戦争について(5)~香西咲さんが死なずに生きていてくれて本当によかった

沖縄の観光名所としてまっさきにあげられるのが、「ひめゆりの塔」です。
旅行に行ったひとが一度は訪れるという、有名スポットです。
その名称は広辞苑にも掲載されています。
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(引用)
第二次大戦末期、沖縄で看護要員として動員され悲劇的最期をとげた県立第一高女・沖縄師範女子部の職員・生徒(ひめゆり部隊)を合祀した塔。
その最期の地、沖縄県糸満市に建つ。

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記憶が定かでありません。
あれはたしか中学生ぐらいのときであったでしょうか。
ある日、「ひめゆりの少女たち」というタイトルの本を購入しました。
著者は、那須田稔さんです。
ぼくは以前より、ひめゆり部隊に対して、憧憬の念をいだいていました。
同じ学生なのに、医療現場へ行って颯然(さつぜん。風をきるとの意味)とした活躍をしたわけです。
自分もあやかりたい。
そのような願いもこめて、勇んで活字を追いました。

(偕成社文庫刊「ひめゆりの少女たち」(那須田稔著)より、引用。)

ひめゆりの少女たちは、うめき声をあげる兵隊さんたちのあいだを、やすむひまもなくとびまわっていました。
ろうそくのあかりにうかぶ壕(防空壕)のなかは、顔や頭、むね、腹、手足などをほうたいでまいた兵隊さんたちで、足のふみ場もないありさまです。
きずのいたさに、うめき声をあげるのはまだいいほうです。
なかには、
「おかあさん、たすけて!」
となきだす兵隊さんがいます。
「くるしい、くるしい、いっそのこところしてくれ!」
とさけぶ兵隊さんたちがいます。
少女たちは、どうしていいかわからず、おろおろするばかりでした。
あけがた、ルリが看病していた学徒兵(学校に籍を置いたまま戦争に動員された兵)は、うっすらと目をあけました。黒いひとみのきれいな目でした。
「ありがとう。やさしい女学生さんにかいほうしてもらうなんて、ぼくはいつ死んでもいいです」
学徒兵はひとりごとのようにいいました。
ルリが、
「死ぬだなんて、兵隊さん、しっかりしてください」
とはげますと、ひげだらけの顔でうなずき、
「きみは、ぼくの妹にそっくりだ。ゆうべ、きみに草むらのところであったとき、妹がぼくにあいにきてくれたのかとおもったほどだよ」
とにっこりわらいました。
女学校にはいったばかりの妹がいることなどをはなしたあとで、
「どうか、戦争がおわって、妹にあえることがあったら、これをわたしてほしい」とポケットのなかから一冊のノートをとりだしました。
ひらいてみると、なかに赤いディゴの花が、おし花になってはさんでありました。
赤い花はすこしも色あせていませんでした。

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ひめゆり部隊の女学生が勤務する病院は、防空壕のなかにありました。
臨時にもうけられた仮の施設です。
壕のなかでは、傷病者に対して十分な手当を施すことができませんでした。
食糧は日を追うごとに減っていきます。
薬と包帯は、あともうわずかしか残っていません。
こうしたなか、毎日、多くの病人が、落命していきました。
ある男性は、死ぬ間際に、ルリさんに感謝の意をあらわしました。
ふるさとの両親への伝言を依頼して、亡くなったかたもいます。
ルリさんはその最期のことばをひとつひとつノートに書きとめました。
いつの日か、ふるさとに住む親に、遺品と一緒に送り届けてあげるためです。
ある夜のことでした。
ルリさんが土のかべにもたれてまどろんでいると、近くで、自分を呼ぶ声がしました。
若い男性です。
近づき、容態を確認しました。
相手がいいました。
子守歌をうたってくれませんか、と。
ルリさんは戸惑いました。
まさか、冗談をいっているのでは。
見直しました。
哀しい目でした。
肯(うなず)いたルリさんは、ゆっくりと口ずさみました。
聞いている男性の目から、涙が流れました。

毎日、負傷した兵士が壕のなかに運ばれてきます。
ある日のことです。
医薬品が枯渇しました。
このことを確認した軍医が、壕のなかにいるひとたち全員に、手榴弾を配布しました。
アメリカ兵と戦うためではありません。
捕まる直前に、自決(自ら命を絶つこと)をするためです。
目的に反して、その日から手榴弾で自死する患者が続出しました。

1945年6月19日のことでした。
軍部から一通の命令書が届きました。
本日限りで、ひめゆり部隊を解散する。
明日から、おまえたち女学生は、どこへいってもよいと。
ルリさんたちは困惑しました。
外はアメリカ軍の砲弾が飛び交っています。
自分たちに、行く当てなど、ありません。
最後の夜、女学生たちは、うす暗い灯火のなかでお別れの会を催しました。
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(偕成社文庫刊「ひめゆりの少女たち」(那須田稔著)より、引用。)

「生きているのも、こん夜だけのような気がするわ」
真喜志さんが、ぽつんとそういいました。
「生きるのよ。最後まであきらめてはいけないわ」
ルリは、くちびるをかみしめ、
「ぜったい、生きてみせる。死んだりはしない」
と、なんども、じぶんにいいきかせました。

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そのときでした。
雷鳴がとどろきました。
白煙が舞いあがります。
ルリさんは、喉が締めつけられるような痛みを覚えました。
涙がとまりません。
アメリカ軍が壕のなかへガス弾を打ちこんだのです。
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(偕成社文庫刊「ひめゆりの少女たち」(那須田稔著)より、引用。)

あっちでも、こっちでも、
「水はどこ、くるしい」
「くるしい、もうころしてちょうだい!」
という声。
「手りゅう弾は、どこ。手りゅう弾は、どこ。手りゅう弾でころして!」
という声。
あまりのくるしさに、死んでしまいたい。
(略。)
ルリものどをかきむしり、さけんでいました。
「手りゅう弾で、死のう。手りゅう弾で死ぬのよ、はやく死にましょう」

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女学生たちの手榴弾は、担任の先生が一括して預かっていました。
その先生は座って軍歌を歌っています。
それがおわると、立ちあがりました。
爆発音が響きわたりました。
先生は手榴弾を爆発させて、自死したのです。
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(偕成社文庫刊「ひめゆりの少女たち」(那須田稔著)より、引用。)

ルリは、
「さようなら、先生」
といっているうちに、目のまえがまっくらになりました。

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(偕成社文庫刊「ひめゆりの少女たち」(那須田稔著)より、引用。)

(水がほしい!)
さいしょに、ルリはそうおもいました。
のどが、ひりひりといたむのです。それから、なにかおもいものが、からだのうえにのっているようです。
よくみると、たくさんの兵隊さんや友だちのしたじきになっているのです。
(どうしてみんなねむっているのかしら。)
と、ルリはふしぎでした。
「おきなさいよ」
そういって、そばにいた友人のひとりをゆりうごかそうとすると、だれかが、
「みんな死んでしまった」
といいました。
(略。)
「きみはどくガスにやられて、気をうしなってから、きょうで三日めになる」
(略。)
ルリは、はっていって、いつもみんながいた入り口の岩のところにこしをかけました。
ほらあないっぱいに、少女たちや兵隊さんがたおれていました。
口がさけたようになっているひとや、もんぺのひもをぐるぐるおなかにまきつけているひと、おなかがぱんぱんにはれあがっているひと、セルロイドのお人形のようにつるつるした顔になっているひと。
みんなどんなにくるしかったことでしょう。
「ああ、みんな死んだんだわ」
ルリは、ただ、そうくりかえしているだけでした。

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愕然となりました。
これが戦争なのです。
ひめゆり部隊に対してロマンを感じていた自分に対して、忸怩(じくじ。恥じ入るという意味)たるものを感じました。
当時の沖縄には、60万人のかたが住んでいました。
このときの戦いで、20万人(26万人という説もあります)が亡くなりました。

(偕成社文庫刊「ひめゆりの少女たち」(那須田稔著)より、引用。)

「さいきんのルリさんのことがわかったんです」
つぎの日の朝、ぼく(那須田稔さん)が、ホテルのへやでかえりじたくをしていると、久手堅先生がとびこんできました。
「えっ? ルリさん?」
「そうあのひめゆりの少女の宮良ルリさんですよ」
伊原の壕で、さいごまで生きのこったルリさんが、いま、石垣島で、学校の先生をしているということがわかり、さっそくしらせにきてくださったのです。

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社会人になってからぼくは、宮良ルリさんが上梓された本を購入しました。

 ニライ社刊「私のひめゆり戦記」(宮良ルリ著)

当時の出来事が克明に記されています。
戦死された学友たちの写真も掲載されています。
いまぼくは、そのモノクロ(白黒)の写真をぼんやりとながめています。
ほほえんでおられます。
この笑顔は二度と帰ることがなかった-
ぼくには嘆息するしかできません。

香西咲さんのTwitter(2014年6月16日)より引用。

そう言えば自分の1番のチャームポイントって笑顔だった。
顔やスタイルが秀でていなくても、
笑顔だけは昔からみんなに褒められてたし、自信もあった。

また心からの笑顔を取り戻したいな。
(略。)

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2016年7月7日発売の週刊文春(7月14日号)「香西咲さんのインタビュー記事」より、引用。

いっそ自分の人生を終わらせてしまおうかという衝動に駆られたことも一度や二度ではありません。
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生きていてくれて本当によかった。
こころからそう思います。
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2016年7月07日 香西咲さんの特集記事(1)が週刊文春に掲載されました。
2016年7月14日 香西咲さんの特集記事(2)が週刊文春に掲載されました。
2016年7月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました。
2016月7月20日 香西咲さんのインタビュー記事が、しらべぇに掲載されました。
2016月7月27日 香西咲さんのインタビュー動画が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
2016月7月29日 香西咲さんのインタビュー記事が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
(引用。A氏による衝撃の回答)
 --出演強要が社会問題化している。事務所の運営や女優との契約について見直しは
 A氏 当然やっていく。今、弁護士と話して、きちんとしていこうとしている

 (A氏は、これまできちんとしていなかったことを認めました。)
香西咲さんのツイッター
(香西咲さんの重要ツイート ~2016年7月18日)
 私だって綺麗にリセット出来るならAVデビュー前の私に戻りたい。
 だけど変えられない現状踏まえて立て直したのが今の形。(後略。)

(明日のブログへつづく)



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