ナポレオンにみる引き際の鮮やかさ

香西咲さんを勝手に応援するサイトの管理人の「焼酎好き」です。よろしくお願いします。

本日は引き際について書いてみたいと思います。
太平洋戦争(1941年12月8日~1945年8月15日)で、多数の日本人が亡くなりました。
犠牲者は300万人にのぼります。
1945年7月26日、連合国(アメリカ、イギリス、中国)は日本に対して、降伏を求めてきました。
ポツダム宣言です。
日本は拒否します。
ここでやめることなどできません。
徹底抗戦しかありません。
内情は、もう戦うための武器がありませんでした。
食料も燃料もありません。
連日、アメリカの飛行機が、上空から焼夷弾(しょういだん)を落としていきます。
沖縄では住民の三分の一のかたが自分で自らの命を絶ちました。
それでも日本は戦争の継続を選択しました。

同年の8月6日、アメリカは、長崎に原爆を投下します。
3日後には、広島にも落とします。
あわせて数十万人の日本人が犠牲となりました。
7月26日にポツダム宣言を受諾していれば、このかたたちの命が失われることはありませんでした。

ナポレオンの場合はどうだったのでしょうか。
ロシア遠征をふりかえってみたいと思います。
1812年5月、ナポレオンは、ロシアへ向けて軍を率います。
ナポレオンの兵力は60万人です。
6月に国境を越えました。
なぜかロシア軍は戦おうとしません。
逃げるいっぽうです。
8月になりました。
ナポレオン軍は15万5千人に激減します。
大半のものが飢えと疲労で死亡しました。
途中で逃走したものもいます。
ロシア軍は退却しながら、畑の作物や食料を保管してある倉庫をすべて焼き払っていきます。
このためナポレオン軍は、現地で食糧を調達することができませんでした。
それでも9月に、首都のモスクワを占領します。
ナポレオンは地方へ逃れているロシア皇帝に手紙を書きました。
すみやかに降伏しなさい、と。
返事はありませんでした。
1か月が経ちました。
10月13日、モスクワに、初雪がおりました。
想定外の出来事でした。
まさかこんなにも早く冬がやってくるとは。
フランス軍は冬の装備をもちあわせていませんでした。
このときナポレオンは、即座に、命令をくだしました。

全軍、退却せよ、と。

鮮やかな決断です。
これがもしも日本だったらどうでしょうか。
このような判断をすることができたでしょうか。
ナポレオンは強気な性格の持ち主です。
首都を占拠しつづけるということが脳裏をよぎったかもしれません。
それを選択することはありませんでした。
この引き際は見事です。

引き際といいますと、現在、これからかけ離れたひとたちがいます。
ストーカーです。
日本にはこの種の情けない男たちが少なからず存在しています。
規制する法律もあります。
法治国家ということばがあります。
法律が整備されているのですから、近代的な国家なのかもしれません。
老子は次のようにいっています。
法律があるということは少しも良い状態ではない。
悪いことをするひとがいるからわざわざ法律をつくって取り締まらなければならないのである、と。
ストーカー規制法は、平成12年につくられました。
老子の観点からいいますと、情けない限りです。
ストーカーといいますと、しつこくつきまとったり、待ち伏せをするひと、との印象があります。
法律によりますと、以下の行為もストーカーとみなされる場合があります。

 ・拒否されているにもかかわらず、面会、復縁、贈り物の受け取りなどを要求すること。
 ・いちじるしく粗野又は乱暴な言動をすること。
 ・拒否されているにもかかわらず、電子メールを送信すること。
 ・中傷や、名誉を傷つけるような内容を告げること。

男は引き際が肝心です。
いつまでも過去にしがみついていてはいけません。
美しく生きたいものです。

先ほど、香西咲さんのツイッターを拝見しました。
風邪の具合はいかがなのでしょうか。
心配です。
疲れがたまっているのかもしれません。
風邪は安静にしているのが一番だと思います。
薬を飲まれているようですので、とりあえずは安心しました。
ゆっくりお休みください。
たくさん眠ってください。



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