香西咲さんに紹介したい歴史のエピソード ~直接民主政の誕生

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過日のブログで、アテネの直接民主政についてふれてきました。
古代アテネでは、ペリクレス将軍(B.C.443年~B.C.429年)の時代に、直接民主政が完成しました。

 (※下図は、自作したものです。)
ポリスが栄えた時代

民主政が確立するまでの過程を振り返ってみます。
B.C.8世紀頃アテネでは、王政が廃止されます。
このあとは、貴族による政治がはじまります。

平民には参政権がありませんでした。
平民は一人前の人間として認められていなかったからです。
当時は戦争が頻繁におこなわれていました。
一人前の条件は、戦争に参加できる男、ということです。

なぜ平民は参戦できなかったのでしょうか。
理由は簡単です。
戦争で戦うためには武器が必要です。
その頃の原則は、「武器自弁」といいまして、道具は自分で買い揃えなければなりません。
国は用意してくれません。
当時の戦闘方法は、騎馬戦です。
馬は大変高価な代物でした。
鎧(よろい)等も揃えなければなりません。
平民が入り込む余地はありませんでした。

B.C.7世紀頃、スパルタで、画期的な戦闘方法が考案されます。

 (下図は、鳳山雑記帳より引用。)
ファランクス
ご覧の通り、馬は使いません。
槍(やり)と盾(たて)を持った兵士(=重装歩兵)が、密集して隊列を組み、敵に突進していきます。

これですと、槍(やり)と盾(たて)さえ買うことができれば、戦争に加わることができます。

 (下図は、ウィキペディアより引用。)
重装歩兵
商工業の発展とともに、このような武器が安価に供給されるようになってきました。
商売等で成功している一部の平民には手の届く金額です。

重装歩兵となって参戦した平民は、大活躍をします。
自分たちは半人前ではありません。
一人前の人間です。
政治への参加を要求します。

B.C.595年(今から2609年前)に、改革(ソロンの改革)がおこなわれました。
これによって、武具を自弁できる平民は、政治への参加を認められました。
当然、貧しい平民にはこのような権利があたえられませんでした。
無産市民の不満は募ります。

B.C.492年(今から2506年前)から、ペルシア戦争が始まります。
アテネを中心としたギリシア連合軍と、アケメネス朝ペルシアの戦いです。

 (下図は、yahoo!知恵袋より引用。)
ペルシア戦争
B.C.480年(今から2494年前)、ペルシアの大軍が船でギリシアへ押し寄せます。
アテネの町は破壊され、占領されます。
女性や子供は、離れ小島に待避しました。
アテネはこの日に備えて、数多くの軍船をつくっていました。

当時の戦い方は、船による体当たりです。
横へまわりこみ、側面に穴をあけて沈没させます。
機動力の高い方が勝ちます。
そのためアテネは、次のような船をつくりました。

 (下図は、ウィキペディアより引用。)
三段櫂船1

三段櫂船です。
この船は、櫂(かい)の数が、通常の軍船の3倍となっています。

 (下図は、玉手箱パート1より引用。)
三段櫂船2
一隻につき、こぎ手が180人も必要です。
アテネはの船は200隻です。
全部で3万6千人のこぎ手がいなければなりません。
これに志願したのが、無産市民でした。
櫂(かい)をこぐだけです。
武器を買い揃える必要はありません。
からだひとつあれば、戦いに与(くみ)することができます。
三段櫂船の破壊力はすさまじく、アテネは圧勝します。

B.C.479年(今から2493年前)に、戦争が終わります。
戦後、アテネは、無産市民に対しても参政権をあたえました。

その後、国政の指導者であるペリクレス将軍(B.C.443年~B.C.429年)の時代に、アテネの直接民主政が完成します。

ただ、過日のブログでご紹介しました通り、この民主主義がソクラテスを殺すこととなります。



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