アテネの民主政(その2) ~詭弁を弄するひとたち

香西咲さんを勝手に応援するサイトの管理人の「焼酎好き」です。よろしくお願いします。

アテネの民主政のつづきです。
政治に関心のあるひとたちは、民会に集まって、自分の意見を主張しました。
はなしかた次第では、参加者の心をとらえることができます。
自分の思うように国の政治を動かすことも可能です。
野心のある者は競うようにして、相手に打ち勝つための技法を追い求めました。
そのひとつとして、詭弁(きべん)は有効でした。

昨日のブログでも書きました。
詭弁(きべん)とは、こじつけのことです。
道理に合わないことを強引に正当化しようとする弁論です。

以前に増原良彦(ひろさちや)さんが、「とっさの詭弁術―相手の虚をつく発想法」という本を書かれました。
そのなかに、詭弁のわかりやすい例が載っております。
以下に引用します。

<その1>

ある日本人がインドに旅行に行った。
そこで、彼は「ガイド」を頼んだ。
ところがその「ガイド」は、出発の時間を2時間も遅れてホテルに来た。
それなのに「ガイド」はニコニコと笑いながら言った。
「さあ出発します。早くバスに乗ってください」
日本人は怒った。
「2時間も遅れて。その態度はなんだ! 謝らないのか?」

困ったインド人の「ガイド」は詭弁をつかった。

「私は遅刻はしていません。私は出発時間を変更したのです」
「なに・・・・・・? 変更? 君は何も連絡してこなかったではないか」
「連絡しようにも、連絡する時間がなかったのです。今朝、私が変更を決めたのです」
「なんだって!? どうしてそんな勝手なことをするんだ」
「2時間遅らせた方が、あとのスケジュールがうまくいくのです」
「しかし、君は昨日は6時だと言った・・・・・・」
「昨日は6時がいいと思ったのです。でも今朝になって、8時の方が都合がいいと思いました」
「ではなぜ私に相談してくれないのだ」
「なぜあなたに相談しないといけないのですか? ここはインドですよ。インドの事情は私が一番知っています。その私が変更を決めたのです。私はガイドだから、スケジュールを決める権利がある」

そのあと、インド人は言った。
「8時20分にもなりました。20分もスケジュールが遅れたではありませんか。さあ急いでください。出発しますよ」

<その2>

ある学校で、生徒が勝手に廊下に貼り紙をするのを禁止しようとした。
そこで学校側は次のような貼り紙をした。

 この廊下に貼り紙をするのを禁止する

そこで学生は次のような詭弁を考えた。
次の日、廊下には貼り紙が貼ってあった。

 この廊下に貼り紙をするのを禁止するの貼り紙も禁止する

さらに翌日・・・・・・

 この廊下に貼り紙をするのを禁止するの貼り紙も禁止するの貼り紙も禁止する

さらに翌日・・・・・・

 この廊下に貼り紙をするのを禁止するの貼り紙も禁止するの貼り紙も禁止するの貼り紙も禁止する

毎日このような貼り紙が増え、廊下は貼り紙でいっぱいになった。
学校側は負けてしまった。

いずれも、道理に合わないことを強引に正当化しようとしています。
民会で自分の意見を通したいひとたちは、ソフィストからこの種の詭弁を習いました。
ソフィストとは本来、「知恵のある人」という意味です。
つまりは、哲学者、です。
それがのちに、「弁論術教師」を指すようになりました。
広辞苑には、
「詭弁を事とする者がいたので、長く詭弁家の同義語となった」
とも書かれています。

ソフィストの第一人者、といわれたのが、プロタゴラス(B.C.490年頃~B.C.420年頃)です。
「人間は万物の尺度である」
ということばが有名です。

辞書は、次のように説明しています。

「人間は万物の尺度である」とは、
「個々の人間の知覚こそ、真理の基準であり、絶対的な真理は存在しないの意である」
と。

いまひとつわかりづらいので、プロタゴラスのことばをつづけます。

エジプト人は人間の身体に鷹(たか)や山犬の頭をつけたものを神と考え、
ペルシア人は火を神と崇め、
ヘブライ人は神をヤハウェのみとし、
われわれギリシア人はまた別の神を持つ。
神ですら、時と所が違えば変わる。
どこに絶対的な真理や善があろうか
君の正義とわたしの正義は違う

価値は、絶対的でなく、相対的である、という考え方です。
ソフィストは、絶対的な価値を追求しません。
その時々で、いうことが変わります。

プロタゴラスのながれをくむといわれている者は、このようなことをいっています。

死は一般の人間にとっては悪だが、墓掘り人には善である。
また靴がこわれるのは一般の人には悪だが、靴屋にとっては善である。
したがって悪と善は同じである。
とすれば親にたくさん良いことをしてもらった者は、親にたくさん悪の借りがあることになる。

ソフィストが議論に強いのは、絶対というものを信じずに、この世の事象は相対的なものである、と思っているからです。
この世には、絶対の悪も、絶対の善もない。
みる立場を変えれば、善は悪になり、悪は善になる、という考えが根本にあります。
これを利用してソフィストは、論戦に勝つわけです。

ぼくのまわりにも詭弁を弄(ろう)するひとはいます。
雄弁です。
巧言にたけています。
残念ながら、信用はされません。

古代ギリシアで、ソフィストと対峙した人物がいます。
この人物に関しては、後日、ご紹介をしたいと思います。

香西咲さんのTwitter(2014年7月23日)より引用。

人の事を「利用する」って言葉を平気で使う人ってどうなんだろう?
凄く荒んでるな~と思うし、そんな人と関わりたくないと思う。

香西咲さんは詭弁からほど遠いところにいるかたです。
清廉(せいれん)です。
実直です。
一途(いちず)に人生を生きておられます。
それはこの美しい相貌からもうかがい知ることができます。
香西咲美人時計




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