私たちが考える「強要・脅迫」と、かつて香西咲さんが悪徳事務所から受けた「強要・脅迫」は、質が違う

香西咲さんのツイッター(2016年7月20日)より、引用。

最近やたらと連絡してくる人達が、私の意に反する事を呟け、ブログにしろと言ってくる
しかも複数人

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昨日のブログで、ぼくは、イソップ物語の「北風と太陽」についてご紹介しました。
この噺(はなし)は、最後に、つぎの箴言(しんげん。いましめとなる短い句の意味)でまとめられています。

(引用。岩波文庫刊「イソップ寓話集」山本光雄訳より。)

この話は、言って聞かせる方が、無理強いするよりも、ききめの多いことがしばしばある、ということを明らかにしています。

ぼくも同意です。
強要や、脅迫は、効率の悪い徒労(むだな骨折りという意味)です。
とくに女性に対しては。
この種の犯罪行為をおこなっても、余計相手を狷介(けんかい。自分の信じるところを固く守り他人に心を開かないの意味)にさせるか、警察に通報されるかでしょう。

ただ、強要や脅迫の行為に、別の要因が付加されますと、この邪(よこしま)な企ては、威力を発揮します。
その場合、「北風と太陽」の箴言など、まったく意味をなしません。

具体的に書いてみます。
上述した別の要因とは、監禁です。
たとえば、どこかに閉じこめられているひとが、その実行者から強要や脅迫をされたとします。
おそらく、いくらそのかたが気丈でも、したがわざるをえなくなるでしょう。
どこかに幽閉しておくことだけが監禁ではありません。
精神的な拘束もあります。
人間は、監禁されている状況のなかで、強要や脅迫行為を受けたら、実際にどのような行動をとるのでしょうか。
本日はある事件をご紹介します。
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 免田事件

事件の概要を記(しる)します。
1948年の暮れに、熊本県の人吉市で、強盗殺人事件が発生しました。
犯人は、夫婦二人を殺害し、娘二人に重傷をおわせて逃走します。
翌年、警察は、免田栄さん(23歳)を逮捕しました。

実は免田さんは、この事件の犯人ではありませんでした。
このことは、34年後に判明します。

(引用。岩波書店刊「死刑か無罪か 冤罪を考える」佐野洋、西嶋勝彦著より。)

2階の取り調べ室への階段を登る私(免田さん)は、寒さで口もきけないくらいにこわばってしまい、足もふらついていました。
時間も真夜中です。
その取り調べ室でまっていたのは、悲惨な取り調べでした。

刑事が私をつきとばしました。
腰掛けから落ちて、床の上にもんどり(宙返りをして)体をうちました。
髪を引っ張る、床面(ゆかめん)にすわらされる。
軍隊靴(ミリタリーブーツ)で蹴る。
倒れると、2、3人で踏みつけるのでした。
「目撃者は、おまえのシャツに点々と血がついていた、と言っていたぞ。」
「そのシャツはどれだ。」
「これか。」
そういって私の衣服をぬがそうとしました。

とうとう私はパンツ1枚になって床にすわらされました。
「白状しろ!」
「この強情なやつ!」
「思いのほか、ふてぶてしい野郎だ!」
口々に罵倒して刑事たちは私を取り囲みました。

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このような取り調べが連日、夜遅くまでつづきます。
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(引用)
もう私の体は疲労の極限に達していました。
厳寒の真夜中、裸にされて床に座っていると、体が震え、生きている心地もありません。
私はだんだん八方塞がりに追いこまれてゆくのを感じとり、絶望的になりました。
もうこのまま続けられれば気が狂ってしまう。
私はそう思いました。
死んでしまう。
ほんとうにそう思いました。
相手がどなっているのは分かります。
でも何を言っているのか、そのとき私の意識はもう半睡状態で、どう答えていいのか全く判断力はありません。
この時です。

「おれたちのいう通りにならないなら、親子もろとも進駐軍(GHQ)につきだすぞ。そうなると銃殺は免れんな。」
刑事はそう言って、脅したのでした。
この言葉が私にとどめを刺したのです。
父までまきぞいにするなら、もうどうなってもいい、そんな気持ちになったのです。

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このあと、免田さんは、自白します。
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(引用)
精も魂も尽き果てて、というのはこんな状態をいうのでしょうか。
私は眼をつぶり、がっくりとうなだれてしまいました。
どうかこの状態を想像して私の気持ちを推察してください。
このとき私はやらないものをやったと言ったのです

(※注 全文、改行をさせていただきました。)
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裁判がはじまります。
このなかで免田さんは、一転して、
「自分は無罪である」
と主張します。

1950年、熊本地方裁判所の八代支部は、免田さんに死刑判決を言い渡しました。
第2審、第3審もこれを支持して、免田さんの死刑が確定します。

死刑囚となった免田さんは、鉄窓のなかから、再審を請求しつづけます。
何度も棄却されますが、6度目にしてはじめて認められ、再審が開始します。
1981年、熊本地方裁判所の八代支部は、免田さんの事件当日のアリバイを認めて、無罪をいいわたしました。
その日、免田さんは、釈放されます。
57歳のときでした。

本日のテーマは、監禁されている状況のなかで強要や脅迫をされたら、ひとはどのような行動をとるのか、です。
閉塞空間のなかで、強要や脅迫を受けた免田さんは、自分がやってもいない罪を口にしました。

週刊文春WEB(2016.07.07)より引用。)

香西氏は2011年10月にAVデビューしているが、当初はイメージビデオの撮影だと説明されていた。だが、組織的な“脅迫”や“洗脳”、“囲い込み”など手の込んだやり方で追い詰められ、香西氏は出演せざるを得なくなってしまった。

ちなみに、この犯罪行為を中心となっておこなった輩(やから)が、
(引用)
かつての所属事務所「マークス(後にマークスインベストメントと社名変更)」の青木亮社長
です。

香西咲さんも周囲から孤立させられて、悪徳事務所側に囲い込まれました。
その後、執拗な強要や脅迫を受けて、自我を喪失していくのです。

明日は、免田事件ほど著名ではありませんが、同種の事件を紹介します。
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 香西咲さんのインタビュー記事が、しらべぇに掲載されました。
 香西咲さんのツイッター

(明日のブログへつづく)




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