戦争について(3)~洗脳された香西咲さんは何度となく自分の人生を終わらせたいと考えた

昨日は、戦争に関して、ある2つの実話をご紹介しました。
哀切です。
キーボードを打っている手が何度もとまりました。
ぼくは単純ですので、ハッピーエンドでおわる物語が好きです。
つらいことからは目をそらしたいというのが本音です。
ただ、
「過去に目を閉ざすものは、現在も盲目である」
という箴言(しんげん。いましめとなる短い句の意味)もあります。
あまり得意ではありませんが、本日も、戦争について、書いてみたいと思います。

1941年12月8日から、太平洋戦争がはじまりました。
おわるのが、1945年8月15日です。
この間の出来事は多岐(たき)にわたっています。
ひとつの事象ごとに、尨大(ぼうだい)な記述がなされています。
興味深い話題もたくさんあります。
知識も深まります。
ところが、読み進めていくうちに、「木を見て、森を見ず」(細かい点に注意し過ぎて大きく全体をつかまない)の状態になってしまいます。
いつの間にか流れがわからなくなっています。
そうならないためにも、ぼくは、太平洋戦争の期間を大きく2つ分けて考えるようにしています。

 1941年12月8日~1942年6月(約半年間)

開戦から半年後、日本が占領する領域は、下図のとおりにふくらみました。
(※引用させていただいた地図は、世界史地図理解に掲載されているものです。)

太

平洋戦争中に日本が獲得した領土、国

赤い線の内側が、日本が掠奪したところです。
こうしてあらためてながめてみますと、支配が及んだ範囲は広大です。
軍部はこれをさらに押しひろげようとします。
地図上で、「ミッドウェー」と記されている箇所をご覧ください。
1942年6月、日本軍はあらたに、このミッドウェー島を攻略しようとします。
これを阻止しようとして迎え撃ったのが、アメリカ軍です。
こうしてはじまったのが、「ミッドウェー海戦」です。
結果、日本は、この戦いに敗れます。
これが分水嶺(ものごとの方向性が決まる分かれ目)となりました。

 1942年6月~1945年8月15日(約3年余り)

以降、日本軍は、占領している領域を次々と奪い返されていきます。
簡単にまとめると、こうなります。

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 1941年12月8日~1942年6月(約半年間)・・・・・・連戦連
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 1942年6月~1945年8月15日(約3年余り)・・・・・・連戦連
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つぎに、各々の期間を象徴する実例を紹介します。

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 1941年12月8日~1942年6月(約半年間)・・・・・・連戦連

日本軍は占領した地域でつぎのようなことをおこないました。
(講談社現代新書刊「太平洋戦争の歴史」黒羽清隆著より、引用。)

(まずは、)お決まりの拷問となる。
まず風呂場へ連れて行き、暴れないようにすでに骨折している右腕を体の上に、左腕は後手に縛りつける。
仰向けに寝かせて、タオルでゆるく鼻と口を覆い、首の後で結ぶ。
大きなやかんに水をいっぱい入れ、鼻と口を覆ったタオルの上から水をそそぐ。
水をふくんだタオルは、ピッタリと呼吸口の鼻の穴を塞ぎ、呼吸を遮断する。
いきおい、彼は口で呼吸をするため口を大きく開く。
そこへまた水がそそがれる。
見る間に彼の腹はふくれ上がって、胃袋が水でいっぱいになるのが外からでもわかる。
苦しみのたうちまわる捕虜の姿を見て、私は身も心も動転して通訳するところではない。
ふるえる自分の体を抑制するのに必死だった。
おもわず、彼が目の前で死ぬのではないかと、骨折した彼の手首を握り、脈をはかった。
あんがい正常な脈拍を感じ、ホッとしたのをはっきりとおぼえている。
「マザー、マザー」
と泣き叫ぶ彼の姿を前にして、私も
「お母さん、あなたの息子はいま、何をしているのか知っているか」
と心の中でつぶやいていた。

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国際法により、捕虜の虐待は禁止されています。
日本には順法精神など微塵もありませんでした。
日本軍によるこのような行為は常態化していました。

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 1942年6月~1945年8月15日(約3年余り)・・・・・・連戦連

太平洋戦争中に日本が獲得した領土、国

日本軍が死守していた地域や島々が陥落していきます。
(偕成社刊「戦火と死の島に生きる~太平洋戦・サイパン島全滅の記録」菅野静子著より、引用。これは孫引きです。また、改行を施しています。 )

<サイパン島で看護婦をしていた菅野静子さんの場合>

若い兵士たちはだれもかれも母親のことを話した。
年とった兵士は例外なく子どものことを話し、もう一度会って死にたいと涙を浮かべて語った兵士もいた。
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最後のときが迫り、歩行不能の患者には、乾パン1個と缶詰1個と、そして、8人あたり1個の手榴弾(小型の爆弾)がくばられた。
歩ける傷兵の隊列が月光の底を歩みはじめたとき、後方で手榴弾が炸裂し、その音にまじって、妻や子の名を呼ぶ声、
「お母さん、サヨナラーッ」
という声が交錯した。
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山に入って夜を明かそうと、暗い樹林に入ると、あちこちの枝に女性の縊死体(首をつった死体)がぶらさがっている。
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7月7日か8日の夕方、傷病兵たちに突撃命令がくだったとき、兵士たちのもっている武器でいちばんなのが銃剣、あとは手榴弾と木刀。
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最後に隊長は壕(洞穴)内のかの女(菅野静子さん)にさけんだ。
「看護婦、出てゆけッ! ハンカチをもって出てゆけ。敵は殺さない。君だけは生きるんだ」
やがて、かれは拳銃をのどにあてて発射し、自決した。
かの女はついに出ていけなかった。

かの女の指は手榴弾の安全ピンをぬいた。
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そのあとは、なにもわかっていない。
意識をとりもどしてから、おきあがろうとしたが、自分の身体が石のようにおもくて、うごくこともできなかった。
わかいアメリカ軍の将校の頭がかぶさってきた。
「あなたはけがをしている。うごいてはいけない」
それは、はっきりした日本語だった。
「みんな死にました。生きたのはあなただけです」
菅野(菅野静子さん)は、鉄かぶとをかぶり、赤十字のカバンを肩にしてたおれていたという。
黒人兵が4人がかりで、ここまではこんできたのだと、その米兵の将校は説明した。
ススッペ(サイパン島の地域名)のキャンプには、たすかった日本人たちがいるともいった。
菅野は、そこへいきたい、と日本語のたっしゃなアメリカ軍の将校にこたえた。
トラックが用意された。
キャンパスベッドのまま、ペニシリン注射をうってもらった菅野はトラックへはこばれた。
ゆっくり山をくだり、大きな道路へでると、月が菅野の頭の真上にあった。
道の両側は砂糖きびの畑で、そこには日本人の死体がならべられてあった。
子どもをせおった母親、国民服の父親、おさない死体、としよりの死体、軍服の死体--死体はきりもなくつづいていた。
やがてトラックは海べへでた。
「海にもたくさん死んでいます。みますか」
と若い将校がいった。
「みせてください」
と菅野は大声でこたえた。
キャンパスベッドのまま断崖のきわまで米兵がはこんでくれた。
200メートルほどもある絶壁の下の波うちぎわに、たくさんの死体がういてみえた。
女ばかりである。
背中と胸に幼児をしばりつけたおばあさんの死体もあった。
うきしずみしている女の子の死体もあった。
いのちのおわったこれらの人びとは、岩にぶつかり、月光をあびた波しぶきにのまれては、またういていた。
「日本人は、なぜこんなに死ぬのでしょうね」
わかいアメリカの将校はつぶやいて、なみだをうかべた。
トラックは、ふたたび断崖のみちをのろのろはしりだした。

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なぜこのひとたちは、捕虜となる道を選ばなかったのでしょうか。
答はひとつです。
そのような選択肢は、毛(もう)ほども(これっぽっちも)思い浮かばなかったからです。
日本人は皆、幼少のころより、
「敵に捕まることは恥だ」
「捕らえられる前に、自ら死を選べ」
と教育されてきました。
日本人が戦時中におこなったこのような自死のことを「玉砕」といいます。
玉砕とは、玉が美しく砕けるように、いさぎよく死ぬ、という意味です。
捕虜にならずに死ぬことが、ひととして正しいことである。
美しいことである。
だれもがこう洗脳されてきたのです。

香西咲さんのツイッター(2016年7月19日)より、引用。

青木亮の洗脳から始まり 他人に良いように使われる自分を恨む
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2016年7月7日発売の週刊文春(7月14日号)「香西咲さんのインタビュー記事」より、引用。

いっそ自分の人生を終わらせてしまおうかという衝動に駆られたことも一度や二度ではありません。
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香西咲さんのツイッター(2016年7月13日)より、引用。

契約書を盾に止めさせてもくれない、
かと言って事務所に居続けたら、
V撮影と性接待(勿論金銭のやり取りなし)に都合良く使われて青木亮に飼い殺しになる…
本気で死にたかった。
あの頃の私はトラックに突っ込んで欲しかった。

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あのときの香西咲さんにとって、苦しみから逃れる唯一の方法は、死だけだったのかもしれません。
かつての軍閥(軍隊の上層部を中心とする特権的な政治勢力)は崩壊しました。
女性に対して洗脳をおこなっている悪徳事務所もまた、同じ道をたどることでしょう。
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2016年7月07日 香西咲さんの特集記事(1)が週刊文春に掲載されました。
2016年7月14日 香西咲さんの特集記事(2)が週刊文春に掲載されました。
2016年7月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました。
2016月7月20日 香西咲さんのインタビュー記事が、しらべぇに掲載されました。
2016月7月27日 香西咲さんのインタビュー動画が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
2016月7月29日 香西咲さんのインタビュー記事が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
(引用。A氏による衝撃の回答)
 --出演強要が社会問題化している。事務所の運営や女優との契約について見直しは
 A氏 当然やっていく。今、弁護士と話して、きちんとしていこうとしている

 (A氏は、これまできちんとしていなかったことを認めました。)
香西咲さんのツイッター
(香西咲さんの重要ツイート ~2016年7月18日)
 私だって綺麗にリセット出来るならAVデビュー前の私に戻りたい。
 だけど変えられない現状踏まえて立て直したのが今の形。(後略。)

(明日のブログへつづく)



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