって一番悲しいことを聞かされた。
裕一郎 9月28日 零時40分 死亡
康弘 9月28日 4時30分 死亡

——————————————————–

翌日は、長い文章をしたためました。
そのなかから、一部を引用させていただきます。

<1979年1月30日>
今日も子どもの死がかわいそうで泣き続けた。
もう自分が治って子どものところへ行けると、ただそれだけを楽しみに生きてきたのに、事故の次の日に死んでいたなんて夢にも思っていなかったので、死んだことを知らされた時には信じられなかった。
——————————————————–
(略。)
——————————————————–
でも、もうどんなに叫んでも子どもたちは私のところへは戻ってこない。
いつか私の胸の中へ抱いてやりたいと思っていたのに、その夢も破られてしまった。
裕ちゃんと康ちゃん、もう二人とも手の届かない所へ行ってしまった。
——————————————————–
(略。)
——————————————————–
でももう白い小さな箱にはいってしまっているなんて。
一目でも会いたかった。
ママをおいて逝ってしまってとてもさみしい。
——————————————————–
(略。)
——————————————————–
あんな飛行機さえ落ちてこなければ、今頃は幸福に暮らしていることでしょう。
人を恨んではいけないが、やはり私は米軍とパイロットを憎む。
このパイロットは私たちのことをどんなに思っているのだろうか。
(後略。)

——————————————————–

パイロットは、罪に問われませんでした。
1978年、被害者の一人である椎葉寅生さんというかたが、この米兵を告発します。
神奈川県警は当該人物を横浜地検に書類送検しました。
横浜地検は、業務上過失致死の容疑で、起訴の可能性を探ります。
結果は不起訴でした。
証拠が集まらなかった、というのがその理由です。
落胆したものの、こうなることは予想されました。
日米地位協定の取り決めがあるからです。
この協定は、米兵が日本で事件をおこすたびに話題となります。
よくわかっていらっしゃらないかたも多いので、簡単にご説明をいたします。

その前に、日米安全保障条約(安保条約)を知る必要があります。
各条文の文章が長いので、ぼくのほうで簡単にまとめます。

<前文>
日米両国は、国連憲章が認めている、自分で自分を守る権利をもつ。
両国は、極東の平和と安全のために、この条約を結ぶ。

<1条>
両国は、国連憲章にしたがって、国際紛争を平和的に解決させる。
軍事力は用いない。

<3条>
両国は武力攻撃に対する自衛力憲法の規定にしたがう条件で維持し発展させる。

<4条>
条約実施に関して、両国は、随時協議する。
平和・安全に対する脅威が生じたときも協議する。

<5条>
両国は、日本施政下の領域で、どちらかの国が他国から武力攻撃を受けたとき、共同して防衛する。

6条
アメリカ陸海空軍は、日本国内で、施設・区域(基地など)を利用できる。
——————————————————–

(再掲。第6条)
アメリカ陸海空軍は、日本国内で、施設・区域(基地など)を利用できる

これを具体化したのが、「日米地位協定」です。
17条3項という規定があります。
つぎのような内容です。
(※リライトしています。)

「米軍の構成員が公務執行中に犯したについては、米軍当局が第一次の裁判権を有する」

今回の墜落事故は、公務中のできごとです。
この場合、裁くことができるのは、アメリカ、ということになります。
つまり日本には、裁判をおこなう権利がありません。
ちなみにこの種の事故で、米兵が罪に問われたことはありません。

米兵が公務外、つまり私生活のうえで犯罪をおかした場合、についても、規定がなされています。
これが、17条5項Cです。
たびたび問題となる事項です。
(※リライトしています。)

「米軍の構成員が被疑者の場合、日本国により提訴されるまで、身柄の拘禁は米国がおこなう」

簡単にいいますと、原則として日本は、犯罪をおかした米兵を逮捕することができません。
これについては、ある事件をきっかけとして、日本による逮捕がみとめられる事例もでてきました。
いつかブログに書くことがあるかもしれません。

はなしをもどします。
刑事裁判では不起訴となりましたが、民事裁判において画期的な判決がでました。
これにつきましては、後日、ふれさせていただきます。

その後、和枝さんは退院します。
子どもは失いましたが、懸命に人生を生きようとします。
2年半後、和枝さんは、夫の一久さんから意外なことをいわれます。
つづきは明日のブログで書きます。

話題はかわります。
ここで問題を出します。

<問>
週刊文春、
弁護士ドットコム、
withnews。
3つの媒体に掲載されている香西咲さんの写真について。
共通するものは何?

<答>
「ナチュラル」
——————————————————–

魅力的です。
——————————————————–
2016年7月07日 香西咲さんの特集記事(1)が週刊文春に掲載されました。
2016年7月14日 香西咲さんの特集記事(2)が週刊文春に掲載されました。
2016年7月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました。
2016年7月20日 香西咲さんのインタビュー記事が、しらべぇに掲載されました。
2016年7月27日 香西咲さんのインタビュー動画が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
2016年7月29日 香西咲さんのインタビュー記事と動画が、毎日新聞のWebサイトに掲載されました。
(引用。A氏による衝撃の回答)
 --出演強要が社会問題化している。事務所の運営や女優との契約について見直しは
 A氏 当然やっていく。今、弁護士と話して、きちんとしていこうとしている

 (A氏は、これまできちんとしていなかったことを認めました。)
2016年8月27日 香西咲さんのインタビュー記事が、弁護士ドットコム(前編)(後編)に掲載されました。
2016年9月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました
2016年9月24日 香西咲さんのインタビュー記事が、withnewsに掲載されました。
香西咲さんのツイッター
(香西咲さんの重要ツイート ~2016年7月18日)
 私だって綺麗にリセット出来るならAVデビュー前の私に戻りたい。
 だけど変えられない現状踏まえて立て直したのが今の形。(後略。)

(明日のブログへつづく)



香西咲さんを勝手に応援するサイトへ

悪徳プロダクション時代、香西咲さんには生きるよろこびがあったのだろうか

明日は、9月27日、です。
あたりまえのことです。
特記すべきことでもありません。
毎年、9月27日になりますと、ぼくは、ある出来事を思いだします。
本日はそのことについて書かせていただきます。
ちなみにぼくがこの事実を知ったのは、かなりあとになってからです。
最初、先輩から、そのはなしを聞きました。
昔、こういうことがあったと。
そのとき、胸に痛みを感じたのを覚えています。
しばらくしてから書店へいき、関連する本を数冊、購入しました。
本日はそのことについて概説します。

横浜の緑区に児童公園があります。
その近くで、林さん一家が暮らしていました。
農業で生計をたてていました。
家族構成はつぎのとおりです。

 一久さん(夫) 
 和枝さん(妻。27歳)
 裕一郎くん(長男。3歳)
 康弘くん(次男。1歳)
 おばあちゃん(一久さんの母親)
 早苗さん(一久さんの妹)

——————————————————–

1977年の9月27日のことです。
この日は、早苗さんの話題で盛りあがっていました。
早苗さんは3か月後、結婚することになっていました。
一久さんとおばあちゃんは、途中で外出します。
家のなかには、4人が残りました。

 和枝さん
 早苗さん
 裕一郎くん
 康弘くん
——————————————————–
 
昼食がおわって、皆で、アイスクリームを食べていました。
おだやかな午後のひとときです。
1時をまわったときでした。
突然、爆発音がとどろきました。
地面が激しく揺れます。
地震ではありません。
近くに、アメリカ軍のジェット機が墜ちたのです。

機体は四分五裂(バラバラ)の状態となりました。
金属片が高く舞いあがります。
それがすぐに、火の塊へとかわり、乱舞しました。
胴体からは、夥(おびただ)しい量の火焔(かえん)が、多方面に放出されています。
ドラム缶65個分のジェット燃料が燃えさかっているからです。
炎が周囲の家々に襲いかかります。
林さんの家までは届きませんでした。
かわりに、赫々(かっかく)たる陽光をはなつ物体が、壁を突き破って侵入してきました。
翼の一部です。
焦(こ)げたような匂(にお)いがしました。
一瞬にして、家のなかが、炎につつまれました。

外で、宅地づくりの作業をしていたひとたちは、空に目をやりました。
また何かが落ちてきます。
パラシュートのようです。
2つ浮いています。
アメリカ兵でした。
ジェット機が墜落する寸前に脱出したのです。

自衛隊のヘリコプターがやってきました。
住宅と樹木が激しく燃えています。
地面に、くずおれている(くずれるように倒れている)ひともいます。
自衛隊員は何事もなかったようにしてすすみます。
目をくれようともしません。
パラシュートを解いた二人と会話をかわします。
全員でヘリコプターに乗りこむと、すぐに飛びたっていきました。

間をおかずに、別のヘリコプターが降下してきます。
今度はアメリカ軍でした。
事故の原因を調査するためにやってきたのです。
こちらも、被災者の救助等は、いっさいおこないません。
証拠となるエンジンや部品などを収集すると、速やかに去っていきました。

この事故で、三軒が全焼しました。
瀕死の重傷者を負ったのは3人です。
林家の和枝さん(27歳)と、裕一郎くん(3歳)、康弘くん(1歳)です。

目撃者はつぎのような証言をしています。

炎の中から、奥さんらしい人(和枝さん)と、25、6歳くらいの娘さん(早苗さん)が、赤ちゃんを抱え、悲鳴をあげて飛び出してきました。
——————————————————–
上着は黒こげ、下着がべったり肌にひっついているんです。
こめかみからは血が噴きだして。
——————————————————–

道路には血だらけになった男の子が倒れていました。

<目撃者の証言>
両手両足はもとより、からだじゅうの皮がむけて、血のかたまりと同じでした。
もう声を出す力もないほどでした。
——————————————————–

この子は、康弘くん(1歳)でした。
早苗さん、裕一郎くん、康弘くんの3人は、近くにある青葉台病院へ搬送されました。
和枝さんは、昭和大学藤が丘病院へ運ばれました。

康弘くんは病院のベッドで、何度も繰り返し、
「パパ、パパ」
と声をだしました。

同じくベッドの上の裕一郎くん(3歳)は、泣きながら声をあげました。
「お水をちょうだい。ジュースを。ジュースをちょうだい」
と。

深夜の0時50分のことでした。
裕一郎くん(3歳)が、かすかに口を動かして、こういいました。
「バイバイ」
と。
これが最期のことばでした。

(早乙女勝元著「パパママバイバイ」日本図書センター刊より、引用。改行を施しています。)

康弘ちゃん(1歳)は、やけどの痛みを伝えることばも知らず、ベッドの上で、全身ぐるぐるとほうたいに巻かれていました。
目と口以外はまっしろで、かわいそうで、かわいそうで・・・・・・。
それでも、「パパ・・・・・・パパ・・・・・・」
とかすれた声で、何度も何度も呼んでいました。
明け方ちかくになって、何か口ずさむような声が、ひくく、かぼそくきこえてきました。
「ポッポッポー・・・・・・」
死線をさまようなかで、もう痛みもうすれてきたのでしょうか。
それは、いつもおとうさんといっしょのおふろで、おとうさんが口ぐせに歌ってきかせた鳩ポッポの歌でした。
歌をうたいながら、康弘ちゃん(1歳)は・・・・・・とうとう・・・・・・息をひきとったのです。
この世に生まれてきて、たった1年ちょっとの命でした。

——————————————————–

康弘くん(1歳)は、午前4時30分に亡くなります。

和枝さん(27歳)は、子どもたちとは違う別の病院で治療を受けています。
危篤でした。
家族は、裕一郎くん(3歳)と康弘くん(1歳)の死を秘匿します。
和枝さんがその事実を知ったのは、1年4か月後のことでした。
病院で和枝さんは、子どもたちも自分と同じように治療を受けていると信じていました。
周囲のものたちは、
「子どもは生きている」
といって、激励しました。
この甲斐があって、和枝さんは、最悪の状態を脱します。

(平和の母子像実行委員会著「鳩よよみがえれ」水曜社刊より、引用。改行を施しています。)

1月ごろ、硝酸銀ぶろの治療が始まりました。
化膿を防ぐためです。
全身やけどの体には、心臓をえぐるような激痛が走ります。
浴槽に沈められる時、和枝さんのあげる悲鳴が、病院のすみずみまでひびきわたりました。
しかし、
「子どもに会いたい、早くなおって自分の手で看病してやりたい」
という一念で和枝さんは、歯をくいしばりました。

——————————————————–

海でからだを灼(や)いたあとに、風呂に入った経験があると思います。
がまんできないほどの痛さです。
和枝さんの場合は、全身、大やけどを負っています。
日焼けとはわけがちがいます。
浸かるのも、お湯ではなく、刺激性の強い硝酸銀の液体です。

(平和の母子像実行委員会著「鳩よよみがえれ」水曜社刊より、引用。改行を施しています。)

事故後の治療のすさまじさは、言葉を絶するものがありました。
薬浴や植皮手術の激痛に、
「やめてー。殺してー」
と叫んだ和枝さん。
それでも最後には、
「やって」
といいきった強さを支えたのは、子どもを思う母性でした。

——————————————————–

入院してから、5か月がすぎました。
和枝さんは、新聞に広告を出しました。

 皮膚をわけてください。

求める皮膚は5センチ四方です。
提供者は、メスでその大きさのものを切りとられます。
それも麻酔なしで。
この申し出に対して、いったい何人のひとが応じたのでしょうか。
つづきは明日、ご紹介をします。

いまこのブログを書いていて、林和枝さんと香西咲さんの姿が重なりました。
あのとき、香西咲さんは、どのような気持ちで日々を過ごされていたのだろうか、と。

(週刊文春の記事より、引用。)

<香西咲さん>
なぜ(AV撮影)を辞めなかったんだと思われるかもしれません。ですが、抜けるに抜けられない状況に追い込まれ、搾取されつづける絶望感は、体験したものにしかわからない。青木の支配下に置かれていた頃、私にとってAV撮影は自傷行為そのものでした。」(2016年7月7日)
——————————————————–
~「事務所の言いつけ通りに仕事をこなす日々。夢のためにと笑顔をつくって自分を奮い立たせたが、気がつけばアルコールと睡眠薬が必需品になっていた。」(2016年7月14日)
——————————————————–
ストレスから円形脱毛症になり全身がけだるく、胃腸は毎日、抉られるように痛みました。自分で救急車を呼んだこともあった。」(2016年7月14日)
——————————————————–

香西咲さんのTwitter(2014年7月3日)より、引用。

あの時は、トラックが突っ込んできても私は避けないってマネージャーにも話してた。
本当に笑えなかったよね。
もちろん今は避ける(笑)
あの時笑えなかった事がやっと笑い話にできる(笑)

——————————————————–

香西咲さんのツイッター(2016年7月13日)より、引用。

契約書を縦に止めさせてもくれない、かと言って事務所に居続けたら、 V撮影と性接待(勿論金銭のやり取りなし)に都合良く使われて青木亮に飼い殺しになる…
本気で死にたかった。
あの頃の私はトラックに突っ込んで欲しかった。

——————————————————–

やるせないです。
こいつらが憎いです。
——————————————————–
2016年7月07日 香西咲さんの特集記事(1)が週刊文春に掲載されました。
2016年7月14日 香西咲さんの特集記事(2)が週刊文春に掲載されました。
2016年7月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました。
2016年7月20日 香西咲さんのインタビュー記事が、しらべぇに掲載されました。
2016年7月27日 香西咲さんのインタビュー動画が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
2016年7月29日 香西咲さんのインタビュー記事と動画が、毎日新聞のWebサイトに掲載されました。
(引用。A氏による衝撃の回答)
 --出演強要が社会問題化している。事務所の運営や女優との契約について見直しは
 A氏 当然やっていく。今、弁護士と話して、きちんとしていこうとしている

 (A氏は、これまできちんとしていなかったことを認めました。)
2016年8月27日 香西咲さんのインタビュー記事が、弁護士ドットコム(前編)(後編)に掲載されました。
2016年9月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました
2016年9月24日 香西咲さんのインタビュー記事が、withnewsに掲載されました。
香西咲さんのツイッター
(香西咲さんの重要ツイート ~2016年7月18日)
 私だって綺麗にリセット出来るならAVデビュー前の私に戻りたい。
 だけど変えられない現状踏まえて立て直したのが今の形。(後略。)

(明日のブログへつづく)



香西咲さんを勝手に応援するサイトへ

いま業界やネットのなかを香西咲さんという名の清冽な水が流れています

ツイッター

香西咲さんと「☆ティアたん☆」様の会話につきまして、昨日は、個人的な感想をのべさせていただきました。
ふみちん様というかたがいらっしゃいます。
当ブログへも何度かコメントをお寄せいただいております。
メールで数回、やりとりをしたこともあります。
そのさいには、本名と勤務先も教えてくださいました。
誠実なかたです。
ある女優さんのファンとのことです。
名前をお聞きしたしたが、ぼくにはまったくわかりませんでした。
といいますか、香西咲さん以外のかたは、どなたも存じあげておりません。
ふみちん様は香西咲さんのツイッターもご覧になっているようです。
昨日以降、つぎのようなツイートをされています。
引用させていただきます。

ふみちん様のツイッターより、引用。改行を施しています。)

<9月24日>
そうかな?
(「☆ティアたん☆」様は)それで怒って終わらせるようなら送らなければいい。
もっと、彼女(香西咲さん)の気持ちに寄り添わないと。

——————————————————–
ティアさんが言っていることだけで(香西咲さんの)気持ちが切り替えられるなら、わけないけど、
咲さんの死にたいという気持ちを一旦、引き取らないで、
ただ、ただ、がんばれがんばれと言った場合。
どういう事になるか、(「☆ティアたん☆」様自身が)想像が出来ない状態で(香西咲さんに)ツイートするのは良くない。

——————————————————–

<9月25日>
沢山の味方の方が(香西咲さんを)応援しています。
焦らないで気持ちを楽にして下さね。

——————————————————–

旧聞に属します。
7月25日には、当ブログ宛てに、つぎのコメントもいただいております。

(引用)
本当に香西さんの頑張りを観るたびに頭が下がる思いです。
そして、彼女に頑張って欲しいと思います。
(後略。)

——————————————————–

どれも篤実(とくじつ)さがつたわってくる文章です。
ツイッターのなかには、そうでないものもあります。
偶然、自称、香西咲さんのファン、というふれこみの書き込みを目にしました。
昨日は、延々と、視点のずれた自説を展開されているように感じました。
ツイートを幾重にも重ねています。
どれもが悪文(文脈が混乱してわかりにくく誤解されるような文章)です。
ながめていて頭が痛くなりました。
読了後、こころのなかに残るのは、威圧感です。
このかたはおそらく、本音を控えろ、といいたいのでしょう。
あなたは商品なのだから良いファンタジーをみせてくれ、と。
アケミン様と同じ思考です。

(2016年07月15日 AVライターアケミンブログ「『強要』について二つの記事があった日。 」より、引用。) 

「AVはファンタジー」とも言えるのでしょうが、
ファンにとっては
「どうせならいいファンタジーを見させてくれよ!」という感じですよね。

——————————————————–

かなり前に、当ブログでふれたことがあります。
アテネ(ギリシア内にあった独立国家)では、B.C.508年(いまから2524年前)に、民主政が完成しました。
市民の参加によって、政治に関する事柄を決めることができる制度です。
直接民主政といいます。
財産による制限はありません。
成人(18歳以上)の男性ならばだれでも参加できます。
女性には、参政権がありませんでした。
対等な人格をもった存在ではないからです。
当時の女性は、子どもを生むための道具とみなされていました。
モノですから、普通は、粗末にあつかわれていたと考えます。
そのようなことはありませんでした。
大切にされていました。
その感情は、いまわたしたちが考えているものとは違います。
ペットをかわいがるような感覚です。
女性は愛玩用の存在にしかすぎませんでした。

香西咲さんのツイッター(2016年9月13日)より、引用。

でも相手の事ばかり考え過ぎて、
自分を抑えちゃったり
無理しちゃう所も多い…
これからは今度こそ本当に
自分を主体に考えなきゃ。

——————————————————–

香西咲さんはあなたたちにとって都合のよい道具ではありません。
もしも否定されるのでしたら、つぎのことばを反芻(はんすう。二度三度くりかえし思い、考えるとの意味)してください。

(再掲)
相手の事ばかり考え過ぎて、自分を抑えちゃったり無理しちゃう所も多い

香西咲さんに対して、発言を慎(つつし)め、とはいえないはずです。

悪徳プロダクション

過日もふれました。
以下のインタビューのなかでかたられていることは悪質です。

(2016年9月13日 毎日新聞「AV問題 語り始めた業界人(1)『公平なルールを』」より、引用。)

<AVプロダクション代表の鈴木浩太(仮名)くん>
数年で終わる仕事かもしれないけれど、AV出演は一生もの。
——————————————————–

(再掲)
数年で終わる仕事

背筋に冷たいものが走りました。
女性は数年で使い捨て、という発想です。
搾るだけ搾って、あとは捨てる。
とてもまともな感覚ではありません。

(再掲)
AV出演は一生もの

鈴木浩太(仮名)くんは、このことをよく認識しているようです。
それにみあうだけの報酬を渡しているのでしょうか。

(引用。改行を施しています。)
(問)女優へのギャラ配分率について、(HRNは)「50%以下は不当な搾取」としています。

<AVプロダクション代表の鈴木浩太(仮名)くん>
なんで50%なんですか。
法的根拠もないのになんとなく言っている。

(後略。)
——————————————————–

ぼくはこれをみて驚きました。
自分の命とひきかえにおこなっている仕事です。
いくら安くても50%以上は絶対にもらっている。
そう確信していました。

(再掲)
なんで50%なんですか
法的根拠もないのに

すくなくとも、この点については、法の規制が必要のようです。

(引用。改行を施しています。)
(問)HRNは業界に対する要請書の中で
「撮影を欠席した女優には違約金を請求せず、(損害の補てんには)保険制度を利用せよ」
と求めています。実現可能でしょうか?

<AVプロダクション代表の鈴木浩太(仮名)くん>
「出る出る詐欺」が横行すると思う。
「(AVを)やります」と言っても、当日になって「やっぱりやりません」と言えるわけですよね。
友達との約束をバックレる(逃げる)感覚になる。
あくまでも女性の人権だけを擁護していて、業界で働く者の人権にまで考えが及んでいない。
プロダクションは最初からAVだと説明し、契約のこともしっかり話しているのに、前日に女優がバックレた場合は誰が責任を取るのでしょうか。

——————————————————–

違約金の存在がなければ、プロダクションの運営はできないようです。
最後は、違約金という伝家の宝刀を抜いて、出演を強要する。
これまで、どれだけの女性が涙を流してきたのでしょうか。
違約金という名の強要、脅迫によって。

(再掲)
前日に女優がバックレた場合は誰が責任を取るのでしょうか

それは、鈴木浩太(仮名)くん、あなたです。
あなたが責任をとるのです。

(2016年7月25日 クローズアップ現代+は、「私はAV出演を強要された~“普通の子”が狙われる~」より、引用。)

<伊藤和子弁護士>
出演の前日までにキャンセルをすれば、違約金は発生しないというような裁判例も出ています
——————————————————–

おわかりですか。
あなたのつぎの言葉づかいもひどいです。

(再掲)
バックレる
バックレた

この言い様から察して、このかたは、女性を人間とみなしていません。
完全に、モノ扱い、です。
反面、自分たちは、声高に人権を主張しています。

(再掲)
業界で働く者の人権にまで考えが及んでいない

世間一般のひとたちはこれをどう判断するでしょうか。
女優さんたちよりも、この方々の人権が優先されるのでしょうか。
ほとんどのひとがこう思うでしょう。
一刻も早く法律をつくって規制してくれ、と。

ちなみにこの代表はなぜ、毎日新聞のインタビューに応じたのでしょう。
自分たちは他とちがってまともである、と自負しているのでしょうか。
おそらくこれをみたほとんどのひとは、こう感じたはずです。
ここは、「羊頭狗肉(見かけは立派でも中身がひどい)プロダクション」である、と。
法による規制が待たれます。

ここで話題がかわります。
いま、業界やネットのなかを清冽(せいれつ)な水が流れています。
清冽(せいれつ)とは、清く澄みきった、という意味です。
その清冽(せいれつ)な水は、香西咲さんです。
時には、障害物があって流れにくいところがあるかもしれません。
水には石をも穿つ(うがつ。つらぬくとの意味)力があります。
自分の力を信じて前へ進んでいただきたいと思います。
——————————————————–
2016年7月07日 香西咲さんの特集記事(1)が週刊文春に掲載されました。
2016年7月14日 香西咲さんの特集記事(2)が週刊文春に掲載されました。
2016年7月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました。
2016年7月20日 香西咲さんのインタビュー記事が、しらべぇに掲載されました。
2016年7月27日 香西咲さんのインタビュー動画が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
2016年7月29日 香西咲さんのインタビュー記事と動画が、毎日新聞のWebサイトに掲載されました。
(引用。A氏による衝撃の回答)
 --出演強要が社会問題化している。事務所の運営や女優との契約について見直しは
 A氏 当然やっていく。今、弁護士と話して、きちんとしていこうとしている

 (A氏は、これまできちんとしていなかったことを認めました。)
2016年8月27日 香西咲さんのインタビュー記事が、弁護士ドットコム(前編)(後編)に掲載されました。
2016年9月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました
2016年9月24日 香西咲さんのインタビュー記事が、withnewsに掲載されました。
香西咲さんのツイッター
(香西咲さんの重要ツイート ~2016年7月18日)
 私だって綺麗にリセット出来るならAVデビュー前の私に戻りたい。
 だけど変えられない現状踏まえて立て直したのが今の形。(後略。)

(明日のブログへつづく)



香西咲さんを勝手に応援するサイトへ

香西咲さんのツイッターに無粋な書き込みをして、香西咲さんを哀しませたひとがいるようです

今朝、香西咲さんのツイッターを拝見して驚きました。
ちょっとした論争があったようです。
今日はテニスの約束があったので、そのあとすぐに家をでました。
ぼくはスマホをもっていないため、リアルタイムでのやりとりを把握することができません。
帰宅後、ツイートを遡及しました。
はなしの流れが途切れているところもあります。
削除されたのでしょうか。
とりあえず、相手方の「☆ティアたん☆」様のツイッターを訪問させていただきました。
(本日は、夕方にふたたび、テニスをするために外出しました。帰ってきたのは午後9時すぎです。香西咲さんのツイッターからは、論争の箇所が消えていました。)

「☆ティアたん☆」様とは、どういうかたなのでしょうか。
検索をすれば瞬時にわかるのでしょうけれども、興味がないのでやめておきます。
端緒となったツイートの一部を引用させていただきます。

(「☆ティアたん☆」様のツイートを引用。改行を施しています。)

死にたいって思うのは、誰にだってあるけど。。。
自分の事務所で動けてるだけでも凄いラッキーなことだしもっと自分の将来にかけてみたら!!
死にたいって口にするなら、死ぬ気で夢を実現するこて(と)に集中したらどうですか??

——————————————————–

死にたいって思うのは、誰にだってあるけど
一見、思いやりのあるツイートに感じられます。
香西咲さんのことを心配されています。
死にたいなどというな、と。
ただ、この文章は、これが主でありません。
つぎのことを訴えたいのでは、と思惟(しい)します。

(再掲)
自分の事務所で動けてるだけでも凄いラッキーなことだしもっと自分の将来にかけてみたら!!
死ぬ気で夢を実現するこて(と)に集中したらどうですか

ここから私見をのべさせていただきます。
ただ、気がとがめます。
ぼくは女性を批判したくないので。
そこで、やんわりと語らせていただきます。

上述の文面からはつぎのような事柄がつたわってきます。
いまは独立して活躍しているわけだから、もっとこの仕事をがんばりなさい。
自身の夢の障害となる出演強要のはなしなんてもうやめたら、と。
この書き込みは、香西咲さんの以下のツイートに対してなされています。

香西咲さんのツイッター(2016年9月20日)より、引用。

青木りょうさんへ
5年間を返して下さい
死にたい

——————————————————–

「☆ティアたん☆」様の言い分も理解できます。
どの世界でもそうです。
堅実に生きていくためには波風を立てないのが一番です。
少しぐらい嫌なことがあっても我慢をする。
軋轢(あつれき)が生じないように努力する。
そうすれば安穏(あんのん)とした生活が保障されます。
常人の知恵です。
この観点からもうしますと、香西咲さんは明らかに、ご自身が損をする道を選択したことになります。

香西咲さんのツイッター(2016年7月7日)より、引用。

【ご注意】
私は完全に干される
或いは辞めざるを得ない状況に追い込まれる迄は、
AV女優活動と提訴の件を並行して行っていくつもりです。
ですのでTwitterには色んな内容が混ざりますがご了承くださいませm(_ _)m

——————————————————–

香西咲さんのツイッター(2016年7月17日)より、引用。

大丈夫!
普通は立ち入れない場所です。
でも私は干されるのも全く怖くない、
そして例え干されたとしても大事にして下さった業界の方々には感謝の気持ちがあるからこそ言える事なの
本当に心配してくれてありがとうございます

——————————————————–

「☆ティアたん☆」様は、業界の現状に対して、満足をされている、とご推察いたします。
香西咲さんは違います。
ご自身が所属されている業界をよくしたいと考えています。
干される覚悟で。
世論はどちらのかたを支持するでしょう。
自明です。
香西咲さんです。
いま出演強要問題が社会問題となっています。
世間の批判は囂しい(かまびすしい。やかましいとの意味)ものがあります。
いまは目と耳を塞(ふさ)いで、このダークな業界のすべてを是認しろ。
文句をいわずに日々の仕事に精励しなさい。
そういわれても、香西咲さんには首肯できない、と考えます。

(再掲)
死ぬ気で夢を実現するこて(と)に集中したらどうですか

「☆ティアたん☆」様は、こちらの記事をお読みになられていないのでしょうか。

(2016年7月29日 毎日新聞「香西咲さんのインタビュー記事」より、引用。改行を施しています。)

 --なぜそこまで覚悟を決められた?

<香西咲さん>
AVが夢にはつながらないことに気付き、ダラダラやっているのはよくないと思ったんです。
「続けてもあと1年ぐらいかな」

——————————————————–

おわかりでしょうか。

(「☆ティアたん☆」様のツイートを引用。改行を施しています。こちらが一番最初のツイートです。)

死にたいって。。
前にもそのような事を匂わせるようなツィートをした時に、仕事も減るし、ファンもいい気分はしないし、いい事はなに一つ起きないし、心配するからやめた方がいいと思いますって。。
せっかく自分で動く道を開いたのに

——————————————————–

繰り返します。
香西咲さんは損を覚悟で種々の発言をされています。

(再掲)
仕事も減る

「渇(かっ)しても盗泉の水を飲まず」という故事があります。
いくら喉(のど)が渇(かわ)いても盗んだ水は飲まない、という意味です。
香西咲さんは、ダークな現状を是認してまでもお金を稼ぎたくない、と考えているのでしょう。
清廉(せいれん)なかたですから。

(「☆ティアたん☆」様のツイートを引用。改行を施しています。)

怖い世界をこっちは散々見てきてるから、だから注意してるんです!!
やりかたが危ないよ、仕事で何回か会っただけで、知り合いでもない香西さんにイチイチ構わずに勝手に消えてくの見てるだけがいいかなフォロー外します

——————————————————–

既述の2つのツイートは、香西咲さんを「心配」してのものでした。
今度は「注意」に変わっています。
どちらが本心なのでしょうか。

(再掲)
やりかたが危ない

これは、どちらの側に災厄が及ぶことを慮(おもんぱか)ってのご発言でしょうか。
香西咲さんでしょうか。
それとも、これを書かれたご自身にでしょうか。

(2016年9月2日 弁護士ドットコム「AV出演強要対策『無名の出演者を置き去りにしないで』男優・辻丸さんが語る課題」より、引用。改行を施しています。)

<辻丸さん>
ツイッターの投稿を見ていると、業界内部では「被害者の選別」が起きているように見えます。
被害を訴えても、同性の女優がなかなか手を差し伸べてくれない。
たとえば、出演強要の被害を告白した女優の香西咲さん。
彼女は業界にとって、「都合の良い被害者」です。
騙されてAV女優になったけど、悪いのは一部のプロダクション。
今は業界愛に満ちている。
だから、業界の女性たちも香西さんには賛同しています
一方で、業界愛のない被害者の事例は無視するか、「例外」であることを強調している印象があります。

——————————————————–

ぼくも、香西咲さんの身に危害が加わることを極端に恐れています。
とりあえずは、辻丸さんの上述の発言を知って安堵しているところです。

(再掲)
怖い世界をこっちは散々見てきてるから、だから注意してるんです!!
やりかたが危ないよ

申し訳ありません。
つぎにのべることは、ちょっときつい言い回しに聞こえるかもしれません。
おもいきって書きます。
もしも、ぼくが、このことばを投げかけられたら、脅されているような気分となってしまいます。
人間には、漠(ばく)としてかたちのはっきりしないものに対して、不安感を覚える、という習性があります。
「☆ティアたん☆」様がおっしゃられている言辞には、具体的な事実が提示されていません。

(2016年8月27日 弁護士ドットコム「<AV出演強要>香西咲さん引退後の夢『人生楽しみたい』」『消せない過去として歩む』(後編)」より、引用。改行を施しています。)

(問)『文春』で告白してから圧力などはありますか?

<香西咲さん>
直接はありません。
ただ、仲が良かった業界関係者に食事に誘われて、
「業界関係者を敵に回すと東京湾に沈められるかもよ」
「どんな政財界の人間が動いてどんな利権が絡んでいるかわからないから、気をつけたほうがいいよ。人が一人消えたところでどうってことないんだから」
といわれたことがあります。
弁護士からは
実はそういうのが一番たちが悪い
といわれました。
本気で受け止めたり、ビビったりしたら、相手の思う壺だから
と。
このタイミングで連絡をとってくる人には警戒しています。

——————————————————–

(「☆ティアたん☆」様のツイートを引用。改行を施しています。)

過去は変えられないけど、未来が消えたわけじゃないんだからね!!
——————————————————–

過去を変えることはできません。
ご指摘のとおりですが、この表現も酷です。
香西咲さんは、出演強要によって傷ついておられます。
今後、犯罪者たちに対して、きちんとした償いをさせることが求められます。
それが実現すれば、精神的には、自分の過去が変わります。
再生を図ることができます
つぎのようなことばをご存じでしょうか。
当ブログでも、何度か引いています。

過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります
(ヴァイツゼッカー大統領。1985年5月8日のドイツ連邦議会での演説より。)

「過去に目を閉ざす者は、現在も盲目である」
香西咲さんは現在、いまの仕事で成功を収めています。
その礎(いしずえ)をつくってくれたのは、最初のプロダクションである。
そのようは理屈は通らないと思います。

香西咲さんのツイッター(2016年9月20日)より、引用。

青木りょうさんへ
5年間を返して下さい
死にたい

——————————————————–

「☆ティアたん☆」様のご発言には、出演強要に対するご自身の見解がありません。
出演強要は是なのか、それとも非なのか。
それを何もおっしゃらずに、お書き込みをなさる。
香西咲さんにとってはとても辛辣な行為に感じられたことでしょう。

日本文学の巨星である三島由紀夫は、つぎのことばを残しています。

センスとは相手の気持ちを読みとること、ただそれだけだ

「☆ティアたん☆」様は、香西咲さんの苦しみを理解されておられるでしょうか。
香西咲さんの傷ついたこころを読みとって、センスのあるおことばを寄せていただきたかったです。
残念です。
——————————————————–
2016年7月07日 香西咲さんの特集記事(1)が週刊文春に掲載されました。
2016年7月14日 香西咲さんの特集記事(2)が週刊文春に掲載されました。
2016年7月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました。
2016年7月20日 香西咲さんのインタビュー記事が、しらべぇに掲載されました。
2016年7月27日 香西咲さんのインタビュー動画が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
2016年7月29日 香西咲さんのインタビュー記事と動画が、毎日新聞のWebサイトに掲載されました。
(引用。A氏による衝撃の回答)
 --出演強要が社会問題化している。事務所の運営や女優との契約について見直しは
 A氏 当然やっていく。今、弁護士と話して、きちんとしていこうとしている

 (A氏は、これまできちんとしていなかったことを認めました。)
2016年8月27日 香西咲さんのインタビュー記事が、弁護士ドットコム(前編)(後編)に掲載されました。
2016年9月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました
香西咲さんのツイッター
(香西咲さんの重要ツイート ~2016年7月18日)
 私だって綺麗にリセット出来るならAVデビュー前の私に戻りたい。
 だけど変えられない現状踏まえて立て直したのが今の形。(後略。)

(明日のブログへつづく)



香西咲さんを勝手に応援するサイトへ

香西咲さんは悪徳プロダクションの時代にどれほどつらい涙を流したのだろうか。この悪徳プロダクションのやつらは絶対に許せない

昨日のつづきです。
かつて、スペイン人たちは、インディオに対して、殺戮(さつりく)と掠奪(りょうだつ)のかぎりをつくしました。
本日も、「インディアスの破壊についての簡潔な報告」のなかから引かせていただきます。

(ラス=カサス著 染田秀藤訳「インディアスの破壊についての簡潔な報告」岩波文庫より、引用。改行を施しています。)

<アメリカ大陸で->
ある邪悪なキリスト教徒(スペイン人)はひとりの娘を犯そうと思い、彼女を強奪しようとしたが、母親が娘を手放さなかった。
そのため、彼(スペイン人)は母親に襲いかかり、探険か剣を抜いて母親と娘の手を切り離した。
しかし、娘(インディオ)がいいなりにならなかったので、彼は滅多突きにして彼女を殺してしまった。

——————————————————–
ある日、ひとりのスペイン人が数匹の犬を連れて鹿か兎を狩りに出かけた。
しかし、獲物が見つからず、彼はさぞかし(犬が)腹を空かしているだろうと思い、(インディオの)母親から幼子を奪ってその腕と足を短刀でずたずたに切り、犬に分け与えた。
犬がそれを食いつくすと、さらに彼(スペイン人)は、その小さな胴体を投げ与えた。

——————————————————–
スペイン人たちは王国を立ち去ったが、その時、彼らのうちのひとりがある村か地方の領主の子息に供を命じた。
しかし、その少年は自分の土地を離れたくないと答えた。
すると、そのスペイン人は「ついて来い。さもないと、耳を斬り落すぞ」と言って脅かしたが、それでも少年は首を縦に振らなかった。
スペイン人は短刀を抜き、少年の一方の耳を、また、そのすぐあと、残りの耳も切り落とした。
それでもなお、少年は自分の村を離れたくないと言い張ったので、スペイン人は冷酷な笑みを浮かべながらいとも簡単に少年の鼻を耳を斬り落した。

——————————————————–

従順で抵抗しないものを手籠(ご)めにする。
ここに登場するスペイン人は、まるで日本の悪徳プロダクションの連中のようです。
まともではありません。
常軌を逸しています。
スペイン人も、悪徳プロダクションも。

(ラス=カサス著 染田秀藤訳「インディアスの破壊についての簡潔な報告」岩波文庫より、引用。改行を施しています。)

<アメリカ大陸で->
(略)、(スペイン人は)捕らえたインディオたちを全員奴隷にした。
(スペイン人)は数えきれないほど大勢のインディオを鎖に繋いで連れ去り、また、産後まもない女に邪悪なキリスト教徒(スペイン人)たちの重い荷物をかつがせたりした。
彼女たちは過酷な労働を強いられたうえに、食物などを与えられなかったために、体が衰弱してしまい、幼子を連れて歩くことができなかった。
仕方なく、彼女たちは子供を道端に放り出し、その結果、大勢に子供が死んでしまった。

——————————————————–
スペイン人たちはインディオに荷物をかつがせ、山中を運ばせて苦しめた。
インディオたちが生来のひ弱さと過酷な労働のために疲労して倒れたり、気を失ったりすると、スペイン人たちは起き上がらせて、息つく間もなく歩かせようと彼らを足で蹴り、棒で殴り、時には、剣の柄頭で歯を砕いたりした。
そういう時、インディオは激しく苦痛に悶え、大きく喘ぎながら苦しそうに言った。
「貴方たちはなんという悪人なのだ。私はもうこれ以上歩けない。さあ、殺して下さい。この場で死んでしまいたい」と。

——————————————————–
(略)、彼ら(スペイン人)がインディオたちに与えた食物は雑草やそのほか滋養のないものばかりで、そのために出産後の母親は乳が出なくなり、大勢の乳飲み子が生後間もなく死んでしまう結果となった。
夫は遠く離れた所にいたので妻に会えず、そのため、彼らの子孫はとだえてしまった。
過酷な労働と飢えのために夫は鉱山で、妻は農場でそれぞれ死んでしまい、こうして、島に暮らしていたインディオたちの大半が死に絶えた。
このような状態がつづけば、世界中の人びとはことごとく死滅してしまったであろう。

——————————————————–

本日、ネットで、以下の記事を読みました。

 2016年9月13日 毎日新聞「AV問題 語り始めた業界人(1)『公平なルールを』」

配信されてから、10日が経っています。
存在自体は知っていました。
興味はありましたけれども、時間の無駄のような気がして、うっちゃっていました。
いま、ブログで、悪徳プロダクションに関する文章を書いています。
何かの参考になるかもしれないと考えて、ふとながめてみました。
早くみるべきでした。
出色(しゅっしょく)の内容です。
鈴木浩太(仮名)というAVプロダクションの代表が取材に応じています。
すぐに違和感を覚えました。
なぜ、仮名なのでしょうか。
顔も隠しています。
もうこの段階で、このかたは普通でない、ということがわかります。
これをご覧になられた大多数のかたも、そう感じたことでしょう。
毎日新聞の記者は、秀抜です(他よりもすぐれ抜きんでています)。
核心の部分を聞きだすのがじょうずです。
鈴木浩太(仮名)くんは、つい本音を洩らしてしまいます。

(引用。改行を施しています。)

(問)「HRNは業界に対する要請書の中で『撮影を欠席した女優には違約金を請求せず、(損害の補てんには)保険制度を利用せよ』と求めています。実現可能でしょうか?

鈴木浩太(仮名)
「出る出る詐欺」が横行すると思う。
「(AVを)やります」と言っても、当日になって「やっぱりやりません」と言えるわけですよね。
友達との約束をバックレる(逃げる)感覚になる。
あくまでも女性の人権だけを擁護していて、業界で働く者の人権にまで考えが及んでいない。
プロダクションは最初からAVだと説明し、契約のこともしっかり話しているのに、前日に女優がバックレた場合は誰が責任を取るのでしょうか。

——————————————————–

(再掲)
出る出る詐欺」が横行すると思う。「(AVを)やります」と言っても、当日になって「やっぱりやりません」と言えるわけですよね
プロダクションは最初からAVだと説明し、契約のこともしっかり話しているのに、前日に女優がバックレた場合は誰が責任を取るのでしょうか

善し悪しは別として、このひとは、キャンセルという行為を認めていません。
どのようなことがあっても絶対に出演させる、との態度です。
最終的には強要もありうる、という自己の内を暗に示唆しています。

(再掲)
前日に女優がバックレた場合は誰が責任を取るのでしょうか

伊藤和子弁護士は、クローズアップ現代+のなかでつぎのようにおっしゃっています。
出演の前日までにキャンセルをすれば、違約金は発生しないというような裁判例も出ています
と。

キャンセルの手順についてものべられています。

(2015年10月1日Yahoo!ニュース「AV違約金訴訟・意に反して出演する義務ないとし請求棄却。被害から逃れる・被害をなくすため今必要なこと」より、引用。)

判例。2015年9月9日>

アダルトビデオへの出演は、原告が指定する男性と性行為等をすることを内容とするものであるから、出演者である被告の意に反してこれに従事させることが許されない性質のものといえる。
——————————————————–

(伊藤和子弁護士)

マネージャーとのやりとりをLine(ライン)でしている場合、Lineに「AVはいやです。やりたくありません」と書いて送れば、「本人の意に反していた」ことの証明になる。簡単にできる。
——————————————————–
そして、事務所のホームページで住所を調べてFAX郵送解除の意思表示をすれば、翌日から撮影現場に行く必要はない。
——————————————————–

プロダクション側は、このこともきちんと周知する必要があります。
それにしても、鈴木浩太(仮名)くんのことばづかいには呆れます。
前日に女優がバックレた場合は誰が責任を取るのでしょうか
「バックレた」
新聞のインタビューでこのような下卑た(げびた。下劣でいやしいとの意味)ことばをおつかいになる。
社会人としてどうなのでしょうか。

(ラス=カサス著 染田秀藤訳「インディアスの破壊についての簡潔な報告」岩波文庫より、引用。改行を施しています。)

<アメリカ大陸で->
スペイン人たちが真珠採取でりでインディオたちに加える暴虐な仕打ちはこの世におけるもっとも残酷で邪悪なもののひとつである。
(中略。)
(略)、それは日の出から日没までつづくのである。
その間ずっと、彼らは息もせずに泳ぎまわり、真珠貝を剥ぎ取っている。
彼らが貝でいっぱいの小さな網を持って上がり、一息つこうとすると、そこにはカヌーか小舟に乗った冷酷なスペイン人たちが待ち受けている。
彼らはインディオたちが少しでも長く休むと、殴り、ふたたび貝を採りに行かせようと、髪の毛をつかんで海中へ放り込む。

——————————————————–

スペイン人もプロダクションも、ひとの命を犠牲にして、果実をむさぼっています。
性根は同じです。

1542年、ラス=カサスは、「インディアスの破壊についての簡潔な報告」を上梓します。
事実を知ったスペイン王のカルロス1世は、翌年、「インディアス新法」を発布します。
内容は、エンコミエンダ制(※昨日のブログを参照)の廃止です。
このことに対して、アメリカ大陸の入植者たちは、いっせいに反発します。
徹底抗戦します。
結果、エンコミエンダ制は存続されることとなります。

1550年、カルロス1世は、討論会を開催します。
議題は、インディオに対する征服活動がゆるされるかどうかです。
参加者のラス=カサスは、こう主張しました。
「インディオの人間としての能力は、ヨーロッパ人と同じであり、権利においても同じである」
「スペイン人が征服して奴隷にすることは許されない」
と。
ラス=カサスはその後も著作活動をつづけて、「インディアス史」などの歴史書も出版します。
1566年、ラス=カサスは、92歳で、生涯を閉じます。
インディオの解放にささげた晩年でした。

かつてポール=サイモンという歌手が、インディオの悲しみを詩にしました。
ぼくは知りませんが、この歌は全世界で大ヒットしたそうです。

(サイモンとガーファンクル歌「コンドルは飛んでいく」より、引用。)

かたつむりになるよりスズメのほうがいい。
そうだとも。
もしなれるなら、そのほうがずっといい。
(中略。)
船に乗って遠くへ行きたいな。
昔ここで見かけた白鳥みたいに。
人は土地にしばりつけられ、世にも悲しげな声を上げている
この世で一番悲しい声を
(略。)
(後略。)

——————————————————–

(再掲)
世にも悲しげな声を上げている
この世で一番悲しい声を

(週刊文春2016年7月14号より、引用。)

人気AV女優の香西咲氏(30)は今回のインタビューで、呼び起こしたくない過去に向き合い、何度も悔し涙を流した
——————————————————–

香西咲さんにはもう、この種の涙を流してほしくないです。
絶対に。
——————————————————–
2016年7月07日 香西咲さんの特集記事(1)が週刊文春に掲載されました。
2016年7月14日 香西咲さんの特集記事(2)が週刊文春に掲載されました。
2016年7月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました。
2016年7月20日 香西咲さんのインタビュー記事が、しらべぇに掲載されました。
2016年7月27日 香西咲さんのインタビュー動画が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
2016年7月29日 香西咲さんのインタビュー記事と動画が、毎日新聞のWebサイトに掲載されました。
(引用。A氏による衝撃の回答)
 --出演強要が社会問題化している。事務所の運営や女優との契約について見直しは
 A氏 当然やっていく。今、弁護士と話して、きちんとしていこうとしている

 (A氏は、これまできちんとしていなかったことを認めました。)
2016年8月27日 香西咲さんのインタビュー記事が、弁護士ドットコム(前編)(後編)に掲載されました。
2016年9月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました
香西咲さんのツイッター
(香西咲さんの重要ツイート ~2016年7月18日)
 私だって綺麗にリセット出来るならAVデビュー前の私に戻りたい。
 だけど変えられない現状踏まえて立て直したのが今の形。(後略。)

(明日のブログへつづく)



香西咲さんを勝手に応援するサイトへ

香西咲さんが悪徳プロダクションに強いられた記事を読むたびに、「インディアスの破壊についての簡潔な報告」を思いだします

AbemaTIMES(2016年9月18日)に、以下の記事が掲載されています。

(引用。改行を施しています。)

<香西咲さん。2016年9月17日 みのもんたのよるバズ!>
香西は、当初はモデルとしてスカウトされたはずだったのに蓋を開けたらAV出演ということになっていた。
「みんなしてグルで騙していたのか。性接待を要求された時、トラックが突っ込んできてくれたら死ねると思った」
と語り、AV撮影のために富士山の麓に連れていかれて、3時間泣いたこともあるという。
その時、自分をスタッフ全員が待っている状況にあった。
これには
「遠いところですから……。よっぽど強い子でないと(撮影を中止させるのは)無理だと思いますし。私さえ泣いておけば丸く収まると思った。結局AV撮影に応じることになりました。あとは、違約金などを理由に辞められないです。結局、弁護士を雇って辞められましたが、人生の大事な時期5年間を失敗したなと思う」
と語った。

——————————————————–

「トラックが突っ込んできてくれたら死ねる」
「違約金などを理由に辞められない」
香西咲さんは自身のツイッターで、つぎのようにおっしゃっています。

香西咲さんのツイッター(2016年7月13日)より、引用。

契約書を縦に止めさせてもくれない、かと言って事務所に居続けたら、 V撮影と性接待(勿論金銭のやり取りなし)に都合良く使われて青木亮に飼い殺しになる…
本気で死にたかった。
あの頃の私はトラックに突っ込んで欲しかった。

——————————————————–

また、香西咲さんは、別のAbemaTIMES(2016年9月18日)のなかでつぎのように語っています。

(引用)

<香西咲さん。2016年9月17日 みのもんたのよるバズ!>
「社長に辞めたいと言ったらふざけるなと怒鳴られた。お前にかかったお金をどうしてくれるんだ、と言って辞めさせてくれなかった」
——————————————————–

悪徳プロダクションといいますと、今年の6月に、つぎのような犯罪が発覚しました。

(2016年6月12日 産経新聞「アダルトビデオ 悪質な勧誘・契約横行、人権侵害の声も」より、引用。改行を施しています。)

(略)、タレントとして所属したにもかかわらずAV出演を強要されたなどの被害相談が急増している。
拒否した女性に対し、契約を盾に高額の違約金を請求する例もあり、業界関係者も「人権侵害とみられても仕方がないケースもある」と語る。
——————————————————–
関係者によると、今回、警視庁に相談した女性はグラビアモデルとして平成21年に契約
ところがその後「AVの撮影をする」と告げられて、撮影現場に連れていかれた。女性は拒否したが契約を理由に「違約金を払え」「親に言うぞ」などと迫られ、数年間にわたり繰り返し出演せざるを得なかったという。
捜査関係者は、「家宅捜索時、関係者らは捜索を受けた理由についてピンときていなかったようだ」と明かす。
警視庁は違法な撮影が業界内で常態化しているとみており、摘発を機に実態解明を目指す。

——————————————————–

香西咲さんの事例とは違いますけれども、手口が酷似しています。
他誌がこの事件の続報をつたえています。

(2016年6月13日 毎日新聞「労働者派遣法違反:モデルAV出演 容疑で芸能プロ元社長逮捕」より、引用。改行を施しています。)

(前略。)
(略)、女性は「グラビアモデルの仕事ができる」と説明を受け同社と契約。
契約書にはAVへの出演も記載されていたが、女性には十分な説明がなく契約書のコピーも渡されなかった
女性がAVへの出演を拒否しようとすると、「違約金を払え」などと迫られ、AV作品に出演させられたという。

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(2016年6月14日 読売新聞「AV強制 5年で100本以上 容疑の元社長ら モデル出演させる」より、引用。改行を施しています。)

(前略。)
発表によると、逮捕されたのは渋谷区の「マークスジャパン」元社長村山典秀(49)(世田谷区代沢)、同社長古指(こざす)隆士(50)(同区宮坂)両容疑者ら男7月2日の読売新聞はこの男の氏名を「高橋慶将」と書いています)3人。
3人は2013年9~10月、性交渉を行うAV撮影の現場に所属モデルの女性を派遣した疑い。
女性と同社の契約書にAV出演を示唆する内容はあったが、女性は詳しい契約内容を知らされておらず、「断れば違約金が発生する」などと言われたという。

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(2016年6月14日 産経新聞「数時間脅し撮影 AV出演強要」より、引用。改行を施しています。)

(略)、女性がAV撮影を拒否した際、元社長らが数時間にわたって女性を脅し撮影を強行していたことが13日、警視庁への取材でわかった。
(中略。)
女性がAV撮影を拒否すると、「違約金を払え」などと数人で取り囲んで軟禁状態にし、撮影を強行したという。
逮捕容疑は25年9月30日と10月1日、性行為を含む撮影のためAVメーカー「CA」(港区)に20代女性を派遣したとしている。

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これとは別の事例もあります。

(2016年7月25日 クローズアップ現代+「私はAV出演を強要された~“普通の子”が狙われる~」より、引用。)

<明子さん(仮名)>
裸のまま逃げ出したこともあった。
でもエレベーターの前で捕まえられて、(部屋に)戻された。
抵抗する回数が減って。
心を殺して、ただ時間が過ぎるのを待っていた。
もう、私は周りの人たちみたいに、普通の人生を歩んでいくことはできない、悔しい思い。
絶望です。

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嫌がる女性に対して耐え難いことを強いる。
こいつらはまともでありません。
この種の記事をみるたびにぼくは、ラス=カサスが著した「インディアスの破壊についての簡潔な報告」を思いだします。
内容はまったく異なりますが、非人間性、という点では、共通したものがあります。
ラス=カサスが生きた時代を顧みてみます。
1492年のことです。
スペインのイザベラ女王の命を受けて、コロンブスが、パロス港を出航します
インドをめざしました。
約2か月後、ある島に到達します。
現在は、バハマ国の領土となっているサン=サルバドル島です。
当時のヨーロッパ人にとって、未知の島でした。
その後、アメリゴ=ヴェスプッチが、周辺にある大きな大陸を発見します。
南アメリカ大陸です。
以降、スペイン人たちが続々と、ここをめざします。
大陸への入植者に対して、スペインは、エンコミエンダ制という仕組みを創設します。
アメリカ大陸の土地と原住民(インディオ)は自由に支配してもよい、という非道な制度です。
以降、インディオは、スペイン人の奴隷として、酷使されます。
実際、スペイン人は、インディオをどのようにあつかったのでしょうか。
ラス=カサスというスペイン人の宣教師がいます。
インディオをキリスト教に改宗させるため、スペインから派遣された人物です。
1552年にラス=カサスは、スペイン人たちがインディオに対して、どのようなことをおこなっているのかを告発しました。
それが「インディアスの破壊についての簡潔な報告」です。
本日、ひさしぶりに、この本を本棚の奥からだしてきました。
このなかから一部を引用させていただきます。

(ラス=カサス著 染田秀藤訳「インディアスの破壊についての簡潔な報告」岩波文庫より、引用。改行を施しています。)

この40年間、また、今もなお、スペイン人たちはかつて人が見たことも読んだことも聞いたこともない種々様々な新しい残虐極まりない手口を用いて、ひたすらインディオたちを斬り刻み、殺害し、苦しめ、拷問し、破滅へと追いやっている。
例えば、われわれがはじめてエスパニョーラ島(現在のハイチ、ドミニカ)に上陸した時、島には約300万人のインディオが暮らしていたが、今では僅か200人ぐらいしか生き残っていないのである。

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スペイン人はこうした悪辣な行為をアメリカ大陸の各地でおこないます。
現在、インディオは、わずかに存在するだけです。

(引用。改行を施しています。)
この40年間にキリスト教徒たちの暴虐的で極悪無慙な所行のために男女、子供合わせて1,200万人以上の人が残虐非道にも殺されたのはまったく確かなことである。
それどころか、私は、1,500万人以上のインディオが犠牲になったと言っても、真実間違いではないと思う。

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具体的な事例をみてみます。

(引用。改行を施しています。)
彼ら(スペイン人)は、誰が一太刀で(インディオを)真二つに斬れるかとか、誰が一撃のもとに首を斬り落とせるかとか、内臓を破裂させることができるかとか言って賭をした。
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彼ら(スペイン人)(インディオの)母親から乳飲み子を奪い、その子の足をつかんで岩に頭を叩きつけたりした。
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また、ある者(スペイン人)たちは冷酷な笑みを浮かべて、(インディオの)幼子を背後から川へ突き落とし、水中に落ちる音を聞いて、「さあ、泳いでみな」と叫んだ。
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彼ら(スペイン人)はまたそのほかの(インディオの)幼子を母親もろとも突き殺したりした。
こうして彼らはその場に居合わせた人たち全員にそのような酷い仕打ちを加えた。

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悪徳プロダクションのやつらがおこなっていることは、このスペイン人の蛮行と同等です。

(再掲)

<香西咲さん。2016年9月17日 みのもんたのよるバズ!>
香西は、当初はモデルとしてスカウトされたはずだったのに蓋を開けたらAV出演ということになっていた。
「みんなしてグルで騙していたのか。性接待を要求された時、トラックが突っ込んできてくれたら死ねると思った」
と語り、AV撮影のために富士山の麓に連れていかれて、3時間泣いたこともあるという。
その時、自分をスタッフ全員が待っている状況にあった。
これには
「遠いところですから……。よっぽど強い子でないと(撮影を中止させるのは)無理だと思いますし。私さえ泣いておけば丸く収まると思った。結局AV撮影に応じることになりました。あとは、違約金などを理由に辞められないです。結局、弁護士を雇って辞められましたが、人生の大事な時期5年間を失敗したなと思う」
と語った。

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スペイン人の悪行については、引き続き明日のブログでご紹介をします。
話題はかわります。
今朝、伊藤和子弁護士のツイッターを拝見しましたところ、目を疑いました。

伊藤和子弁護士のツイートより、引用。改行を施しています。)

<2016年9月22日>
思い込みで、被害をカミングアウトした女優さんを集団リンチ?
とんでもない人がいるんですね。
彼女はHRNと関係ないし、インディペンデントな方だと思いますよ。

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(再掲)
思い込みで、被害をカミングアウトした女優さんを集団リンチ?

起きあがりで、寝ぼけていたので、こう読んでしまいました。
「香西咲さんの思い込みで、被害をカミングアウトした女優さんを集団リンチ?」

ちがいます。
これが正解でした。
「オタクたちが勝手な思い込みをして、7月7日の週刊文春で被害をカミングアウトした香西咲さんを集団リンチ?」

ツイッターは短文による投稿です。
他のかたのもそうですが、真意がよくつたわってこないものもあります。
なかなかむずかしいツールです。
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2016年7月07日 香西咲さんの特集記事(1)が週刊文春に掲載されました。
2016年7月14日 香西咲さんの特集記事(2)が週刊文春に掲載されました。
2016年7月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました。
2016年7月20日 香西咲さんのインタビュー記事が、しらべぇに掲載されました。
2016年7月27日 香西咲さんのインタビュー動画が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
2016年7月29日 香西咲さんのインタビュー記事と動画が、毎日新聞のWebサイトに掲載されました。
(引用。A氏による衝撃の回答)
 --出演強要が社会問題化している。事務所の運営や女優との契約について見直しは
 A氏 当然やっていく。今、弁護士と話して、きちんとしていこうとしている

 (A氏は、これまできちんとしていなかったことを認めました。)
2016年8月27日 香西咲さんのインタビュー記事が、弁護士ドットコム(前編)(後編)に掲載されました。
2016年9月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました
香西咲さんのツイッター
(香西咲さんの重要ツイート ~2016年7月18日)
 私だって綺麗にリセット出来るならAVデビュー前の私に戻りたい。
 だけど変えられない現状踏まえて立て直したのが今の形。(後略。)

(明日のブログへつづく)



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香西咲さんは、今を生きてください。「眠られぬ夜を明かして又想う苦しき今を今を生き抜け」(道浦母都子)

孔子(B.C.552年~B.C.479年)という中国の思想家がいます。
儒学の創始者です。
あるとき孔子は、弟子からつぎのような質問を受けました。
「先生、死について教えてください」
聞きおえた孔子が、こう答えました。
いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん
と。
直訳すると、
「わたしはまだ、生きるということがどういうことなのかわかっていない。そのようなわたしが、死について語ることなどできるはずがない」
となります。
おそらく孔子はこういいたいのでしょう。
「死を考える暇があるのならば、まずは、自分の目の前にある人生をしっかりと生きなさい」
と。

以前、毎日新聞に、詩人の真壁仁(まかべじん)さんの文章が掲載されました。
(※孫引きです。)

 1974年2月8日 毎日新聞「アカツカトヨコの果敢な生涯」 

つぎのような内容です。
赤塚豊子さんは、1947年に、山形県の天童市で生まれました。
生後まもなくして、小児麻痺にかかります。
やがて、手足の自由を失います。
下半身は、骨のないような状態となりました。
このため、自分で立ちあがることができません。
手も、指以外は満足に動きません。
声も失いました。
胸部もおかされて、リンパ腺をわずいらいます。
健全な感官(感覚器官)は、目と耳だけになりました。
通学することができない豊子さんは、祖父から読み書きを教わります。
ラジオを聞きながら、目の前にあるラジオの番組表の活字を追いました。
こうして少しずつ、漢字をおぼえていきます。
18歳のころから、詩の創作をはじめます。
横で聞いている家族がそれを書きとめました。
22歳のときです。
カナタイプライターを買ってもらいました。
豊子さんはそれをつかって文字を刻みます。
詩を書くことが唯一の生きる証(あかし)でした。

(「アカツカトヨコの果敢な生涯」から、引用。これは孫引きです。)

ナニゲナク サヨウナラト 呟クト
ワタシノ中の何カガ 消エル
一ツノ灯火明リガ
小サナ叫ビヲ アゲテ 消エルヨウニ
ナニゲナク サヨウナラト 呟クト
ワタシノ中ノ何モノカガ 離レル
一人ノ親シイ人間ガ
寂シサヲ 秘メタ言葉ヲ 残シテ離レルヨウニ

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「何気なく、さようなら、とつぶやくと、私のなかの何かが消える」
「何気なく、さようなら、とつぶやくと、私のなかの何者かが離れる」

人間は、自分に対して、「さようなら」をいってはいけない。
豊子さんの哀切な思いがつたわってきます。

尼崎脱線事故をご存じでしょうか。
2005年4月25日のことです。
塚口駅と尼崎駅の間で、列車が脱線しました。
この事故で107名のかたが歿(ぼっ)しました。

犠牲者のなかに、佐々木麻有さんという女性がいます。
享年25歳です。
麻有さんは14歳のときに、母親を亡くしました。
以来、父と弟の母親がわりとして、家事全般をこなしてきました。
事故当日、麻有さんは、関西空港へ向かう途中でした。
友人と一緒に、2泊3日の韓国旅行へいくためです。
麻有さんにとってはじめての海外旅行でした。
父も弟も、ねぎらいのことばをかけて送り出しました。
麻有さんは残った家族のことを気にかけて、つぎのメモを残していました。

(引用)

父さんへ。
土日の買い物ありがとう。
来週はゆっくり休んでください。
朝、出る時 声かけてほしいです。
冷凍庫に入っている
ごはん コロッケ、納豆、いかなご 
食べてね。
いかなごは そのままお皿に入れて
自然解凍です。
納豆は、からしとたれを取ってから
レンジで40秒ぐらい。
二つなら 50秒~1分ぐらいです。
がくへ。
ごはん、ちゃんと食べといてね。
牛乳も飲んでください。
いっぱい おみやげ買ってくるね。

まゆ より。
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1985年8月12日、日航機が墜落しました。
この事故で520人のかたが亡くなりました。

JAL 安全啓発センター 「展示室」より、引用)

当該事故の直接原因とされる後部圧力隔壁や後部胴体をはじめとする残存機体、コックピット・ボイスレコーダー、ご遺品、乗客の方々が残されたご遺書、事故の新聞報道や現場写真を展示しています。(後略。)
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JALの安全啓発センターの展示室には、墜落の間際に書かれた故人の文章がおかれています。

<河口博次さん(52歳)。大阪商船三井船舶神戸支店長>

マリコ
津慶
知代子
どうか仲良く がんばって
ママをたすけて下さい
パパは本当に残念だ
きっと助かるまい
原因は分らない
今五分たった
もう飛行機には乗りたくない
どうか神様 たすけて下さい
きのうみんなと 食事をしたのは
最后とは
何か機内で 爆発したような形で
煙が出て 降下しだした
どこえどうなるのか
津慶しっかりた(の)んだぞ
ママ こんな事になるとは残念だ
さようなら
子供達の事をよろしくたのむ
今六時半だ
飛行機は まわりながら
急速に降下中だ
本当に今迄は 幸せな人生だった
と感謝している

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この事故から25年後のことです。
日本経済新聞が、落命された河口博次さんの家族の近況を報じました。

 2010年8月10日 日本経済新聞「父の『遺言』胸に25年 日航機墜落直前『幸せだった』」

(引用。改行を施しています。)

(略)、河口博次さん(当時52)の長女、真理子さん(49)が取材に応じ、(略)、惨事から25年となる心情を語った。
(中略。)
背広のポケットに入っていた黒革の手帳を弟の津慶さん(46)が見つけた。
乱れた筆跡、次のページに写るほどの強い筆圧。
真理子さんは今、思う。
飛行機が大好きで、神頼みなんかするような人じゃなかったのに。
それでも最後は死を受け入れたんだ。
死に目には会えなかったけど、あのメッセージがあったから、わたしは心の整理をつけられたのかもしれない。
この年になっていきなり死ぬとき、幸せな人生だったって、自分は書けるかどうか……。
(略。)
手帳は母、慶子さん(76)が自宅で大切に保管している。

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<松本圭市さん(29歳)。阪急電鉄社員>

PM6・・・30
知子 哲也(両親を)をたのむ 圭市
突然 ドカンといってマスクがおりた
ドカンといて降下はじめる
しっかり生きろ
哲也 立派になれ

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<吉村一男さん(43歳)。日建設計社員>

しっかり生きてくれ。(二人の子供を)よろしく頼む
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<谷口正勝さん(40歳)。大阪府箕面(みのお)市。チッソ株式会社ポリプロ繊維部主任>

まち子
子供よろしく
大阪みのお 谷口正勝
6 30

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飛行機は、ダッチロール(横揺れと横すべりを繰り返し左右に蛇行)しています。
乗客の悲鳴が幾重にも重なりました。
そのなかを客室乗務員たちが、励ましの声をかけてまわります。
「だいじょうぶです」
「赤ちゃんはしっかり抱いてください」
「ベルトはしていますか」
と。
アナウンス担当の対馬祐三子さん(29歳)は、不時着に備えて、つぎの原稿を書き残していました。

おちついて下さい
ベルトをはずし
身のまわりを用意して下さい
荷物は持たない
指示に従って下さい

PAX(乗客)への第一声
各DOORの使用可否
機外の火災CK(チェック)
CREW(乗員)間CK
ベルトを外して
ハイヒール
荷物は持たないで
前の人2列
ジャンプして
機体から離れて下さい
ハイヒールを脱いで下さい
荷物を持たないで下さい
年寄りや体の不自由な人に手を貸

火災
姿勢を低くしてタオルで口と鼻を覆って下さい
前の人に続いてあっちへ移動して下さい

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宗教改革の嚆矢(こうし。はじまりとの意味)となったルター(1483年~1546年)は、つぎのようなことばを残しています。

たとえ明日に世界が終わろうとも、私はりんごの樹を植える
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どのようなことがあっても最後の一瞬まで生きなければならない、とルターはいいます。
ぼくも同感です。
死などというものは、一心不乱に駈けてきたひとが、何かの拍子にふと思い浮かべるものではないでしょうか。
哲学者のカント(1724年~1804年)は、死の直前にこうつぶやいています。
もうそれでよい
と。
すべてをやりつくしたカントだからこそ、いえたことばです。
失礼ですけれども、香西咲さんは、まだ道半ばです。
まだまだカントの域には達していません。
苦しいかもしれませんが、今を生きてください。

(ながらみ書房刊「新装版 無援の抒情」道浦母都子著より、引用。)

眠られぬ夜を明かして又想う苦しき今を今を生き抜け
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2016年7月07日 香西咲さんの特集記事(1)が週刊文春に掲載されました。
2016年7月14日 香西咲さんの特集記事(2)が週刊文春に掲載されました。
2016年7月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました。
2016年7月20日 香西咲さんのインタビュー記事が、しらべぇに掲載されました。
2016年7月27日 香西咲さんのインタビュー動画が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
2016年7月29日 香西咲さんのインタビュー記事と動画が、毎日新聞のWebサイトに掲載されました。
(引用。A氏による衝撃の回答)
 --出演強要が社会問題化している。事務所の運営や女優との契約について見直しは
 A氏 当然やっていく。今、弁護士と話して、きちんとしていこうとしている

 (A氏は、これまできちんとしていなかったことを認めました。)
2016年8月27日 香西咲さんのインタビュー記事が、弁護士ドットコム(前編)(後編)に掲載されました。
2016年9月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました
香西咲さんのツイッター
(香西咲さんの重要ツイート ~2016年7月18日)
 私だって綺麗にリセット出来るならAVデビュー前の私に戻りたい。
 だけど変えられない現状踏まえて立て直したのが今の形。(後略。)

(明日のブログへつづく)



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