人間の可能性(その3)

香西咲さんを勝手に応援するサイトの管理人の「焼酎好き」です。よろしくお願いします。

昨日のつづきです。
島秋人(しまあきと)の経歴を簡単に振り返ってみます。

■1934年
 誕生。

■小学校時代
 病弱のため、毎日の登校が困難となる。
 成績が最低なので、皆からバカにされてすごす。

■中学校時代
 13歳のときに、最愛の母親が病死する。

■中学校卒業後
 新聞配達の職に就くが、集金したお金をもって逃走する。
 東京で、窃盗や強盗未遂などの事件を起こす。
 少年院に送致される。

■1954年
 20歳。
 少年院を出る。
 すぐに放火事件を起こす。
 懲役4年の刑を受け、松山刑務所に収監される。
 出所後、精神病院へ送られる。

■1959年
 25歳。
 精神病院を退院後、肉親のいる新潟へ戻る。
 強盗殺人事件を起こす。

■1960年
 26歳。
 新潟地裁で死刑判決を受ける。
 控訴する。
 吉田絢子さんに勧められて、短歌づくりをはじめる。

■1961年
 27歳。
 高裁で、死刑判決を受ける。
 上告する。

■1962年
 28歳。
 6月1日、最高裁で、死刑判決を受ける。
 死刑が確定する。 
 当時高校3年生だった前坂和子さんとの交流がはじまる。

■1963年
 29歳。
 毎日歌壇賞を受賞する。

■1965年
 31歳。
 千葉てるこさんが、養母になってくれる。
          

宮城県の築館(つきだて)町に、千葉てる子さんというかたがいます。
家業の雑貨店を手伝っておりました。

 わが罪に貧しき父は老いたまひ
  久しき文の切手さかさなる
(島秋人が1961年に詠んだ歌。)

千葉てる子さんは新聞で、この歌を知ります。

(千葉てる子さんのことば。NHK教育テレビ「こころの時代」のインタビューより。)
その歌を見て、すぐ死刑囚だな、ということ分かったのね。
そして、それはほんとにその歌を読んで、気の毒な心境にあるなと思ってね。
ほんとになんとかして、この人にもっと別な世界があるということをお知らせしたい。

築館町から東京へ行くためには、列車で8時間ほどの時間を要します。
千葉てる子さんは、このあと何度も、島秋人のいる拘置所を訪れました。
島秋人が詠んだ歌です。

 うす赤き夕日が壁をはふ
  死刑に耐へて一日生きたり

 助からぬ生命(いのち)と思へば一日の
  ちひさなよろこび大切にせむ

やがて島秋人は、自分が死んだあとに、自身の角膜などを役立ててほしいと考えるようになります。
献体するためには、肉親の同意書が必要です。
当時、島秋人は、戸籍から外されていました。

 ためらふに問ひ悲しみぬ死後の眼を
  欲しきにやれぬ死囚の死なり

島秋人は1965年、千葉てる子さんに、戸籍上の母親になってくれないかと頼みます。
千葉さんは快諾します。
島秋人が31歳、千葉さんは41歳のときでした。

2年後の1967年、9月に島秋人は、養母の千葉てる子さんに次のような手紙を書いています。

まだ九月中は暑い残暑の日があると思います。
(略)。
命の尊さは、やはり死刑囚が一番よく知っていると思います。
僕みたいにいまに死ぬのだと言い、思い、他人もそう思っていながら、七年も八年も生きていると、生きているということ、まだ死なないではないかということに慣れっこになってしまって、人はピンとこなくなってしまうらしいです。
自分でもいつのまにか、死が迫っているという感じがなくなり、恐れを忘れているのに気がつくのです。
良いことや悪夢に接した時には生きたいなあと思ったり、普通の生活をしてみたいなあと思うし、独身で終わることがとても淋しいものだと深く感じるのです。
孤独な病気の人と知り合うと、この人のために尽くしてあげられる人間であったら、楽しいだろうなあと思います。
(略)。
まだ若いのに、母親役にしてしまって、すまないと思っています。
(略)。
今の僕でも、まだまだ悪いところは多く残っていますが、もう罪を犯さなくても生きていることはできると思います。
優しい愛の生活を楽しみ、貧しさにも明るい灯火を点して生きていける心を持っていると思います。

それから1か月余りが経った11月1日の朝のことでした。
島秋人は、拘置所から、明日執行があると告げられます。
前もって呼ばれていた5人が、島秋人と最後の面会をします。

父親、
教会関係者の2人、
このときは社会人になっていた前坂和子さん、
養母の千葉てる子さん、
です。

(千葉てる子さんのことば。NHK教育テレビ「こころの時代」のインタビューより引用。)
明るいね、どこまでも明るくてね、ニコニコして、ほんとに明るい顔していました。
どこにも曇りのない。
とにかくみんなで会うのが嬉しかったんじゃない。
いつも金網越しで会っていたもの。
「このまま私が許されたら、いいことするんだけどもな」
なんて、ポツッと言ったのね。
ほんとだなあ、と思ってね。
私は、涙ボロボロ出て、かえって反対だったのね、涙ボロボロ出て。
(後略)。

(前坂和子さんのことば。NHK教育テレビ「こころの時代」のインタビューより引用。)
島さんは、なんていうのかな、別に明日処刑がある人とは思えない、普通とほぼ同じだったんですね。
ということ事態が、すごく特別なことだと思うんですがね。
(略)とても落ち着いてもいたし、みんなに対してのいろいろな心遣いも示して。
例えば、千葉てる子さんに誕生日のお祝いか何かに、真珠のついた髪飾りをプレゼントしたことがあって。
それを千葉さんは付けていらっしゃったんですね。
そういうものをやっぱり目ざとく見つけて、言葉に出して。
(中略)。
(略)最後のこういう面会を湿っぽいものじゃなくって、みんなのいい思い出に、残るものにしようという、そういう心遣いや思いがあったと思うんですね。

1時間だけゆるされていた面会が終了しました。

このつづきは、明日のブログでご紹介をします。



香西咲さんを勝手に応援するサイトへ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。