月別アーカイブ: 2014年12月

香西咲さん、おつかれさまでした。

香西咲さんを勝手に応援するサイトの管理人の「焼酎好き」です。よろしくお願いします。

今年も、今日で最後です。
最初に、大晦日の意味についてふれてみたいと思います。
晦日(みそか)ということばがあります。
その月の末日、を指します。
月末は、30日、となることが多いです。
そこで、月のおわりを(み)(そ)(か)と呼ぶようになりました。
1年の締め括りの日、つまり12月31日は、別格なので、晦日となります。

大晦日には年越しそばを食べます。
二つの理由があります。
一つ目は、長寿への期待です。
そばのように長く寿命がのびますようにとの願いが込められています。
二つ目は、お金への所望(しょもう)です。
江戸時代に金銀の細工を業とした職人は、飛び散っている金銀の粉を集めるために、そばを利用しました。
そばを練ってだんごをつくり、これに粉を付けたのです。
これがいつしか、
「そばは金を集める」
というふうに広まっていきます。
そこで人々は大晦日の日に、来年もお金が集まりますようにとの想いを込めてそばを食べました。

大晦日のそばといいますと、有名な作品があります。
栗 良平さんが著した「一杯のかけそば」 (角川文庫)です。
薄幸な母子三人が大晦日の夜に、かけそばを一杯だけ頼んで分かち合うという物語です。
心打たれる場面が随所にあります。
その中の一部をご紹介させていただきます。

三人はある年の大晦日に、札幌の北海亭で、かけそばを注文しました。
三杯ではなく、一杯です。
翌年も夜遅くにやって来て、三人は同じものを頼みました。

3年目も同様でした。
この年の母子は、いつもとは違い快活でした。

中学生の長男が、母親に打ち明けます。
自分の判断で、小学生の弟の淳くんの参観日に出席したと。
当日、淳くんは、作文を発表することになっていました。

(引用)
作文はね・・・・・・お父さんが、交通事故で死んでしまい、たくさんの借金が残ったこと、お母さんが、朝早くから夜遅くまで働いていること、ボクが朝刊夕刊の配達に行っていることなど・・・・・・ぜんぶ読みあげたんだ。
そして12月31日の夜、三人で食べた一杯のかけそばが、とてもおいしかったこと。
・・・・・・三人でたった一杯しか頼まないのに、おそば屋のおじさんとおばさんは、ありがとうございました! どうかよいお年を!って大きな声をかけてくれたこと。
その声は・・・・・・負けるなよ! 頑張れよ! 生きるんだよ!って言ってるような気がしたって。
それで淳は、大人になったら、お客さんに、頑張ってね! 幸せにね! って思いを込めて、ありがとうございました! と言える日本一の、おそば屋さんになります。って大きな声で読みあげたんだよ。

このあと担任の先生が、淳くんの兄が来ていることを紹介します。
先生にうながされて兄は、皆の前で挨拶をします。

(引用)
今、弟が 『一杯のかけそば』 と読み始めたとき……ぼくは恥ずかしいと思いました。
・・・・・・でも、胸を張って大きな声で読みあげている弟を見ているうちに、一杯のかけそばを恥ずかしいと思う、その心のほうが恥ずかしいことだと思いました
あの時・・・・・・一杯のかけそばを頼んでくれた母の勇気を、忘れてはいけないと思います。

以降、三人が店を訪れることはありませんでした。
最後に感動的なラストが控えていますが、紹介はここまでとさせていただきます。

作者の栗 良平さんにつきましては、毀誉褒貶(きよほうへん)が喧(かまびす)しいです。
私生活についてはよくわかりませんけれども、作品は醇正(じゅんせい)です。
教えられることが多いです。
批判者は、文学というものがよくわかっていないのかもしれません。

さきほど、テレビで、ドラえもんに関するクイズが放映されました。
ブログを書くときは静かな環境が望ましいのですが、実家なのでしかたありません。
興味がなかったのですけれども、ある出題のときに見入ってしまいました。
のび太との結婚を迷うしずかちゃんに対して、しずかちゃんの父親があることばを発しました。これを答えよというものです。
正解はこうです。

のび太君を選んだ君の判断は正しい。
あの青年は、人の幸せを願い人の不幸を悲しむことのできる人間だ。
それがいちばん人間にとってだいじなことなんだからね。

ぼくはこれをみて、ギリシアの哲学者のテオフラタスのことばを思い出しました。
順境のときには、招待されたときだけわれわれを訪れ、逆境のときには、招待されなくてもやってくるのが真の友人である

香西咲さんのTwitter(2014年9月26日)より引用。
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自らの利益を差し置いて、
私の為に頑張って下さる方々がいる。
私は人に恵まれてると実感してます。
(略)。
(略)、
私が辛い時に手を差し伸べて下さった方々のご恩も一生忘れない!

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香西咲さんのTwitter(2014年10月19日)より引用。
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今日はめっちゃ濃い1日でした。
持つべきものは友達と人生の先輩と・・・皆様です
人との繋がり。
本当にそう思います。

(後略)。
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香西咲さんのまわりにはたくさんのかたが集まります。
それは香西咲さんの人間性に惹かれるからです。
ひとは、素顔に化粧を施すことができても、人間性に化粧を施すことはできません。
※注 ちなみの香西咲さんのお顔はノーメイクでも美しいです。)

まもなく今年がおわります。
ぼくは香西咲さんのこのことばに救われました。
香西咲さんのTwitter(2014年12月27日)より引用。
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今年は特に実り多き一年になりました。
ありがとうございました。
また来年も宜しくお願いします(∩。・ω・。)⊃━♡°.*・。

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いまぼくのグラスには、焼酎が半分ほどそそがれています。
これをみて、どう感じるかはそのひとしだいです。
「もう半分しか残っていない」
「まだ半分も残っている」

香西咲さんは前を向いて歩んでおられます。
来年が香西咲さんにとって飛躍の年になることを願っております。
本当に、お疲れさまでした。



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大事なのは、感動

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明日は大晦日です。
いま、実家に帰っています。
正月前なのにもう、ご馳走に囲まれています。

千家元麿(1888年~1948年)という詩人が、次のような作品を書いています。
(彌生書房『千家元麿詩集』より、一部を引用。)

三人の親子

ある年の大晦日の晩だ。
場末の小さな暇そうな、餅屋の前で
二人の子供が母親に餅(もち)を買ってくれとねだっていた。
母親もそれが買いたかった。
小さな硝子(ガラス)戸から透かして見ると
十三銭という札がついている売れ残りの餅である。
母親は永い間その店の前の往来(おうらい)に立っていた。
二人の子供は母親の右と左のたもとにすがって
ランプに輝く店の硝子窓を覗いていた。
十三銭という札のついた餅を母親はどこからかさすうす明りで
帯の間から出した小さな財布から金を出しては数えていた。
買おうか買うまいかと迷って、
三人とも黙って釘付けられたように立っていた。
(略)。
そうしている事が十分あまり
母親は聞えない位の吐息をついて、黙って歩き出した。
子供達もおとなしくそれに従って、寒い町を三人は歩み去った。
(略)。
人通りの無い町で、それを見ていた人は誰もなかった。
場末の町は永遠の沈黙にしづんでいた。
(略)。
(略)大晦日の夜も遅く、人々が寝しづまってから
人目を忍んで、買物に出た貧しい人の母と子だったろうか。

フィクションとはいえ、あまりにも切ないです。
大晦日が近づいてくるとぼくは、三人の親子を思い出すことがあります。
あってはならないことです。
無情です。
こういうときは、「美味しんぼ」を読んで気持ちを静めるようにしています。

結婚披露宴

この章は、「美味しんぼ」(作・雁屋哲 画・花咲アキラ 小学館刊)の47巻の中に収められています。

主役の一人である海原雄山は、稀代の陶芸家です。
美食家でもあります。
あるとき、知人の娘さんの披露宴に招待されます。
併せて、料理の提供も求められます。
海原雄山は承諾しました。
当日、出席者のテーブルに、以下の料理が並べられました。

・ご飯
・味噌汁
・あんかけ豆腐
・ダイコンの葉と茎(くき)の漬物(つけもの)
・ダイコンとニワトリのモツ煮
・イワシの塩焼き

一目見て、出席者は騒然となります。
これがめでたい席に出す代物なのかと。
人々は憮然とした面もちで、料理に箸をつけます。
ざわめきが起こりました。
うまい、と。
忽然と酔いしれている姿が方々で散見されます。

海原雄山が説明します。

(引用)
「この料理は、みずぼらしい。しかし私には高価な山海の珍味を集めたどんな大ご馳走よりも、はるかに価値がある。私のすべては、ここから始まった。まさに”至高の料理”だった」

これはかつて、亡き妻が、正月につくった料理でした。
当時、海原雄山は、赤貧の生活をおくっていました。
明日は正月というのに、ご馳走を買いそろえるお金がありません。
このときに、妻がいいました。
私たちにできることをしましょう、と。
それが上述した総菜料理です。

妻の刻苦の甲斐は次の通りです。

<ご飯>
前日、米屋さんに、籾殻(もみがら)のついた米をもって行き、そこで精米してもらいました。
水は、山へ行って汲んできました。

<味噌汁と、あんかけ豆腐>
豆腐は、天然のにがりと豆乳でつくりました。

<ダイコンの葉と茎(くき)の漬物(つけもの)>
<ダイコンとニワトリのモツ煮>
ダイコンは、借家の畑を利用して栽培していたものです。
農薬は使っていません。
モツ煮に用いたのは、安い砂肝とレバーです。
自然養鶏の肉を扱っている店で購入しました。

<イワシの塩焼き>
イワシは当日、漁港へ行って買い求めました。

(引用)
「高価で貴重なものの味をあさるのが、美味の追求だと思っていた。しかし、そうではなかった! 大事なのは、感動だ。至高の口福による感動なのだ!」

「きらびやかな外観やご大層な権威などに惑わされずに本質的に至高のものを求めること、それを人生に身を処する基本的な節度として堅持すれば何も怖いものはない」

香西咲さんのTwitter(2014年10月4日)より引用。
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“幸せ”って実態が無い。
どんな出来事に対しても幸せを感じる能力を磨く事が大切だなって、
最近つくづく感じるよ

最近は
素敵な音楽を聴くだけでも、
美味しいご飯を食べるだけでも、
人にちょっと優しくされただけでも、
ホロリときたり、すぐに感動してしまう…

(略)。

この感性を得た事は
私にとって本当に宝です。
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香西咲さんは人生の達人です。



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もうすぐ正月です。 ~「冬来たりなば春遠からじ」

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正月が近づいてきました。
香西咲さんはどのようにお過ごしになるのでしょうか。

香西咲さんのTwitter(2014年12月27日)より引用。
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今年は特に実り多き一年になりました。
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香西咲さんは前を向いて人生を歩まれております。
来年がより良き年になることを願っております。

本日は最初に、正月に関する基礎的な事項を確認してみたいと思います。

正月とは、年のはじめの月、という意味です。
1月1日から1月31までが、「正月」です。
そうはいいましても、正月の松飾りは普通、元日から7日までしか立てません。
(※15日までの地域もあります。)
このため、7日までが正月、とされます。
15日を小正月といいまして、各種行事をおこなうところもあります。

7日には、七草がゆを食べます。
このかゆを食べると、病気をせずに長生きができる、といわれています。
七草とは、7種類の葉菜のことです。
たとえば、かぶの葉(すずな)や、ダイコンの葉(すずしろ)には、消化を促進するジアンターゼが含まれています。
食べ過ぎて疲弊している胃を回復させるのに効果があります。
ハコベは栄養価が高く、24パーセントの蛋白質を含んでいるそうです。
セリは鉄分が豊富で、造血作用があります。

11日は、鏡開きです。
この日に、お供えのモチを割って食べます。

雑煮

「美味しんぼ」(作・雁屋哲 画・花咲アキラ 小学館刊)の中に、雑煮をあつかった作品があります。

(以下は、第6巻を参考。)

■京都の雑煮
白みそ仕立てです。
だしは、カツオブシでとります。
モチは焼かずに、湯で柔らかくしてから入れるそうです。

■青森の雑煮
鮭のハラ子が入っています。

■東京の雑煮
餅のほかには、小松菜と合鴨しか入れません。

(第6巻より引用。)
おせち料理はあれこれ食べるが、そのあとの雑煮までゴッテリした物を食うのはイヤだという、江戸っ子の粋を尊ぶ気風の表れだろうな。

■福岡県の雑煮
だしは、トビウオを焼いたもの(アゴ)でとります。
具として、アラがはいっています。
アラというのは、体長が2メートル以上の大きな魚です。

 (下図は、HAPPY PLUS(ハピプラ)より引用。福岡と栃木の雑煮。)
福岡の雑煮

「美味しんぼ」(作・雁屋哲 画・花咲アキラ 小学館刊)第41巻より引用。

アゴは飛び魚のこと。
飛び魚を焼いて干した焼きアゴでダシを取るのは、九州や能登の輪島あたりでは、雑煮のダシの基本だ。

地方の風習

矢口高雄さんの作品に、「オーイ!! やまびこ」(毎日新聞社刊)という漫画があります。
矢口さんは秋田県の南部の寒村の出身です。
少年時代の思い出を数多く描かれています。
「オーイ!! やまびこ」の中から、正月の場面を一部ご紹介します。

(引用)
・まずは村の鎮守サマに初詣です。
・お賽銭はお餅です。
・正月でうれしいのは(略)たくさんの掛け軸が飾られることでした。
 一番窓際に”鍾馗(しょうき)サマ”の図柄を掛けることがきまりでした。

(Wikipediaより引用。鍾馗)
鍾馗
鍾馗2

(引用)
しかもその鍾馗(しょうき)サマの視線はきまって窓の外をにらむ外にらみでなくてはなりません。
俗世に棲(す)む邪気をその眼光で追い払おうと言うわけです。

おもしろいのは、お年玉の呼び名です。
「ヤセンマ」というそうです。
「ヤセンマ」とは、痩せた馬のことです。
馬は当時、農耕で用いられました。
痩せた馬はあまり役にたちません。
大人は、子どもたちにお年玉を渡すとき、
「たいして役にたつほどの中身ではございません」
とへりくだったそうです。
これが「ヤセンマ」の語源です。

ちなみに矢口さんが漫画家になったのは30歳のときです。
それまでは地元の秋田県で銀行員をしていました。
矢口さんはデビューしてから今日にいたるまで、密度の濃い作品を上梓してきました。
正月に再読してみたいと思います。

作品のなかで、時折、
「冬来たりなば春遠からじ」
という故事が引用されます。

冬のあとにはかならず、春がきます。
人生における厳しい冬も、いつまでも長くはつづきません。
希望に満ちた未来がすぐうしろに控えています。

正月になると思い出すことばです。



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香西咲さんの来年の目標ー

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香西咲さんのTwitter(2014年12月22日 )より引用。
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I’ll be reborn in the next year.

ヾ(◍’౪`◍)ノ゙♡

おはようございます。
来年のテーマは『自分らしくナチュラルに、そして逞しく生きる。』

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何度拝見しても、胸に迫る文章です。

(再掲)
来年のテーマは『自分らしくナチュラルに、そして逞しく生きる。』

逞しく生きる

「だいじょうぶだいじょうぶ」(講談社刊)という絵本があります。
作者は、いとうひろしさんです。
内容を簡単にご紹介します。

主人公の男の子は幼少のころ、おじいちゃんに手を引かれて散歩をするのが大好きでした。
外の世界は未知のものに満ち溢れていました。
男の子は、発見するたびに、歓喜しました。
長くはつづきませんでした。
世の中には、いやなことやつらいこともある、ということに気がついたからです。
男の子は消沈します。
自分の将来に対して暗澹たる思いを抱きます。
そのようなときにおじいちゃんは、必ず向かい合ってくれました。

(引用)
おじいちゃんは、ぼくの てを にぎり、
おなじないのように つぶやくのでした。
「だいじょうぶ だいじょうぶ。」

男の子は、いやなことやつらいことがあったときに、このことばをそらんじました。
だいじょうぶ、だいじょうぶ、と。
その後は、隘路(あいろ)でたたずむこともありませんでした。

(引用)
それは、この よのなか、そんなに
わるい ことばかりじゃ ないって ことでした。

男の子は大きくなりました。
おじいちゃんは年をとりました。
入院しているおじいちゃんの前で、男の子があることばをつぶやきます。

ご紹介はここまでとさせていただきます。
ぼくも苦境に陥ったときはいつも、このことばを口にします。
だいじょうぶ、だいじょうぶ、と。
いろいろな考え方があるでしょうけれども、ぼくは、これも逞しい生き方であると思うのですが。

(再掲)
来年のテーマは『自分らしくナチュラルに、そして逞しく生きる。』

ナチュラルに生きる

過日のブログでもふれました。
老子という古代中国の思想家がいます。
この人物は、次のようなことをいっております。

無為自然

これは、作為を弄(ろう)せず自然に生きよう、という考え方です。
簡単にいいますと、力まないで生きる、ということです。
たとえば、どのような器でも、水をそそぎつづければあふれてしまいます。
包丁も、磨(と)ぎすぎて細くなると、折れやすくなってします。
財産をさくさんもっているひとは、他人のねたみを受けて、強奪にあう可能性もあります。
こうしたことを避けるために老子は、「無為自然」といいました。

柔弱謙下(じゅうじゃくけんげ)」

水は鉄と異なります。
らかく、い存在です。
ところが水は、あらゆるものを育てて、養います。
それなのに、おごることはありません。
控えめです。
遜しています。
水は人々が嫌がる低いところ、つまりへ流れていきます。
水のように柔軟で、謙虚な態度を保つ生き方を「柔弱謙下」といいます。

柔弱は上に処(お)る

人間のからだは柔らかいです。
ところが、死ぬと硬くなります。
草木も同じです。
枯れると堅くひからびます。
つまり、生きていくためには、柔弱でなければなりません。
戦争が良い例です。
武力を誇るものはいずれ滅びます。
強大な木は、やがて切り倒されます。
嵐がくると、大木は折れます。
草はどうでしょうか。
らかく、いので(柔弱なので)、風にさからわずにその身をたもつことができます。
弱いもの柔弱)が、上に位置する上に処る)ということになるのです。

自分らしくナチュラルに、そして逞し生きる
香西咲さんは聡明なかたです。



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ヘルマン=ヘッセの「苦しい道」ー

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12月25日のブログで、ヘルマン=ヘッセが著した「アウグスツス」についてふれました。
これは新潮文庫の「メルヒェン」(高橋健二訳)という短編集の冒頭の作品です。
愛されることの苦しみを冷徹に描いた物語です。
「メルヒェン」には、これ以外にも示唆をあたえてくれる一編があります。
本日はそれらの中から印象的な場面を簡単にご紹介してみたいと思います。
 

笛の夢

主人公は小舟に乗って故郷をあとにします。
途中で、戻りたい気分となります。

(引用)

そこで私は勇気をふるって、苦しまぎれに頼んだ。
「ああ、引き返そうじゃありませんか、ねえ。このやみの中では心配です。私は引き返してゆきたい。(後略)」
男は立ちあがって、やみの中をさし示した。すると明かりが彼のやせた引きしまった顔を明るく照らした。
引き返す道はない」と彼は真剣に親切に言った。「世の中をきわめようと思ったら、絶えず前に進まなければならない

峻厳な返答です。
ただ、その通りなのかもしれません。
 

苦しい道

難解な作品です。
ぼくは最初、内容が理解できませんでした。
屹立(きつりつ)した山を目指す主人公が、案内人という名の内なる自分と対話を繰り返す掌編です。
最初に主人公は、峡谷の入口の前で躊躇します。

(引用)
いやだ、いやだ。こんな道を行くなんて! こんな不快な岩の門を苦しんで通ったり、こんな冷たい小川を渡ったり、こんな狭いけわしい闇のはざまをよじ登るなんて、いやだ!

いまなら引き返すことができる、と主人公は考えます。

(引用)

私たちの離れてきたあすこは、千倍も美しくはなかったか。生活はそこでは、もっと清らに、もっと暖かく、もっと好ましく流れてはいなかったか。

葛藤の末、主人公は一歩を踏み出します。
内なる自分がささやきます。
わたしはあなたの感じている不安を知っている、と。

歩いている途中で、主人公が叫びます。

(引用)
「ぼくは行けない。まだ用意ができていない」

内なる自分が、引き返すほうがいいのか、と訊ねます。
主人公は呻吟(しんぎん)します。

(引用)
自分は、否(いな)と言うだろう。否(いな)と言わなければならないだろう(略)。

同時に、次のような思いも去来します。

(引用)
私の心の中の古いもの、なじんだもの、愛したもの、親しんだものが、こぞって絶望的に叫んだ。「うん、と言え、うん、と言え」と叫んだ。世界と故郷とがこぞって、弾丸のように私の足にしがみついた。

内なる自分に促されて、主人公は、麓(ふもと)に方に目をやりました。
眼下に映る光景は、どれもが色あせていました。

(引用)
すべてのものが、とっくに吐きたくなるほどの食い過ぎたもののにおいと味がした。

主人公はふたたび、歩きはじめます。
道ばたに1本の花が咲いていました。
黒色で、悲しげな風情をしております。
内なる自分が足を早めます。

(引用)
(もしもこの悲しい花に気を奪われたら)悲哀と絶望的な憂うつは、あまりにも重く、耐えがたくなるだろう。

主人公は山の頂に到達します。

(引用)
(前略)鳥はしゃがれた声で歌っていた。そのしゃがれた歌は、永遠、永遠!と言っていた。

このあと、ラストになりますが、こちらも晦渋(かいじゅう)です。
ぼくは読みとることができずに、何度もよみなおしました。

香西咲さんもこれから、悲しいことやつらいことに遭遇するかもしれません。

(再掲)
(もしもこの悲しい花に気を奪われたら)悲哀と絶望的な憂うつは、あまりにも重く、耐えがたくなるだろう。

立ち止まらずに、前を向いて歩まれることを願っております。

香西咲さんのブログを拝見しました。
感動しました。
清冽(せいれつ)です。
香西咲さんには幸せになってほしいです。
心からからそう思います。



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リセット、リボーン ~破壊から創造へ

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香西咲さんのブログ(2014年12月5日)より引用。

先日、
内視鏡検査を受けてきました。

結果は・・・特に異常なし。

完治して
来年には再スタート出来るかな?
仕事もプライベートも

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香西咲さんのTwitter(2014年12月22日 )より引用。

I’ll be reborn in the next year.

ヾ(◍’౪`◍)ノ゙♡

おはようございます。
来年のテーマは『自分らしくナチュラルに、そして逞しく生きる。』

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香西咲さんのTwitter(2014年12月25日 )より引用。

明後日までに今年の業務終わらせて、
このタイミングで一度全てをリセットしたいな〜( ^ω^ )
今年はよく頑張った!
定期的な電波断ちが必要!笑

おやすみなさい。
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I’ll be reborn in the next year.
この文章を目にしたとき、周囲の音が何も聞こえなくなりました。
「reborn」
ぼくは深淵から昂然と沸き上がるものを感じました。
ここ6か月間のことが去来しては消えていきました。
何度も息を吐きました。
夜なのに、窓辺には光が満ち溢れていました。

このタイミングで一度全てをリセットしたいな〜
昨日のこのツイートにも驚きました。

 reset
  ↓
 reborn
自身の内で惟る(おもいみる)ことは可能です。
これを具現化するためは、膂力(りょりょく)が必要となります。
卓越したかたです。
香西咲さんは。

12月21日のブログで、ニーチェについてふれました。

ニーチェは、ギリシア神話やギリシア悲劇の中にでてくるディオニュソス神を愛しました。
ディオニュソスは英語読みでバッカスともいいます。
この神は情熱的で、活力に満ち溢れています。
同時に、凶暴で破壊的という性格も持ち合わせています。
ギリシア神話のなかには、悲劇もあります。
ギリシア人は人生の悲劇的な側面を冷静にみつめる民族でした。
ギリシア悲劇にはこのような世界観が透徹されています。
物語の中でディオニュソスは、力強く生きました。
人生の暗部を否定して、それを破壊reset)しました。  
そのあとに新しいものを創造しました。(reborn
人生を生きるためにはこのような情熱的精神が必要である、とニーチェは考えたのです。

ぼくは宗教を否定していますが、ヒンドゥー教についてもふれてみたいと思います。
この宗教には、三大神とよばれているものが存在します。
以下に名前と特徴を記します。

 ・ブラフマー・・・・・・創造の神
 ・ヴィシュヌ・・・・・・世界を維持する神
 ・シヴァ・・・・・・破壊の神

このなかで最上位に位置するのが、破壊の神であるシヴァです。
破壊が、次の創造につながるからです。
(reset → reborn)

ルソー(1712年~1778年)のことばに、
「第二の誕生」
というのがあります。
一回目の誕生は、この世に生を受けたときです。
二回目は、思春期のときです。ここで男か女に生まれ変わります。
普通はこれでおわりです。
I’ll be reborn in the next year.
香西咲さんの場合は、「第の誕生」です。
偉大なかたです。

(再掲)
今年はよく頑張った!

香西咲さんにはそうおっしゃる資格があります。
年末はゆっくりとからだを休めていただきたいです。
本当におつかれさまでした。



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「愛すること」と「愛されること」、どちらが幸せなのかー

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12月20日のブログで、ゲーテについてふれました。
そのときにぼくは、次のようなことを書きました。
あるサイトで、ゲーテが書いたとされる童話を紹介しているが、これは別の作者のものであると。
本日はこの作品について述べてみたいと思います。

その童話は同じドイツ人であるヘルマン=ヘッセが著したものです。
新潮文庫の「メルヒェン」(高橋健二訳)の中に納められています。
短編です。
タイトルは、「アウグスツス」です。
ヘッセは1946年に、別の作品でノーベル文学賞を受賞しました。

「アウグスツス」は、大人の読む童話です。
以下に内容を記してみます。

ドイツのある町に、エリーザベトという貧しい婦人が住んでいました。
女性は結婚してすぐに、夫を亡くしました。
おなかの中には、子供がいます。

婦人は隣人のビンスワンゲルさんを頼りにしていました。
寡黙ですが、いつくしみのある老人です。
心の支えでした。

お産が迫ってきました。
ビンスワンゲルさんが産婆さんを手配をしてくれました。
エリーザベトは無事に男の子を出産することができました。
「アウグスツス」という名前を考えました。
名づけ親はビンスワンゲルさんになってもらいました。

教会での洗礼後、ビンスワンゲルさんがいいました。
お子さんのために、何か願い事を叶えてあげると。

エリーザベトは半信半疑でした。
思案しました。
ビンスワンゲルさんからは、
「願いは今晩、坊やの左の耳にいいなさい」
といわれています。
その時間が迫ってきました。
エリーザベトは、アウグスツスの耳もとでささやきました。

(引用)
みんながおまえを愛さずにはいられないようにと。

アウグスツスは誰からも好かれる子供に成長しました。
毎日、多くのひとから歓待を受けます。
アウグスツスもこれに応えます。
ただ、良いことばかりではありませんでした。
あるとき母親は、健気に言い寄ってくる少女の心を蹂躙する姿をみて、驚きます。

アウグスツスは12歳になりました。
篤志家の好意により、首都の学校で学べることとなりました。

大学生のときに、母が亡くなります。
帰る家を失ったアウグスツスは、しだいに故郷のことを忘れていきます。

豪奢(ごうしゃ)な生活がつづきました。
相も変わらず、たくさんのひとたちが群がります。
アウグスツスは女性に対して、奔放になっていきます。

(引用)
貞淑な婦人を彼の魔術のあらゆる手だてをつくして誘惑したり、悪げのない人をすぐに友だちにしては、金をしぼったあげく、嘲(あざけ)って捨ててしまうことが、彼の楽しみだった。人妻や娘たちの金をまきあげてしまうと、たちまち赤の他人扱いにした。高貴な青年たちを探し出しては、誘惑して堕落させた。

やがて、退廃的な生活を繰り返すアウグスツスの心の中に、空疎なものが芽生えはじめます。

(引用)
彼は、求めもせず、望みもせず、受ける資格もない愛に囲まれていることに、飽き、いやけがさした。決して与えることをせず、常にただ受け入れているばかりの、浪費され、破壊された生活の無価値を感じた。

厭世観を覚えたアウグスツスは、自死を決意します。
ブドウ酒の入った杯(さかずき)に、毒を混ぜました。
飲み干そうとしたとき、突然、ビンスワンゲルさんがあらわれました。

ビンスワンゲルさんは、母親がおこなった願い事の件を語りはじめます。
アウグスツスが静かに耳を傾けます。
ビンスワンゲルさんが諭すようにいいました。
いま自分にとって最良となることを願いなさいと。
アウグスツスが叫びました。
魔力を取り消して人々を愛することができる人間にしてください、と。

アウグスツスを取り巻く環境が激変しました。
これまで言い寄ってきた者たちが皆、悪態をつきます。
殴ったり、貴重品を強奪していく者もいます。
アウグスツスは、ありとあらゆるひとたちから、訴えられました。
裁判でかばってくれる者はいませんでした。
それどころか、誰もがその悪行をまくし立てました。

出獄したとき、アウグスツスは老いていました。
病気もかかえていました。
その姿をみて、本人と気づく者は一人もいませんでした。
アウグスツスは幸せでした。

(引用)
今の彼は、どんな人を見ても、喜び、心を打たれ、動かされた。子どもたちが遊んだり、学校へ行ったりするのを見て、かわいいと思った。自分の小さな家の前のベンチにこしかけ、しなびた手を日なたで暖めている老人たちを、彼はいとおしく思った。

やがてアウグスツスは、病状が悪化して入院します。
療養は長期に渡りました。

(引用)
ここで、打ちのめされた貧しい人々が粘り強い力と希望をふるい起こして、生に執着し、死にうち勝とうとしているのを見るという幸福を、彼は静かに感謝しながら味わった。重病患者の表情に忍耐が、回復期の人々の目に明るい生の喜びがつのってゆくのを見るのは、すばらしいことだった。

冬を前にして、アウグスツスは退院します。
旅をすることにしました。
もっと多くのひとたちの顔をみてみたいと思ったからです。
過去の記憶は徐々に失われつつありました。

ある町に立ち寄りました。
狭い小路を入ったところに、かつて自分が住んでいた家がありました。
アウグスツスは、隣のビンスワンゲルさんの家を訪ねました。
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このあと、ラストとなりますが、ご紹介はここまでとさせていただきます。

9月22日のブログでもふれました。
アリストテレスは、「ニコマコス倫理学」の中で次のようなことをいっています。
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愛というものは、愛されることよりも、むしろ愛することに存すると考えられる。
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香西咲さんのTwitter(2014年8月13日)より引用。
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心から愛せる人に出逢えたら幸せだよね。片思いでも本気で好きで好きでその人しか見えなかったら、それはそれで幸せなんだろうなぁ・・・
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ぼくの尊敬する3人が同じことをおっしゃっています。
それにしても香西咲さんはすごいです。
いつも感じていることですが、ことばに力があります。
哲学的な香りがします。
一途に人生を生きてこられたからこそ、奥深いことをわかりやすい言辞で表現することができるのでしょう。
近い将来、香西咲さんのことばをまとめたものを出版してほしいです。
香西咲さんがいわれていることは、人生に迷っているひとたちにとって、示唆をあたえてくれると思います。



香西咲さんを勝手に応援するサイトへ

無償の愛

香西咲さんを勝手に応援するサイトの管理人の「焼酎好き」です。よろしくお願いします。

香西咲さんのTwitter(2014年8月13日)より引用。
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無償の愛ってあるの?

丘咲エミリ Emiri Okazaki ‏@okaemiri
@kouzaisaki 無償の愛の答えわ、多分だけど、母親が子を思う気持ちこそが無償の愛だと思うー。
(略)。

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以前、このお二人のツイートを拝見したとき、素敵なやりとりをされていると思いました。

アンデルセンの作品に、「人魚姫」という童話があります。
次のような内容です。

物語の主人公である人魚姫は、王の娘です。
自分の上に姉が5人います。
人魚たちは、海底の奥まったところで生活をしていました。
人魚の世界には、15歳になれば自由に海面を泳いでも良い、というきまりがありました。
人魚姫は、その年齢になるのが待ち遠しくてしかたありませんでした。
姉たちが皆、地上のめずらしい光景を自慢げにはなすからです。

15歳になりました。
人魚姫は喜び勇んで海の外をめざしました。
海面に顔を出しました。
近くに大きな船が浮かんでいました。
音楽や歌声が聞こえてきます。
人魚姫はそばに寄り、船室の窓から中の様子をうかがいました。

パーティーが催されていました。
あでやかな衣装をまとったひとたちが楽しげに談笑しています。
大きな瞳をした美しい少年のところで目がとまりました。
どこかの国の王子のようです。
皆から祝福を受けています。
今日は、誕生日のお祝いなのかもしれません。

夜が深まってきました。
人魚姫は王子から目を離そうとしませんでした。
船内の灯りが消えても、そこにとどまっていました。

波が高くなってきました。
嵐がやってきたようです。
突然、マストが折れました。
しばらくして船が横転しました。
人々は外へ投げ出されました。
人魚姫は必死になって王子の姿を探しました。

沈みかけている王子の姿を発見しました。
気を失っています。
人魚姫は抱きかかえながら、浜辺まで泳ぎました。
息はしっかりしています。
砂の上に王子を寝かせました。
森の向こうに白い大きな建物がみえます。

やがてその中から一人の少女がこちらへやってきました。
人魚姫は岩陰に隠れました。
王子は無事に救出されました。

海の底にもどった人魚姫は毎日、王子のことばかりを考えていました。
「あのかたはどこの国からやってきたのかしら」
仲間の人魚が王子の住まいを知っていました。
幸運なことに、王宮は海岸に沿って建てられているようです。
人魚姫は建物の近くまで行ってみることにしました。
何度か訪ねているうちに、遠くから王子の姿を確認することができました。
人魚姫は毎晩、日課のようにしてその建物のそばまで行きました。

王子に対する思いは日ごと強まります。
「会いたい」
意を決した人魚姫は、海の魔女を訪ねました。

顔をみるなり、相手が口を開きました。
「用件はわかっているよ。王子と結婚したいので、足がほしいのだろう」
人魚姫が肯きました。
相手がつづけます。
「薬を調合してあげよう。それを飲むとしっぽが足に変わる。ただし、痛いよ。地面に触れるたびに鋭い刃物を踏むような感じになる」
人魚姫は、
「かまいません」
と応えました。
魔女がほくそ笑みました。
「それに一度人間になったら、もう二度と人魚にはもどれないのだよ。いいのかい?」
「はい」
と、人魚姫が肯きました。
魔女がつづけます。
「まだあるよ。もしも王子が他の女と結婚したら、翌朝おまえさんの心臓はやぶれ、全身が泡(あわ)となって海の上に浮かぶのだよ
人魚姫は肯首しました。
「そうかい。それじゃつくってあげよう。ただし条件がある。あんたのその美しい声をもらうよ」
人魚姫は狼狽したものの同意しました。
魔女はできあがった飲み薬を渡すと、人魚姫の舌を切り取りました。

人魚姫は王宮がみえるところまでやってきました。
建物からは、海へとつながる階段が出ています。
そこへ座って薬を飲みました。
激痛とともに、意識がなくなりました。

気がつくと目の前にあの王子が立っていました。
「あなたは誰です? どこから来たのですか?」
声を失った人魚姫には答えることができませんでした。
気の毒に思ったのか、王子は城内で休むようにいってくれました。
階段をのぼりました。
そのたびに激しい痛みを感じました。
必死になってそれをこらえました。

広間では宴が催されていまいた。
人魚姫は、王子の前で踊りを披露しました。
気に入られた人魚姫は、王宮に置いてもらえることとなりました。

ある日、王子がいいました。
「おまえは一番かわいい。誰よりもやさしい心をもっている」
人魚姫が笑みを浮かべました。
それをみて、相手がつづけます。
「それにおまえは、ぼくの一番好きな女性に似ている。ぼくは以前に、船が難破して海岸にうちあげられたことがある。そのとき、教会に勤めている若い女性がぼくを助けてくれた。ただ、そのかたは尊い教会につかえている。だからもう会うことはできない」
人魚姫は王子を凝視しました。
「あのときあなたを救ったのは、このわたしです」
声にはなりませんでした。

しばらくして、王子に、見合いの話がもちあがりました。
相手は隣の国の王女です。
王子のほうから会いにいくことになりました。
出発の前日、王子が人魚姫にいいました。
「すぐに結婚するわけじゃないよ。親の面子をたてて会いにいくだけさ。いずれどうしてもお嫁選びをしなければならなくなったら、ぼくはおまえを妻にするよ。口はきけないけど、心の澄んでいるおまえをね」

隣国への旅には人魚姫もお供をすることとなりました。
一行は王女と面会しました。
その姿をみるなり王子が、驚きの声をあげました。
「あなたでした。そう、あなたでした。海岸にうちあげられたぼくを救ってくださったのは」
「おぼえていてくださったのですね」
といった王女の口許から笑みがこぼれました。
「もちろんです」
王女はあの教会で、王妃となるための道を修めていたのです。

王子と王女の結婚式が盛大におこなわれました。
遠くからそれを眺めている人魚姫の身に、死の影が迫ってきました。
明日の朝、自分の心臓は破れ、全身が泡と化してしまいます。
式のあとのパーティーは、船の上でおこなわれます。
人魚姫も出席することにしました。
この世の最後に王子の姿をみておきたかったからです。

深夜になり喧噪もおさまりました。
人魚姫は甲板にでて海をみつめました。
もうすぐわたしは死ぬ。
そのとき、波の中から姉たちが姿をあらわしました。
5人とも長い髪の毛が切り取られていました。
「髪は魔女にやったの。あなたを助けるためにね」
そういって姉は、短刃をかかげました。
「魔女がこれをくれたの。これで王子を殺せば、あなたは助かるって。早くしてね。朝日がのぼれば、あなたは海の泡になってしまうのだから」
人魚姫は短刃を受け取りました。

人魚姫は、二人が眠っている船室の中へ入りました。
熟睡しています。
花嫁は王子の胸に頭をのせていました。
人魚姫は短刀の先をみつめました。
視線を王子に移しました。

王子がひとりごとをいいました。
花嫁の名前でした。
短刀をもつ手が震えました。

まもなく夜が明けようとしています。
人魚姫はうつろな目で王子をみました。
もっている短刀を海に向かって放り投げました。
「さようなら」
人魚姫は海に向かって飛び込みました。

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ちょっと長くなってしまいました。
すみません。
王子への愛を貫くために人魚姫は、自ら海の藻屑(もくず)となって消え去る道を選択しました。
人魚姫の愛は、見返りを求めない愛です。
無償の愛です。
世の中には、愛ということばが氾濫しています。
なかには、自分のために誰かを愛する、というひともいます。
本当の愛とは、相手からのお返しを求めない愛、なのではないでしょうか。



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有形の贈り物と、無形の贈り物ー

香西咲さんを勝手に応援するサイトの管理人の「焼酎好き」です。よろしくお願いします。

昨日は、オー=ヘンリーの「賢者の贈り物」についてふれました。
大切なひとには、できる限りの贈り物をしなければならない、というおはなしです。
物語に登場する妻と夫はそれぞれ、心ひそやかに現金を工面します。
おたがいに自分が大切にしていたものを売り払いました。
その思慮は、高価な櫛(くし)と鎖(くさり)、という形で具現化されます。
作者は最後に、
「贈り物をやりとりするすべての人の中で、 この二人のような人たちこそ、最も賢い人たちなのです」
とまとめています。
プレゼントの作法を教授してくれる箴言(しんげん)的な作品です。

昨日も書きました。
「賢者の贈り物」における最高のものとは、物質のことです。
それは目にみえるもののことです。
世の中には、目にみえないものもあります。
無形物です。
最高のものの中にこれは含まれないのでしょうか。

スーザン=バーレイの作品に、「わすれられないおくりもの」(評論社刊)という絵本があります。
昨日、本棚を探してみました。
奥のほうにありました。
久方ぶりに取り出しました。
内容を簡単にご紹介します。

舞台は、イギリスです。
ある森に、皆から頼りにされている高齢のアナグマが住んでいました。
動物たちにとっては心の拠り所でもありました。
あるとき、このアナグマが亡くなりました。
動物たちは皆、悲嘆にくれました。
その夜は雪が降りました。
冬ごもりをはじめる動物たちの心の中に、寂寥(せきりょう)とした情が広がりました。

春になりました。
雪がとけて、おたがいの家を行き来することができるようになりました。
動物たちはアナグマの思い出を語りはじめました。

 モグラの場合
モグラは切り絵が得意です。
どのような複雑な絵柄でも、ハサミを使って切り抜くことができます。
そのやり方はアナグマが教えてくれました。

 カエルの場合
カエルは氷の上を滑るのが上手です。
最初は転んでばかりいました。
アナグマはそんなカエルのそばにいて、ずっとあたたかく見守ってくれたのです。

 キツネの場合
キツネは幼少のころ、自分でネクタイを結ぶことができませんでした。
いまは華麗に結わえることができます。
アナグマがやさしく丁寧に教えてくれたからです。

 ウサギの奥さんの場合
ウサギの奥さんは料理の名人です。
その評判は森中に鳴り響いていました。
料理の手ほどきをしてくれたのはアナグマです。
最初に教えてくれたのは、しょうがパンの焼き方でした。

皆はそれぞれ、アナグマが自分たちに残していってくれたものを思い出しました。
心が満たされ、いつしか悲しみも消えていました。

丘の上にのぼったモグラがつぶやきました。
「ありがとう、アナグマさん」
——————————————————————–
「わすれられないおくりもの」の中で描かれているプレゼントは特に、クリスマスのためのものではありません。
幼少のころ、ぼくの親は毎年、クリスマスになると枕もとに本を置いてくれました。
朝、それを手にして感激したのを覚えています。
その本はいまでも大切に保管してあります。
「賢者の贈り物」の中で書かれていることは正しいと思います。
形になっているものをいただくことはとてもうれしいです。

ただ、近年は、アナグマがおこなった行為に心を奪われている自分がいます。
今日はこのブログを書くにあたり、自分がこれまでに、多くのかたからいただいた目にみえないおくりものについて考えてみました。
思い出すたびに沸き上がるものがありました。
自分ひとりで生きてきたわけではありません。
多くのひとたちからたくさんのことを学んできました。
どれもがぼくにとって大切なおくりものです。

自分自身の行為についても考えてみました。
これまでにぼくは他人に対して、どれだけのことをしてきたのだろうかと。
馳せてはみたものの、漠として鮮明になりませんでした。
自分のことは良くわかりません。

ひとはいつか死にます。
肉体は滅びても、自分の思いはだれかの心の中で生き続けていく。
「わすれられないおくりもの」からそのようなことが読みとれるのかもしれません。

——————————————————————–
香西咲さんのTwitter(2014年12月9日)より引用。

昼間のtweetの続きだけど、
こんな私でも頑張ってるし楽しんでるんだから、
今辛い思いをしてる人や悲観的な人は私を見て元気出してくれたら嬉しいな

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香西咲さんのTwitter(2014年11月16日)より引用。

正直しんどい時もあるけど、そういう時こそギリギリの所でチャンスが巡ってくる
ありがとう。

——————————————————————–

このツイートから、勇気や希望をいただいたかたは多いと思います。
アナグマと香西咲さんの姿が重なりました。
香西咲さんは絶対に、幸せな人生を送ることができます。
多くのひとにあたえつづけているのですから。



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「賢者の贈り物」と、クリスマスの作法ー

香西咲さんを勝手に応援するサイトの管理人の「焼酎好き」です。よろしくお願いします。

クリスマスが近づいてきました。
ぼくは子供のころ、親からプレゼントをもらうのが楽しみでした。
胸をときめかせて、来る日の到来を待ちこがれたものです。

「賢者の贈り物」というオー=ヘンリーの佳作があります。
大変有名な作品ですので、ご存じかもしれません。
いちおうあらすじをご紹介します。

アメリカのある町に、デラとジムという貧しい夫婦が住んでいました。
クリスマスを明日に控えた日のことです。
妻のデラはこれまで、夫のジムにプレゼントを贈るため、切り詰めた生活をしてきました。
努力のかいも虚しく、お金はたまりませんでした。
コインの枚数を数えては、ため息をつきます。
これでは夫の喜びそうなものを買うことができません。
デラは絶望感に襲われました。
ふと鏡台に目がいきました。
近づいて行き、自分の姿を写しました。
「そうだ、わたしにはこれがある」
そういって、自分の手で長い髪をなでました。
「これを売ろう」

髪は高く買い取ってもらえました。
デラはそのお金で、懐中時計につける鎖(くさり)を買いました。
夫は、祖父の代から受け継がれてきた高価な時計を所持していました。
残念なことに、それにつらなる鎖(くさり)がありませんでした。
代わりに古い革ひもが結ばれていました。

アパートに戻ったデラは、夫の帰宅を待ちました。
約束した時間に遅れることなく、ジムがドアを開けました。
デラをみるなり、立ち止まりました。
ことばを失ったようです。
デラは近寄り、事情を話しました。
ジムが取り乱します。
気をとりなおしたのち、オーバーのポケットから、包みを取り出しました。
受け取ったデラが、それを開けました。
高価な櫛(くし)が2つ入っていました。
髪の横と後ろに刺すものです。
デラは歓喜しました。
さっそくつけてみることにしました。
自分にはこれを留める髪がない、ということに気がつきました。

デラは気丈を装って声を出しました。
「わたしの髪はとっても早く伸びるのよ。それよりもこれをみて」
と、輝く鎖(くさり)を差し出しました。

ジムは表情を変えず、椅子に腰をおろしました。
妻の顔をみたのち、ことばを紡ぎました。
ねえデラ、ぼくたちのクリスマスプレゼントはしばらくの間、どこかにしまっておくことにしようよ。
いますぐ使うには上等すぎる。
櫛(くし)を買うお金を作るためにぼくは、時計を売っちゃったのさ、と。

(引用)

二人は愚かなことに、家の最もすばらしい宝物を互いのために台無しにしてしまったのです。
(略)。
贈り物をするすべての人の中で、この二人が最も賢明だったのです。
贈り物をやりとりするすべての人の中で、 この二人のような人たちこそ、最も賢い人たちなのです。
世界中のどこであっても、このような人たちが最高の賢者なのです。

この作品は中学生ぐらいのときに読みました。
大切なひとには、できる限りの贈り物をしなければならない。
これが賢いひとたちのやりかたである。
ぼくはこのときはじめて、プレゼントに関するルールというものを知りました。

この短編から、「気働き」を感じるひともいるようです。
「気働き」とは、機転のことです。
相手が口に出さなくてもこちらで相手の思いを察知して行動するという意味です。
この物語に登場する二人は、お互いに、「気働き」にたけた人物です。

秋本治さんの漫画(集英社刊「こちら葛飾区亀有公園前派出所」第53巻)の中に次のような掌編が登場します。
「賢者の贈り物」のパロディーです。

(文章を引用。)

時は元禄
江戸時代
今夜は
クリスマス!

仲むつまじい
夫婦が おたがい
何かプレゼントを
しようと
考えました!

しかし
貧しいので
お金が ありません
夫は大切に
していた刀を
質屋に あずけ・・・

そのお金で
つげのクシを
買いました
妻の髪は美しく
町内でも評判
だったのです

一方 妻は
その美しい
髪を切り
その髪を売った
お金で・・・

夫の自慢の
刀をかざるため
かざり台を
買ったのです

そしてクリスマスの夜
おたがいの
プレゼントを
見て驚き
ました

刀をかざるにも
その刀は なく
髪をとかすにも
その髪は
なかったのです

夫婦の間で
何ごとも かくさず
プレゼントの話を
事前にしてれば
こんなことに
ならなかった
のに!

その夜ふたりは
大ゲンカを
したそうです
めでたし
めでたし

秋本治さんは天才です。
「賢者の贈り物」をこのように解釈するとは。
絵と一緒に読みますと、よりいっそう楽しさが増します。
機会がありましたらぜひ、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の第53巻をお読みいただければと思います。

秋本さんのパロディーはさておきまして、「賢者の贈り物」は、プレゼントをするさいの作法を教えてくれます。
大切なひとに対しては、できる限りのものを届ける。
すばらしいことであると思います。

ただ、素直に肯けないところもあります。
「賢者の贈り物」における最高のものとは、物質のことです。
櫛(くし)であったり、鎖(くさり)だったりします。
いずれも高価なものです。
お金で買えないもののなかにも、最高の贈り物があるような気もするのですが。
明日のブログでふれてみたいと思います。

はなしは変わります。
香西咲さんのTwitter(2014年12月18日)より引用。

ありがとうございます
でも苦労とは思ってないです。
今物凄く楽しいし幸せです
ファンの方々には違う見え方してると思うけど。

これほど救われることばはありません。
「今物凄く楽しい」
「幸せです」

よかったです。
感激するとぼくは、文学的な表現がでてきません。
凡庸な言い回しで申し訳ありません。



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