香西咲さんに紹介したい歴史のエピソード~1000日のアン

香西咲さんを勝手に応援するサイトの管理人の「焼酎好き」です。よろしくお願いします。

本日は理不尽の極みとでもいうべき悲運を被った女性の話をご紹介します。
この出来事は映画やテレビドラマにもなっています。
ご存じのかたもいらしゃるかもしれません。
映画につきましては「1000日のアン」、テレビドラマのほうは「THE TUDORS~背徳の王冠~」というタイトルです。
ちなみにぼくは、どちらもみておりません。
悲惨な結末を知っておりますので、その気にはなれませんでした。

エリザベス1世
右の肖像画に描かれている女性は、イギリスの中興の祖として名高いエリザベス1世です。
この女王(在位1558年~1603年)は、弱小国であったイギリスを一流の国家へ発展させた人物として有名です。
このひとは王になる前、薄暗い塔のなかに幽閉されていました。
いつ処刑されるのかわからない状態でした。
1558年、王のメアリ1世が死去します。
このため、王位が舞い込んできたのです。

本日ご紹介するのは、このエリザベスではなく、母親のアン=ブーリンについてです。

その前に、その当時の歴代の王を確認したいと思います。

エリザベス1世
  
メアリ1世
  
・エドワード6世
  
ヘンリ8世

イギリス王ヘンリ8世話はヘンリ8世のときにさかのぼります。
1509年、ヘンリ8世は、亡き兄の妻であるカザリンと結婚することとなります。
6歳年上のカザリンは、6人の子供を生みました。
ところがそのうちの5人は途中で亡くなってしまいます。
生き残ったのは、女の子のメアリ(のちに王となるメアリ1世)だけでした。
カザリンがこのあと子供を生むのは無理だったようです。
男の子がほしかったヘンリ8世は、カザリンの存在がじゃまになってきます。
こうしたなか、アン=ブーリンという名門貴族の出身の女性が、カザリンの侍女(そばに仕える女性)となりました。

アンブーリン①

アン=ブーリンの存在を知ったヘンリ8世は、我を忘れます。
アン=ブーリンには婚約者がいましたが、その婚約を破棄させます。
ヘンリ8世は、カザリンと離婚して、アン=ブーリンと結婚することを望みました。
ところがローマ教会は、離婚を認めません。
怒ったヘンリ8世はローマ教会の信者をやめて、新たにイギリス国教会という新組織をつくります。
1533年、二人は結婚しました。

アンブーリン②
ヘンリ8世は、男の子が生まれることを望んでアン=ブーリンと一緒になりました。
ところがアン=ブーリンが生んだのは、女の子(エリザベス)でした。
男の子は死産します。
ヘンリ8世の心は急速にアン=ブーリンから離れていきます。
やがてそれは、怒りに変わりました。
ヘンリ8世は、アン=ブーリンが不倫をはたらいたとの理由で幽閉し、裁判にかけます。
1536年5月14日、アン=ブーリンは処刑されます。
王妃になってから3年後の出来事でした。
男の子を生まなかったため、1000日しか生きられなかったわけです。
このためアン=ブーリンは、「1000日のアン」と呼ばれています。

ちなみにヘンリ8世は、その後も結婚を繰り返し、同じようにして1人の女性を殺しています。
通算で6回結婚して、2人の女性を殺害したことになります。

ヘンリ8世と、最初の妻であるカザリンとの間に生まれた女の子が、メアリです。
メアリは、次の次の王、となります。
王になると、自分のやり方に反対する部下を次々と処刑しました。
このため、人々から、「血のメアリ」(ブラッディ・メアリー)と呼ばれ恐れられます。
ちなみにブラッディ・メアリーは現在、カクテルの名前になっています。

上述したように、アン=ブーリンが産んだ一人娘のエリザベスも、いつ王のメアリに殺されるのかわからない状態にありました。
ところがメアリは、即位から5年後に急死します。
そのあとに王となったのが、エリザベスです。
エリザベスはその後、50年近くも在位して、イギリスを大国にするわけですから、人生というのはわからないものです。

ちなみにヘンリ8世は55歳で死去します。
晩年は傷病と大病を患い、苦しみながら死んだといわれています。

話は変わりますけれども、ぼくはこのせりふが好きです。
「男は強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない」(フィリップ・マーロウ)
ヘンリ8世に聞かせてやりたかったです。



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