人間の可能性(その2)

香西咲さんを勝手に応援するサイトの管理人の「焼酎好き」です。よろしくお願いします。

昨日のつづきです。
男性は、1959年の4月5日、新潟県の小千谷(おぢや)で、強盗殺人事件を起こします。
25歳のときでした。
男性の名は、島秋人といいます。

事件の翌年、地裁は、死刑の判決をくだしました。
被告は控訴します。

独房の中で島秋人は、生涯で一度だけ、自分をほめてくれたひとのことを思い出します。
中学校で美術を担当していた吉田好道(よしみち)先生でした。
島秋人は先生に手紙を書きます。

海原卓著「死刑囚島秋人 - 獄窓の歌人の生と死」(日本経済評論社)より引用。

その手紙は、「昔、先生に教えていただいた生徒です」という書き出しで始まっていた。
(略)秋の彼岸に届いた手紙だった。

妻の絢子(あやこ)さんは、そのときの夫の様子を次のように語っています。

(引用)
主人は書斎で手紙を読んでいました。
(略)
すると、主人の背中がだんだん丸くなっていくのです。
主人は泣いているように思いました。
わたしは心配になって、「お父さん、何のお手紙ですか」と尋ねたのです。
すると、黙って肩越しにその手紙を私に渡してくれたのです。
ほんとうに驚きました。
そこには、僕は今、人を殺(あや)め死刑囚となって東京拘置所にいます。とあったんですから・・・・・・

読み終えた吉田先生はすぐに、絵筆を手にしました。
島秋人が生まれ育った柏崎市の海を描きあげました。
妻の絢子さんも手紙を添えました。
何でも不自由なこと、困ったことがあったら、何でもいい、言って寄越すように
と。
封書には、小学生の娘と息子が描いた絵も同封しました。

すぐに、島秋人からの返信が届きました。
長文でした。
文末には、3つの俳句が書かれていました。
 
これを読んだ絢子さんは、島秋人に対して、短歌の創作を勧めます。
自分もかつて、歌を詠んでつらいことを乗り越えてきた経験があるからです。
短歌の本も送付しました。

島秋人からの歌が頻繁に送られてきます。
その都度、絢子さんは、丁寧に添削をして返送しました。

島秋人は熱心に歌づくりをつづけました。
あるとき絢子さんが、新聞の歌壇に投稿することを勧めます。

(吉田絢子さんのことば。NHK教育テレビ「こころの時代」のインタビューより。)
(略)ちっともいいことがなくって、少年院から始まって、悪いことの積み重ねだったんですね。
そして最後が人を殺して死刑囚ということですから、この世に生まれてきた甲斐がないと、私は思ったんですね。
せめて生まれてきて良かったと思わせてやりたいと思いましたね。
(略)この短歌をほんとにどこまでも上手にさしてあげたいと思いまして。

やがて島秋人の短歌が、毎日新聞に載りはじめます。
絢子さんは手紙を書くだけでなく、何度も東京の拘置所を訪ねて面会しました。
差し入れもしました。

1962年の6月1日、最高裁の判決がくだりました。
地裁、高裁と同じく、量刑は、死刑です。

この決定は、その日の夕刊でも報道されました。
紙面をみた高校3年生の前坂和子さんは、すぐに、島秋人へ手紙を書きました。
はじめての便りです。
前坂和子さんは以前より、島秋人の短歌に深い感銘を受けていました。
島秋人の歌を集めた手づくりの冊子も作成していました。
タイトルは、「いあいしゅう」です。

島秋人からの返信が届きました。
二人の間で文通がはじまります。
3週間後、島秋人が、一度会いたい、と綴ってきました。
前坂和子さんは、「いあいしゅう」を持参して、面会にいきました。

(前坂和子さんのことば。NHK教育テレビ「こころの時代」のインタビューより。)
子どものような心というのかしらね、そういうものを持っていた人ですね。
(中略)。
そして、私のように、高校生ぐらいの年齢だった者に対しても、ある程度無理に合わせるんじゃなくて、合わせることが可能な、喋り方なんか、やっぱりこうゆっくりというか、もたもたしていて、年齢よりはズーッと幼い感じの、顔つきもそうですけれども(後略)。

「書簡集 空と祈り―『遺愛集』島秋人との出会い」(東京美術刊)という本があります。
著者は前坂和子さんです。
ここには、島秋人との対話の記録や往復書簡が収められています。
前坂和子さんは毎週1回、花を携えて島秋人が収監されている拘置所を訪ねました。

島秋人が1967年に詠んだ歌です。

 稀なるに欠かさず花を差入れくれて
  君の優しさ六年続く
     

死刑の確定から1年が過ぎた1963年のことです。
この夏に島秋人は、毎日歌壇賞を受賞します。
選者の窪田空穂(くぼたうつぼ)さんは、選評の中で、こう述べています。
「頭脳の明晰さと感性の鋭敏さを感じる」
と。

このとき、島秋人は、次の歌を詠みました。

 温(ぬく)もりの残れるセーターたたむ夜
  ひと日のいのち双掌(もろて)に愛(いと)しむ

最高裁の死刑判決から、5年と5か月が経過しました。
1967年の11月1日の朝でした。
島秋人は、明日処刑がおこなわれると告げられます。

このつづきは、明日のブログでご紹介をします。

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香西咲さんが元気に活動されているようです。
こんなにうれしいことはありません。
香西咲さんが元気になると、日本も活気づくような気がします。



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