香西咲さんに紹介したい歴史のエピソード ~スパルタ教育(その3)

香西咲さんを勝手に応援するサイトの管理人の「焼酎好き」です。よろしくお願いします。

昨日のつづきです。

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問6 合宿所に入っている少年は、13歳になると1年間、あることをさせられました。
   それは何でしょうか?

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おわかりになられたでしょうか。
は、武者修行です。

少年たちは13歳になりますと、集団で、スパルタ国内をめぐらされました。
あらかじめ活動する時間が決められています。
昼の間は身を隠していました。
夜になると、いっせいに練り歩きます。
合宿所から渡されるのは、1本の短剣のみです。
食料は奴隷から奪え、と厳命されます。

農村には奴隷たちが住んでいます。
スパルタの奴隷は、家族を構成することが許されていました。
農機具や、収穫物の一部を自分のものとすることもできました。
修行者たちは夜に奴隷の家へ押し入って、食料を強奪しました。
現場を目撃された場合は、その奴隷を無条件で殺害しても良い、とされていました。
この制度の狙いは、奴隷に対して普段から、恐怖心をもたせておくことです。
反抗心をそぎとるためにおこなわれました。

一昨日のブログでも書きました。
スパルタの社会構成は、
市民が2万5000人
奴隷が20万人
です。
圧倒的に奴隷の数がまさります。

奴隷たちは時宜(じぎ)をみては反乱を起こそうと考えていました。
もしも外敵が侵攻してきた場合にこのようなことが起きますと、スパルタは内部から崩壊してしまいます。
また、スパルタ軍が外国との戦争で国を空けているときも、反乱の好機です。
このようなことを避けるためにも、女子も含めて、スパルタ人は無敵である、ということを植え付けておく必要があったのです。

ちなみに、スパルタや他のポリスに存在した奴隷は、ギリシア世界の周辺地域から連れてこられました。

 (下図は、自作です。ピンク色のギリシアと、青く塗った小アジアのイオニア地方が、ギリシア世界です。)
イオニア地方

黒海沿岸や、小アジア(トルコ)の奥地が、豊富な供給源でした。

 (下図は、世界史の窓より引用。)
小アジア、黒海

奴隷商人の手を経て、各ポリスに供給されました。

奴隷は、スパルタ人よりも、体力や精神面で劣っている必要がありました。
強くなりすぎた奴隷は殺されました。
持ち主の主人も罰せられました。
奴隷がその身分を忘れないようにと、ムチで打たれる年中行事もありました。

過去のブログで書きました。
イソップ物語を書いたアイソーポスも、あるポリスで奴隷として働いていました。
幼いころから二人の主人につかえていました。
やがて知恵と才能が認められて、奴隷の身分から解放されました。
この事例とは別に、主人に解放金を支払うことによって自由を獲得した奴隷も少なからず存在しました。

最後に、スパルタの特異性を象徴しているエピソードをご紹介します。
スパルタでは、年上の命令には絶対服従である、と教育されます。
ところが例外もありました。
あるとき、集会がありました。
会場は満席でした。
そこへ老人が入ってきました。
皆、この人物には子供がいない、ということを知っています。
誰も席をゆずりませんでした。
老人が若い男性の前に立って、声を荒げました。
「席をゆずれ」
男は立ちませんでした。
座ったままの姿勢で、ほくそ笑みました。
「あなたがわたしに席をゆずるような子供をもっていれば」
と。

はなしは変わります。
先ほど、香西咲さんのツイッターを拝見しました。
息をのみながら、文章と対峙しました。
検査の結果が良好であったと書かれています。
僥倖(ぎょうこう)感につつまれました。
このように晴れやかな気分となったのはいつ以来でしょうか。
久しぶりに胸のすく思いをしました。
心のなかで、
「やったー」
と叫びました。
しばらくの間ぼくは、愉悦に酔いしれていました。

こちらの写真は昨日、ツイッターで拝見しました。
香西咲オシャレな顔写真
香西咲ファッショナブルな全体写真
見た瞬間、圧倒されました。
「すごい」
と思いました。
ぼくは、すごい、というような陳腐な表現はしたくないのですが、これが偽らざる気持ちです。
他に適切なことばが思い浮かびません。
あらためて思いました。
この世の中で、香西咲さん以上に美しいかたはいない、と。
香西咲さんの美を凝集した写真集を出していただきたいです。

注 大きな画像は、香西咲さんのツイッターでご覧になることができます。)



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