月別アーカイブ: 2014年9月

香西咲さんにお勧めしたい焼酎 ~古八幡

香西咲さんを勝手に応援するサイトの管理人の「焼酎好き」です。よろしくお願いします。

これまでに、プレミア焼酎(プレミアム焼酎)、と呼ばれるものをご紹介してきました。
代表的なのが、
森伊蔵、
魔王、
村尾、
伊佐美、
佐藤、
一どん、
百年の孤独、
です。

実は、これ以外にもプレミア焼酎(プレミアム焼酎)は存在します。
焼酎は1年を通して販売されていますが、年に1、2度、流通するものがあります。
季節商品と呼ばれているものです。
代表的なのが、毎年、春と秋に発売される赤霧島です。
赤霧島
大人気の焼酎です。
すぐに売り切れます。
過日、醸造元の霧島酒造から、今秋の赤霧島の出荷日が発表されました。
この焼酎につきましては後日、稿を改めてご紹介したいと思います。

赤霧島は全国で販売されます。
取り扱いをしている店舗も多いので、運が良ければ購入することができます。
これからご紹介をするのは、「幻の焼酎」と呼ばれているものです。
いくつかあります。
本日はそのなかから、古八幡についてご紹介します。
この焼酎は年に一度、春に発売されます。
古八幡
古八幡ですけれども、「こはちまん」ではなく、「いにしえはちまん」と読みます。
醸造しているのは、鹿児島県の高良酒造です。
こちらがつくっている焼酎はどれも、「準プレミア焼酎」と呼ばれており、人気があります。
通年商品は、八幡と田倉です。
この八幡の古酒が、古八幡です。
高良酒造の社長の高良武信さんはつぎのように語っています。
『自分らも農業の延長線にあると思うんですよ。』)から引用

「古八幡は黒麹なんですけども、私はタイプとして白麹が好きだったんですが、そのころ、皆さん黒麹を使って焼酎を造られるようになってきましたから、それじゃ作ってみようかなと思ってですね、造ったんですけども、・・・ちょっと、こう好みのタイプじゃなかったもんですから、私としてはですね。で、出さずにそのままタンクに貯蔵しておったんですね。というか売りそびれたというか出しそびれたというか(笑)。  そしたらおいておくうちに三年~四年たってなかなかおもしろい味になってきたんですよ。香りとか味とか。こりゃあこのままひょっとすると商品としていけるんじゃないかな?。で、そうして小売り店さん達と話をして、どうですかね?これを商品化したらっていうことで、これはおもしろいんじゃないかということで、だいたい貯蔵して7年目に出し始めたんですよ。」

高良酒造の焼酎を取り扱っている酒販店は、全国でもごく少数です。
以前に、ある特約店へ電話をして古八幡の入荷状況を訊ねたことがあります。
店主がいうには、わずか数本しか入ってこないとのことでした。
他店も似たような状況のようです。
テレビドラマのせりふに、
「世の中にはほしくても手に入れられないものがある」
というのがありました。
ぼくはそういうものなのだろうと思いました。
1年前のことです。
焼酎仲間から連絡がきました。
セット販売だけど、もしかしたら買えるかもしれないと。
その店へ電話をしました。
店主がでました。
胸が高鳴りました。
用件を伝えました。
店主はあっさりと、まだ在庫がありますよ、といいました。
ぼくは何度も礼をいって電話を切りました。
数日後、他の焼酎と一緒に、古八幡が送られてきました。
感激しました。
そのときは漠然と、これから何かうれしいことがあったら開栓しようと思いました。
特にこれといった目標があったわけではありません。
いまは目標ができました。
そのときに古八幡をのめたら、と思っています。



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香西咲さんに紹介したい歴史のエピソード~オーストリアのマリア=テレジア

香西咲さんを勝手に応援するサイトの管理人の「焼酎好き」です。よろしくお願いします。

少し前に、香西咲さんのツイッターを拝見しました。
体調が恢復に向かっていることを知りました。
ぼくはパソコンの画面を凝視していたようです。
安堵のため息を繰り返している自分に気がつき、我に返りました。
もう一度深く息をしました。
呪縛から解き放たれたような気分になりました。
ぼくには深淵から沸き上がってくる情を抑えることができませんでした。
香西咲さんには幸せになってほしいです。
心から願っています。

以下の文章は、ツイッターを拝見する前に書いたものです。

前回はイギリスの繁栄の象徴であるヴィクトリア女王につきまして紹介しました。
マリア=テレジア②本日は、オーストリアのマリア=テレジア(1717年~1780年)について書いてみたいと思います。
ご存じかもしれませんが、マリア=テレジアは、フランス革命で処刑されたマリー=アントワネットの母親でもあります。
マリア=テレジアはハプスブルク家に生まれました。
オーストリアの歴代の王は、この家の出身です。
ちなみにハプスブルク家は現在も名門で、欧州議会の議員に選出されるなどしています。
1740年、マリア=テレジアはオーストリアの王に即位します。
前王で父親のカール6世には、男の子がいませんでした。
そこでかねてより、いずれは娘のマリア=テレジアに位を譲るつもりでいました。
こうしてハプスブルク家にとっては、はじめての女性の王が誕生することとなります。
ここまでは支障なく物事が進みました。
実はオーストリアの王は、同時に、神聖ローマ帝国の皇帝を兼務することになっています。
神聖ローマ帝国につきましては、以前から国家としての体をなしておりませんでした。
国の中には360のドイツ人の小国(領邦国家)が存在しており、それぞれが独立国のように振る舞っています。
このなかで、領土も広く一番力のあったのがオーストリアです。
次がプロイセンでした。
このため、神聖ローマ帝国の皇帝といいましても、単なる名誉職のようなものです。

フリードリヒ2世
こうしたなか、マリア=テレジアが即位します。
これに対して、難癖をつけたのが、プロイセン王のフリードリヒ2世でした。
実は、カール6世による事前の打診のさいには、承諾しています。
ところが即位後すぐに、意義を唱えたのです。
女性が神聖ローマ帝国の皇帝になるのは認められない、と。
背景には、これを口実にオーストリアと戦争をして、領土を拡大したいとの意図がありました。
こうしてオーストリアとプロイセンとの間ではじまったのがオーストリア継承戦争(1740年~1748年)です。
23歳で王になったばかりのマリア=テレジアはオーストリア軍を率いて戦いました。
4年後、和約が結ばれて、戦争は終わります。
マリア=テレジアの即位は認められました。
ところが見返りにプロイセンに対して豊かな工業地域を割譲することとなります。
以降、プロイセンの国力は一気に増大します。

マリア=テレジア①
8年後、マリア=テレジアは、失った土地を奪い返すために、復讐戦をおこないます。
これが七年戦争(1756年~1763年)です。
マリア=テレジアは勇猛です。
ただ、単独ではプロイセンに勝つことができません。
そこで、マリア=テレジアは、ロシアとフランスを味方につけたのです。
このことを知ったフリードリヒ2世は驚愕します。
ロシアはともかく、オーストリアとフランスが手を結ぶとは。
オーストリアのハプスブルク家とフランスのブルボン家は犬猿の仲です。
あり得ないことが起きたのです。
ちなみにこの出来事を「外交革命」といいます。
戦いが始まります。
しだいにプロイセン軍は追いつめられていきます。
フリードリヒ2世は、敗北を覚悟します。
「陛下、もうだめです」
という部下に対して、フリードリヒ2世は、首からさげている胸飾りを開いてみせます。
中には毒薬が入っていました。
ここで奇跡が起きます。
オーストリアを支援していたロシアの皇帝が突然亡くなったのです。
新しい皇帝となったピョートル3世は、フリードリヒ2世の信奉者でした。
そこですぐにロシア軍を撤退させます。
その後プロイセンは勢いを取り戻して、勝利します。
結局マリア=テレジアが得たものはありませんでした。
2度の戦争を通じてプロイセンは、神聖ローマ帝国の領邦国家の中ではオーストリアに次ぐ2番目の地位を確立しました。

マリア=テレジアはプロイセンに負けはしましたけれども、その後もオーストリアを堅実に治めます。
子供も16人産みます。
すべて自分の手で育てています。
仕事と家庭を両立させた偉大な人物といえるのかもしれません。

この前のヴィクトリア女王のときと同じパターンで恐縮ですけれども、ぼくが以前に、マリア=テレジアの若いころの姿を知ったとき、これは美しい、と思いました。
マリア=テレジアと香西咲の比較

もちろん、それは、香西咲さんの存在を知る前の話ではありますが。
微笑む香西咲の画像



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病気は体が固くなることから始まるとの仮説もありますが・・・・・・

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早瀬圭一さんというジャーナリストがいます。
現在は、北陸学院大学の副学長もされております。
過去に書かれた本のなかに、「転職 男が迷うとき飛ぶとき」(新潮社刊)というのがあります。
17人の男性の第2の人生について記述したものです。
ぼくは以前に、この本を古書店で購入しました。
早瀬さんが紹介している人物のなかに、大木昭八郎さんというかたがいます。
大木さんは静岡大学の工学部で教授をしておりました。
思うことがありまして、49歳のときに職を辞します。
その後は長野県で農業をはじめます。
大木さんの大学での専攻は環境科学でした。
公害の調査などでは名を馳せております。
行動面でも、浜松市で建設が予定されていた「し尿処理場」の建設計画に反対するなど、革新的な人物でした。
大学を辞める2年前のことです。
会議の途中、大木さんは息ができなくなります。
心臓発作です。
救急車を呼ぼうとする周囲を制して、なんとか自分の研究室へ戻りました。
大木さんはまず、自分のからだを温めることを考えました。
ドライヤーをみつけて、胸と背中へ熱風を当てます。
やがて、徐々に呼吸が楽になっていく自分を感じました。
帰宅後は、ストーブと電気ごたつを使って心臓と背中を温めつづけます。
結果、翌朝には治まりました。
大木さんは20年程前から胆のうを患い、病院通いをしていました。
通院から10数年後、今度は、胸などが苦しくなる症状が出てきます。
神経性心臓病と診断されました。
原因は不明です。
大木さんは、胆のうの治療に用いている薬が原因かもしれないと考えました。
その後も時折、発作がでましたが、すぐに治まりました。
今回の発作はこれまでに経験をしたことのないものでした。
死の影が脳裏を過ぎりました。
症状が改善した大木さんは、病院での検査を拒み、自分で己の病気と闘ってみようと考えます。
民間療法や食餌療法を徹底的に研究します。

(「転職 男が迷うとき飛ぶとき」より引用)

病気にかかっても、傷をしても、自らの力で治そうとする作用がある。
医者の役目はその本来からそなわった復元力をたすけることにあるのでないか。
もちろん自らの力で回復が不可能な場合もある。
そんな”重病”を除けば、かなりの病気を治療する方法が民間療法や食養法の中にある。
大木は、次第にそう思うようになった。

民間療法や食餌療法につきましては、玉石混淆の感もあります。
これのみにこだわるひともいますし、なかにはこちらを利用する怪しい宗教団体も存在します。
大木さんは、薬の効能も否定していません。
その点はバランス感覚のあるかたであると思います。

大木さんは、石塚左玄の「食養法」にたどり着きました。
以下は大木さんによる解釈です。

①病気は食事が原因
「病気というのは、食べ物の代謝吸収の時に発生する乳酸や尿酸が毛細血管につまることが原因」

ぼくはテニスが好きですけれども、毎日はしません。乳酸がたまるからです。 

②人間は穀物を食べる動物である。
「人間の歯は、穀物をかみつぶす臼歯(きゅうし)が20本と一番多く、次に野菜を食いちぎる門歯が8本、肉を裂く犬歯は4本。従って人間は穀物を食べるのが適している」

歯の役割につきましては、この本を読んではじめて知りました。

③身土不二(しんどふじ)。その土地、その季節のものを食べる。
「人間の体は長い時間をかけて生存してきた環境に最もよく適するようにつくられている」
「輸入果物は、ほとんどのものが熱帯か亜熱帯が原産地。温帯の日本で、しかも寒い冬にそれらの果物を食べるのはからだによくない」

ぼくはパイナップルが好きです。
南国のフルーツは1年中いつでも食べることができますけれども、季節に合わない摂取はよくないのかもしれません。

④一物全体食。食べ物はできるだけ全体を食べる。
「肉や魚は動物性蛋白質を豊富に含んだ食品だが、骨のない肉や切り身の魚を食べるのと、骨ごと頭から食べるのでは本質的に違う。効果が全然違うのである」

ぼくはよく、しらすを肴(さかな)にして焼酎をのみます。
意識したことはありませんが、健康的なのみかたなのかもしれません。

⑤陰陽調和。自分のからだの陰陽を知ってそれに対応する食事を心がける。
ひとには、冷え性とそうではないひとがいるので、自分にあった食事を心がけることが必要であるとのことです。

やがて大木さんは、春菊のおひたしを食べ続けているうちに、胸の苦しさがなくなったことに気がつきます。
また、玄米にはからだをやわらかくする効用があるということもわかりました。

大木さんは、病気というのはからだが固くなることから始まるとの仮説を立てます。

(「転職 男が迷うとき飛ぶとき」より引用)

人間には、さまざまな臓器がある。
これら臓器の表面にある筋肉がやわらかくなると、中の臓器も正常な働きをし、かたくなるとその反対に作用する。
大木にはそう思えた。
風邪を引くとする。
からだ中のこれはと思う筋肉をもみほぐすのである。
これで風邪はどっかへ行ってしまう。
朝晩2時間ぐらいのヨガのポーズをとることも怠らなかった。
外からヨガ、内側から食養法をほどこした。
結局、医者には一度もみてもらわずに発作後を過ごした。

その後、病状が恢復した大木さんは、勤務先の大学がおこなっている「50キロ夜間歩行」の行事に参加します。
大木さんは参加者500人中、110番ぐらいでゴールしました。

やがて大木さんは、農業をしながら自然の中で生きていきたいと思うようになり、大学を辞めます。

農業をはじめる件(くだり)につきましては、特に目新しさは感じませんでした。
脱サラをして農業に就く話はよく聞きますので。
民間療法や食事療法につきましては、説得力がありました。
香西咲さんは現在、体調が思わしくないようです。
大木さんの説によりますと、ヨガには効用があるようです。
よくなることを願っております。

なお、大木さんも本を書かれております。
「体とつきあう―民間療法の科学」(大木 昭八郎著 日本エディタースクール出版部刊)



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ニューカレドニアの海と、ヘーゲルの弁証法

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今朝、ツイッターを拝見しました。
盛り上がっており、驚きました。
それから外出して、先程帰宅しました。
ぼくはスマホをもっていません。
外でネットをすることはありませんので。
家のパソコンから再び、寄稿者による東京湾の書き込みの箇所をみました。
寄稿者自身の書き込みは消えておりました。
自身で消されたのでしょうか。
香西咲さんの返答は残っています。
それにしても、香西咲さんの対応はすばらしかったです。
100点満点と申しますか、他の模範となる回答です。
大人です。
ぼくは感心しました。
もしもぼくでしたら、相手の書き込みを削除するか、または、そのときの気分によってはやり合うかのどちらかです。

ルビンの盃(ルビンの壷)という絵があります。
ルビンの盃(壷)

この絵から何を連想するでしょうか。
あるひとは、これは花瓶や盃(さかずき)である、というかもしれません。
またあるひとにとっては、2つの顔が向かい合っているようにみえるのかもしれません。

相手を批判することは簡単です。
その気になればいくらでもできます。
ただ、批判というものは、ひとつの立場から自分の意見にこだわって相手を攻撃することではありません。
あらゆる立場とそれがもつ長所や短所を可能な限り正確に理解したうえで、自分の意見をのべることです。

このルビンの盃のように、ひとによってはみえかたが異なります。
ひとつのみかただけにとらわれていては、正しい答えは生まれてきません。

寄稿者の文章が途中から消えていますので正確には再現できませんけれども、たしかこのようなことを書いていました。
東京湾の歴史を勉強してください。そして、いまの状態をよく理解してから発言してください、と。

何をいいたいのかいまひとつよくわかりませんけれども、こういうことなのかもしれません。
東京湾は一時汚染がひどかった。でもいまはだいぶ綺麗になったのですよ、と。

ぼくにいわせればこれは、ひとつの立場から自分の意見にこだわって相手を攻撃している、にすぎません。
もう一度書きますが、批判というのは、あらゆる立場とそれがもつ長所や短所を可能な限り正確に理解したうえで、自分の意見をのべることです。
寄稿者の文章にはこの観点が欠落しています。

ニューカレドニアから戻られたとき、香西咲さんは、海に関するツイートをされました。
これを読んだときぼくは、純粋に感動しました。
まさしくその通りだと肯(うなず)きました。
爽快な文章でした。

寄稿者にもうひとつ欠けているのは、弁証法的な姿勢と観点です。

弁証法というのは、哲学者のヘーゲルの概念です。
難解な理論ですので、以下にわかりやすく順を追って書いてみます。

(1) すべての存在は、矛盾する要素を含み、それぞれが相互に対立し合っています。
  ↓
(2) しかし、矛盾対立のままでいたのでは、発展することができません。
  たとえば、いまここに、相反するふたつの意見があるとします。
  両者とも自分の意見のみに執着していたのでは、より新しいものは生まれません。  
  ↓
(3) そこで、お互いに相手の言い分をよく理解して真理の部分(本質)を保存しながら、誤りの部分を除きより良い意見に統合し統一することが必要です。
   
矛盾・対立を経て、統合の段階まで高めることを止揚(アウフヘーベン)といいます。

もちろん、止揚(アウフヘーベン)は、ひとつの段階で終了するのではありません。
その意見も、条件が変化すれば、新たな矛盾を含んできます。
そこからふたたび、止揚(アウフヘーベン)がおこなわれます。
このようにして、あらゆる存在は発展していきます。
このような発展のあり方を弁証法といいます。

上述したように、批判者に対する香西咲さんの態度は真摯でした。
謙虚です。
敢えて教えを請おうとしています。
相手に対する非難などは微塵もありません。
止揚(アウフヘーベン)をしようとする姿勢が顕著です。
これに対して寄稿者は、その後、何の反応もみせませんでした。
残念ながらここで、弁証法的発展の可能性は潰えてしまいました。
香西咲さんの寛容さだけが目立った結末でした。

弁証法的発展は東京湾についてもいえます。
たとえば、
「東京湾はかつて汚染されていたがいまはここまで持ち直した。だから他の綺麗な海と比較するのはやめてくれ」
という意見があるとします。
まあ、東京湾も自己努力をしたのでしょうけれども、ここで終わってはいけません。
プラトンではありませんが、ニューカレドニアという世界一の海に近づく努力をしなければなりません。
弁証法的発展をしなければなりません。
ただ、その前に、東京湾のことについてはふれないでくれ、という頑なな姿勢があっては、止揚(アウフヘーベン)をすることはできません。
止揚(アウフヘーベン)をするためには、矛盾・対立が必要です。
つまり、香西咲さんのツイートのように、純粋に綺麗な海と比較をするという行為がなければなりません。
この意味からも、香西咲さんの海に関するツイートは最適なものでした。
東京湾も現状に甘んじていてはいけません。
止揚(アウフヘーベン)をしていく必要があります。
そのためにも香西咲さんのような指摘は必要です。

なお、日本の汚染に関しては、「美味しんぼ」の40巻(オーストラリアン・ドリーム)が参考になります。
主人公の山岡さんはつぎのようにのべています。

(引用)
「日本には工業立国の道しかないのは確かだ。しかしだから汚染は仕方がないと言って非汚染を求める努力を放棄したらそれでおしまいだ」
「非汚染の夢を追うことは、失われたときを求めることなのかもしれないと、我々は思っていた。しかしそのとき、3億年変わらないオーストラリアの自然が、我々に語ったように思えた。過去は失われたが、未来はまだ失われていない、と・・・・・・」



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フラッシュの新作、香西咲さんの「レースクイーン&イメージガール」を作成しました

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テニスから帰ってきました。
今日はめずらしく、フラットサーブ(高速サーブ)がかなりの確率で入りました。
一昨日はまったくだめでした。
サーブが決まると爽快な気分になります。
それに後押しされたのかもしれません。
今日はコート内を縦横に走り回りました。
コーナーをつくきわどいボールもほとんど拾いました。
寝不足気味だったのにもかかわらず、なぜかからだの動きは俊敏でした。

さて、現在当サイトでは、フォトギャラリーで紹介しております香西咲さんの写真をもとにして、順次フラッシュを作成しているところです。

<フォトギャラリー>
・香西咲さんの「笑顔&元気」
・香西咲さんの「お茶目(おちゃめ)」
・香西咲さんの「水着&着物」
・香西咲さんの「レースクイーン&イメージガール」
・香西咲さんの「休息」
・香西咲さんの「かわいい(可愛い)」
・香西咲さんの「オシャレ(お洒落)」
・香西咲さんの「アンニュイ」

本日、香西咲さんの「レースクイーン&イメージガール」のフラッシュが完成しました。
ホームページのほうへアップしましたので、ご覧になっていただければさいわいです。

フラッシュ版(香西咲さんの「レースクイーン&イメージガール」)

今回のフラッシュは、拡散と集約ということをテーマにして作成しました。

なお、フラッシュの完成状況は、以下の通りです。
・香西咲さんの「笑顔&元気」・・・・・・アップ済み
・香西咲さんの「お茶目(おちゃめ)」・・・・・・アップ済み
・香西咲さんの「水着&着物」・・・・・・アップ済み
・香西咲さんの「レースクイーン&イメージガール」・・・・・・アップ済み
・香西咲さんの「休息」
・香西咲さんの「かわいい(可愛い)」
・香西咲さんの「オシャレ(お洒落)」
・香西咲さんの「アンニュイ」

残りはあと4つです。

香西咲さんのTwitter(2014年9月25日)より引用。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。

オットー・フォン・ビスマルク
だよん

名言です。
ぼくもいずれ、当ブログでビスマルクのことを書こうと思っていました。
ビスマルクといえば、アメ(社会保険制度)とムチ(社会主義者鎮圧法)の政策があまりにも有名です。
他には、「鉄血政策」がよく知られています。
鉄は兵器、血は兵士をあらわします。
つまり、軍事力を強化する政策です。

ぼくは次のエピソードが興味深いです。
当時プロイセンの首相だったビスマルクは、オーストリアとの戦争を考えていました。
ところが勝てる自信がありませんでした。
1864年に、デンマークとの間で戦争が起こります。
なぜかビスマルクは、この戦いにオーストリアを誘います。
一緒にデンマークと戦います。
結果は連合軍の勝利でした。
誘った理由を知ってぼくは驚きました。
ビスマルクはオーストリア軍の実力を間近で見たかったのです。
観察をした結果、自軍のほうが上であると確信します。
1866年、ビスマルクはオーストリアに宣戦しました。
普墺戦争です。
戦いはわずか7週間で終わります。
プロイセンの圧勝でした。
戦争の天才といえばナポレオンが有名です。
ナポレオンは最後負けました。
ビスマルクは勝ちました。
ビスマルクはナポレオンを凌駕しているのかもしれません。

(再掲)
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。

同じドイツ人の名言としては、こちらも有名です。

「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」
(ヴァイツゼッカー大統領。1985年5月8日の連邦議会での演説より)



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香西咲さんに紹介したい歴史のエピソード~イギリスのヴィクトリア女王

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昨日のブログでは、「1000日のアン」の一人娘であるエリザベス1世(在位1558年~1603年)についてもふれました。
エリザベスはイギリス発展の礎をつくったひとです。
在位年数は約44年間です。

ビクトリア女王18歳この人物と並んで有名なのがヴィクトリア女王(在位1837年~1901年)です。
王であった期間はエリザベス1世よりも長く、63年7か月間です。
これは歴代のイギリスの国王の中で最長です。
イギリスの国王の立場は、「君臨すれども統治せず」が原則です。
ヴィクトリア女王が直接政治をおこなっていたわけではありません。
当時のイギリスは、安定と発展の時代でした。
このときを象徴しているのがヴィクトリア女王です。

ヴィクトリアはハノーヴァー家の出身です。
ハノーヴァー朝は1714年から、ヴィクトリアが死去する1901年までつづきました。

これは、ヴィクトリアが4歳のころです。
ビクトリア女王4歳.jtd

同じく16歳のころです。
ビクトリア女王16歳

ヴィクトリアは18歳のとき、即位します。
ビクトリア女王18歳

王になって3年後、21歳のときに、同い年でいとこのアルバートと結婚します。
アルバートはドイツ出身です。
ビクトリア女王の夫アルバート ビクトリア女王の結婚式

これといった肩書きもないアルバートですけれども、良き相談相手として、妻を支えました。
二人は仲むつまじく、子供も9人生まれました。

41歳の時の写真です。
ビクトリア女王、アルバート42歳
この年、アルバートは病気で逝去します。

愛する夫を失ったヴィクトリアは、悲しみの淵に沈みます。
以降ずっと、喪服を着て過ごすようになります。
一時、家から出ることができず、王としての職責を果たせなかった期間もありました。
ビクトリア女王喪服姿

ビクトリア女王80歳
ヴィクトリアは81歳で亡くなります。
最後のことばは、
「まだ死にたくない。私にはしなければならないことがまだ残っている」
でした。
ヴィクトリア一家はイギリス人にとって理想的な家族でした。
夫婦仲が良く、子供もたくさんいる。
多くの人たちに愛された生涯でした。

ヴィクトリア女王の在位中には当然、いろいろなことが起きております。
アイルランドのジャガイモ飢饉は有名です。
イギリスは1801年に、アイルランドを併合しました。
そのアイルランドで、1840年代に、ジャガイモの伝染病が広がります。
当時のアイルランド人の主食は、ジャガイモでした。
収穫の激減によって、1845年から数年間に、100万人が餓死しました。
アイルランド人口は850万人から750万人になります。
このあと80万人が食料を求めて北アメリカ大陸へ移住しました。
暗殺されたケネディ大統領の曾祖父(ひいおじいさん)は、この飢饉のときにアメリカへ渡ったことで有名です。
ウォルト・ディズニーの曾祖父(ひいおじいさん)も、そのときの移民です。
アメリカではかつて、貧しいアイルランド系移民のことを「ミッキー」と呼んで、揶揄していました。
やがて、「ミッキー」と名付けられたキャラクターが、ウォルト・ディズニーのアニメによって人々から愛される存在となるわけですから、おもしろいものです。

アイルランドのジャガイモ飢饉のような陰の部分もありますけれども、ヴィクトリア女王の在位中にイギリスはこの世の春を謳歌します。

ちなみにぼくは以前に、ヴィクトリア女王の若いころの姿を知ったとき、これは美しい、と思いました。
ビクトリア女王16歳

もちろん、それは、香西咲さんの存在を知る前の話ではありますが。
オシャレな服を着ている香西咲の画像



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香西咲さんに紹介したい歴史のエピソード~1000日のアン

香西咲さんを勝手に応援するサイトの管理人の「焼酎好き」です。よろしくお願いします。

本日は理不尽の極みとでもいうべき悲運を被った女性の話をご紹介します。
この出来事は映画やテレビドラマにもなっています。
ご存じのかたもいらしゃるかもしれません。
映画につきましては「1000日のアン」、テレビドラマのほうは「THE TUDORS~背徳の王冠~」というタイトルです。
ちなみにぼくは、どちらもみておりません。
悲惨な結末を知っておりますので、その気にはなれませんでした。

エリザベス1世
右の肖像画に描かれている女性は、イギリスの中興の祖として名高いエリザベス1世です。
この女王(在位1558年~1603年)は、弱小国であったイギリスを一流の国家へ発展させた人物として有名です。
このひとは王になる前、薄暗い塔のなかに幽閉されていました。
いつ処刑されるのかわからない状態でした。
1558年、王のメアリ1世が死去します。
このため、王位が舞い込んできたのです。

本日ご紹介するのは、このエリザベスではなく、母親のアン=ブーリンについてです。

その前に、その当時の歴代の王を確認したいと思います。

エリザベス1世
  
メアリ1世
  
・エドワード6世
  
ヘンリ8世

イギリス王ヘンリ8世話はヘンリ8世のときにさかのぼります。
1509年、ヘンリ8世は、亡き兄の妻であるカザリンと結婚することとなります。
6歳年上のカザリンは、6人の子供を生みました。
ところがそのうちの5人は途中で亡くなってしまいます。
生き残ったのは、女の子のメアリ(のちに王となるメアリ1世)だけでした。
カザリンがこのあと子供を生むのは無理だったようです。
男の子がほしかったヘンリ8世は、カザリンの存在がじゃまになってきます。
こうしたなか、アン=ブーリンという名門貴族の出身の女性が、カザリンの侍女(そばに仕える女性)となりました。

アンブーリン①

アン=ブーリンの存在を知ったヘンリ8世は、我を忘れます。
アン=ブーリンには婚約者がいましたが、その婚約を破棄させます。
ヘンリ8世は、カザリンと離婚して、アン=ブーリンと結婚することを望みました。
ところがローマ教会は、離婚を認めません。
怒ったヘンリ8世はローマ教会の信者をやめて、新たにイギリス国教会という新組織をつくります。
1533年、二人は結婚しました。

アンブーリン②
ヘンリ8世は、男の子が生まれることを望んでアン=ブーリンと一緒になりました。
ところがアン=ブーリンが生んだのは、女の子(エリザベス)でした。
男の子は死産します。
ヘンリ8世の心は急速にアン=ブーリンから離れていきます。
やがてそれは、怒りに変わりました。
ヘンリ8世は、アン=ブーリンが不倫をはたらいたとの理由で幽閉し、裁判にかけます。
1536年5月14日、アン=ブーリンは処刑されます。
王妃になってから3年後の出来事でした。
男の子を生まなかったため、1000日しか生きられなかったわけです。
このためアン=ブーリンは、「1000日のアン」と呼ばれています。

ちなみにヘンリ8世は、その後も結婚を繰り返し、同じようにして1人の女性を殺しています。
通算で6回結婚して、2人の女性を殺害したことになります。

ヘンリ8世と、最初の妻であるカザリンとの間に生まれた女の子が、メアリです。
メアリは、次の次の王、となります。
王になると、自分のやり方に反対する部下を次々と処刑しました。
このため、人々から、「血のメアリ」(ブラッディ・メアリー)と呼ばれ恐れられます。
ちなみにブラッディ・メアリーは現在、カクテルの名前になっています。

上述したように、アン=ブーリンが産んだ一人娘のエリザベスも、いつ王のメアリに殺されるのかわからない状態にありました。
ところがメアリは、即位から5年後に急死します。
そのあとに王となったのが、エリザベスです。
エリザベスはその後、50年近くも在位して、イギリスを大国にするわけですから、人生というのはわからないものです。

ちなみにヘンリ8世は55歳で死去します。
晩年は傷病と大病を患い、苦しみながら死んだといわれています。

話は変わりますけれども、ぼくはこのせりふが好きです。
「男は強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない」(フィリップ・マーロウ)
ヘンリ8世に聞かせてやりたかったです。



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香西咲さんに紹介したい歴史のエピソード~ナポレオンと女性たち

香西咲さんを勝手に応援するサイトの管理人の「焼酎好き」です。よろしくお願いします。

香西咲さんのTwitter(2014年8月3日)より引用。

でも今1番勉強したいのは歴史です!
学生の時に全く勉強してなかったし超初心者だから、池上彰先生の本でざっと流れを把握しているところ

学生の頃は全く面白いと思わなかったのに今は面白く感じるのはなぜ?

香西咲さんはいま、歴史に興味をお持ちのようです。
ツイッターの写真では、現代史の本などが紹介されておりました。
ぼくも歴史は好きです。
たまにですけれども、日本史や世界史の本も読みます。
一時、フランス革命のときの話に魅了されたことがあります。
革命ですので、殺伐とした場面もでてきます。
そのため、読み続けるのがつらくなったときもあります。
マリー=アントワネットの処刑の場面などもそうですが、ジャコバン派のロベスピエールによる恐怖政治のところでは本を閉じることが多くなりました。
その後はナポレオンが登場して、安堵させられます。
もちろん、酷い場面もあります。
特に、反乱を起こしたスペインに対する鎮圧シーンは、活字を追っていくのに苦労しました。
そういうところもありますけれども、全般的に、ナポレオンのエピソードは興味深いものがあります。
特に軍事面における天才ぶりには驚かされます。
また、エジプトでロゼッタ=ストーンを発見した話も爽快です。
これによって、古代エジプトの神聖文字を解読することができたのですから。
他には、ナポレオンをめぐる女性たちの話もおもしろいです。
以下にくわしく書いてみたいと思います。

(1)ジョゼフィーヌ

ナポレオンの妻のジョゼフィーヌジョゼフィーヌは、ナポレオンの最初の妻です。
ナポレオンは失脚時代に、復活の機会を求めて社交界へ出入りしていました。
ここで知り合ったのが、ジョゼフィーヌです。
ジョゼフィーヌはナポレオンよりも6つ年上で、しかも未亡人でした。
2人の子供もいます。
ナポレオンは夢中になります。
26歳のときにナポレオンは求婚します。
ジョゼフィーヌは迷いましたが、結婚を承諾します。

(2)マリー=バレウスカ

ナポレオンは37歳のときに、ポーランドの舞踏会で、19歳年下のマリー=バレウスカと出会います。
このときマリー=バレウスカは、70歳の老貴族と結婚していました。
舞踏会から戻ったナポレオンは、マリー=バレウスカに手紙を送りました。

あなただけを尊敬します。私はあなたが必要です。すぐお返事をください。
私を焼き尽くそうとする火を鎮めるために。

やがて2人は愛し合うようになり、マリー=バレウスカは男の子を出産します。
このとき、妻のジョゼフィーヌには、どうすることもできませんでした。

(3)マリー=ルイズ

ナポレオンは妻のジョゼフィーヌに対して、不満を抱いていました。
それは、子供ができないからです。
ナポレオンは40歳のとき、ジョゼフィーヌと離婚します。
同年、オーストリア王女のマリー=ルイズと結婚します。
マリー=ルイズは、ナポレオンよりも22歳も年下でした。
翌年、マリー=ルイズは、男の子を出産します。
この子は、ローマ王と名付けられました。
4年後ナポレオンは、失脚して、エルバ島へ流されます。
このときマリー=ルイズは、自国のオーストリアへ帰ってしまいます。
ナポレオンは蟄居(ちっきょ)しているエルバ島で手紙を書きました。

あなたの部屋の準備ができています。
9月にブドウの取り入れをあなたとしようと思います。

マリー=ルイズは求めに応じませんでした。
やがて、若い貴族と再婚します。

その後、エルバ島から脱出したナポレオンは、イギリスやプロイセンなどの連合軍と、最後の戦いをおこないます。
ワーテルローの戦い(1815年6月)です。
結果、敗れたナポレオンは再び退位して、またもや島流しとなります。
今度は簡単に脱出できないようにと、大西洋の孤島であるセント=へレナ島へ流されます。
6年後、ナポレオンは死去します。
52歳でした。

死の間際にナポレオンは、次のようなことをいっております。

ジョゼフィーヌは、なんともいえず好きだった。
本当に愛していた。

ナポレオンの最期のことばは、
「フランス、軍隊、軍の先頭、ジョゼフィーヌ」

もしも、この時代に香西咲さんがいたのならば、ナポレオンはこういったかもしれません。

「フランス、軍隊、軍の先頭、香西咲」



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プラトンの恋愛論~なぜひとは異性を愛するのか

香西咲さんを勝手に応援するサイトの管理人の「焼酎好き」です。よろしくお願いします。

プラトンとアリストテレスの論争(ラファエロのアテネの学堂)
横の絵は、ラファエロが描いた「アテネの学堂」の中央部分を切り出したものです。
左がプラトンで、右がアリストテレスです。
二人は、この世に完璧なものは存在するのか、について論争をしています。
左のプラトンは、自分の指を天のほうへ向けています。
その指は、
この世には完璧なものなど存在しない
完璧なものは現実の世界の彼方(かなた)にある
ということを象徴しています。
一方、右のアリストテレスの右手は、大地をおさえています。
完璧なものはこの世に存在する、といいたいわけです。
当ブログでもこれまでに、二人の説につきまして若干の言及をしております。
(参考)
・プラトンについては、モナ=リザとイデア論を超えた香西咲さんの美しさ
・アリストテレスについては、フラッシュ香西咲さんの「夏」の微調整と、アリストテレスのアレテー

本日はプラトンのイデア論についてご紹介します。
イデアの概念は難解なので、ごく簡単に説明したいと思います。
プラトンにいわせれば、完璧なものはこの世に存在しません。
ただし、自分の頭の中では、この完璧なものを思い描くことができます。
自分の頭の中にだけに存在している完璧なものをイデアといいます。
たとえば世の中に、完璧な人間は存在しません。
ただ、自分の頭の中では、完璧な人間を思い描くことができます。

このことからプラトンは何をいいたいのでしょうか。
あるとき、ある人物が、自分は完璧でない(不完全)、ということを認識したとします。
このひとは、完璧なものへ近づくための努力をします。
理想の追求です。
これの行為を、エロースといいます。
繰り返しますが、人間は完璧なものを手に入れることはできません
完璧なものに向かって努力をしていく、これが大切である、とプラトンはいうわけです。

ここでもう一度、不完全完璧の関係を書いてみます。

—————————————————————————————–
 自分は不完全であると知る
   ↓
 完璧なものに近づこうとする
—————————————————————————————–

次に、恋愛について考えてみます。
ひとはなぜ、異性を求めるのでしょうか。
プラトンは次のような架空の話を考えました。
(※プラトンの「饗宴」を参照。)

昔、人間は、男と女が背中合わせになっていました。
つまり、男と女が合わさって、一人の人間を形成していたのです。
あるとき人間は、神をしのぐようになってきます。
そこで神は、人間の弱体化をはかるために、その体を2つに切り裂きます。
こうして人間は、男と女に別れたのです。

あるとき、ひとは、自分の背中に異性がいないことに気がつきます。
不完全であることを認識します。
自分が不完全であることを知ったそのひとは、完璧なものを追い求めます。
それは男と女が一対になっている状態です。
もちろん完璧な状態を手に入れることはできません。
それに近づく努力をします。
そこでひとは、異性を求めるのです。

関連で、なぜ人間は子孫を残すのかについても書いてみます。
人間の命は永遠ではありません。
いつか絶えます。
つまり、不完全です。
このことに気がついたとき、ひとは、永遠の生命(完璧なもの)を手に入れたいと思います。
永遠の命はこの世に存在しません。
そこでひとは、それに近いものを手に入れようとします。
それは、自分の子供です。
子供に、己の存在を伝えていこうとするわけです。
こうしてひとは異性に恋をして、結婚し、子供をつくるのです。

イデア論もこうして恋愛に置き換えて考えてみますと、とてもロマンチックな話になります。

最後に、プラトンと論争をしたアリストテレスも、愛についてのことばを残しています。
ちなみにぼくは、数ある愛の名言のなかでこれが一番好きです。
ただ、これは、男性の立場からのべたものかもしれません。
女性の香西咲さんにとっては、どのように感じるでしょうか。
とりあえず、紹介します。
「ニコマコス倫理学」より。

「愛というものは、愛されることよりも、むしろ愛することに存すると考えられる」



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香西咲さんにお勧めしたい焼酎 ~一どん

香西咲さんを勝手に応援するサイトの管理人の「焼酎好き」です。よろしくお願いします。

暑い夏も終わりました。
テニスをするのには最適な季節となってきました。
一昨日、久しぶりにラケットのグリップテープを交換しました。
これまでは強く握っても滑り、大変扱いづらかったのですが、あえてそのまま使用していました。
テニスの場合は道具選びも大切です。
ラケットの状態が悪いと、ボールがうまく飛んでくれません。
ぼくは悪いコンディションの下で練習をしたほうがより上達するかもと考えて、しばらくの間実践しました。
なんだか昔の「スポ根マンガ」みたいですけれども、おかげで交換後は、快適にボールを打つことができました。
たまにはこういうのもいいかもしれません。

さて、本日の話題は焼酎です。
これまでにご紹介したプレミア焼酎は以下の通りです。
焼酎百年の孤独
百年の孤独
・麦焼酎
・宮崎県
・黒木本店

森伊蔵
森伊蔵
・芋焼酎
・鹿児島県
・森伊蔵酒造

焼酎魔王
魔王
・芋焼酎
・鹿児島県
・白玉醸造

村尾
村尾
・芋焼酎
・鹿児島県
・村尾酒造

伊佐美
伊佐美
・芋焼酎
・鹿児島県
・甲斐商店

焼酎佐藤
佐藤
・芋焼酎
・鹿児島県
・佐藤酒造

一どん
本日は、芋焼酎の「一どん」についてご紹介します。
一どんは「いちどん」ではなく、「いっどん」と読みます。
醸造元は、杜氏の里笠沙、です。
(鹿児島県南さつま市笠沙町赤生木6762番地)
一どんはご覧の通り、ビンの形が他のものとは違い、目を引きます。
この焼酎も入手が大変困難です。
これまでに紹介した焼酎につきましては、購入できるかどうかは別として、取り扱いをしている酒販店がいくつか存在します。
ところが一どんの場合は、販売をしているのが杜氏の里笠沙のみとなっています。
希少性の面からいえば、この一どんが一番かもしれません。

一どんの抽選の応募葉書(はがき)
ぼくは以前に、直接杜氏の里笠沙へ行って、一どんを購入したいと思ったことがありました。
そこで、まずは電話で確認をしてみたところ、店頭販売はおこなっていないとのことでした。
購入するためには、往復はがきを出して抽選販売に申し込む必要があります。
詳細につきましては、杜氏の里笠沙のホームページでご確認ください。
ちなみにぼくが電話をしたときには、このホームページはありませんでした。
根気がつづくひとは、1年以内に一どんを購入することが可能です。
はがきを毎月出しているひとにはいずれ、杜氏の里笠沙からの当選の通知が送られてくるそうなので。
一どんをのみたいというひとは、毎月必ず、応募のはがきを出す、ということが肝要です。
ちなみにぼくは、途中で挫折してしまいました。

一どんも他のプレミア焼酎と同様に、大変洗練された味の焼酎です。
女性にも人気があります。
一どんがのめる店もあります。
香西咲さんにもお勧めしたい焼酎です。



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