香西咲さんに紹介したい歴史のエピソード ~中世の都市

香西咲さんを勝手に応援するサイトの管理人の「焼酎好き」です。よろしくお願いします。

昨日のブログで、ドイツのハーメルンのことについて書きました。
当時、この町では、ネズミが大量に発生しております。
これはハーメルン特有の問題ではありませんでした。
他の町でも多かれ少なかれ、ネズミの存在は人々にとって杞憂でした。
なぜ増殖するのか。
理由ははっきりしています。
町の構造的な問題です。

昨日のブログでは、ハーメルンを「町」と表記しました。
正確にいいますと、これは違います。
「都市」と記述するのが正しいです。
都市といいましても、「都会」という意味ではありません。
中世の商業都市のことをさします。

ちなみに、中世といいますと、いつからいつまでなのかをご存じでしょうか。
ぼくは、4世紀から15世紀ぐらいまで、と記憶しておりました。
具体的な数字が知りたかったので、調べてみました。
広辞苑によりますと、ゲルマン民族の移動375年)から、百年戦争の終結1453年)に至る時期、となっております。
大辞泉は、ローマ帝国の分裂395年)から、東ローマ帝国の滅亡1453年)までと書いています。
両者とも、1453年まで、としている点では一致しています。
他には、西ローマ帝国の滅亡476年)から、ルネサンス1455年)、宗教改革1517年)まで、としているものもありました。
いったいどれが正しいのでしょうか。

最大値をとって、375年から1517年までを中世としておきます。
中世は、封建社会に特徴づけられます。
この社会は、王よりも、領主(農地の所有者)の力が強い時代でした。
産業は、農業しかありません。
人々(農奴)は、領主の農地(荘園)に寄生して、働いていました。

やがて、農業における生産力が上昇してきます。
生産物があまるようになっていきます。
結果、各地で、それを交換するための定期市がひらかれるようになります。
定期市がおこなわれる場所に、都市が建てられていきます。
11世紀(1001年~1100年)以後、これらの都市に、商人や周辺農村の手工業者が移住してきます。
ドイツのハーメルンもこのようにして成立しました。

(以下の画像は、ARTIST DATABASEより引用))
都市
写真をみますと、都市の周囲が城壁で囲まれていることに気がつきます。
当時は戦争が頻繁におこなわれていました。
商工業者たちは、外敵から自分の生命や財産、営業の自由を守るために、このようなものを築きました。
たとえ王といえども、市長の承認がなくては門内に入ることはできませんでした。
城門は日の出とともに開き、日没になると閉じられます。
ちなみに昨日のブログでご紹介をしたハーメルンの子供たちは、東の方の門から出て行ったそうです。
都市の人口は、1000人から5000人です。
1500年頃には5万人を超える都市も出現しました。
「都市の空気は自由にする」ということばがあります。
都市に農奴が逃げ込んで、1年と1日が過ぎれば、その農奴は自由の身となりました。
城門のなかでは、商いをするひとや、職人が生活しています。
やる気があれば、多くの収入を得ることも可能です。
明るい未来が拓かれています
良いことばかりではありません。
衛生面は最悪です。
人々は生ゴミを直接、道路に捨てました。
上下水道の設備も不完全です。
トイレはほとんどありません。
このような状況ですから、ネズミが増えるのも当然です。

ハーメルンの事件から60数年後、ヨーロッパにおそろしい病気がやってきました。
わずか3年間の間に、ヨーロッパの全人口の3分の1のひとが死亡しました。
のちになって、原因はネズミとわかりました。
このことにつきましては、明日のブログでご紹介したいと思います。

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