香西咲さんのブログ「ホンネ」を読んで(3)

香西咲さんを勝手に応援するサイトの管理人の「焼酎好き」です。よろしくお願いします。

本日も、香西咲さんのブログ「ホンネ」について、論じさせていただきます。
田中英光の書いた小説に「オリンポスの果実」という佳作があります。
内面をあつかった作品です。
ぼくはこの物語よりも、あるかたの評論が印象に残っています。
その評論家はこの作品を次のように評しました。
活字ひとつひとつをピンセットでつまんで食べてしまいたいくらいだ、と。
最大の賛辞です。
ぼくはその作品に対してそれほど感銘を受けませんでしたので、このことは忘れていました。
香西咲さんの「ホンネ」を読み終えたとき、突然その評論家のことばが蘇りました。
ぼくには、活字を食べてしまいたいというような嗜好はありません。
ただ、その評論家のことばには精神的に共感できるものがありました。

香西咲さんの次の表現方法にシンパシーを覚えました。

(引用)

ぶっちゃけてしまえば
全部強がってるだけなんだよ。

膝がガクガクしてようが
必至になって立ってるんだよ。

いじらしいといいますか、可憐といいますか。
ひたむきに人生を生きている姿を感じ取ることができます。
深い感銘を受けました。
ぼくはこれほどまにで純真で研ぎ澄まされた文章を読んだことがありません。

過日のブログ(香西咲さんのツイートからみえてくるもの)でも書きました。
香西咲さんのツイートには、ぶれがありません。
そのときの気分によって発言内容が大きく変わるということはありません。
このような特性がブログの書き方にもあらわれています。
文章の書き方はひとそれぞれです。
これが正解というのはありません。
ひとによっては、特に結末や結論を決めずに、自分の感性のおもむくままに書き進めるというかたもいます。
書いている内にそこから別のことが連想されて、はなしがふくらんでいく利点があります。
自分でも、この先どうなるのだろうかと楽しみながら考えをめぐらすことができます。
これとは別に、最初から結論を決めておいて、それに向かって文書を書くというやり方があります。
これはプロの作家が用いている方法です。
一番わかりやすい例が推理小説です。
作者は犯人がだれなのかわかっています。
結末も知っています。
素人が書く作品のように、途中から登場人物が勝手に動きまわってくれるという楽しみはありません。
最後はどうなるのだろうというようなときめきもありません。
緻密なプロットにもとづいて作品を書き上げるのがプロの仕事です。
香西咲さんのブログはおそらく、プロの書き手と同じ手法をとっているのだろうと思います。

「ホンネ」というタイトルです。
一般的な書き方ですと、まさしく自分のいまの心境だけを語るものになってしまいます。
もちろんこれはこれで価値のあるものです。
ファンにとっては、心の内を聞かせていただけるだけでも大変ありがたいものです。
香西咲さんの場合は、内心の吐露だけにとどまらずに、葛藤を織り交ぜています。
これは難しい表現方法です。
葛藤を書くためには、自分の視点の他に、第三者の視点が必要となってきます。
冷静に自分を俯瞰する目です。
良質の小説は葛藤が鮮やかに描かれています。
葛藤が不十分な作品もあります。
プロの小説家でも、葛藤は大変書きづらいものです。
香西咲さんは葛藤を見事に表現されています。
感嘆させられます。

冒頭の部分も強烈でした。
泣いている場面からはじまります。
なぜ香西咲さんはこのようなことを書いたのか。
哀しみを訴えるためではありません。
昨日のブログでもふれました。
これまでの香西咲さんは、「香西咲」を演じるために、つらいことを我慢されてきたのでしょう。
おそらく人前では涙をみせなかったのだろうと思います。

(引用)

銀座のど真ん中で(笑)

わんわん泣いてしまいました

なぜぼくは、香西咲さんの「ホンネ」を読んで、爽快な気分となったのか。
いまは、無理な我慢をされていない、ということがわかったからです。

「ホンネ」のなかに書かれているこの文章も印象深いです。

「めっちゃ幸せな環境にいる」

明るい未来を暗示させるすばらしいブログでした。
すてきな文章をありがとうございました。



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