ニューカレドニアの海と、ヘーゲルの弁証法

香西咲さんを勝手に応援するサイトの管理人の「焼酎好き」です。よろしくお願いします。

今朝、ツイッターを拝見しました。
盛り上がっており、驚きました。
それから外出して、先程帰宅しました。
ぼくはスマホをもっていません。
外でネットをすることはありませんので。
家のパソコンから再び、寄稿者による東京湾の書き込みの箇所をみました。
寄稿者自身の書き込みは消えておりました。
自身で消されたのでしょうか。
香西咲さんの返答は残っています。
それにしても、香西咲さんの対応はすばらしかったです。
100点満点と申しますか、他の模範となる回答です。
大人です。
ぼくは感心しました。
もしもぼくでしたら、相手の書き込みを削除するか、または、そのときの気分によってはやり合うかのどちらかです。

ルビンの盃(ルビンの壷)という絵があります。
ルビンの盃(壷)

この絵から何を連想するでしょうか。
あるひとは、これは花瓶や盃(さかずき)である、というかもしれません。
またあるひとにとっては、2つの顔が向かい合っているようにみえるのかもしれません。

相手を批判することは簡単です。
その気になればいくらでもできます。
ただ、批判というものは、ひとつの立場から自分の意見にこだわって相手を攻撃することではありません。
あらゆる立場とそれがもつ長所や短所を可能な限り正確に理解したうえで、自分の意見をのべることです。

このルビンの盃のように、ひとによってはみえかたが異なります。
ひとつのみかただけにとらわれていては、正しい答えは生まれてきません。

寄稿者の文章が途中から消えていますので正確には再現できませんけれども、たしかこのようなことを書いていました。
東京湾の歴史を勉強してください。そして、いまの状態をよく理解してから発言してください、と。

何をいいたいのかいまひとつよくわかりませんけれども、こういうことなのかもしれません。
東京湾は一時汚染がひどかった。でもいまはだいぶ綺麗になったのですよ、と。

ぼくにいわせればこれは、ひとつの立場から自分の意見にこだわって相手を攻撃している、にすぎません。
もう一度書きますが、批判というのは、あらゆる立場とそれがもつ長所や短所を可能な限り正確に理解したうえで、自分の意見をのべることです。
寄稿者の文章にはこの観点が欠落しています。

ニューカレドニアから戻られたとき、香西咲さんは、海に関するツイートをされました。
これを読んだときぼくは、純粋に感動しました。
まさしくその通りだと肯(うなず)きました。
爽快な文章でした。

寄稿者にもうひとつ欠けているのは、弁証法的な姿勢と観点です。

弁証法というのは、哲学者のヘーゲルの概念です。
難解な理論ですので、以下にわかりやすく順を追って書いてみます。

(1) すべての存在は、矛盾する要素を含み、それぞれが相互に対立し合っています。
  ↓
(2) しかし、矛盾対立のままでいたのでは、発展することができません。
  たとえば、いまここに、相反するふたつの意見があるとします。
  両者とも自分の意見のみに執着していたのでは、より新しいものは生まれません。  
  ↓
(3) そこで、お互いに相手の言い分をよく理解して真理の部分(本質)を保存しながら、誤りの部分を除きより良い意見に統合し統一することが必要です。
   
矛盾・対立を経て、統合の段階まで高めることを止揚(アウフヘーベン)といいます。

もちろん、止揚(アウフヘーベン)は、ひとつの段階で終了するのではありません。
その意見も、条件が変化すれば、新たな矛盾を含んできます。
そこからふたたび、止揚(アウフヘーベン)がおこなわれます。
このようにして、あらゆる存在は発展していきます。
このような発展のあり方を弁証法といいます。

上述したように、批判者に対する香西咲さんの態度は真摯でした。
謙虚です。
敢えて教えを請おうとしています。
相手に対する非難などは微塵もありません。
止揚(アウフヘーベン)をしようとする姿勢が顕著です。
これに対して寄稿者は、その後、何の反応もみせませんでした。
残念ながらここで、弁証法的発展の可能性は潰えてしまいました。
香西咲さんの寛容さだけが目立った結末でした。

弁証法的発展は東京湾についてもいえます。
たとえば、
「東京湾はかつて汚染されていたがいまはここまで持ち直した。だから他の綺麗な海と比較するのはやめてくれ」
という意見があるとします。
まあ、東京湾も自己努力をしたのでしょうけれども、ここで終わってはいけません。
プラトンではありませんが、ニューカレドニアという世界一の海に近づく努力をしなければなりません。
弁証法的発展をしなければなりません。
ただ、その前に、東京湾のことについてはふれないでくれ、という頑なな姿勢があっては、止揚(アウフヘーベン)をすることはできません。
止揚(アウフヘーベン)をするためには、矛盾・対立が必要です。
つまり、香西咲さんのツイートのように、純粋に綺麗な海と比較をするという行為がなければなりません。
この意味からも、香西咲さんの海に関するツイートは最適なものでした。
東京湾も現状に甘んじていてはいけません。
止揚(アウフヘーベン)をしていく必要があります。
そのためにも香西咲さんのような指摘は必要です。

なお、日本の汚染に関しては、「美味しんぼ」の40巻(オーストラリアン・ドリーム)が参考になります。
主人公の山岡さんはつぎのようにのべています。

(引用)
「日本には工業立国の道しかないのは確かだ。しかしだから汚染は仕方がないと言って非汚染を求める努力を放棄したらそれでおしまいだ」
「非汚染の夢を追うことは、失われたときを求めることなのかもしれないと、我々は思っていた。しかしそのとき、3億年変わらないオーストラリアの自然が、我々に語ったように思えた。過去は失われたが、未来はまだ失われていない、と・・・・・・」



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