香西咲さんに紹介したい歴史のエピソード~アレクサンドロス大王

香西咲さんを勝手に応援するサイトの管理人の「焼酎好き」です。よろしくお願いします。

本日はアレクサンドロスについてご紹介します。
一昨日のブログ(究極の自由人ディオゲネスと、アレクサンドロス大王)でも、多少ふれました。
本日は、人間性などについても言及してみたいと思います。

B.C.338年のカイロネイアの戦いで、父親のフィリッポス王が率いるマケドニア軍が、ギリシア連合軍に勝利します。
このとき、息子のアレクサンドロスは、次のように吐露しました。

「こまったものだ。父上が何もかもなされてしまっては、われわれのやることがなくなってしまう」

父親が暗殺されたあとアレクサンドロスは、20歳で王となります。

2年後、亡父が計画していた東方遠征へと出発します。
東方というのは、オリエント(エジプト西アジア)のことです。
この地は当時、アケメネス朝ペルシアが支配していました。

出発前に、仲間の貴族たちが、激励会を催してくれました。
この席でアレクサンドロスは、自分が所有している財産を周囲のものたちに分け与えはじめます。
やがてアレクサンドロスのもっているものがすべてなくなりました。
心配した貴族が訊ねます。
「あなたにはもう何も残っていませんが」
アレクサンドロスはこう返しました。

「私には希望がある」

B.C.334年、アレクサンドロスが率いるマケドニア軍は、東方に向かって出陣します。
アレクサンドロスはそのさいに、大勢の学者を随行させています。
オリエントの自然や文化を研究するのが目的です。
ちなみに、のちにこれを真似たのが、ナポレオンです。

東方遠征での出来事を文章で書いてもいいのですが、地図がほしいところです。
検索しましたところ、すばらしいものがありました。
労作です。

世界史の窓
受験用のサイトです。
以下にこちらの地図を使わせていただきたいと思います。

アレクサンドロスとペルシアの最初の戦いが「グラニコス河畔の戦い」です。
場所は、地図上の2番です。
アレクサンドロスは、ここで勝利します。

(※以下の地図は世界史の窓から引用。)

アレクサンドロス
アレクサンドロスは、途中の都市を支配下におさめながら、帝国の奥へと入っていきます。

ペルシア軍はイッソスという場所で、アレクサンドロスを待ち構えました。
地図上の番号でいうと、4番のところです。
ペルシア王のダレイオス3世も、家族を引き連れて戦場までやってきました。
B.C.333年、「イッソスの戦い」がはじまります。
アレクサンドロスは軍の先頭に立って戦います。
やがてペルシア軍は、ちりぢりになって逃げていきます。
戦場には、ダレイオス3世が連れてきた母親と妻と娘が置き去りにされました。
アレクサンドロスはこの女性たちに対して指一本ふれずに、丁重にもてなしました。
真摯です。
ぼくはアレクサンドロスのこのようなところに好感がもてます。
これは、かつて家庭教師だったアリストテレスの影響が大きいと思われます。
この前のブログでも紹介しました。

「私は生きることを父のフィリッポスに、美しく生きることをアリストテレスに学んだ」

のちにこのことを知ったダレイオス3世は、
「もしも私がペルシアの王でなくなったとき、代わりに玉座に座るのはアレクサンドロスであってほしい」
と語ったそうです。

このあとアレクサンドロスは、貿易の拠点であったティルス(地図上の6番)を手に入れます。
その後はエジプトへ入り、ペルシア軍を駆逐(くちく)します。
エジプトの人たちは、ペルシアの支配に対して不満をもっていました。
アレクサンドロスは解放者として歓迎されます。

B.C.331年、最後の戦いがおこなわれます。
場所は、地図上の10番です。

(※以下の地図は世界史の窓から引用。)

アレクサンドロス
アルベラの戦いがはじまります。
ペルシア軍は100万人、アレクサンドロス側はわずか4万人です。
まともに戦っては、アレクサンドロスに勝ち目がありません。
部下からは、夜襲を進言されます。
敵が眠っているところを襲えば勝てるかもしれません。
これに対してアレクサンドロスはこういいました。

「私は勝利を盗まない」

一方、ペルシア軍は夜襲に備えて起きています。
ところが襲ってきません。
朝になりました。
ペルシア側は徹夜のため、疲弊しています。
アレクサンドロスたちのほうは、熟睡しているので元気です。
戦いはアレクサンドロスの勝利となりました。
アケメネス朝ペルシアは滅びます。

アレクサンドロスはその後も、東に向かって領土を拡大していきます。
B.C.327年、アレクサンドロスは、インダス川を渡りインドに侵入します。
ここで兵士たちが帰国を切望します。
マケドニアを出発してからすでに8年が経過していました。
アレクサンドロスは抗いきれず、途中で引き返すことを決めます。
自身はマケドニアに戻らず、バビロン(地図上の11番)に残りました。
ここを拠点にして帝国を治めました。

(※以下の地図は世界史の窓から引用。)

アレクサンドロス
33歳のとき、アレクサンドロスは急逝します。
死因は不明です。
宴会の途中で倒れ、数日後に亡くなりました。
その後、部下たちによる後継者争いが起き、「アレクサンドロスの帝国」は3つに割れます。
マケドニア(ギリシア)、
シリア、
エジプト、
です。
いずれも、マケドニアのひとたち(=ギリシア人)が支配することとなります。
エジプトはプトレマイオス家が支配していきます。
のちにこのエジプトで、有名な女性の王が誕生します。
その王が歴史を大きく変えるのですが、これにつきましては後日にご紹介をしたいと思います。

今回、ブログを書いていて感じたことがあります。
香西咲さんとアレクサンドロスは、生きかたにおいて、共通点があると思いました。
どちらもまじめです。
高潔です。
アレクサンドロスは、
「私には希望がある」
といいました。
おそらく、香西咲さんも、同じなのではないでしょうか。



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