道浦母都子さんのエッセーから(1) ~被害感情

香西咲さんを勝手に応援するサイトの管理人の「焼酎好き」です。よろしくお願いします。

昨日のブログでぼくは、ビクトル=ユゴー(1802年~1885年)のことばを引用しました。

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大海よりも壮大なものは
大宙(おおぞら)である
大宙(おおぞら)よりもなお壮大なものは
人の心である

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この文章を打ち込んでいる途中でふと、作家の道浦母都子(みちうらもとこ)さんが以前に書かれたエッセーを思い出しました。
たしかその文章を切り抜いて保管しておいたはずです。
ブログを書き終えてから探したところ、ありました。
残念ながら、掲載誌とタイトルはわかりませんでした。
とりあえず、内容だけをご紹介します。

道浦母都子さんが14歳のときです。
当時通っていた中学校で、リンチという暴行を受けました。
その学校には、1年ほど前に転校してきました。
以来、道浦さんは、不良グループから目をつけられていました。
何かと目立つ存在だったからです。
日常的に唾を吐きかれられたり、威嚇を受けていました。

その日はいつもと違いました。
授業がおわったあとのことです。
待ちかまえていた二人の女子生徒に、両腕を捕まれました。
道浦さんは踊り場まで連れて行かれます。
途中、何人かの同級生とすれ違いましたが、誰もが無関心を装っていました。

踊り場には十数人の男女からなる上級生が待っていました。

道浦さんは髪をつかまれました。
土下座をさせられます。
「かわいこぶんじゃねーよ」
と、口々に罵倒されます。
頭の上に相手の足が乗りました。
床に顔を押しつけられます。
リーダーとみられる女子生徒が怒声をあげます。
「謝れよ」
何度も促されました。

詫びなければならないことはしていません。
ただ、いまは、この場から逃れたい。
その一心で道浦さんは、したがいました。
屈辱的でした。

不良たちは道浦さんを解放しませんでした。
数人の女子生徒がいっせいに背中や脇腹を蹴りました。
何度も往復ビンタを繰り返します。
火のついたタバコを腕に押しあてます。
横に立っている別の女子生徒が、カミソリの刃をみせます。
道浦さんは涙を流して、耐えました。

「何をしている?」
遠くのほうから教師の声がしました。
「何もしていない」
と、少年たちがその場を取り繕います。
教師は何食わぬ顔をして去って行きました。
リンチはこのあとも延々とつづきました。

道浦さんにとって、その後の学校生活は、精神的な拷問を受けているようなものでした。
加害者の生徒とすれ違ったり、暴行を受けた踊り場を通りすぎるだけで、足がすくみました。

以降、道浦さんは、目立たない言動をとることを心がけます。
鬱積した情は、弟にぶつけました。

(引用)
些細なことで殴ったり、幼い弟をずいぶんと傷つけてしまったことに、今でも心が痛む。

リンチは、道浦さんに、憎しみを植えつけました。
加害者の不良と、自分を見捨てた教師を唾棄しました。

(引用)
そして、時には、リンチとはまるで関係のない教師やクラスメートまでが恨めしくなった。
誰も私を助けようとしてくれなかったじゃないか。
私は「不良」の餌食になり、教師に見捨てられ、皆から「見殺し」にされたんだ。
そんな「被害感情」を私は持ち続けた。

それから8年が経ちました。
道浦さんは、中学校のときからの友人である男性と居酒屋へ入りました。

(引用)
その時、彼が「よぉー」と挨拶した相手は、私の腕をつかんでリンチへ誘った二人組のひとりだった。
一瞬、私は凍りついた。
まったく予想しえない再会だった。
中学校時代、彼女は髪の毛を黄色に脱色してグリグリのパーマをかけ、派手な「不良」だった。
いつも目をつり上げ、険しい表情をしていた。

このつづきは明日のブログでご紹介をしたいと思います。

先ほどテニスから帰ってきました。
インドアのテニスコートなので、快適でした。
スポーツをしたあとに、香西咲さんのこちらの写真を拝見しますと、さらに気分が高揚します。
香西咲写真
注 大きな画像は、香西咲さんのツイッターでご覧になることができます。)

それにしても、健康的です。
生命の鼓動が感じられます。



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