香西咲さんのブログ「基礎固めの2015年」を読んで-(その3)

香西咲さんを勝手に応援するサイトの管理人の「焼酎好き」です。よろしくお願いします。

一昨日のブログでぼくは、香西咲さんの文章には品位が感じられると記しました。
そのさいにもうひとつ、思ったことがあります。
簡単にふれさせていただきます。
その前にまず、もう一度、香西咲さんのブログ(基礎固めの2015年(。・ω・)ノ゙☆)を読んでみるとよろしいかもしれません。

読了されたかたは、優雅さの他に、躍動感を感じたことでしょう。
香西咲さんの文章は軽快です。
以前にも言及しました。
センテンスが短いのも一因です。
それ以外の理由をお気づきになられたでしょうか。
香西咲さんの各文章の語尾をみればわかります。
通読されたかたはおわかりになったかもしれません。

この世には、単調な文章というものが存在します。
たとえば、
「・・・・・・でした。」
「・・・・・・ました。」
のように、「た。」で終わる文末がつづくものです。
「す。」が延々とつらなるケースもよくみられることでしょう。

香西咲さんの文章は違います。
同じ語尾で終始するということがありません。
何度かつづいたあとは、違うパターンで閉じています。
これはかなりの高等テクニックを要するといっても良いでしょう。

ちなみにぼくはここまで、語尾をそろえないようにするために、かなり無理をして書いてきました。
苦労のあとを感じていただけたでしょうか。
香西咲さんの場合は違います。
誰が読んでも、自然な文章である、と感取されるに違いありません。
おそらくは、意識をせずに自然体で書かれているからでしょう。
文才のあるかたです。
ちなみにプロの作家の中には、あえて意識して語尾を同一にするかたも存在します。

文章論はこれぐらいにして、本題に入りたいと思います。
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香西咲さんのブログ(基礎固めの2015年(。・ω・)ノ゙☆)から引用。

でもその反面
よく立ち上がったな、と心から自分を褒めてあげてます。

今までの自分からは考えられなかった
成長段階への真っただ中!

以前にも当ブログで書きました。
ぼくはまず、最初に自分を愛するところからすべてがはじまる、と考えます。
自分すら愛することができない者に、他人や他のものを愛することなどはできません。
自己愛がすべての基本であると思います。

「よく立ち上がったな、と心から自分を褒めてあげてます」
崇高な文章です。
気高いものを感じます。

日本には一部、自己愛を軽んじるひとたちがいます。
おそらくは個よりも全体が大事であると考えるひとたちなのでしょう。
企業の利益のためには個を犠牲にしなければならない、と考えているのかもしれません。
戦争中の日本は滅私奉公が基本でした。
個々人は使い捨てが可能な消耗品、とみなしました。
愚かなことです。

この種のひとたちは論理のすり替えが得意です。
陥穽(かんせい)に陥らないためには、真の知識をもつことが肝要です。

企業の利益しか関心のないひとたちは、おそらくこういうでしょう。
「自己愛はナルシシズムである」
と。

嗤(わら)うしかありません。
すでにこの時点で間違っています。
自己愛、イコール、ナルシシズムではありません。
簡単にいいますと、自己愛を逸脱したものが、ナルシシズムです。

水仙(すいせん)は英語で何というかご存じでしょうか。
水仙

「narcissus」です。

ギリシア神話の中に次のようなはなしが出てきます。
美少年のナルシスはあるとき、水面に映る自分の姿に恋をしました。
このあとは、二つのパターンがあります。
ひとつ目は、そこを離れることができなくなって餓死した、というものです。
もうひとつの、中に飛び込んでおぼれ死んだ、という結末も良く知られています。
死んだナルシスは水仙になりました。
ここから、水仙のことを英語で「narcissus」というようになります。

ちなみにナルシシズムということばを最初に用いたのは、フロイト(1856年~1939年)です。
この人物は、オーストリアの精神分析学者として数多くの実績を残しました。
このナルシシズムについてフロイトは、次のようにのべています。

ナルシシズムは、生物的・社会的な存在としての人間にとって、それが良性であるかぎり、そして限界を越えないかぎり必要だ。

一般的に負の評価をされているナルシシズムについても、フロイトは前向きにとらえています。

高橋健二 編訳「ゲーテ格言集」(新潮社刊)に、ゲーテの次の詩が載っています。
引用します。

われわれはどこから生まれて来たか。
 愛から。
われわれはいかにして滅ぶか。
 愛なきため。
われわれは何によって自己に打ち克つか。
 愛によって。
われわれも愛を見出し得るか。
 愛によって。
長い間泣かずに済むのは何によるか。
 愛による。
われわれをたえず結びつけるのは何か。
 愛である。

 (シュタイン夫人へ、1786年6月28日)
 
ゲーテはおそらく、一般的な愛についてこれを書いたのでしょう。
ただ、これを自己愛と読み替えてみると、より鮮明となります。

自己愛はもっとも大切なものです。
もしも、自分などどうでもいいと考えているひとは、生きること自体がどうでもよいことになってしまいます。
自分が大切であるから、人間は、苦しくても悩みながら生き抜いているのです。



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