ニューカレドニアのアメデ島の灯台と、ナポレオン3世

香西咲さんを勝手に応援するサイトの管理人の「焼酎好き」です。よろしくお願いします。

以前に、香西咲さんが行かれたニューカレドニアのことを調べておりましたら、ナポレオン3世の名前がでてきました。

(ニューカレドニア観光局のホームページの画像を引用)
ニューカレドニアの地図(イル・デ・パン島)

ニューカレドニア観光局のホームページより)

(引用)
1周25分ほどのアメデ島では、中央に立つ白亜の灯台がひときわ目立ちます。
ニューカレドニアのシンボルマーク的存在、アメデ灯台です。

(引用)
ナポレオン三世の時代、バリアリーフに囲まれたニューカレドニアへ船が航海するには多くの困難が伴いました。
貿易を盛んにし、フランス本国との人の行き来を活発化するには、安全上、どうしても近代的な灯台が必要だったのです。

(※以下の2つの画像は、ニューカレドニア観光局のホームページに直接リンクをして表示しています。支障がありましたらリンクをはずします。)
 
ナポレオン3世は、ニューカレドニアのアメデ島に、灯台を建設しました。

ナポレオン3世の知名度はあまり高くありません。
どちらかというと、地味な存在です。
ナポレオンと聞きますと、大半のかたは、「世の辞書に不可能の文字はない」といった人物のほうを連想されるのではないでしょうか。
3世を思い浮かべるかたは少数、かもしれません。

本日は、ナポレオン3世について書いてみたいと思います。

まずは、フランス革命以降を簡単に振り返ってみたいと思います。

王のルイ16世(ブルボン家)が処刑されたあと、フランスでは、王のいない国(共和国)が成立します。(※第一共和政の始まり)
政権を担当したのは、ジャコバン派のロベスピエールです。
ロベスピエールの政治はあまりにも急進的すぎたので、失敗に終わります。

混乱のあとに登場したのが、ナポレオンです。
やがてナポレオンは、国民投票を経て皇帝に選出されます。
以降は、「ナポレオン1世」を名乗ります。(※第一帝政の始まり)
最後は、ワーテルローの戦いで敗北して、セント・ヘレナ島へ流されました。

このあとは、ルイ18世(ブルボン家)による王政となります。
ルイ18世は、処刑されたルイ16世の弟です。
次の王となったのが、ルイ18世の弟のシャルル10世(ブルボン家)です。
シャルル10世は、フランス革命によって葬り去られた身分制度(アンシャン=レジーム)を復活させようとしました。
怒った市民がふたたび革命を起こします。
七月革命(1830年)です。

このあと、自由主義に理解のあったオルレアン家のルイ=フィリップが王に選ばれます。
オルレアン家は、ブルボン家の分家です。
ちなみにルイ=フィリップの父親は、フランス革命の時に、ルイ16世の処刑に賛成しています。
この王は結局、市民の参政権を拡大しませんでした。
ここでまたもや革命が起きます。
これを二月革命(1848年)といいます。

王政は廃止となり、ふたたび王のいない国(共和国)が成立します。(※第二共和政の始まり)
その後、12月の大統領選挙で、ルイ=ナポレオンが当選します。
40歳のときでした。
ナポレオン3世・40歳
ルイ=ナポレオンは、ナポレオンの弟の子供(三男)です。
ルイ=フィリップ王の治世下で、陰謀事件を2回くわだてました。
ともに失敗して、イギリスで亡命生活を送っていました。
二月革命が起きるとフランスへ帰り、大統領選挙に出たのです。

ナポレオン3世・44歳(皇帝)
4年後の1853年、叔父のナポレオンと同様に国民投票をおこなって、皇帝に選出されます。
以降、「ナポレオン3世」を名乗ります。(※第二帝政の始まり)
ナポレオン3世の場合は、人気だけが頼りです。
実力はありません。

そこで、幅広く人気が得られるような政策を実行に移します。
国内的には、産業の発展や、福祉の充実に力を入れました。
首都のパリを大改造したのは有名なはなしです。
当時のパリは、細い路地が入り組んでおり、迷路のような町でした。
上下水道も整っておらず、衛生状態も良くありませんでした。
これを瀟洒(しょうしゃ)な街にしたのです。

不動の人気を得るためには、国民に対して、かつてのフランスの栄光を意識させる必要があります。
ナポレオン3世は、自国よりも弱い国との戦争を開始します。
対象は、ロシア、中国、ベトナムなどです。
いずれも勝利して、人気を得ます。
この一環でフランスは、1853年にニューカレドニア島を獲得します。
イギリスがニュージーランドを手に入れたので、これに対抗するためです。
1861年、メキシコとも戦います。
これは、自分に都合の良い人物をメキシコの皇帝にしようとしておこなった戦争です。
思惑通りにはいかず、失敗します。
ここで、ナポレオン3世の威信が低下します。
1870年、プロイセンのビスマルクに挑発されて、戦争をおこないます。
プロイセン=フランス戦争です。
やがてフランスは追い込まれていきます。
焦ったナポレオン3世は、叔父のナポレオンの真似をして、自ら戦場へ出向きます。
ナポレオン3世には軍を指揮する能力はありませんでした。
フランスのセダンという場所で、敵軍に包囲されて、捕虜になってしまいます。
同年、ナポレオン3世は退位します。
大統領が4年、皇帝が18年、あわせて24年間の治世でした。

ちなみにナポレオン1世が権力の座にあったのは、約15年間です。
ナポレオン3世はこれよりも約9年も長いわけですから、もう少し知名度があがってもいいような気がします。

香西咲さんのTwitter(2014年9月4日)より引用。

細く長く生きたいの?
太く短く生きたいの?
太く長くが理想だけどそんな事言ってられない。

ちなみに太極拳の先生は細く長くと言っていた。
いかに少ない消費エネルギーでどれだけ効率良く生きるか…と。

ナポレオン3世は、細く長く生きたひとの部類に属すると思います。
最後は、叔父さんの真似をして、「太く」を選択しました。
これがなければもう少し続いたような気もします。



香西咲さんを勝手に応援するサイトへ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。