月別アーカイブ: 2015年2月

儒家の孟子の思想(3) ~四端の心

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昨日は孟子(B.C.372年頃~B.C.289年頃)の「惻隠の心」(他者の不幸を黙ってみていられない気持ち)についてふれました。

時代が変わっても、孟子の思想から薫陶(くんとう)を受けたひとは多数存在します。
日本の吉田松陰(1830年~1859年)もその一人でした。
2100年以上も前のひとの考え方に私淑(ししゅく)したのです。

1854年のことです。
アメリカのペリーがふたたび、船で日本へやってきました。
目的は、日米和親条約の締結です。
吉田松陰はかねてより、アメリカなどの国に対して多大の関心をいだいておりました。
自著の「幽囚録」からもその気概を感じることができます。

(一部を引用。)
オランダの学問は、わが国内にも広く学ぶ者がいるけれども、ロシア・アメリカ・イギリスの書物などにいたっては、いまだに善く理解できる者の存在を聞いておりません。
今日、わが国には世界の国々から船舶が来ています。
したがってわが国の人間が、それら諸外国の言語を理解する必要があります。
(略)ただちに、わが国の俊才を各国に派遣し、それぞれの国の書物を購入させ、それぞれの学術を探究させて、帰国後はその者をとり立てて学校の教員とすべきです。
また、わが国民で外国に漂着し、のちに帰国した者であるとか、外人でわが国に帰化した者などを学校に集めて、これらの者が見聞した知識について、発表させたならば、諸外国の状況をより広く知ることができます。

吉田松陰と弟子は漁船で、停泊している軍艦のところまで行きます。
船をよじのぼり、甲板の上に降り立ちました。
ペリーは日本と交渉中のため不在です。
吉田松陰は船員に、アメリカへつれていってほしいと、頼みました。
願いは受け入れられませんでした。
アメリカ側は、吉田松陰と弟子を幕府に引き渡します。
吉田松陰は雑居房に収監されました。

牢の中にはたくさんの犯罪者がいます。
吉田松陰はその者たちに、孟子の思想を語りました。

「どのような極悪人であろうとも心のどこかに、他人の不幸を黙ってみていられない気持ちがある。生まれたときはあなたたちも善人だったのです」
「惻隠の心」の存在を教えられた罪人たちは感激します。
皆、吉田松陰の弟子となりました。

その後、吉田松陰は保釈されます。
実家へもどってからは、近所の若侍を集めて講義をおこなうようになります。
孟子の革命説も語りました。
塾生のなかには、明治維新を担った桂小五郎、高杉晋作、伊藤博文などもいました。
孟子の思想は幕末の日本にも影響をあたえたのです。

生まれつきひとにそなわっているのは、「惻隠の心」だけではありません。
他に3つあります。
簡単に説明します。

羞恥(しゅうお)の心

ひとがみていなくても、自分の悪を恥じる気持ちです。

辞譲(じじょう)の心

謙遜してひとにゆずる気持ちです。

是非(ぜひ)の心

善悪を判断する気持ちです。

この3つに、「惻隠の心」を加えて、
「四端(したん)の心」
といいます。

四つのいとぐち)という意味です。

「いとぐち」とは、「物事の始まり」のことです。
たとえば、極悪人にも、他者の不幸を黙ってみていられない気持ち(惻隠の心)があります。
残念ながら普段は、悪事に夢中でこの気持ちが心の奥底へ押しやられています。
それゆえに、極悪人をしているのでしょうけれども。
あるときこのならず者が、常に他者の不幸を黙ってみていられない気持ち(惻隠の心)をもつまでにいたったとします。
惻隠の心の常態化です。
これが、です。

同様に、
羞恥の心(ひとがみていなくても、自分の悪を恥じる気持ち)の常態化が
辞譲の心(謙遜してひとにゆずる気持ち)の常態化が
是非の心(善悪を判断する気持ち)の常態化が
となります。

ちなみに、孟子が重視したのは、
(他者の不幸を黙ってみていられない気持ちの常態化)と、
(ひとがみていなくても、自分の悪を恥じる気持ちの常態化)です。

世の中には、仁義を重んじるとされるひとたちがいるようですが、実際のところはどうなのでしょうか。
孟子の思想はいろいろなひとたちに膾炙(かいしゃ)されています。



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儒家の孟子の思想(2) ~惻隠の心

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昨日のブログで、「屠所(としょ)の牛」についてふれました。
これを読むと、孟子の基本的な考え方を知ることができます。
普段、尊大にふるまっている為政者も、牛を前にして、憐憫の情をいだきました。
なぜでしょうか。
孟子はこう説明します。
ひとは皆、心のどこかに、他者の不幸を黙ってみていられない気持ちをもっているからだ、と。
この情動を「惻隠(そくいん)の心」といいます。

性善説をご存じでしょうか。
人間の本性は善である、という考え方です。
孟子は、人間には生まれながらにして、思いやりの心(仁)がそなわっている、と明言します。
その理由として、つぎのような例をあげています。

いまここに、極悪人の男がいるとします。
この人物が、ある家の前を通りかかりました。
井戸のそばで赤ん坊が遊んでいます。
楽しそうです。
通り過ぎようとしたとき、その子がゆっくりと井戸をめがけて進んでいることに気づきました。
危ない。
このままでは奥底に転落してしまう。

すんでのところで極悪人は、その赤ちゃんを抱きかかえていました。
これが「惻隠(そくいん)の心」です。

このときの極悪人の脳裏には、利害や打算は浮かびません。
何としてもあの子を救いたい。
それだけです。
悪の限りをつくした男に、自分の生命の危険をかえりみる暇(いとま)はありませんでした。

どの人間にも生まれつき、「他者の不幸を黙ってみていられない気持ち」(惻隠の心)がそなわっている。
ゆえに、人間の本性は善である。
孟子はこう主張しました。

ぼくも同感です。
たとえば、次のような新聞記事があります。

踏切で立ち往生の女性を救助 JR、児童に感謝状 山梨」(朝日新聞。2013年12月19日)

(一部を引用。)
11月18日午後4時すぎ、中央線春日居町―石和温泉間の熊野権現踏切で、電動車いすで横断中の高齢女性が遮断機の内側で立ち往生していた。
集団下校中に通りかかった(笛吹市立春日居小学校の)5年生5人と4年生2人の7人が、非常ボタンを押し、周りの大人と協力して車いすを踏切の外に移動させた。
(略)。
星野朱里さん(4年)は「みんなあせっていたと思うけど、助けなきゃと思って非常ボタンを押した。おばあさんが無事でよかった」と話していた。

この小学生たちのこれからの人生に幸あれ、と願うばかりです。

「惻隠(そくいん)の心」に関しては、時折、悲しい結末となることもあります。

アエラの記事(2013年10月17日)から一部を引用。

村田さんは(2013年10月)1日、横浜市の線路上に倒れていた無職の男性(74)を助けようと、下りていた遮断機をくぐった。
華奢な体で、必死に男性を線路上から動かした。
そして、自分も逃げ出そうとした瞬間、2人は電車に接触。
男性は骨折などの重傷を負ったものの、命に別条はなかった。
しかし、村田さんは即死だった。
自ら犠牲となり、他人の命を救った勇気ある行動に対し、事故直後から称賛の声が多く寄せられている。
村田さんの両親は告別式後、次のようなコメントを出した。
〈奈津恵は自分の心に正直に、信念をもって行ったことですので、私共も奈津恵を見習って、しっかり生きて行こうと考えております〉

<関連> 「横浜線踏切事故から学ぶべきものは」(神奈川新聞。2013年10月5日)

ぼくはいまでも、クルマで踏切を通過するたびにこのことを思い出します。
やりきれないです。

はなしを孟子にもどします。
人間の本性は善、です。
たとえ極悪人といえども、心のどこかに「惻隠(そくいん)の心」をもっています。
孟子が生きた時代は、戦国時代です。
なぜこの時代は戦乱の世の中となってしまったのでしょうか。

下の者は上の者を見習います。
王の地位にあるものは、礼(思いやりの気持ちを目に見える形であらわすこと)を身につけて、人民の手本とならなければなりません。
王に礼がないと、民衆も感化されて、国は乱れるのです。

孟子は、礼をそなえていない王はとりかえてもかまわない、と主張しました。
これを「革命説」といいます。
革命とは、
「天命が革(あらた)まる」
という意味です。

天命(天の命令)は、誰が発すのでしょうか。
人民です。
「天命は人民からやってくる」
孟子はこう力説しました。

当時は戦国時代です。
世の中は乱れています。
各国の王は競って孟子を招聘しました。
冷遇された孔子とは違います。
孟子は行く先々で自説を展開しました。
「王よ、礼を身につけよ」
「天命に耳を傾けよ」
と。

卓越した人物です。



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儒家の孟子の思想

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これまで3回にわたり、孔子の「論語」をとりあげました。
孔子には数多くの弟子がいます。
そのなかで著名なのは、孟子(もうし)と荀子(じゅんし)です。
本日は孟子(B.C.372年頃~B.C.289年頃)の思想についてみてみたいと思います。
この人物は、戦国時代の中頃に活躍しました。

 (※下図は、自作したものです。)

殷・周

2014年12月4日のブログでぼくは、孟子の名言と、母親に関するエピソード(孟母三遷)についてふれたことがあります。

再掲。孟子の名言。)
———————————————————————–
天がある人物に大きな任務を下そうとするときは、必ずまず厳しい試練を課すものである。
すなわちその人物の心を苦しめ、(略)、行動を徒労にさせて仕事を混乱させる。
その人物が発憤奮起(はっぷんふんき)してがまんづよくなり、これまでできなかったこともできるようにするためである。
人間というものは過失があってこそ改善できるし、煩悶(はんもん)があってこそ発憤(はっぷん)できる。
(略)
心配事があってこそ生きられ、安楽すぎると没落するという道理がよくわかるであろう。

———————————————————————–

このことばは、ものごとの道理を鋭く表現した警句(アフォリズム)といえるでしょう。

孟子の場合も、孔子と同様に、弟子たちによって著された言行録があります。
「孟子」といいます。
この本のなかに、「屠所の牛」という言伝があります。
原文は若干堅苦しいので、ぼく流にリライトしてご紹介します。

舞台は、斉(せい。下図の)の国です。

 (下図は、世界史ノートから引用。)
戦国の七雄
 ※ 韓(a)、魏(b)、趙(c)、斉()、燕(e)、楚(f)、秦(g)

斉(上図の)の王が、王宮でくつろいでいました。
外をながめると、一人の男が牛を引いて歩いています。
どこへ行くのだろうか。
王は立ちあがり、その近くへ寄りました。
声をかけます。

「その牛をどうするのだ?」
突然のことばに、相手がかしこまります。
「いけにえとして、神にささげてまいります」
王が軽いうめき声をもらしました。
相手の顔を一瞥したのち、口を開きました。
「よしなさい。罪のない牛を殺すのはよくないことだ」

相手が狼狽します。
「それでは」
と王を凝視して、
「いけにえをやめてもよろしいのでしょうか?」
いや、と王が軽く首を振りました。
「それはだめだ。牛のかわりに、ひつじをささげなさい」

この二人の会話を孟子が聞いていました。
孟子は、各国の王たちから間断(かんだん)なく、高説を拝聴したい、と声がかかっていました。
師の孔子とは違い、引く手あまたです。
孟子はどこへ行っても、歓待されました。

孟子が間に入ります。
王のほうを向いていいました。
「罪のない牛が殺されるのを気の毒と思うのならば、罪のないひつじが殺されるのも気の毒ではありませんか?」
王が、ふいをつかれたかのような顔をしました。
二の句を告げようとこころみます。
かないませんでした。

孟子がつづけます。
「あなたはいま、間近でこの牛をみているから、同情の気持ちがわきあがっている」
かすかに肯首した王が、すぐに視線をそらしました。
「しかし」
と孟子が口調を強めました。
「あなたは実際にひつじをみていない。だから同情の気持ちをいだかないのではないですか?」

是(これ)れ仁術なり。牛を見て未だ羊を見ざればなり
「孟子」のなかにでてくるせりふです。

ひとはだれしも身近な者に対しては親しみや愛情をもつことができます。
反面、見知らぬひとに対しては無関心です。
これではいけない、とぼくも感じます。

明日のブログでは、孟子の思想の根幹をなす「性善説」と、「四端の心」についてみてみたいと思います。



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孔子の論語からー(その3)

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本日も論語を紹介します。
和田武司さん(拓殖大学名誉教授)の訳を参考にさせていただきました。

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群居して終日、言(げん)、義に及ばず、好んで小慧(しょうけい)を行う、難(かた)いかな。

大勢寄り集まって、まともな話はせず、自慢話ばかりしている。
なんてくだらない連中だろう。

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人、遠慮( えんりょ )なければ 近憂( きんゆう )あり

何をするにも将来のことを見通しておかないと、ある日、不意に、足をすくわれる。

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或(あ)るひとの曰(いわ)わく、
「徳を以(もっ)て怨(うら)みに報(むく)わば、何如(いかん)」

子(し)曰(い)わく、
「何を以(もっ)てか徳に報(むく)いん」
「直(ちょく)を以(もっ)て怨(うら)みに報(むく)い、徳を以(もっ)て徳に報(むく)いん」

あるひとが孔子に尋ねた。
「善意をもって悪意にむくいるという考えをどう思いますか?」

孔子が答えた。
「それならば、善意に対してはどうむくいるのかね?」
「自説を曲げずに悪意に対処し、善意には善意でむくいることが大事なのだよ」

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子貢(しこう)、人を方(たくら)ぶ。
子(し)曰(い)わく、
「賜(し)や賢なるかな。それ我は即(すなわ)ち暇(いとま)あらず」

子貢(しこう)という弟子は、何かといえば、ひとを非難した。

孔子が子貢(しこう)にいった。
「おまえはえらいんだな。私にはそんな暇はないよ」

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君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず

すぐれたひとは、協調性に富むが、やたらと妥協しない。
つまらない人間はすぐ妥協するが、協調するまではいかない。

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子貢(しこう)、友を問う。
子の曰(い)わく、忠告して善導し、不可なれば止(や)む。
自ら辱(はずかし)めらるることなかれ。

子貢(しこう)が孔子に尋ねた。
「友人とどのようにしてつきあえばよいのでしょうか?」

孔子がいった。
「友人にあやまちがあったら、誠意をもって忠告してあげなさい。もしも相手が聞く耳をもたなかったら、それ以上はやめておきなさい」
「自分が嫌な思いをすることはないから」

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未(いま)だ生を知らず。焉(いずく)んぞ死を知らん。

生についてさえよくわかっていないのに、死後のことなどわかるものか。

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吾(わ)れ未(いま)だ能(よ)くその過(あやま)ちを見て、内に自ら訟(せ)むる者を見ず

私はいままで、自分のあやまちに気づいて、自分を責める人間におめにかかったことがない。

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小人は比して周せず。

つまらない人間はなれ合うが、親しみあわない。

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小人窮すれば斯(ここ)に濫(みだ)る。

つまらない人間は、困窮すると自分を失ってでたらめになる。

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学びて思わざれば、罔(くら)し、思いて学ばざれば、殆(あや)うし。

本を読みあさるだけで、考えることをおこたると、知識が混乱する。
空想にふけるだけで、読書をおこたると、独断しがちになる。

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3回にわたりまして、孔子の「論語」についてふれてきました。
硬性な言い回しのものが多いので、嗜好はわかれると思います。
雲の上のひとが語ることば、との評価もあることでしょう。
別にぼくは、孔子に与(くみ)するつもりはありません。
最後に、以下のくだりをお読みください。

聖と仁との若(ごと)きは、則(すなわ)ち吾(われ)豈(あ)に敢(あ)えてせんや。
抑々(そもそも)之(これ)を為(な)して厭(いと)わず、人を誨(おし)えて倦(う)まざるは、則(すなわ)ち謂(い)うべきのみ。

次のような意味になります。
——————————————————————
私に、聖人や、思いやりのある人物になれ、といわれても無理だ。
私にできるのはせいぜい、それらの道を追い求めて、飽きることなく人々に教えることだけだ。
——————————————————————
何だか親しみがわいてきます。
一昨日のブログにも書きました。
当時、孔子の考え方は、各国の為政者に受け入れられませんでした。
いなされるたびに落胆して、何度も世捨て人になろうと考えたそうです。
直前でとどまったのは、この世に対する情熱があったからです。

論語のなかに、「剛毅(ごうき)」という文言がでてきます。
「剛毅」
とは、
意志がしっかりして物事に屈しないこと
という意味です。
孔子は終生、秩序のある世界の実現を求めて、研鑽しました。

孔子は2千数百年前に活躍したひとです。
現在、この「剛毅」ということばがもっともふさわしいかたがいます。

それは香西咲さんです。
香西咲写真画像
(※注 大きな写真は香西咲さんのツイッターでご覧になることができます。)

「意志がしっかりして物事に屈しない」
まさに、香西咲さんのためにある言辞です。



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孔子の論語からー(その2)

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本日も孔子の論語についてご紹介をします。
訳につきましては、和田武司さん(拓殖大学名誉教授)のものを参考にしました。

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君子(くんし)の過ちは日月(じつげつ)の食の如(ごと)し。
過(あやま)つや人皆これを見る、更(あらた)むるや人皆なこれを仰(あお)ぐ

すぐれた人のあやまちは、日食や月食にたとえられる。
すべてのひとが注目する。
だが、あやまちをあらためると、人々はまた、あおぎみるようになる。

——————————————————————
大徳は閑(のり)を踰(こ)えず。
小徳は出入(しゅつにゅう)して可なり。

人として守るべき道については、その枠を越えてはならない。
ささいなことならば、多少踏み外してもかまわない。

——————————————————————
道に聴きて塗(みち)に説くは、徳をこれ棄(す)つるなり。

道で聞きかじったうさわをすぐまたひとに受け売りする。
これでは徳は身につかない。

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「由(ゆう)よ、女(なんじ)六言(りくげん)六蔽(りくへい)を聞けるか?」
対(こた)えて曰わく、「未(いま)だし」
「居(お)れ、吾(われ)女に語(つ)げん」

仁を好みて学を好まざれば、其(そ)の蔽(へい)や愚(ぐ)。
知を好みて学を好まざれば、其(そ)の蔽(へい)や蕩(とう)。
信を好みて学を好まざれば、其(そ)の蔽(へい)や賊(ぞく)。
直を好みて学を好まざれば、其(そ)の蔽(へい)や絞(こう)。
勇を好みて学を好まざれば、其(そ)の蔽(へい)や乱。
剛を好みて学を好まざれば、其(そ)の蔽(へい)や狂。

「子路(しろ)よ、お前に、6つの美徳には6つの弊害がある、ことを知っているか?」
「いいえ」
「今から教えるから座りなさい」

ひとへのおもいやりばかりで、学問が嫌いならば、ただのお人好しだ。
頭の良さばかりに頼って、学問が嫌いならば、でたらめになる。
誠実なだけで、学問が嫌いならば、ひとにだまされる。
正直なだけで、学問が嫌いならば、融通がきかなくなる。
勇気があっても、学問が嫌いならば、トラブルをまねく。
根性があっても、学問が嫌いならば、偏屈になる。

——————————————————————
性、相近し、習(ならい)、相遠し。

生まれつきの性格は皆似たりよったりだが、
教育と生活環境の違いで、
個人差は大きくなる。

——————————————————————
君子に九思(きゅうし)あり。
視(み)るには明を思い、
聴くは聡(そう)を思い、
色には温を思い、
貌(かたち)は恭を思い、
言は忠を思い、
事は敬を思い、
疑わしきは問うを思い、
忿(いかり)には難を思い、
得るを見ては義を思う。

すぐれたひとの心がけは、9つある。

①物をはっきりとみる。
②話をきちんときく。
③おだやかな表情をたもつ。
④謙虚にふるまう。
⑤誠実に話をする。
⑥慎重に行動する。
⑦疑問があったら尋ねる。
⑧怒るときは、しこりがのこらないようにする。
⑨うまい話にはのらない。

——————————————————————
益者(えきしゃ)三友。
直(ちょく)を友とし、
諒(りょう)を友とし、
多聞(たぶん)を友とするは、
益なり。

有益な友人は、次の三種類である。

正直で、
誠実で、
博識なひと。

——————————————————————
損者(そんしゃ)三友。
便辟(べんぺき)を友とし、
善柔(ぜんじゅう)を友とし、
便佞(べんねい)を友とするは、
損なり。

友だちになっても損をするのは、次の三種類のひとたちである。

見栄(みえ)を張るひと、
そとづらは良いが、誠実でないひと、
口先だけのひと。

——————————————————————
過(あやま)ちて改めざる、是(これ)を過ちと謂(い)う。

だれでもあやまちをおかす。
あらためればいいだけのことである。

あやまちをおかしてもあらためない。
これが、本当のあやまち、である。

——————————————————————
衆(しゅう)之(これ)を悪(にく)むも必ず察し、
衆これを好むも、必ず察す

おおぜいの人が憎む人でも、本当にそうなのかを自分で調べてみなくてはいけない。
おおぜいの人が好む人であっても、本当にそうなのかを自分で調べてみなくてはいけない。

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「一言(いちごん)にして以て(もっ)終身これを行なうべき者ありや」
子(し)曰(いわ)く。
「それ恕(じょ)か。己の欲せざる所、人に施すことなかれ」

「生涯守るべきことを一言でいうと何でしょうか?」

「それは恕(相手を自分と同じようにみる心)だろうね。自分がされて嫌なことは、 人にしないことだ」

——————————————————————

論語は堅苦しくて、峻険な感じがします。
読むとわかりますけれども、すべてではありません。
なかには闊達なものもあります。

「小徳は出入(しゅつにゅう)して可なり」
(ささいなことならば、多少踏み外してもかまわない。)

一服の清涼剤といったところでしょうか。

「それ恕(じょ)か。己の欲せざる所、人に施すことなかれ」
(自分がされて嫌なことは、 人にしないことだ。)

このことばは、人倫の基本です。
「嫌なこと」といいますと、「大市民」第8巻(柳沢きみお著 双葉社刊)に、このようなせりふがありました。

●第91話「無頼旅その2」

(引用)
人生は一度しかないのだ。
イヤな事はガマンしないほうがいい。

こちらも論語に勝るとも劣らない名言です。



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