香西咲さんに紹介したい歴史のエピソード ~ホメロスのイリアスと、ミケーネ文明

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本日は、ギリシアの古代文明について、書いてみたいと思います。

ギリシアではB.C.800年くらいから、国内に数百のポリス(都市国家)が成立しました。
以降の数百年間、各地で華やかな文化が咲き誇ります。
歴史上、ここまでは記録が残っています。

はなしはいまから150年ほど前に遡ります。
当時、ポリス以前のことに関しては、誰もわかっていませんでした。
謎につつまれていました。

(※ブログでは細かい線が引けませんので、別にこのようなものをつくって画像にしてみました。)
ギリシアの歴史

当時のひとたちは、()文明や()文明の存在を知りませんでした。

ドイツに、シュリーマン(1822年~1890年)という人物が住んでいました。
商売で成功して、財をなしたひとです。
42歳のときに、家業から手を引きました。
以前から気になっていることを確かめるためです。

ホメロス(B.C.8世紀)の叙事詩に、「イリアス」と「オデュッセイア」という作品があります。
シュリーマンは幼い頃、父から「イリアス」を読んでもらうのが楽しみでした。
次のような物語です。

むかし、むかし、ギリシアのミケーネを中心としたギリシア軍が、船でトルコのトロヤへ向かいました。
さらわれたお姫さまを取り返すためです。
こうしてトロヤ戦争がはじまりました。
10年が経ちました。
トロヤの城門は堅牢です。
中へ入ることができません。
一計を案じたギリシア側は、巨大な木馬をつくります。
それを城門の前に置き、船で帰国しました。

(以下の写真は、イスタンブルからコンニチハより引用。)
トロヤの木馬

長い戦争が終わりました。
トロヤは戦利品として、木馬を城内へ引き入れました。
その夜、盛大な宴会が催されます。
やがて兵士たちは酔いつぶれて寝てしまいました。
そのときです。
木馬の腹のなかから、50人の兵士が出てきました。
敵に気づかれないようにして、城門を開けます。
ギリシア軍は逃げたとみせかけて海上に潜んでいました。
大挙して正面から入場します。
こうしてトロヤの城は焼け落ちてしまいました。

これは真実である、とシュリーマンは思いました。

(以下の地図は、世界史の窓より引用。)
ミケーネ文明
実業家を引退した4年後の1871年、シュリーマンは地図上の番の箇所の発掘作業を開始します。
掘り進むうちに、焼けた陶土の堆積を発見しました。
大火災によって滅んだ証拠物がでてきたのです。
トロヤの実在が証明された瞬間でした。

その後、シュリーマンは、ミケーネ(地図上の番)の発掘もはじめます。
トロヤと同様に、地下から文明の跡が出現しました。
ミケーネ文明」と名づけられました。
B.C.1600年頃からB.C.1200年頃まで栄えていたことがわかりました。

ちなみにトロヤ文明のほうは、B.C.2600年頃から存在していました。
トロヤ文明もミケーネ文明も、B.C.1200年頃に滅んでおります。

それにしてもシュリーマンは一途な人物です。
かつて父から聞いたトロヤ戦争や、トロヤの町が、本当に実在していると信じつづけたのですから。
その間、周囲の反応は冷淡でした。
嘲笑するものもいました。
採掘のさいには、おとぎばなしを信じて大金を捨てるばかなやつ、と揶揄されました。

シュリーマンは発掘しました。
トロヤだけでなく、ミケーネの遺跡までも。

明日のブログでは、ホメロスの「イリアス」について、もう少しくわしくご紹介します。
大変興味深いエピソードがありますので。

ギリシアの歴史

シュリーマンによって、()文明の存在が明らかとなりました。
このあと、()文明の遺跡を発掘するひとが登場します。
これにつきましては、後日紹介したいと思います。
こちらも、あるおとぎばなしが解明の手がかりとなりました。



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