儒家の孟子の思想(2) ~惻隠の心

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昨日のブログで、「屠所(としょ)の牛」についてふれました。
これを読むと、孟子の基本的な考え方を知ることができます。
普段、尊大にふるまっている為政者も、牛を前にして、憐憫の情をいだきました。
なぜでしょうか。
孟子はこう説明します。
ひとは皆、心のどこかに、他者の不幸を黙ってみていられない気持ちをもっているからだ、と。
この情動を「惻隠(そくいん)の心」といいます。

性善説をご存じでしょうか。
人間の本性は善である、という考え方です。
孟子は、人間には生まれながらにして、思いやりの心(仁)がそなわっている、と明言します。
その理由として、つぎのような例をあげています。

いまここに、極悪人の男がいるとします。
この人物が、ある家の前を通りかかりました。
井戸のそばで赤ん坊が遊んでいます。
楽しそうです。
通り過ぎようとしたとき、その子がゆっくりと井戸をめがけて進んでいることに気づきました。
危ない。
このままでは奥底に転落してしまう。

すんでのところで極悪人は、その赤ちゃんを抱きかかえていました。
これが「惻隠(そくいん)の心」です。

このときの極悪人の脳裏には、利害や打算は浮かびません。
何としてもあの子を救いたい。
それだけです。
悪の限りをつくした男に、自分の生命の危険をかえりみる暇(いとま)はありませんでした。

どの人間にも生まれつき、「他者の不幸を黙ってみていられない気持ち」(惻隠の心)がそなわっている。
ゆえに、人間の本性は善である。
孟子はこう主張しました。

ぼくも同感です。
たとえば、次のような新聞記事があります。

踏切で立ち往生の女性を救助 JR、児童に感謝状 山梨」(朝日新聞。2013年12月19日)

(一部を引用。)
11月18日午後4時すぎ、中央線春日居町―石和温泉間の熊野権現踏切で、電動車いすで横断中の高齢女性が遮断機の内側で立ち往生していた。
集団下校中に通りかかった(笛吹市立春日居小学校の)5年生5人と4年生2人の7人が、非常ボタンを押し、周りの大人と協力して車いすを踏切の外に移動させた。
(略)。
星野朱里さん(4年)は「みんなあせっていたと思うけど、助けなきゃと思って非常ボタンを押した。おばあさんが無事でよかった」と話していた。

この小学生たちのこれからの人生に幸あれ、と願うばかりです。

「惻隠(そくいん)の心」に関しては、時折、悲しい結末となることもあります。

アエラの記事(2013年10月17日)から一部を引用。

村田さんは(2013年10月)1日、横浜市の線路上に倒れていた無職の男性(74)を助けようと、下りていた遮断機をくぐった。
華奢な体で、必死に男性を線路上から動かした。
そして、自分も逃げ出そうとした瞬間、2人は電車に接触。
男性は骨折などの重傷を負ったものの、命に別条はなかった。
しかし、村田さんは即死だった。
自ら犠牲となり、他人の命を救った勇気ある行動に対し、事故直後から称賛の声が多く寄せられている。
村田さんの両親は告別式後、次のようなコメントを出した。
〈奈津恵は自分の心に正直に、信念をもって行ったことですので、私共も奈津恵を見習って、しっかり生きて行こうと考えております〉

<関連> 「横浜線踏切事故から学ぶべきものは」(神奈川新聞。2013年10月5日)

ぼくはいまでも、クルマで踏切を通過するたびにこのことを思い出します。
やりきれないです。

はなしを孟子にもどします。
人間の本性は善、です。
たとえ極悪人といえども、心のどこかに「惻隠(そくいん)の心」をもっています。
孟子が生きた時代は、戦国時代です。
なぜこの時代は戦乱の世の中となってしまったのでしょうか。

下の者は上の者を見習います。
王の地位にあるものは、礼(思いやりの気持ちを目に見える形であらわすこと)を身につけて、人民の手本とならなければなりません。
王に礼がないと、民衆も感化されて、国は乱れるのです。

孟子は、礼をそなえていない王はとりかえてもかまわない、と主張しました。
これを「革命説」といいます。
革命とは、
「天命が革(あらた)まる」
という意味です。

天命(天の命令)は、誰が発すのでしょうか。
人民です。
「天命は人民からやってくる」
孟子はこう力説しました。

当時は戦国時代です。
世の中は乱れています。
各国の王は競って孟子を招聘しました。
冷遇された孔子とは違います。
孟子は行く先々で自説を展開しました。
「王よ、礼を身につけよ」
「天命に耳を傾けよ」
と。

卓越した人物です。



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