人間の可能性(その4)

香西咲さんを勝手に応援するサイトの管理人の「焼酎好き」です。よろしくお願いします。

昨日のつづきです。

1967年11月1日の朝、島秋人は、明日処刑がおこなわれると伝えられます。
当日、前もって知らされていた5人のかたが面会にきてくれました。
やがて、ひとりになった島秋人は、近々刊行されることになっていた歌集の原稿を手にしました。
最後の箇所に、追記をしました。

島秋人著「遺愛集」(東京美術刊) ~「『あとがき』に添えて」から、一部を引用します。

人間として極めて愚かな一生が明日の朝にはお詫びしとして終わるので、もの哀しいはずなのに、夜気が温いと感じ得る心となっていて、うれしいと思う。
(略)。
知恵のおくれた病弱の少年が、凶悪犯罪を理性のない心のまま犯し、その報いとしての処刑が決まり、寂しい日日に児童図画を見ることによって心を童心に還らせたい、もう一度幼児の心に還りたいと願い、旧師の吉田好道先生に図画を送ってくださる様にお願いしました。
その返書と一緒に絢子夫人の短歌三首が同封されてありわたしの作歌の道しるべとなってくれました。
(略)。
これは本当は生きている内に掌(てにひら)にするものと思っていた歌集なのですが、処刑は急に来るものなので、本来の通り死後出版となります。
この歌集の歌の一首でも心に沁むものがあれば僕はうれしいです。

「『あとがき』に添えて」には、前坂和子さんに対する感謝のことばも添えられています。
前坂さんは高校3年生のときから欠かさず、週1回、島秋人のところを訪れてくれました。

(引用)
短歌を詠み続けて七年になりました。
初めて私の作品をとりあげてくれ批評してくれたのが前坂和子君です。
三田高校在学中の事で三年生の文化祭に一冊の小冊子として、出品してくれました。
その名を「いあいしゅう」と付してあり、この歌集に「遺愛集」として生かしたのです。
これは前坂君への感謝の心と私の作歌を愛(いつく)しむ心とを合わせたものです。
(略)。
前坂君の花の差入れは処刑の前夜にもありました。
花好きの僕は最後までよい花に接し得たことをよろこびます。

島秋人はこのあと、改めて序文を書きました。
色紙も残しました。
関係者に対する手紙も書きました。

一部をご紹介します。

(被害者の鈴木さんへの手紙)

長い間お詫びも申し上げず過ごしていました。
申し訳ありません。
本日処刑を受けることになり、ここに深く罪をお詫び致します。
最後まで犯した罪を悔いておりました。
亡き奥様にご報告して下さい。
私は、詫びても詫びたらず、ひたすらに悔いを深めるのみでございます。
死によっていくらかでもお心の癒されますことをお願い申し上げます。
申し訳ないことでありました。
ここに記し、お詫びのことに代えます。
皆様のご幸福をお祈り申し上げます。

(吉田絢子さんへの手紙)

吉田絢子さんは、島秋人に短歌をはじめるきっかけをあたえた人です。
面会や差し入れも幾度となくおこなっています。

奥様、とうとうお別れです。
僕との最後の面会は、前坂君も来てくれるので、前坂君から聞いて下さいね。
思い残すことは、歌集出版がやはり死後になることですね。
被害者の鈴木様への詫び状を同封致しますから、お届けして下さいね。
僕の父や弟などのことはなるべく知れないように守って下さいね。
父たちも可哀想な被害者なのです。
短歌を知って僕は良かったと思って感謝しています。
僕のことは、自分で刑に服して償いとするほかに道のないものと諦めています。
覚悟は静かに深くもっています。
長い間のご厚情を感謝致します。
有り難うございます。

(前坂和子さんへの手紙)

色紙と空穂(うつぼ)先生の序文と住所をひかえたノートと年賀状と万年筆を差し上げます。
年賀状の方々に、歌集刊行の節はお知らせ下さい。
万年筆は私の使用していたものです。

十一月二日朝

惜しいようなのにとうとう朝です

和子さん、さようなら。 秋人

島秋人は処刑の前日に6つの歌を詠んでいます。
そのうちの2つを紹介します。

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 この澄めるこころ在るとは識(し)らず来て
  刑死の明日に迫る夜温(ぬく)し。

 七年の毎日歌壇の投稿も
  最後となりて礼(あや)ふかく詠む

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1967年11月2日の朝、島秋人は、巣鴨から小菅に移されました。
当時、刑務官をしていた坂本敏夫さんは、島秋人についてこう述べています。

(坂本敏夫著「死刑のすべて」(文藝春秋刊)より引用。)
彼の執行はこの上もなく悲しかった。
しかし、この手で送ることができて幸せだったと思っている。
そう思わなければとても耐えられない。

処刑の寸前のことです。
島秋人は、東京拘置所の所長である高橋良雄さんに対して、次のことばを口にしました。
高橋所長がそれをメモしました。
一部を引用します。

ねがわくは、精薄や貧しき子らも疎(うと)まれず、幼きころよりこの人々に、正しき導きと神の恵みが与えられ、わたくし如き愚かな者の死の後は死刑が廃されても、犯罪なき世の中がうち建てられますように。
わたくしにもまして辛(つら)き立場にある人々の上にみ恵みあらんことを。

高橋良雄さんはのちに、「鉄窓の花びら」(求龍堂刊)という本を上梓しました。
この中で島秋人についてもふれているとのことですが、ぼくは未読です。

処刑は午前9時頃に終わりました。
秋の晴れた日であったといわれています。
33年間の人生でした。
島秋人の遺骨は、養母の千葉さん家の墓の中に納められています。
遺体と角膜は希望通り捧げられました。

ぼくはこのブログで、島秋人(しまあきと)の人生について書いてきました。

島秋人は、本名ではありません。
ペンネームです。

島(しま)秋(あき)人(と)

   ↓
これは「しまあきと」ではなく、次のように読みます。

   ↓
島(とう)秋(しゅう)人(じん)

   ↓
「とうしゅうじん」です。

   ↓
これを別の漢字で書くと、こうなります。

   ↓
当(とう)囚(しゅう)人(じん)

   ↓
当囚人です。

つまり、私は囚人、という意味です。

明日は、その後のことにつきまして、簡単にふれてみたいと思います。

はなしは変わります。
金曜日にテニスをしました。
からだが思うように動かなくて、まいりました。
いまも筋肉に若干の痛みを感じています。
香西咲さんもかなりの疲労感があるようです。
だいじょうぶでしょうか。
疲れているときぼくは、牛乳を飲むようにしています。
牛乳は筋肉の痛みをとるのにも効果がありますので。
それにしても、香西咲さんが元気になられてうれしいです。
ゆっくりおやすみください。



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