香西咲さんと、コモン・センス ~人々の常識が世の中を変える

昨日のブログの末尾にも書きましたが、国民の大半は、常識を兼ね備えています。
常識とはどういう意味でしょうか。

大辞林では、
一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力
となっています。

また、広辞苑には、
普通一般人が持ち、また、持っているべき知識。専門的知識でない一般的知識とともに理解力・判断力・思慮分別などを含む」
と書かれています。

ここで、つまらないことを書きます。
アメリカ合衆国はかつて、イギリスの植民地でした。
1773年にアメリカで、ボストン茶会事件がありまして、それ以降、独立の気運が徐々に醸成されていきます。
1775年、アメリカにおいて、イギリスから派遣された国軍と、民間のアメリカ人で編成された軍隊との間で戦闘がはじまります。
当時のアメリカの人口は、250万人でした。
この内、有権者は230万人です。
有権者のなかで、イギリスから独立したいと考えているアメリカ人は、多数派ではありません。
内訳は、
独立反対派が30万人、
独立賛成派が80万人、
中立派が120万人、
となっておりました。
独立に賛成するものは、全体の30数パーセントです。
こうした状況のときに、独立の世論を盛り上げたのが、トマス=ペインです。
この人物は、「コモン・センス」というタイトルのパンフレットを発刊しました。
コモン・センスとは、常識という意味です。
この冊子を通してトマス=ペインは、
「私たちの権利を守らないイギリスから独立することが、常識である」
と訴えたのです。
このパンフレットは大ベストセラーとなりました。
世論の後押しもあり、独立戦争の道を選んだアメリカは、1781年のヨークタウンの戦いで決定的な勝利を収めます。
1783年、イギリスは、パリ条約を締結してアメリカ合衆国の独立を承認しました。

長々と書きました。
何がいいたいのかといいますと、常識の力は強いということです。

ぼくはまだ読めずにいますが、香西咲さんはこのたび、2週つづけて、週刊文春に登場しました。
超一流の週刊誌であり、かつ、最も売れている雑誌です。
影響力は凄まじいものがあります。
新聞も凌駕(りょうが)しています。
今回の記事で、いろいろな階層のひとたちが、香西咲さんの存在を知ったことでしょう。

芸能人は一般的に、広く顔が知られているように思われがちですが、実はそうでもありません。
自分自身のことで恐縮ですが、ぼくは誰かから、女性の芸能人の名前を10人あげてみろと言われても、ことばがでてきません。
当然、知人たちがたまに話題にあげているAKBのメンバーなど、一人も存じません。顔もわかりません。

今回、大多数の名もなき一般のひとたちは、週刊文春に掲載された香西咲さんに関する記事を読んでどう感じたのでしょうか。
記事のすべて読んでいないぼくがここで思惟(しい)するのは無思慮かもしれませんが、おそらくほとんどのかたがたはこう思ったことでしょう。

「出演の強要など常識的にありえないことだ」
と。

常識の力は大きいです。
かつては、人々の常識が、アメリカを独立に導きました。

ただ、世の中には、多数派の考え方に与(くみ)しないひとたちが存在していることも事実です。
ぼくは以前に、この種のかたたちの扱いに呻吟(しんぎん)して、隘路(あいろ)から抜けられなくなったことがあります。
憔悴したぼくは、かねてより尊敬の念を抱いていた知人に心情を吐露しました。
話を聞き終えたそのかたは、つぎのようにいいました。
「水族館に行って、しばらく水槽を眺めているといいよ」
困惑したぼくは、問い返しました。
「どういう意味ですか?」
相手がにこやかに口をひらきました。
「水槽のなかの魚というのは皆、一斉に休みなく常に同じ方向にグルグルとまわっているだろう。ところがほんのわずかだが逆方向に泳いでいる魚もいるんだ」
と、ぼくの顔を一瞥したあとで、
「まあ、世の中、そういうことだ」
と、破顔しました。

日頃、ネットでおかしな書き込みをしているひとたちは、水槽を逆に泳ぐ魚、ということになるのでしょうか。
ネットの世界がどのようになっているのかはわかりませんけれども、どこの世界にも変わったひとたちは存在しています。
この種のひとたちのことばかりに気をとられていると、往々にして「木を見て森を見ず」(物事の一部分や細部に気を取られて全体を見失ってしまう)ということになってしまいます。
世の中の大多数のひとたちは常識人です。
香西咲さんの味方です。

ただ、常識人といっても、やはり人間です。
情報を操作されますと、バイアス(偏り)が生じます。
今回、白日のもとにさらされた犯罪者たちは、匿名掲示板への書き込みや、その他の方法で、人々の心を惑わしてくるかもしれません。
そうならないためにも、ぼくたちは、今回の香西咲さんの件につきまして、絶対に覆る(くつがえる)ことのない真実の部分を押さえておくことが肝要です。
要するに根幹です。

いくつかありますが、本日はひとつ提示します。
他のことにつきましては、明日以降のブログに書きます。

他人を貶(おとし)めるのにもっとも効果的で簡単な方法は、相手の人格を攻撃することです。
例えば、あいつは人格に問題がある、人間的におかしい、というようなものです。
この種のことを連日、匿名掲示板等に書かれたり、巷間、噂を流されれば、それを信じるひとが出てくるかもしれません。
結果、告白記事自体が不正確なものである、という流れになっていくことも考えられます。

ここでぼくは、香西咲さんが2年以上前に書かれたある文章を紹介します。

香西咲さんのTwitter(2014年6月22日)より引用。
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自分の為に100%生きようと決めたら、
限りある時間と労力を使って
わざわざ他人を批判する時間や、腹を立たせてる時間も勿体無いよね。
自分の為にならないし。

限りある時間と労力を
100%自分の為に使おう!

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香西咲さんはこのようなかたです。
寛容です。
あまりにも。
広辞苑によれば、寛容とは次のような意味です。

・寛大で、よく人をゆるし受けいれること。咎(とが)めだてしないこと。
・他人の罪過をきびしく責めない。

(香西咲さんのツイートを再掲)
自分の為に100%生きようと決めたら、
限りある時間と労力を使って
わざわざ他人を批判する時間や、腹を立たせてる時間も勿体無いよね。
自分の為にならないし。

以前、ぼくは、人と討論するのが好きでした。
仕事のことから政治まで、雑多なテーマを話題にしては、よく友人や知人と激論をかわしたものでした。
あるとき、職場の有能な先輩がつぎのようにいいました。
「おまえのいうのもわかるけど、人間のエネルギーというのは限りがある。おれだったらその貴重なエネルギーを自分のことに振り向けるけど」
ぼくは二の句を継げませんでした。

(香西咲さんのツイートを再掲)
限りある時間と労力を
100%自分の為に使おう!

香西咲さんは、他人を憎むのではなく、限りあるエネルギーを自分のために使おうと心に決めました。
2年以上前のツイートです。

このように香西咲さんは、前を向き、ひたむきに生きています。
今回、香西咲さんは、週刊文春の誌上において、犯罪者たちを告発しました。
これを知ったときぼくは、我を失いました。
いまもそうなのですが、夢をみているような感じです。
香西咲さんは、このような告発からはもっとも遠いところに位置していると思っていましたから。
その香西咲さんが告発をおこなった。
匿名ではなく、実名で。
寛容で前向きな香西咲さんがなぜ、犯罪者たちによる出演強要を実名で告白したのでしょうか。

それはわかりません。
ただ、ひとつ、いえることがあります。
それは、人間というのは皆、結果で評価されるということです。
政治で一番大切なものは結果です。
個々人についても、同様です。
香西咲さんは今回、告発という結果を選択しました。

自分の為に100%生きようと決めた」、「限りある時間と労力を100%自分の為に使おう」とおっしゃっていた香西咲さんが、なぜこのような結果を選んだのか。
そこには、寛容な香西咲さんをもってしても、許すことができなかった何かがあるということでしょう。

ぼくは今回の香西咲さんの行為を勇気とか正義などという抽象的なことばでまとめる気は微塵もありません。
穏和で誠実なひとをここまでさせた
そこのところをぼくたちは、常に、自己の脳裏で反芻(はんすう)する必要があります。

(明日のブログへつづく)



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