儒家の孟子の思想(3) ~四端の心

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昨日は孟子(B.C.372年頃~B.C.289年頃)の「惻隠の心」(他者の不幸を黙ってみていられない気持ち)についてふれました。

時代が変わっても、孟子の思想から薫陶(くんとう)を受けたひとは多数存在します。
日本の吉田松陰(1830年~1859年)もその一人でした。
2100年以上も前のひとの考え方に私淑(ししゅく)したのです。

1854年のことです。
アメリカのペリーがふたたび、船で日本へやってきました。
目的は、日米和親条約の締結です。
吉田松陰はかねてより、アメリカなどの国に対して多大の関心をいだいておりました。
自著の「幽囚録」からもその気概を感じることができます。

(一部を引用。)
オランダの学問は、わが国内にも広く学ぶ者がいるけれども、ロシア・アメリカ・イギリスの書物などにいたっては、いまだに善く理解できる者の存在を聞いておりません。
今日、わが国には世界の国々から船舶が来ています。
したがってわが国の人間が、それら諸外国の言語を理解する必要があります。
(略)ただちに、わが国の俊才を各国に派遣し、それぞれの国の書物を購入させ、それぞれの学術を探究させて、帰国後はその者をとり立てて学校の教員とすべきです。
また、わが国民で外国に漂着し、のちに帰国した者であるとか、外人でわが国に帰化した者などを学校に集めて、これらの者が見聞した知識について、発表させたならば、諸外国の状況をより広く知ることができます。

吉田松陰と弟子は漁船で、停泊している軍艦のところまで行きます。
船をよじのぼり、甲板の上に降り立ちました。
ペリーは日本と交渉中のため不在です。
吉田松陰は船員に、アメリカへつれていってほしいと、頼みました。
願いは受け入れられませんでした。
アメリカ側は、吉田松陰と弟子を幕府に引き渡します。
吉田松陰は雑居房に収監されました。

牢の中にはたくさんの犯罪者がいます。
吉田松陰はその者たちに、孟子の思想を語りました。

「どのような極悪人であろうとも心のどこかに、他人の不幸を黙ってみていられない気持ちがある。生まれたときはあなたたちも善人だったのです」
「惻隠の心」の存在を教えられた罪人たちは感激します。
皆、吉田松陰の弟子となりました。

その後、吉田松陰は保釈されます。
実家へもどってからは、近所の若侍を集めて講義をおこなうようになります。
孟子の革命説も語りました。
塾生のなかには、明治維新を担った桂小五郎、高杉晋作、伊藤博文などもいました。
孟子の思想は幕末の日本にも影響をあたえたのです。

生まれつきひとにそなわっているのは、「惻隠の心」だけではありません。
他に3つあります。
簡単に説明します。

羞恥(しゅうお)の心

ひとがみていなくても、自分の悪を恥じる気持ちです。

辞譲(じじょう)の心

謙遜してひとにゆずる気持ちです。

是非(ぜひ)の心

善悪を判断する気持ちです。

この3つに、「惻隠の心」を加えて、
「四端(したん)の心」
といいます。

四つのいとぐち)という意味です。

「いとぐち」とは、「物事の始まり」のことです。
たとえば、極悪人にも、他者の不幸を黙ってみていられない気持ち(惻隠の心)があります。
残念ながら普段は、悪事に夢中でこの気持ちが心の奥底へ押しやられています。
それゆえに、極悪人をしているのでしょうけれども。
あるときこのならず者が、常に他者の不幸を黙ってみていられない気持ち(惻隠の心)をもつまでにいたったとします。
惻隠の心の常態化です。
これが、です。

同様に、
羞恥の心(ひとがみていなくても、自分の悪を恥じる気持ち)の常態化が
辞譲の心(謙遜してひとにゆずる気持ち)の常態化が
是非の心(善悪を判断する気持ち)の常態化が
となります。

ちなみに、孟子が重視したのは、
(他者の不幸を黙ってみていられない気持ちの常態化)と、
(ひとがみていなくても、自分の悪を恥じる気持ちの常態化)です。

世の中には、仁義を重んじるとされるひとたちがいるようですが、実際のところはどうなのでしょうか。
孟子の思想はいろいろなひとたちに膾炙(かいしゃ)されています。



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