戦争について(1)~香西咲さんが被害に遭った洗脳は他人事ではない

8月15日は終戦記念日です。
そこで本日は、戦争について書いてみたいと思います。

お盆は帰省していました。
暇なので納戸の奥をのぞいていましたら、古い雑誌が数冊でてきました。
どれも戦争中に出版されたものです。
聞いてみたところ、以前に古書店で購入したとのことです。
終戦の年に一番近いものを選んで、ページを繰(く)ってみました。
小学生に向けて書かれた月刊誌のようです。

 小学館刊「小国民の友 四月号」1943年4月1日発行)

太平洋戦争は、
1941年12月8日から、
1945年8月15日まで、
おこなわれました。
この雑誌はちょうど、この戦争のなかごろに発刊されたものです。
 
1ページ目にはつぎのような文章が掲載されていました。
引用してみます。
※注 旧かなづかいは、現代語に改めました。また、改行を施しています。)

あの日を思うと、ぼくらの胸には、はげしい怒りがわきおこる。
4月18日、1年前の4月18日、こしゃくなアメリカが、すめらみくに(皇御国。天皇がおさめる国という意味)日本を空襲にやってきた日だ。
天皇陛下のおわします(いらっしゃる)東京に、あいつらは、どろ足でふみこんできたのだ。
あいつらは、ぼくの学校の友だちを、機関銃で射(い)ったのだ、ちくしょうめ。断じてゆるさぬぞ。
うちころしてやるぞ。
たとえぼくらがちいさくても、きっと友だちの仇(あだ)をとってみせるぞ。

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これが当時の小学生の心情なのでしょうか。
猛々(たけだけ)しいです。
ちなみに、「1年前の4月18日」というのは、アメリカ軍の爆撃機が、はじめて東京を襲撃した日のことです。

(日本放送出版協会刊「太平洋戦争」NHK編より、引用。改行を施しています。)

昭和17年(1942年)4月18日未明、(略)アメリカの機動部隊は、北太平洋を密かに日本を目指して進んでいた。(中略。)
その使命とは、日本本土への初めての奇襲攻撃であった。
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この空襲による(略)被害は、次のとおりであった。
・死者   約50名
・負傷者  四百数十名
・全焼家屋 百数十戸
・半鐘家屋 数十戸

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「小国民の友 四月号」の2ページ目にはつぎの文章が書かれています。

(旧かなづかいは、現代語に改めました。また、改行を施しています。)

私たちの隣組少年班では、日曜日の朝、山の上の忠霊塔(戦死者をまつる塔)の庭をそうじします。
たかい松の木のいただきには、ひょうひょうとつよい風がうなっていて、朝はやい山路は、心がひとりでにひきしまります。
いま忠霊塔(戦死者をまつる塔)の庭は、山桜がまっさかりです。
班長の号令で、おがんでいますと、肩から頭から、花びらが雪のように散りかかります。
この桜のように、いさぎよく、りっぱに皇国(日本)のためにちられた兵隊さんの
天皇陛下 万歳
というお声が、耳のそこにひびいいてくるような気がします。
いつも来る村のおばあさんといっしょに掃除をします。
このおばあさんの子どもは3人ともめいよの戦死をなさいました。
お前さんたちもこの若桜のように、みごとに咲いて、りっぱにちるのですよ
と、いつも私たちをはげましてくださいます

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唸るしかありません。
以降もこのような調子で、小学生の戦意を高揚させる記事がつづきます。
こういうのもあります。

(旧かなづかいは、現代語に改めました。また、改行を施しています。)

おととし(1941年)の12月8日、大東亜戦争(太平洋戦争)がはじまった日、我が海軍航空隊によっておこなわれた、ハワイ真珠湾軍港の大空襲は、世界中をあっとばかりに驚かせたものです。
アメリカも、今に戦争になるだろう。そうしたら、きっと日本軍が、攻めてくるにちがいないと考えて、何日も前から、飛行機をとばせたり、軍艦を出したりして、けいかいしていました。
ところが、大東亜戦争(太平洋戦争)がはじまる4、5日前から、ひどく天候が悪くなっていったのです。
それで、アメリカは、これではとても日本海軍も攻めて来まいというので、そういう警戒を皆やめてしまったのです。
そこへ、いきなり躍りこんでいったのが、我が海軍航空隊でした。

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戦争にもルールがあります。
突然、相手の国を攻撃することはできません。
事前に、その旨を通告する必要があります。
宣戦布告です。
日本はこれをしませんでした。
大問題となりました。
上述の文章はいったいどうなっているのでしょう。
国際間の約束事など、守る必要がない、ということなのでしょうか。
「世界中をあっとばかりに驚かせた」とのくだりは、そのとおりです。

読者が短歌を投稿するコーナーも設けられています。
以下の作品が入選していました。

(引用)
雨がふり風が吹いている天候だのに爆音高く陸軍機飛ぶ

巻末の文章も徹底しています。

(引用)
(前略。)
ただ今、国をあげて米英(アメリカとイギリス)とたたかう日にも
陛下は、内に外に国民の進むべき道を、御みづからお示しくださいます。何というおそれ多い事でありましょう。
新学期にあたり、私たちは深く自らをかえりみて、強く正しく
陛下の大御心にそいたてまつらなければなりません。

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香西咲さんのツイッター(2016年7月14日)より、引用。

一般の方々は洗脳なんて有り得ないと思うでしょう。
私もそう思っていました。

(後略。)
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つぎのような逸話があります。
(参考文献は、川端貞明さんの手記です。ぼくのほうで大幅にリライトをしました。)

終戦間近の1945年7月3日のことです。
23時40分頃、姫路市に、アメリカ軍の爆撃機が飛来しました。
間断なく、発火性の爆弾(焼夷弾)を投下していきます。
方々の建物に火がまわりました。
城陽小学校で宿直勤務をしていた大西要校長は、すぐさま、天皇の写真(御真影)がおさめられている別棟の建物(奉安殿)へ向かいました。
燃えさかっています。
校長は躊躇することなく、なかへ入り、天皇の写真が入っている大きな額縁を背負いました。
そこへ川端貞明教諭が駆けつけます。
二人で一緒に、御真影(天皇の写真)を外へ運び出しました。
すぐ近くで大きな爆発音がしました。
川端教諭は咄嗟に身をかわしました。
天皇の写真は無事だろうか。
振り返ると、校長がうずくまっています。
「だいじょうぶですか?」
駆け寄って、抱き起こしました。
腹部から、鮮血が吹き出ています。
被弾したようです。
「御真影(天皇の写真)を-」
途切れ途切れの声がつづきます。
「御真影(天皇の写真)をたのむ」
川端教諭が声を張りあげました。
「わかりました」
写真を受け取り、自身一人で、近くの松林へ避難しました。
途端に爆弾が降ってきます。
逃げ場を失った川端教諭は、ふたたび校長のところへもどります。
数人のひとたちが集まって、手当を施していました。
川端教諭の姿を確認した校長が、苦しそうにことばをつなぎました。
「御真影は-」
川端教諭は、自分がかかえているものを相手に渡しました。
受け取った校長が、それを強く抱きしめました。
口許がかすかに動きました。
「天皇陛下-」
それ以上は、ことばになりません。
周囲のものたちが、訊(き)き返します。
「天皇陛下、万歳、ですか?」
校長は目で肯(うなず)きました。
それから、事切れました。
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これが洗脳です。
だれも笑うことなどできません。
自分たちの尊属(血族)の譚(はなし)なのですから。
かつて、日本人は皆、洗脳されていました。
自分たちの祖先もまた、被害者だったのです。

(香西咲さんのツイートを再掲。)
一般の方々は洗脳なんて有り得ないと思うでしょう。私もそう思っていました。

洗脳はだれにでも起こりうることです。

明日も、戦争についてふれてみたいと思います。
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2016年7月07日 香西咲さんの特集記事(1)が週刊文春に掲載されました。
2016年7月14日 香西咲さんの特集記事(2)が週刊文春に掲載されました。
2016年7月17日 香西咲さんがAbemaTV(みのもんたの「よるバズ!」)に出演されました。
2016月7月20日 香西咲さんのインタビュー記事が、しらべぇに掲載されました。
2016月7月27日 香西咲さんのインタビュー動画が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
2016月7月29日 香西咲さんのインタビュー記事が、毎日新聞のWebサイトにアップされました。
(引用。A氏による衝撃の回答)
 --出演強要が社会問題化している。事務所の運営や女優との契約について見直しは
 A氏 当然やっていく。今、弁護士と話して、きちんとしていこうとしている

 (A氏は、これまできちんとしていなかったことを認めました。)
香西咲さんのツイッター
(香西咲さんの重要ツイート ~2016年7月18日)
 私だって綺麗にリセット出来るならAVデビュー前の私に戻りたい。
 だけど変えられない現状踏まえて立て直したのが今の形。(後略。)

(明日のブログへつづく)



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