香西咲さんのツイートに、墨子(ぼくし)の兼愛を感じましたー

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以前に、当ブログで、老子についてふれました。
周の末期の「春秋・戦国時代」(B.C.770年~B.C.221年)に活躍した思想家です。
この戦乱の時代には、他にも多くの思想家が登場しました。
総称して「諸子百家」と呼ばれています。
老子以外では、儒家の孔子や荀子などが有名です。
本日はこの思想家たちのなかで、あまり知られていない人物をご紹介します。

墨子(ぼくし)です。
墨家(ぼくか)の創始者でもあります。
「子」は、「先生」という意味です。
「家」は、「学派」です。
墨子は、兼愛を主張したことでも有名です。
兼愛とは、平等の人間愛、のことです。

墨子は 忌引(きびき)のあり方を批判しました。
広辞苑によりますと、忌引とは、近親が死去した場合に家にこもって喪に服すこと、となっております。
肉親や親族が亡くなると悲しみにおおわれます。
平常心ではいられません。
何も手につきません。
このため、「家にこもって喪に服すこと」が許されます。
この忌引の制度を考案したのは、孔子です。

子どもは親に対して、うやまいの気持ちをもっています。
孔子はこの感情を「孝」と名づけました。
「孝」は人間にとって、もっとも大切な感情です。
その親が死んだとします。
これ以上の悲しみはありません。
遺されたものたちは、仕事をしたり学校へ行く気にはなれません。
こうしてできたのが忌引という制度です。

休める日数には差が設けられています。
自分の親の場合ですと、5日から1週間程度です。
祖父母は3日、その他の親族は1日といったところでしょうか。

孔子は人間関係を序列化しています。
当然、一番上にくるのが、親です。
一番下が、その他の親族です。
つまり、序列によって、忌引の日数が違ってくるわけです。

友人や恋人の場合はどうでしょうか。
肉親や親族ではないので、当然、忌引は適用されません。
よく考えてみますと、これはおかしな制度です。
血縁関係がなくても、友人や恋人は、自分にとって大切な存在です。
失った悲しみは、親と同等のものがあります。

孔子は、親友や恋人に関しては、親や親族ほどではないと考えます。
墨子はこの点を問題視します。
誰であろうと、差別をせずに愛さなければならない。
これを兼愛といいます。

自分に関係するものが亡くなれば、悲嘆にくれるのは当然です。
それでは、見ず知らずの他人の場合はどうでしょうか。
春秋・戦国時代は、おたがいが殺し合いする世の中です。
誰しも自分の家族には、戦争で死んでほしくありません。
兼愛ならば、他人が死ぬのも黙ってみていられないはずです。
どちらの場合も悲しみは同じなのですから。

そこで墨子は、非攻の考えを展開します。
非攻とは、戦争をしない、ということです。
墨子は、あらゆる戦争に反対します。
口で叫ぶだけではありません。
どこかで侵略行為がおこなわれているとします。
墨子の思想に共鳴する墨家のひとたちはそこへ駆けつけます。
からだを張ってそのひとたちを守ります。

あるとき、宋が、大国の楚から狙われました。
(※以下の地図は世界史の窓から引用。)
戦国の七雄
楚は地図上のです。
ちなみには、「戦国の七雄」と呼ばれていた強国です。
この7つの強国が、天下統一を目指して争っていました。
参考までにいいますと、最後に勝利を収めたのはの秦です。

宋の危機です。
墨家のひとたちは宋へ赴き、人々を守るための準備をはじめます。
こうしたなか墨子は、一人で、相手国の楚()へ入りました。
王に会うためです。

王との面会が許可されました。
対面した墨子はいいました。
「私たちの仲間が宋に入りました。すでにあなたの国の攻撃から守る準備が整っております」
王の表情は変わりません。
墨子はつづけます。
「楚では新兵器を開発されたそうですが、わたしたちはそれを打ち破ることができます」
王の眼光が鋭くなりました。
墨子がゆっくりと口を開きます。
「あなたたちに宋を攻め落とすことはできません」
一瞬、王がたじろぎました。
静かな口調で、墨子が語りかけます。
「むだな出兵はおやめなさい」
居住まいを正した王が、薄く笑いました。
「私たちが負けるはずない」
睥睨(へいげい)する王の視線を正面から受けている墨家の唇が動きました。
「それではここでおたがいの作戦を披露しあいませんか?」
王は墨子の顔を見直しました。
思案したのち、
「いいだろう」
部屋のなかに楚の将軍が呼ばれて入ってきました。
墨子と、将軍による、机上でのやりとりがはじまります。
王はこれを黙って眺めています。
緊迫したやりとりがかわされます。
墨子の口調が熱を帯びます。
将軍の汗を拭う回数が増えていきます。
最後、苦悩の表情をみせた将軍がうめくようにつぶやきました。
「私の負けだ」
と。
墨子が王のほうへ向き直ります。
「おわかりですか。あなたたちが宋を攻めてもむだです。おやめなさい」
王の表情が歪みました。
腰の刀のところに手をやります。
墨子がそれをやんわりと制します。
「いま私をここで殺しても同じです。私の弟子たちは皆、この作戦を知っています」
王の手の行き場所がなくなりました。
墨子の声が響きます。
「私を殺してもあなたは勝てない」
王は拳を握りしめました。
墨子がつづけます。
「それどころかあなたは、たった一人でやって来た墨子を恐れて殺したと、全国の笑いものになることでしょう」

楚の王は黙って墨子を帰しました。
宋への侵略も取りやめました。

「春秋・戦国時代」も、B.C.221年に終わります。
その後、墨家は消えていきます。
時代が進むにつれて、戦争の規模も大きくなっていきます。
そうなりますと、墨家だけでは対応ができなくなってしまったのです。
墨家はなくなりましたけれども、墨子の思想は現在も語り継がれています。

香西咲さんのTwitter(2014年10月19日)より引用。

みんなが色々な事を教えてくれる。
100人いれば100通りの見方を教えてくれる。
本当に至らない所ばかりだけど、
これからも頑張って、みんなからいっぱい吸収するね
教えてくれる人がいるって幸せです。
誰も言及してくれなくなったら終わり。
幸せな事です。

香西咲さんのこのことばからぼくは、兼愛を感じました。



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