前を向くべきか、それとも後ろかー

香西咲さんを勝手に応援するサイトの管理人の「焼酎好き」です。よろしくお願いします。

正月が近づいてきました。
ごちそうだけではなく、初夢という楽しみもあります。
昔から、
「一富士、二鷹、三茄子」
の順に縁起が良いとされています。
ちなみにぼくは正月に夢をみたことがありません。
焼酎をのむと熟睡してしまうものですから。

一度、富士山の夢をみてみたいものです。
日本人にとってこの山は、特別の意味があるようです。
ただ、意外と忘れがちなのが、富士山における事故です。
すぐに思い浮かぶのは、遭難です。

他には、落石による被害があります。
軽微な打撲も含めて、この種の災害は時折発生しています。
1980年には、死者12人、重軽傷者31人という未曾有の災禍が発生しました。

 (下図は、河西秀夫 山梨学院大学教授のHPより引用。)
吉田大沢1
吉田大沢2
この年の8月14日の午後1時40分のことです。
吉田大沢という下山に、直径が1mから2mぐらいの岩が転がってきました。
数は約、60個です。

突然の出来事に対して人々は、どのような行動をとったのでしょうか。
朝日新聞に「天声人語」という有名なコラムがあります。
事件から14年後、このコーナーで下山者の動きが紹介されました。
ちなみにぼくは、1980年の落石事故の件も、この天声人語の記事も、いまから数年前に知りました。

迫り来る落石を目の当たりにして人々は、麓(ふもと)のほうへ向かって走り出したそうです。
岩を背にして、後ろ向きになって逃げました。
方々で、
「伏せろ」
という声も起きました。
これに呼応して、岩陰や窪地に伏臥(ふくが)したひとたちもいます。
駆け出したひとも、平伏したひとも皆、転がり落ちていく岩の犠牲となりました。
亡くなったり怪我をしました。

このようななか、無傷であったひとたちがいます。
白川光男さんの一家です。
光男さんは、妻の幸江さんと9歳の息子の篤くんとともに、3人で山をくだっていました。
そこに忽然(こつぜん)と石塊(せっかい)が迫ってきました。
白川さんたちは、走り出したり、物陰に身を隠すことをしませんでした。
からだの向きを麓(ふもと)から、落下物のほうへ変えました。
岩に対して、前向きの体勢をとりました。
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   ↓

—————    
   ↑
  幸江さん(妻)  
   |
   篤くん(息子)
   |
  光男さん(夫)
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白川さん一家は、幸江さんを先頭にして、縦に一列となります。
一番うしろの光男さんが篤くんの肩をつかみました。
篤くんは幸江さんの肩を握りしめます。

間断(かんだん)なく、岩石が襲来します。
最後尾の光男さんが、そのたびに、指示をあたえます。
「右へ」
「左へ」
と。
隊列は一糸乱れることなく、黒い塊をかわします。
やがて落石も収まり、白川さんたちは無事に下山することができました。
ちなみにこの一家は、休日にテニスを楽しんでいたそうです。
ぼくもテニスが趣味ですので、このことは覚えていました。

「こわいから逃げるのでなく、逃げるからこわくなるのだ」
という故事もあります。
その通りなのかもしれません。

香西咲さんのTwitter(2014年12月9日)より引用。
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他人にどう思われてるかは分からないけど、
今現在頑張ってる私は自分が好きで、生まれ変わっても自分でありたい(๑˙ᗨ˙๑)♡

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香西咲さんのTwitter(2014年12月10日)より引用。
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環境を変えてみて毎日学ぶ事が多いです。
失敗?も沢山あるけど、めげずに頑張っていきたいと思います!
不器用ながらも少しずつ学んで成長していきたいな〜(●❛⃘ᗜ​❛⃘●)੭ु⁾⁾

その為には精神的に逞しくないと!
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香西咲さんは前を向いて生きておられます。
それはこちらの美しい写真からもうかがい知ることができます。

香西咲

香西咲2
注 大きな画像は、香西咲さんのツイッターでご覧になることができます。)



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