香西咲さんに紹介したい歴史のエピソード ~「かわいそうな ぞう」(その2)

香西咲さんを勝手に応援するサイトの管理人の「焼酎好き」です。よろしくお願いします。

本日も「かわいそうな ぞう」についてふれてみたいと思います。
昨日のブログでも書きました。
以前に、インターネット上において、この作品に対するつまらない指摘をみかけたことがあります。
その筆者は、
「軍部は、動物園の猛獣を殺せ、といっていない」
と力説していました。
検証してみたいと思います。

「軍部は、動物園の猛獣を殺せ、といっていない」

1943年8月16日、上野動物園は、園内の猛獣を殺せとの命令を受けます。
命令をくだしたのは軍部となっています。
先の筆者は、事実と違う、といいます。
その通りです。
上野動物園に対して命令をくだしたのは、東京都長官の大達茂雄です。
東京都長官とは、現在の東京都知事のことです。
猛獣の殺害は、地方自治体の段階でおこなわれました。
上述した筆者は、これをもって、軍部は一切関わっていないと結論づけます。
あまりにも短絡的な考え方です。
まず、長官(知事)は、現在のように住民の選挙で選ばれていません。
すべて政府から派遣されていました。
つまり、動物園の猛獣に対する殺害を決定したのは、長官(知事)でなく、日本政府です。
当時の政府を掌握していたのは、軍部です。
つまり、殺害命令は、軍部がくだしたということになります。

それではなぜ、猛獣を殺さなければならなかったのか。

1982年に東京都が編集した「上野動物園百年史」を読みますと、このあたりのことがよくわかります。
動物園側は、太平洋戦争の前から、非常時のさいの動物の非常処置の問題について、検討していたそうです。
1942年4月18日、アメリカ軍の爆撃機がはじめて、日本の上空に姿をあらわしました。
全部で16機です。
このうちの12機が東京に侵入しました。、
他は、横須賀に1機、名古屋と四日市に2機、神戸に1機です。
それぞれが上空から爆弾を落としていきました。
合計で120人のかたが犠牲となりました。
動物園としては、非常時における施策の必要性を痛感します。
その後、アメリカ軍による空襲はありませんでした。
なぜか。
それは以下の地図をご覧になればわかります。
(地図は岐阜県まるごと学園(岐阜県教育委員会)のサイトより引用。)
太平洋戦争(日本の勢力範囲)
赤い線の内側が日本の勢力圏です。
アメリカの飛行機はこの線の外側から飛び立たなければなりません。
日本の上空へやってくることはできても、帰りの燃料がたりません。
ちなみに、1942年4月18日にやってきたアメリカ軍の爆撃機は、自国へ戻ることができませんでした。
途中で墜落したり、中国やロシアに不時着しています。
1943年8月16日、動物園当局は、大達茂雄東京都長官から、
「象、猛獣類を射殺せよ」
との命令を受けます。
動物園側は次のように推測しました。
これは、動物の処分そのものを目的としたものではない。
都民に対して、戦争が容易ならない状況にたちいっていることを警告したいのだ、と。
殺害の期間は、1か月以内です。
手段は結局、射殺ではなく毒殺となりました。
使用された薬品は、硝酸ストリキニーネです。
処分は翌日の8月17日から始められました。
ヒグマ、クマ、ライオン、ヒョウ、チータ、クロヒョウ、インドゾウ、トラ、ホッキョクグマ、ニホンツキノワグマ、アメリカヤキュウ、ニシキヘビ、ガラガラヘビなどが毒殺されていきます。
このなかには、生後6か月にもならないヒョウの赤ちゃんも含まれていました。

当時、徳川夢声という俳優がいました。
そのかたの書かれた日記を引用します。

「夢声戦争日記」(1943年9月)より。

3日(金曜) 動物園のライオンを始め、猛獣が、最も懇切なる方法によって処分された、とある。東京都の相好が、だんだん物凄くなってくる感じだ。可愛そうでならない。ライオンや虎は、空襲時などに暴れ出したら困るだろうが、象や河馬は気の毒である・・・・・・。

5日(日曜) 昨日午後2時から上野動物園で殉難動物の慰霊祭が行われ、大達都長官等の花環が捧げられたという。位牌には「殉難猛獣霊位」と書かれ、卒塔婆には「多宝塔者為時局捨身動物供養と書かれたそうだ。象も白熊も殺されたという。あの坊やと共に見物した芸を演るオハナさんも殺されたかと思うと、暗然たらざるを得ない・・・・・・。

(地図は岐阜県まるごと学園(岐阜県教育委員会)のサイトより引用。)
太平洋戦争(日本の勢力範囲)

1944年7月、アメリカが日本から、マリアナ諸島を奪います。
1944年10月 アメリカはマリアナ諸島に、爆撃機の発進基地をつくります。これによって、日本への空襲が可能となります。
1944年11月1日 マリアナ基地を飛び立った1機の偵察機が、東京の上空に姿をあらわします。
1944年11月5日 アメリカ軍の偵察機が1機やってきます。
1944年11月7日 この日も、偵察機が1機やってきます。
1944年11月24日 突如、70機の爆撃機がやってきて、空襲をおこないます。
1944年12月 この月は合計で15回の空襲がありました。
1945年1月 合計で100機の来襲がありました。死者数は590名です。
1945年2月 合計で751機の来襲がありました。死者数は750名です。
1945年3月10日 「東京大空襲」です。死者はこの日だけで10万人にのぼりました。

これらの空襲によって上野動物園の猛獣が死ぬことはありませんでした。
1年以上も前にすべてが殺されていたのですから。



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