香西咲さんに紹介したい歴史のエピソード ~ナポレオンとベートーヴェン

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本日はナポレオンとベートーヴェンの関係について書いてみたいと思います。

(ナポレオン)
ナポレオン
ナポレオンと同時期に活躍したひとに、ベートーヴェン(1770年~1827年)がいます。
「運命」や「月光」の作曲者として有名です。

(ベートーヴェン)
ベートーベン
ベートーヴェンは、神聖ローマ帝国(ドイツ)内の領邦(小国)で生まれました。
実家は祖父の代からつづく音楽家一家でした。
身分は平民です。
22歳のとき、オーストリアのウイーンへ行きます。
当時も音楽活動の盛んなところでした。
ベートーヴェンは、ハイドンの弟子となります。

(ハイドン)
ハイドン
ハイドンは貴族の宮廷楽団の団長をしていました。

ベートーヴェンはハイドンよりも、モーツァルトに弟子入りすることを希望していました。

(モーツァルト)
モーツアルト
モーツァルトは、ベートーヴェンがウィーンへ来る直前に、逝去しております。
貴族たちから疎んじられ、極貧のなかで亡くなりました。

オーストリアの貴族は、音楽を愛していました。
金銭面でも積極的に音楽家を支援しました。
音楽家は、貴族の援助がなければ成功することができません。
音楽だけで生活することは極めて困難でした。

ベートーヴェンは、貴族に依存する体質を疎んじておりました。
自分を支援してくれている貴族の前でこのようなことをいっております。
「侯爵なんか偶然の生まれによるもので何千人といるが、ベートーヴェンは、才能によってこの世にただ一人」
これを聞いた貴族は、苦笑したそうです。
奇行が多かったモーツァルトの場合は、貴族社会から受け入れられずに没しました。
なぜベートーヴェンは不躾(ぶしつけ)なふるまいが許されたのでしょうか。
貴族たちは時代の雰囲気を敏感に感じていたようです。
フランスでは、平民たちの手によって革命が起きました。
オーストリアでもそうなるかもしれません。
平民を粗末に扱ってはならない。

ベートーヴェンは貴族制度を否定しています。
当時ナポレオンは、自由と平等を全面に出して、各国と戦争をおこないました。
他国の民衆は、ナポレオンの軍隊がやってきて、自国の封建制度を打ち壊すことを期待しました。
ベートーヴェンは、ウィーンがフランス軍によって占領されることを望みました。

ナポレオンに傾倒するベートーヴェンは、交響曲を作曲します。
題名は「ボナパルト」です。
ナポレオンのフルネームは、ナポレオン=ボナパルトです。
ナポレオンをテーマにしてつくりました。
曲が完成したとき、ナポレオンが皇帝に即位したとの情報を耳にします。
1804年のことでした。
ベートーヴェンは激昂します。
「あの男も俗物だった」
身分制度を否定する人間が、皇帝という特別の身分につくはずがない。
自分は、ナポレオンにだまされていた。
ベートーヴェンは机の引き出しをあけて、完成したばかりの楽譜を取り出しました。
凝視したのち、題名の「ボナパルト」の部分をペンで塗りつぶしました。
何度も、強く。
憤懣がおさまらないベートーヴェンはこの表紙を引きちぎります。
乱暴に丸めてから、ごみ箱へ放り投げました。
ちなみにこの表紙は、あとで弟子が拾いあげております。
楽譜そのものは無事でした。
ベートーヴェンは新たに題名をつけなおします。
「一偉人の追憶をたたえるための英雄交響曲」
と。
これが一般に、交響曲第3番「英雄」と呼ばれているものです。

(YouTubeより引用)

ナポレオンの即位は、周辺諸国を刺激しました。
イギリスの主導で第3回対仏大同盟が結成されます。
オーストリア、ロシア、スウェーデンがこれに呼応します。
再びフランスと諸外国との戦争が再開されます。

(地図は岐阜県まるごと学園(岐阜県教育委員会)のサイトより引用。)
france_map5
ナポレオンはオーストリアのウィーンまでやってきました。
フランス軍による砲撃の音が鳴り響きます。
弟の家に避難していたベートーヴェンは叫びました。
「ナポレオンのばか野郎、おれの耳が壊れるじゃないか」
このときすでに、ベートーヴェンの耳の症状は悪化していました。
ベートーヴェンとってナポレオンは、思想的にも肉体的にも、許すことのできない存在となってしまったようです。



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