香西咲さんには絶対、しあわせになってほしい。ミルの幸福論とアランの幸福論

昨日はミルの思想の根幹について綴ってみました。
ミルの思想の源流には、幸福の量の拡大ばかりを追い求めていくことが正統なのか、という懐疑があります。
自問自答の結果、幸福には質の違いがある、と看取します(気づきます)。
昨日もご紹介をしました。
このことを自著の「自叙伝」のなかで、つぎのように表現しています。
——————————————————–
自分の幸福でない、例えば他人の幸福、人類の向上、あるいは芸術とか研究とかをそれ自体として追求する過程の中で、いわば副産物として幸福が得られるというように考えるに至ったのである。
——————————————————–

「幸福は、量の違いだけではなく、の違いも考慮しなくてはならない」
「幸福になる唯一の道は、幸福でなく、なにかそれ以外のものを人生の目的に選ぶことである」
ミルは最終的に、このような結論に到達します。

以前、朝日新聞の「声」という欄に、読者からの投稿が掲載されました。
以下に引用させていただきます。(これは、孫引きです。また、改行を施しています。)

先日、ちょっとした家の建て増しをした。
初めの3日ほど若い大工さんがやって来た。
ハデなシャツを着た、大変おしゃれなカッコイイ若者だった。
彼は仕事をしている間、ずっとラジオをつけっぱなしにしていた。
それも歌謡曲やジャズといったものばかり。
次々とダイヤルをまわしては同じ歌ばかり何回も飽きずにきいている。
4時になると、さっさと仕事を終えてカッコイイ若者に早がわりし、道具をやりっぱなしのまま(放置したまま)バイクに乗ってさっそうと帰っていった。

4日目に若い大工さんにかわって60歳ぐらいの年配の大工さんがやってきた。
見るからに職人気質を思わせる人であった。
昼食もお茶も15分そこそこ、じっとしていることが大きらいらしい。
仕事が好きで好きでたまらないらしく、すわっていても太い手はいつも動いていた。
「4時になりましたから、しまってください」
というと、
「まだおてんとうさまいますからね」
といって、
なかなか仕事をやめようとしない。
暗くなるまで仕事をして、きちんと後片付けをして自転車で帰っていった。

わたしはここで若い大工さんと年配の大工さんをくらべてみるつもりはない。
ただ若い大工さんよりも年配の大工さんの生き方の方がしあわせのようにみえたのである。

——————————————————–

ミルは、
「幸福は、量の違いだけではなく、の違いも考慮しなくてはならない」
といいます。
上述の若い大工さんと年配の大工さんですが、はたしてどちらがしあわせに生きているのでしょうか。

はなしはかわります。
昨日、当ブログで、幸福について書いていました。
そのとき、ふと、学生時代に読んだある本が脳裏を過(よ)ぎりました。
アランの「幸福論」(岩波文庫)です。
本日、ひさしぶりに、本棚の奥からだしてきました。

アラン(1868年~1951年)は、フランスの哲学者です。
代表的な著作である「幸福論」は93の章からなっています。
書かれた文章はいずれも、書物の2ページから4ページ以内の範囲に収まっています。
アランはこのような短い章のことを「プロポ」と呼んでいます。
プロボは、「哲学断章」と訳されています。
「幸福論」は単に、幸福だけについて論じた本ではありません。
どの章(プロポ)にも、人生全般に関するアフォリズム(いましめ)が散見されます。
当該著作のなかから一部を引用してみます。

(「幸福論」から引用。改行を施しています。)

 運命について(102~105ページ)

<103~104ページ>
(多くのひとは、ほしいものが手に入らないことに対して不満をもらす。)
しかし、その原因はいつも、彼らがそれを本当に欲しなかったことにある。
田舎に引っこんでしまったあの大佐は、できることならば将軍(軍人のトップの官職)になりたかった。
もしぼくが彼の生涯を調べたら、彼はなすべきことがあったのに、やらなかった。
やろうと欲しなかった点をいくつか見つけるであろう。
彼には将軍になろうとする意志がなかったことを、ぼくは彼に証明できるだろう。

——————————————————–

(多くのひとは、ほしいものが手に入らないことに対して不満をもらす。)
「その原因はいつも、彼らがそれを本当に欲しなかったことにある」
ぼくは最初にこれを読んだとき、とても酷(きび)しいことをいっていると感じました。
「いまの現状をなげくな」
「努力もせずにあれこれと不満をいうな」
といったところでしょうか。

(2016年7月27日 毎日新聞「香西咲さんのインタビュー記事」より、引用。)

<香西咲さん>
大学時代から、自らが広告塔となり流行を発信していくような女性実業家にあこがれていた。
——————————————————–

香西咲さんには、雑貨店を開業したいとの夢がありました。

(2016年7月29日 毎日新聞「香西咲さんのインタビュー記事」より、引用。改行を施しています。)

 --なぜそこまで覚悟を決められた?

<香西咲さん>
AVが夢にはつながらないことに気付き、ダラダラやっているのはよくないと思ったんです。
「続けてもあと1年ぐらいかな」

——————————————————–

おおかたのひとは、自分が以前に思い描いていた夢など、とうの昔に忘れています。
人間とは概して、保守的です。
現在慣れ親しんだ環境から抜け出す気概はなかなか沸きません。
時折、不平を洩らすのが関の山です。
おれはやればできるんだ、との強弁を口にして、現状にとどまりつづけているひともいます。
アランはこういいます。
その原因はいつも、彼らがそれを本当に欲しなかったことにある
と。

香西咲さんはこういった常人とは違います。
いま、自身の夢に向かって、新たな道を歩もうとしています。

彼はなすべきことがあったのに、やらなかった
彼には(最初から)将軍になろうとする意志がなかった

香西咲さんに限っては、このことばは当てはまりません。
すごいおかたです。

アランは他にも、瞠目(どうもく)させられる警句を発しています。
一部を引用させていただきます。

(引用。『遠くをみよ』の章の172ページ。改行を施しています。)

憂鬱な人に言いたいことはただ一つ。
「遠くをごらんなさい」
憂鬱なひとはほとんどみんな、読みすぎなんだ。
人間の眼はこんな近距離を長く見られるようには出来ていないのだ。
広々とした空間に目を向けてこそ人間の眼はやすらぐのである。

——————————————————–

(引用。『短剣の舞』の章。改行を施しています。)

<178ページ>
われわれが耐えねばならないのは現在だけである。
過去も未来もわれわれを押しつぶすことはできない。
なぜなら、過去はもう実在しないし、未来はまだ存在しないのだから。

——————————————————–
<180ページ>
未来のことがこわいだって?
君は自分の知らないことを語っているのだ。
出来事というのは、われわれの期待通りには絶対行かないものだ。
君の苦痛については、まさに今苦痛は大変ひどいものであるがゆえに、必ず軽くなるだろうと言うことができるのだ。

——————————————————–

(引用。『幸福にならねばならない』の章の312ページ。改行を施しています。)

幸福になるのは、いつだってむずかしいことなのだ。
多くの出来事を乗り越えねばならない。
大勢の敵と戦わねばならない。
負けることだってある。
乗り越えることのできない出来事や、(略)手におえない不幸が絶対ある。
しかし力いっぱい戦ったあとでなければ負けたと言うな
これはおそらく至上命令である。
幸福になろうと欲しなければ、絶対幸福になれない

——————————————————–

以上、アランの幸福論でした。

本日、香西咲さんのインタビュー記事が、弁護士ドットコムに掲載されました。
拝読させていただきました。
香西咲さんには、しあわせになってほしい。
あらためて、そう感じました。
——————————————————–
2016年7月07日 香西咲さんの特集記事(1)が週刊文春に掲載されました。
2016年7月14日 香西咲さんの特集記事(2)が週刊文春に掲載されました。
2016年7月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました。
2016年7月20日 香西咲さんのインタビュー記事が、しらべぇに掲載されました。
2016年7月27日 香西咲さんのインタビュー動画が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
2016年7月29日 香西咲さんのインタビュー記事が、毎日新聞のWebサイトに掲載されました。
(引用。A氏による衝撃の回答)
 --出演強要が社会問題化している。事務所の運営や女優との契約について見直しは
 A氏 当然やっていく。今、弁護士と話して、きちんとしていこうとしている

 (A氏は、これまできちんとしていなかったことを認めました。)
2016年8月27日 香西咲さんのインタビュー記事が、弁護士ドットコム(前編)(後編)に掲載されました。
香西咲さんのツイッター
(香西咲さんの重要ツイート ~2016年7月18日)
 私だって綺麗にリセット出来るならAVデビュー前の私に戻りたい。
 だけど変えられない現状踏まえて立て直したのが今の形。(後略。)

(明日のブログへつづく)



香西咲さんを勝手に応援するサイトへ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。