香西咲さんに紹介したい歴史のエピソード ~法家の商鞅

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2015年1月26日2015年1月27日のブログで、「周」についてふれました。
まずは、この王朝の時代区分につきまして、簡単にふりかえってみます。

周 (B.C.1027年~B.C.256年)・・・・・・771年間

周は遷都を境にして、二つに区分されます。
前半が西周、後半は東周です。

 ●西周(B.C.1027年~B.C.771年)・・・・・・256年間。都は、鎬京(こうけい。下図の
 ●東周(B.C.770年~B.C.256年)・・・・・・514年間。都は、洛邑(らくゆう。下図の
(下図は、世界史ノートから引用。)
鎬京、洛邑

東周 (B.C.770年~B.C.256年)・・・・・・514年間

東周は前期と後期に分かれます。
前期が春秋時代、後期は戦国時代です。

・B.C.770年~B.C.403年(367年間)=春秋時代
・B.C.403年~B.C.221年(182年間)=戦国時代

ちなみに「東周」はB.C.256年に、によって滅ばされます。
このあとのB.C.256年からB.C.221年までの35年間も、戦国時代に含まれます。

2015年1月26日のブログでも紹介しました。
戦国時代に各国は、自国を富ましてくれる優秀な人材を求めました。
(下図の)がおこなった「まず隗(かい)より始めよ」は、有名です。
 (下図は、世界史ノートから引用。)
戦国の七雄
 ※ 韓(a)、魏(b)、趙(c)、斉(d)、燕(e)、楚(f)、秦(g)

本日の舞台は、孝公(在位B.C.361年~B.C.338年)が治めていた(上図の)です。

衛(上図を参照)という小国に、商鞅(しょうおう)という人物が住んでいました。
この男はかねてより、国の役人を志望していました。
あるとき、(上図の)の国で、人材を求めていることを知ります。
商鞅(しょうおう)は、つてを頼って、統治者である孝公(在位B.C.361年~B.C.338年)との面談にこぎつけます。

孝公は、商鞅(しょうおう)のことが気に入り、大臣に任じます。
これを知った貴族たちは驚き、憤慨します。
他の国からやってきた者をいきなり抜擢するとはなにごとだ、と。

商鞅(しょうおう)は、自分が周囲から疎んじられていることに気がつきました。
貴族から認めてもらうためには、人心を掌握する必要があります。

商鞅(しょうおう)は市場へおもむきました。
市場の周囲は城壁でかこまれています。
まずは、南の門のところに、材木を一本建てました。
あわせて、触書も掲げました。
「この材木を市場の北門に移した者には金十斤を与える」
と。
十斤の金の重さは、約3.4キログラムです。

門の前は群衆であふれました。
方々でどよめきがわき起こります。
喧噪と猥雑な雰囲気が入り乱れました。
人々はかまびすしく巷談(こうだん)をするものの、材木には手を触れようとしません。
商鞅(しょうおう)は得体の知れない人物です。
これは陥穽(かんせい)かもしれません。

数日後、商鞅(しょうおう)は、賞金を5倍にしました。
それを知ったある男が、意を決したかのようにして、木にさわりました。
もちあげます。
ざわめきを背にして、男は、指定されている場所まで運びました。

商鞅(しょうおう)はすぐに、金をあたえました。
評判はまたたくまに広がりました。
今度の大臣は信用できる、と。
貴族たちもその勢いにおされて、しばし静観することにしました。

商鞅は、「変法」と呼ばれる改革をおこないました。
二つ紹介します。

一つ目は、連帯責任の制度です。
国民は隣近所のひとたちと一緒にグループをつくります。
隣組です。
もしもこのグループのなかの誰かが、犯罪者をかくまったら、そのグループ全体が罰せられます。
納税も同様です。
期日までに納めない家が一軒でもあったら、他の者たちも責任を問われます。

二つ目は、分家の新設です。
当時、農家のひとたちは大家族で暮らしていました。
これを核家族にしました。
家を離れたひとたちに対して国は、未開の土地をあたえます。
耕地面積が広がった結果、秦の税収は増大しました。

商鞅の統治の基本は、法律による支配です。
きまりを細かく定めて、それを人々に守らせました。

改善を求めて、商鞅に直訴したひとたちもいます。
民衆に対してもう少しやさしい政治をおこなってください、と。
商鞅は聞く耳をもたず、異をとなえる者たちを処刑しました。

しばらくして、秦の国では、盗人がいなくなりました。
道に財布が落ちていても誰も拾いません。
みつかると法律で厳しく罰せられるからです。

戦争で活躍をした農民には貴族の位をあたえるという制度もできました。
同時に、戦いで功績を残せなかった貴族は、その位を剥奪されました。
戦乱の世の中です。
人々は功を成し遂げようと必死で戦いました。

法律の厳罰化によって、秦は、進化します。
これまでは普通の国でした。
それが、戦国時代を制することのできる国へと変貌します。

孝公からの信頼が厚い商鞅は、わが世の春を謳歌します。
大臣になってから18年後のことです。
B.C.338年に、孝公が死去します。

ここで、積年の不満をいだいていた貴族たちが反撃にでます。
「商鞅は反乱をくわだてています」
新たに即位した王は、この忠言を信じます。
「ただちに商鞅を引っ捕えよ」

危険が迫っていることを察知した商鞅は逃げます。
国外をめざしました。
なんとか国境の近くまでやってきました。
すでにもう、夜です。
商鞅は近くの旅館で一泊することにしました。

館内に入ろうとする商鞅に対して、旅館の主人がこういいました。
「旅券をおもちですか?」
もっているはずがありません。
「そんなものはない」
「商鞅さまがおつくりになられた法律により、旅券を持たないおかたをお泊めてしてはいけないきまりとなっております」
商鞅は慨嘆しました。
自分が法律を徹底させた結果、このような事態を招いてしまった、と。

商鞅はこのあと、夜通し歩いて国外へ脱出します。
その後、挙兵しますが、秦との戦いで戦死します。



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