香西咲さんのツイートから、個と全体について考えてみました

香西咲さんを勝手に応援するサイトの管理人の「焼酎好き」です。よろしくお願いします。

以前に、香西咲さんは、戦争につきまして次のようなツイートをされました。

<香西咲さんのTwitter(8月25日)より引用>

戦争を経験してきた人達はみんな死と隣り合わせであんな思いをしながら必死に生きてきたんですよね。
時代が違うとはいえ、今の自分はどう生きる事が最善なんだろう?

このことにつきまして、ぼくも、ブログ(香西咲さん、旅行でニューカレドニアへ(5) )のなかで少しだけふれさせていただきました。

当時の日本人は、もしも戦争になれば、日本を救うために自分の命を捨てろ、と教育されてきました。
教育勅語にはこう書かれています。
「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ(もし非常事態となったなら、公のため勇敢に仕え、このようにして天下に比類なき皇国の繁栄に尽くしていくべきです)」

この指針は当時の教科書に色濃く反映されています。
以下に紹介する2つの教材はかつて、小学生が学校の授業で習ったものです。
軍国美談と呼ばれているものです。

「水兵の母」

これは、小学校5年生の教科書に掲載されています。
日清戦争(1894年)の時のエピソードについて書かれています。

(引用)
明治二十七八年戦役の時であった。ある日、わが軍艦高千穂(たかちほ)の一水兵が、手紙を読みながら泣いていた。
ふと、通りかかったある大尉がこれを見て、余りにめめしいふるまひと思って、「こら、どうした。命が惜しくなったか。妻子がこひしくなったか。軍人となって、軍に出たのを男子の面目と思はず、そのありさまは何事だ。兵士の恥は艦の恥、艦の恥は帝国の恥だぞ。」と、ことばするどくしかった。
水兵は驚いて立ちあがり、しばらく大尉の顔を見つめていたが、「それは余りなおことばです。私には、妻も子もありません。私も、日本男子です。何で命を惜しみませう。どうぞ、これをごらんください。」といって、その手紙をさし出した。
大尉がそれを取って見ると、次のやうなことが書いてあった。

「聞けば、そなたは豊島沖(ほうとうおき)の海戦にも出でず、八月十日の威海衛(いかいえい)攻撃とやらにも、かくべつの働きなかりし由、母はいかにも残念に思ひ候。何のために軍(いくさ)には出で候ぞ。一命を捨てて、君の御恩に報ゆるためには候はずや。村の方々は、朝に夕に、いろいろとやさしくお世話なしくだされ、一人の子が、御国のため軍に出でしことなれば、定めし不自由なることもあらん。何にてもえんりょなくいへと、しんせつに仰せくだされ候。母は、その方々の顔を見るごとに、そなたのふがひなきことが思ひ出されて、この胸は張りさくばかりにて候。八幡様に日参致し候も、そなたが、あっぱれなるてがらを立て候やうとの心願に候。母も人間なれば、わが子にくしとはつゆ思ひ申さず。いかばかりの思ひにて、この手紙をしたためしか、よくよくお察しくだされたく候。」

大尉は、これを読んで思はず涙を落とし、水兵の手をにぎって,「私が悪かった。おかあさんの心は、感心のほかはない。おまへの残念がるがるのも、もっともだ。しかし、今の戦争は昔と違って、一人で進んで功を立てるやうなことはできない。将校も兵士も、皆一つになって働かなければならない。すべて上官の命令を守って、自分の職務に精を出すのが第一だ。おかあさんは、一命を捨てて君恩に報いよといっていられるが、まだその折に出あはないのだ。豊島沖の海戦に出なかったことは、艦中一同残念に思っている。しかし、これも仕方がない。そのうちに、はなばなしい戦争もあるだらう。その時には、おたがひにめざましい働きをして、わが高千穂の名をあげよう。このわけをよくおかあさんにいってあげて、安心なさるようにするがよい。」といひ聞かせた。水兵は、頭を下げて聞いていたが、やがて手をあげて敬礼し、にっこりと笑って立ち去った。

読みやすい文章です。
おおむね理解できます。
いちおうぼくのほうでもリライトしてみたいと思います。

ある日、わが軍艦の水兵(船乗り)が、手紙を読みながら泣いていた。
ちょうどその時、上官(上司)がそこを通りかかった。
上官はあまりにも男らしくない姿だと感じて、この部下をきつくしかった。
「こら、どうした。おまえは命が惜しくなったのか。それとも妻子が恋しくなったのか。なぜ軍人として戦いに出ることを誇りに思わないのだ。その態度はなんだ。兵士の恥は艦(艦隊)の恥、艦(艦隊)の恥は帝国(日本)の恥だぞ」
水兵は驚いて上官の顔を見つめた。
しばらくしてから、自分のもっている手紙を差し出した。
「それはあまりなお言葉です。私には妻も子供もおりません。私も日本男子です。どうして自分の命を惜むものですか。どうぞこれをご覧ください」
上官は受け取ったのち、文面をながめた。
手紙にはつぎのようなことが書かれていた。

 聞くところによるとあなたは、今回の戦いでまだこれといって目立った働きをしていないというではありませんか。
 母はとても残念に思っております。
 あなたはなんのためにこの戦争へ参加したのですか。
 自分の命を捨てて天皇に恩返しをしようとは思わないのですか。
 村の人たちは私に対して毎日、とても親切にしてくれます。
 みなさんは、ひとり息子が戦争にいっているのだからいろいろと不自由なことがあるでしょう、困ったことがあれば遠慮なくいってください、とことばをかけてくれます。
 私はそういってくださるみなさんの顔を見るたびに、あなたのふがいなさを思い出し、この胸が張り裂けそうになります。
 私がどのような気持ちでこの手紙を書いたのか、あなたもよく考えてください。

上官はこれを読み終えたあと、涙を流した。
それから水兵の手をかたく握った。
「私が悪かった。お母さんの気持ちはあまりにもすばらしい。おまえが泣くのも無理はない。しかし今の戦争は昔のとは違い、自分ひとりの力で手柄をたてることはむずかしい。今は上官も部下も一緒になってがんばらなければならないのだ。つねに上官の命令を守り、自分の仕事を一生懸命がんばりなさい。きみのお母さんは、自分の命を捨てて天皇に恩返しをしなさい、と言っているが、残念ながら私たちはまだ、その場面に出くわしていない」
水兵は頭をさげて、上官のことばを聞いていた。
話がやむと、手をあげて敬礼をした。
笑顔をつくったのち、そこを立ち去った。

このような感じでしょうか。
それにしてもものすごい母親です。
ありえないはなしです。
母親に責任はありません。
このような狂気を醸成している日本が悪いのです。

「一太郎やあい」

小学校の4年生の教科書に掲載されています。
日露戦争(1904年)の時のエピソードです。

(引用)
日露戦争当時のことである。軍人をのせた御用船が今しも港を出ようとした其の時、
「ごめんなさい。/\。」
といひ/\、見送人をおし分けて、前へ出るおばあさんがある。年は六十四五でもあらうか、腰に小さなふろしきづつみをむすびつけてゐる。御用船を見つけると、
「一太郎やあい。其の船に乗つてゐるなら、鉄砲を上げろ。」
とさけんだ。すると甲板の上で鉄砲を上げた者がある。おばあさんは又さけんだ。
「うちのことはしんぱいするな。天子様によく御ほうこうするだよ。わかつたらもう一度鉄砲を上げろ。」
すると、又鉄砲を上げたのがかすかに見えた。おばあさんは「やれ/\。」といって、其所へすわった。聞けば今朝から五里の山道を、わらぢがけで急いで来たのださうだ。郡長をはじめ、見送の人々はみんな泣いたといふことである。

こちらもぼくのほうでリライトしてみます。

日露戦争の時のことである。
軍人を乗せた船が、港を出ようとしていた。
そのとき、見送りの人たちを押し分けて、
「ごめんなさい、ごめんなさい」
と、おばあさんがあらわれた。
年齢は60代の半ばぐらいだろうか。
腰には、小さなふろしき包みを結びつけている。
おばあさんは船に向かってさけんだ。
「一太郎やあい。乗っているのなら、鉄砲を上げておくれ」
まわりの人たちは目を凝らした。
船の上で鉄砲がかすかに上がった。
おばあさんはふたたび、さけんだ。
「家のことは心配しなくてもいい。それよりも天皇陛下のお役に立つんだよ。わかったらもう一度鉄砲を上げておくれ」
また鉄砲が上がった。
「やれ、やれ」
おばあさんは安心したかのようにして、その場に座り込んだ。
聞くところによると朝早くに家を出て、20kmの山道を駆け足でやってきたらしい。
二人のやりとりをみていた周囲の人たちの目から、涙がこぼれ落ちた。

これは香川県の多度津町で実際にあった話です。
1943年には、多度津町の公園に、その「おばあさん」の銅像がたてられました。
(※以下の画像は多度津町のホームページから引用。)
一太郎やあい
現在でもみることができます。

このブログを書いている途中で、別の話を思い出しました。
軍国美談ではありません。
こちらも、個よりも全体が大事、とのはなしです。
明日のブログでご紹介をしたいと思います。

当時の日本は、嗤(わら)えないことを個人に強いていました。
全体のために個人が犠牲となる。
このようなことは絶対にあってはなりません。
自分を大切にして生きていきたいものです。

香西咲さんのTwitter(2014年9月21日)より引用。

自分を犠牲にして何かをやり通しても、そこに本当の幸せはないよね

名言です。
香西咲さんは聡明なかたです。



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